甘やかな執務室と、二匹の眼差し
シンオウリーグ本部の最上階にあるチャンピオン執務室。
重厚なマホガニーのデスクの上には、シンオウ各地からの報告書や、ジム運営に関する承認書類が山のように積み上がっていた。
「……ふぅ」
静かな部屋に、小さく可憐な溜息が落ちる。
黒いチャンピオンジャケットを脱ぎ、椅子の背もたれに深く体を預けたシロナは、こめかみを指先で優しく揉んだ。
新チャンピオンとして就任してからというもの、覚えるべき公務と決刺書類の山に追われ、息をつく暇もない日々が続いていた。世間が抱く「気高く完璧な王者」というイメージを保ち続けるのは、思った以上に神経を削る作業だった。
コトン、と優しい音を立てて、デスクの脇に湯気の立つマグカップが置かれる。
「お疲れ様、シロナ。そろそろ甘いものでも補給したらどうだ?」
「……アスト」
差し出されたのは、彼女の大好物である温かいココアだった。
振り返ったシロナの瞳が、一瞬でとろけるような柔らかさへと変化する。アストの手からマグカップを受け取ると、両手で包み込むようにして一口啜り、心底幸せそうに息を吐いた。
「助かったわ……。もう頭が破裂しそうだったの」
「あまり無理するなよ。代われる仕事なら俺が引き受けるからさ」
「ううん、これはチャンピオンとしての私の仕事だもの。……でも、少しだけ『充電』させて」
そう言うや否や、シロナは椅子から立ち上がり、アストの腰にすっぽりと腕を回して胸元へと顔をうずめた。
外で見せる凜とした凛然たる雰囲気はどこへやら、今の彼女は完全にアストに身を委ね、甘える一人の恋人そのものだった。
「ん……アストの匂い。すごく落ち着く……」
「シロナ、おい……! 誰か入ってきたらどうするんだよ」
照れくさそうに制しようとするアストだったが、振り払うような力は込められていない。アストは苦笑しながらも、愛おしそうに彼女の美しい金髪を優しく撫でた。
そんな二人の甘い空間のすぐ傍らで、それぞれの相棒たちが思い思いの反応を見せていた。
部屋の隅、大きなソファの脇で身体を休めていたのは、シロナの相棒・ガブリアスだ。
普段は圧倒的な威圧感で敵を平伏させる誇り高き龍神だが、今は片目をうっすらと開け、アストの胸に顔をうずめて「ふにゃり」と脱力している主(シロナ)を静かに見つめている。
(……やれやれ、また始まったか)
と言いたげに、ガブリアスは深々とした鼻息を『フシュー……』とひとつ漏らした。
幼少期からシロナの苦悩も努力も見てきた相棒だからこそ、アストの前でしか見せないその無防備な姿に呆れつつも、どこか誇らしげで、どこか誇り高い安心感を漂わせている。アストがしっかりシロナを受け止めているのを確認すると、満足したように再び両腕を組んで目を閉じた。
一方、アストの隣に静かに佇むサーナイトは、全く違う反応を示していた。
サーナイトの蒼い瞳が、シロナの腕の中で頭を撫でられながら心地よさそうに目を細めるアストの表情を捉える。
サーナイトは感受性が鋭いポケモンだ。かつて一人旅の途中で傷つき、苦しみ、自分自身を責めていたアストの心の痛みを、誰よりも近くで分かち合ってきた。
だからこそ、今こうしてアストがシロナの温もりに包まれ、過去の傷を溶かすように柔らかく笑っていることが、たまらなく愛おしく、誇らしかったのだ。
サーナイトは胸の前で細い指先をそっと重ね合わせると、胸が温かくなるような優しい波動を小さく放った。そして、甘える二人を邪魔しないよう、静かに一歩身を引くと、くすりと楽しそうに微笑むのだった。
「……ねえ、アスト」
アストの胸元から上目遣いで彼を見上げるシロナ。
「もうちょっとだけ、このままでいさせて? チャンピオンの命令よ」
「……はいはい。好きなだけいていいよ、チャンピオン様」
アストが優しく抱き返すと、シロナは満足そうに再び胸に顔をうずめた。
部屋の隅で静かに見守るガブリアスとサーナイトの温かな眼差しに包まれながら、二人の甘く穏やかな時間は、静かに過ぎていくのだった――。