第一幕 鴉は尸魂界に生きる
第二部 守るということ
第14話 四番隊の仕事
六番隊との合同訓練から、数週間が経った。
卯ノ花の言葉通りにイタチの仕事はそれまでとは大きく変わっていた。
診療所で負傷者を待つだけではない。他隊への往診や訓練時の救護、瀞霊廷の外で行われる巡回診療。これまでほとんど診療所の中で完結していた仕事が少しずつ外へと広がっている。
五年間で身につけた知識と技術が通用しないわけではない。むしろ、治療そのものに困ることは以前より遥かに少なくなった。
だが外へ出れば別の難しさがあった。
使える薬や道具には限りがある。人手も常に十分とは限らない。患者の状態によってはその場で処置するのか、四番隊まで搬送するのかを判断する必要もある。
「うちは六席」
隣を歩いていた四番隊士に呼ばれ、イタチは視線を向けた。今日は数名の隊士と共に流魂街へ巡回診療に向かっている。
「最近はずっと外勤に出てますけどもう慣れました?」
「いや」
イタチは前を向いたまま答えた。
「まだ分からないことの方が多いです」
「六席でもそんなこと言うんですね」
「席次は関係ないでしょう。まだまだ覚えることばかりです」
「確かに診療所とは違いますよね」
隊士は苦笑した。
やがて一行は目的の地区へ到着した。
用意された場所へ簡単な診療のための道具を広げるとほどなくして住民たちが集まり始める。
怪我をした者だけではない。身体の不調を訴える者、以前から痛みを抱えている者、薬を求める者。その一人一人を順番に診ていく。
「痛い!」
「動くな」
「だって痛いもん!」
「動けば余計に痛む」
転んで膝を擦りむいたらしい少年の前にしゃがみ、イタチは傷口を洗った。少年は今にも逃げ出しそうな顔をしている。
「すぐ終わる」
「ほんと?」
「ああ」
短く答え、処置を続ける。しばらくして包帯を巻き終えると、少年は恐る恐る膝を見た。
「終わりだ」
「……本当に?」
「本当だ。頑張ったな」
少年は何度か膝を曲げ伸ばしすると、嬉しそうに走っていった。
「走るな」
声を掛けた時には、すでに少年は母親らしい女性のところまで戻っていた。隣で別の患者を診ていた隊士が笑う。
「うちは六席、意外と子供の扱いに慣れてますね」
「そうか?」
「もっと泣かせるかと思ってました」
「……どういう意味ですか?」
「その顔ですよ…」
イタチは僅かに眉を寄せた。
「以前、流魂街で暮らしていた」
「え?」
「それだけです」
それ以上説明することなく、次の患者へ視線を移す。目の前には腕に大きな切り傷を作った男が座っていた。血はすでに止まりかけている。
その後ろには、目立った外傷のない老人が順番を待っていた。男の傷を一度確認したイタチは老人へ目を向ける。
顔色が悪い、呼吸も浅く、額には薄く汗が滲んでいる。
「そちらの方を先に」
「俺は?」
男が自分の腕を指した。
「出血は止まっています。少し待ってください」
イタチは老人の前へ移動した。
「いつから具合が悪いですか」
「朝から、少し息苦しくてな……」
話を聞きながら状態を確認していく。傷の大きさだけを見れば、先ほどの男の方が重く見える。だが、診るべきものは傷だけではない。しばらく老人を診たあとにイタチは近くの隊士を呼んだ。
「この方は四番隊へ搬送する。準備を頼む」
「分かりました」
「そこまで大事なのか?」
老人が不安そうに尋ねる。
「念のためです」
イタチはそう答えた。五年前なら同じ判断ができただろうか。ふとそんなことを考える。
だがすぐに思考を切り替えた。今は目の前の患者を診る方が先だった。
午後になり巡回診療も終わりが近づいていた。
「そろそろ片付けますか」
隊士の一人がそう言った時だった。
少し離れた場所から低い轟音が響いた。
続いて人々の叫び声。
イタチは立ち上がる。
「何だ?」
「向こうです!」
土煙が上がっていた。
イタチたちは道具を手にすぐさま現場へ向かった。
古い建物の一部が崩れている。
周囲には住民が集まり、何人かが地面に座り込んでいた。
泣き声、助けを求める声、イタチは周囲を見渡す。
立っている者、腕を押さえている者、地面に倒れている者、そして一部が崩れた大きな建物。
周囲に虚の気配や姿はない。
「四番隊です! 動ける方は建物から離れてください!」
同行していた隊士が声を張り上げる。
イタチは倒れている男の側へ膝をつき、意識と呼吸を確認した。
「この人をお願いします」
「はい!」
次へ移る。泣いている子供、腕から出血している女、足を押さえて動けない男。
一人ずつ状態を確認し、優先順位を決める。
「そちらの二人を診てください。自力で歩ける者は安全な場所へ誘導を」
「分かりました」
「動けない者を無理に起こさないように」
指示を出しながら、イタチは崩れた建物へ視線を向けた。
