第12話
第一幕 鴉は尸魂界に生きる
第二部 守るということ
第12話 可愛げのない新人
卒業から数日後、イタチは四番隊の隊舎を訪れていた。
霊術院の制服ではない。今日から身に纏うのは死覇装。腰には浅打を差し、その上から四番隊の隊章が入った腕章を着けている。
霊術院を卒業し、護廷十三隊へ入隊した。
今日から自分は四番隊第七席。
「…………」
隊舎を見上げる。
以前、卯ノ花 烈との面談で一度訪れている。しかし今日からは客ではない。
「うちは七席ですね」
声を掛けられて振り返ると、一人の隊士が立っていた。
「はい」
「副隊長がお待ちです。こちらへ」
案内に従って隊舎を歩く。
途中ですれ違う隊士たちは忙しそうだった。包帯や薬品を運ぶ者、書類を抱えて走る者、治療所へ向かう者。霊術院とは明らかに空気が違う。
戦場ではない。それでも誰もが働いている。
(これが四番隊か)
やがて一室の前で案内役が止まった。
「副隊長。うちは七席をお連れしました」
「どうぞ」
「失礼します」
戸を開ける。
中にいた男は机に積まれた書類へ目を通していた。
「うちは イタチです。本日よりよろしくお願いします」
「ええ」
男は顔を上げる。
「山田 清之介。四番隊副隊長です」
それだけ言うと再び書類へ視線を戻した。
「霊術院を二年で卒業。全科目優秀。早期卒業を蹴ってもう一年残った物好き。回道の制御は新人としては異常なくらい正確で、戦闘能力は席官級以上」
書類を一枚めくる。
「その上、入隊したその日から七席」
「はい」
「随分と立派な経歴ですね。さぞご自分でも鼻が高いことでしょう」
「ありがとうございます」
「……褒めているように聞こえましたか?」
「違いましたか?」
清之介の眉が僅かに動いた。
「……あなた、いつもそんな調子なんですか?」
「どのような意味でしょう」
「もう結構です」
書類が机へ置かれる。
「隊長から話は聞いています。あなたの教育は私が担当します」
「副隊長が直接ですか?」
「ご不満でも?」
「いえ」
「それは結構。では決まりですね」
清之介が立ち上がる。
「行きますよ」
「はい」
◇
連れてこられたのは治療所だった。
多くの寝台が並び、そのいくつかには隊士が横になっている。怪我の程度は様々だった。腕に包帯を巻いている者もいれば、身体の広い範囲を固定されている者もいる。
清之介は足を止めない。
「ここが今日からあなたの職場の一つです」
「はい」
「四番隊の仕事は知っていますね?」
「負傷者の治療と救護。回道を用いた治療。各隊への物資の運搬や補給。瀞霊廷内の清掃業務などです」
「実に教科書通りですね」
「では、それは一旦忘れてください」
イタチが清之介を見る。
「…………」
「そういうところですよ、あなた」
清之介は小さく息を吐いた。
「知識として覚えることと、現場で使えることは違うという意味です。そこまで説明しないと分かりませんか?」
「そうでしたか」
「素直なのか面倒なのか、判断に困る方ですね……」
歩きながら清之介が一つの寝台を示した。
「診てみなさい」
若い隊士が眠っている。目立つ外傷は少ない。
イタチの眼が赤く染まる。
三つの勾玉が浮かんだ。
霊力の流れを見る。全身を観察し、異常を探す。
「どうです?」
「霊力の流れが乱れています。特に右脇腹付近が――」
「眼を戻しなさい」
「…………」
写輪眼が消える。
「なぜでしょう」
「便利なんでしょうね、その眼。報告は霊術院の教官たちから上がってきています。本人は明言こそしていないが、その眼は霊力の流れが見えていると思われる、と」
「はい」
「ですから、使わないでください」
イタチは僅かに目を細めた。
「理由を聞いても?」
「あなた、その眼が使えなくなったら患者を診られなくなるおつもりですか?」
「…………」
「触れなさい」
清之介が患者を示す。
「呼吸を見て、脈を取って、皮膚の状態を確認する。本人が起きているなら話を聞く。どこが痛むのか、いつから痛むのか、何をされたのか。霊力を見るのはその後でも構いません」
「はい」
「便利なものを使うなと言っているわけではありません。便利なものがなければ何もできない、そんな役立たずになられても困ると言っているんです」
イタチは寝台の隊士を見る。
呼吸。胸郭の動き。皮膚の色。触れた時の温度。脈拍。
一つずつ確認する。
(……なるほど)
写輪眼なら最初から見えるものがある。しかし見えることと、診ることは同じではない。
「右の肋骨を痛めていますか」
「そこまで分かれば十分です」
清之介は患者の記録をイタチへ渡した。
右側胸部打撲。肋骨二本に亀裂。内部の臓器に大きな損傷なし。
「写輪眼を使えばもっと早かったかもしれません」
「写輪眼というんですか。その眼は。隠していたのでは?」
「必要な情報共有だと判断しました。これから必要になることもあるでしょうから」
「初対面の相手に随分と不用心ですね。私が口の軽い人間で、そこら中に言いふらすかもしれませんよ?」
「任務をしていればいずれバレるでしょうし、信頼の証と思っていただければ」
「それはそれは。信頼していただけて光栄です」
「良かったです」
「……あなた、なかなかいい性格をしていますね。馬鹿のふりをするならもう少し真面目にやったらどうです?」
「気をつけます」
「…………それで、眼を使わせなかった理由も理解できたんですよね、天才君?」
「理解しました」
清之介が横目で見る。
「本当に分かっているんですか?」
「俺の眼で見えるものが、全てではありません」
「…………」
「患者自身から得られる情報を知らなければ、眼で見た異常の意味を正しく判断できない可能性があります」
少しの沈黙。
「……本当に可愛げのない新人ですね」
「すみません」
「別に謝罪を求めたわけではありませんよ」
◇
午前中は診察の基礎を教わった。
傷を見る。触れる。話を聞く。記録を読む。
そして治療する。
回道そのものは難しくなかった。霊術院で学んだ範囲なら問題なく扱える。
問題はその前だった。
「違います」
清之介の声が飛ぶ。
イタチの手が止まる。
「回道の出力ですか?」
「そこは問題ありません」
「では……」
「患者の顔を見なさい」
治療を受けている隊士を見る。僅かに眉間へ皺が寄っている。
「痛みがありますか」
「……少し」
「さっきより強くなりましたか?」
「いや、最初からこれくらいだ」
イタチは清之介を見る。
「治療前に聞いていませんでした」
「ようやくお気づきですか」
傷だけを見ていた。
清之介は壁へ寄りかかる。
「回道が上手い者は毎年います。霊力制御が得意な者もね。傷を塞ぐだけなら、あなたは新人の中でも相当優秀でしょう」
「はい」
「それで?」
「…………」
「傷が塞がれば、それで治ったことになるんですか?」
答えない。
「違うでしょう」
「はい」
「なら患者を診なさい。傷ではなく、人間を。まさかその程度のことまで教科書に書いてもらわないと分かりませんか?」
その言葉をイタチは黙って受け取った。
◇
昼を過ぎた頃だった。
治療所の入口が急に騒がしくなる。
「負傷者です!」
数人の隊士が担架を運び込んできた。
「十一番隊! 流魂街での虚討伐任務中に負傷! 三名です!」
空気が変わった。
清之介の表情からそれまでの気怠さが消える。
「状態は!」
「一人は意識あり! 左腕に深い裂傷! 一人は意識混濁、腹部を強打されています! もう一人は――」
「順番に入れなさい! 三席を呼んで! 手の空いている者は第二処置室を空けろ!」
周囲の隊士が一斉に動く。
イタチも負傷者を見る。
三人。傷。呼吸。出血。霊圧。情報を整理する。
「うちは!」
「はい」
「あなたはこの患者です!」
清之介が示したのは左腕から出血している隊士だった。
意識はある。
「止血、状態確認、その後に回道。できますね?」
「はい」
イタチはすぐに動いた。
傷を見る。出血量を確認する。
「聞こえますか」
「ああ……」
「名前を言えますか」
「……荒巻」
「痛む場所は左腕だけですか?」
「多分な……」
「多分では困ります。他に強く打った場所は?」
「背中を……少し」
呼吸を見る。脈を取る。先ほど教わったことを一つずつ確認する。
その上で写輪眼を開いた。見える情報が増える。