「まだ中に人がいる!」
住民の声が聞こえた。
「何人ですか」
「分からねえ! でもまだいたはずだ!」
イタチは建物へ向かう。
「うちは六席!」
背後から隊士が呼び止めた。
「まだ崩れるかもしれません!」
「分かっている」
足を止めずに答える。
「外を頼む」
建物の中へ入った。
足元には砕けた木材や瓦礫が散乱している。
崩れかけた柱、軋む天井。耳を澄ます。
「誰かいますか」
返事はない。
奥へ進むとやがて微かな声が聞こえた。
「……たすけ……」
そちらへ向かう。倒れた柱の向こうに一人の男がいた。
「いたぞ!」
外から入ってきた住民が駆け寄ろうとする。
「待ってください」
「でも!」
「動かさないでください」
強い声に男の足が止まった。
イタチは負傷者の側へ移動する。
意識はある。呼吸を確認し、身体の状態を見る。倒れた木材に下半身を挟まれている。
「これを退ければ――」
「待ってください」
再び制止する。
「無理に引き抜けば状態が悪化する可能性があります」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ」
「俺が診ます」
イタチは負傷者へ視線を戻した。
「聞こえますか」
「……ああ」
「今から助けます。動かないでください」
男が小さく頷く。周囲の状態を確認する。どの瓦礫から除くべきか。何を動かせば建物全体へ影響するのか。負傷者をどう固定するか。一つずつ整理する。
やがて後から到着した四番隊士と協力し、慎重に瓦礫を除いていった。
最後の木材が退けられる。
「今です」
身体を固定したまま負傷者を運び出す。
外へ出たところで、待っていた隊士たちが引き継いだ。
「お願いします」
「はい!」
再び建物へ目を向ける。
もう取り残された者はいないことを確認してから、イタチも負傷者の処置へ加わった。
すべてが落ち着いた頃には日は随分傾いていた。
重傷者は四番隊へ搬送され、軽傷者の処置も終わっている。幸い、手遅れな者はいなかった。
片付けをしていると、袖を引かれた。
振り向く。
先ほど処置をした少年だった。
「死神ってさ」
「何だ」
「虚を倒す人じゃないの?」
イタチは少年を見る。
「それも仕事の一つだ」
「じゃあ、怪我も治すの?」
「四番隊はな」
少年は少し考え込んだ。
「死神にも色々いるんだね」
「そうだな」
それだけ答える。
少年は母親に呼ばれ、走っていった。
「走るな」
また同じことを言った。
今度は少年も聞こえていたのか、一度だけ振り返ってから歩き始める。
その姿を見送り、イタチも荷物を持った。
四番隊へ戻った頃にはすでに日が暮れていた。
報告を終えたイタチが診療所を出ようとしたところで、清之介に呼び止められた。
「うちは」
「はい」
清之介は机に置かれた報告書へ目を落としている。
「外に出した途端、随分と働いてる様ですね」
「通常の任務をこなしているだけです」
「五年間診療所に引き籠もってた人が言うと説得力が違いますね」
「引き籠もっていたわけではありません」
「似たようなものでしょう」
清之介は鼻で笑った。
「まあいいです」
机の端に置かれていた一枚の書類を取り、イタチへ差し出す。
「次の仕事です」
受け取る。
任務書へ目を通したイタチの目が僅かに細くなった。
東流魂街第六十二地区。《花枯《かがらし》》。
「最近、ここで虚の出現が異常に増えているとのことです」
清之介が言った。
「一度や二度ではない様で、討伐してもしばらくするとまた出る。それが何度も続いてるらしいです」
「原因は?」
「分かっていたら既に解決しています。だから調べるんです」
イタチは任務書へ視線を戻した。
通常の虚の出現とは考えにくい。偶然なのか、何か理由があるのか。
現時点では判断する材料がない。
「五番隊が討伐と調査を担当することになった。四番隊からも救護要員を出します」
「俺もその一人ということですか」
「はい」
清之介は頷いた。
「調査隊を率いるのは五番隊副隊長だ」
イタチが顔を上げる。
「平子 真子副隊長」
その名前を聞き、イタチはもう一度任務書へ目を落とした。
清之介が椅子の背へ身体を預ける。
「今度は今日のような仕事とは違います」
「はい」
「虚が出ると分かってる戦場へ救護者として入っていきます」
清之介の目が僅かに鋭くなる。
「怪我人が出たら治しなさい。必要なら運んで下さい」
一拍置く。
「それと自分や他の隊士達を守りなさい。僕たちは救護者である前に護廷十三隊隊士です」
イタチは静かに頷いた。
「承知しました」
任務書を持つ。
そこに記された地名をもう一度見る。
東流魂街第六十二地区――《花枯》。
何故その場所で虚が頻発しているのか。
今の段階では何も分からないが、出来る事をするだけだった。