(左腕の損傷が最も大きい。背部に目立った異常はない)
止血する。回道を始める。霊力を流して傷の状態を確かめながら組織を修復する。
できる。
技術的には難しくない。しかし意識は傷だけに向けない。
「気分は悪くありませんか」
「……大丈夫だ」
「吐き気は?」
「ない」
「指は動かせますか」
男が指を動かす。確認しながら治療を続ける。しばらくして出血が止まり、傷が塞がった。
「終わりました」
清之介は来なかった。別の負傷者を診ている。なら次に何をする。
イタチは周囲を見る。
人手。負傷者。使える寝台。必要な物資。自分にできること。
(……待つ必要はない)
「この方をこちらへ移します。手を貸してください」
「はい!」
近くにいた隊士へ声を掛け、治療を終えた男を移す。
空いた寝台を整え、次の負傷者を受け入れられる状態にする。
「うちは!」
清之介の声。
「はい」
「こちらへ来なさい!」
すぐに向かうと腹部を負傷した隊士が横たわっていた。
「眼を使いなさい」
迷わず写輪眼を開く。
「見える範囲で構いません。異常を探してください」
「はい」
今度は使わせる。必要だから。
霊力の流れと身体の状態を観察する。
「右側腹部。周囲より霊力の流れが乱れています。範囲は――」
「指で示しなさい」
位置を示す。清之介が確認する。
「他には?」
「今見ます」
情報を拾う。分析する。伝える。
それを基に清之介が判断する。自分一人で治すのではない。自分に見えるものを治療できる者へ渡す。
(……これも治療か)
その考えが浮かんだ。
◇
全てが落ち着いた頃には日が傾いていた。
イタチは治療所の隅で使った道具を片付けていた。
「初日にしては上出来ですね」
後ろから声がする。清之介だった。
「ありがとうございます」
「回道は噂通り。制御も問題なし。指示も聞ける。状況を見てある程度は自分で動ける。随分と優秀な新人で結構なことです」
「勝手に動いてよかったのでしょうか」
「必要なことをする分には構いません。余計なことをしたら蹴り飛ばしますけどね」
「分かりました」
「本当に可愛げがありませんね」
清之介は呆れたように言う。
「ただし」
声の調子が変わった。
「今日のあなたは、治療者としては半人前以下です」
「はい」
イタチは即答した。
清之介が僅かに眉を上げる。
「反論はしないんですか?」
「する理由がありません」
今日一日だけでも知らないことはいくつもあった。診察の方法、患者から情報を得る方法、治療の優先順位、周囲との連携。
回道を扱えることはその中の一つに過ぎない。
「俺はまだ人を治す方法を知りません」
「…………」
「だからここへ来ました」
清之介はしばらくイタチを見る。
「……そうですか」
それだけ言って歩き出す。
「明日は朝一番に来なさい」
「はい」
「回道の応用をやります。その後は薬学、外傷の見方、診断、救護手順。覚えることはいくらでもありますよ」
「分かりました」
「それと、七席だからといって楽ができるとは思わないことです」
「思っていません」
「でしょうね。あなたは」
清之介が治療所を出ていく。
イタチは片付けを終えると、自分の手を見る。
この手は人を殺す方法を知っている。何度も使った。迷わず使えるほどに。けれど今日、この手で初めて学び始めたものがある。
傷を見るだけでは足りない。術を使えるだけでも足りない。人を見る。考える。選ぶ。必要なら誰かの力を借りる。
(……慣れないことばかりだな)
それを不快には思わなかった。
むしろ。少しだけ楽しみだった。
うちは イタチの死神としての日々が始まった。
山田 清之介《やまだ せいのすけ》
護廷十三隊・四番隊副隊長。
やや皮肉屋で口が悪く、愛想のいい性格とは言い難い人物。
一方で治療を担う死神としての能力は高く、回道をはじめとした医療技術にも優れている。
患者に対しても決して優しい言葉を掛けるわけではないが、その言動とは裏腹に治療そのものには真摯に向き合う。
四番隊隊長・卯ノ花 烈の下で副隊長を務めており、入隊したばかりのうちは イタチの教育を担当することになる。