第一幕 鴉は尸魂界に生きる
第一部 死して、なお
第7話 特別講義
「なあ」
「何だ」
「今日、特別講義らしいぞ」
朝。真央霊術院。
教室へ入ると、そんな声が聞こえた。
「特別講義?」
「ああ。護廷十三隊の隊長が来るらしい」
「隊長が?」
「そう聞いた」
教室が、いつもより少し騒がしい。
「誰が来るんだろうな」
「朽木 銀嶺隊長じゃないか?」
「ええ……緊張するだろ、それ」
「俺は四楓院 夜一隊長がいいな」
「何でだよ」
「めちゃくちゃ美人らしいぞ」
「それが理由かよ」
「それだけじゃねえって。瞬神って呼ばれてるらしいぜ」
「瞬神?」
「ああ。瞬歩がとんでもなく速いんだと」
「へえ。一度見てみたいな」
「それなら京楽 春水隊長とか?」
「いっつもサボってるっていう噂の?」
「お前、それ本人の前で絶対言うなよ」
「卯ノ花 烈隊長だったりして」
「回道の講義か?」
「それなら、うちはが喜びそうだな」
何人かの視線が、イタチへ向く。
「…………」
「うちはは誰が来てほしい?」
「誰でも構わない」
「つまらない答えだな」
「現役の隊長から直接学べるなら、誰であっても意味はあるだろう」
「…………」
「お前、本当に真面目だよな」
「そうか?」
「そうだよ」
◇
やがて、教官が入ってきた。
「席につけ」
生徒たちがそれぞれの席へ戻る。
「すでに聞いている者もいると思うが」
教官が教室を見渡した。
「今日の授業は特別講義だ」
空気が僅かに変わる。
「護廷十三隊より、現役の隊長に来ていただいている」
ざわめき。
「静かにしろ」
教官が入口を見る。
「お願いします」
扉が開いた。
入ってきたのは、笠を被った男だった。花柄の羽織。気の抜けたような表情。
「どうもどうも」
片手を上げる。
「八番隊隊長の京楽 春水です」
「「…………」」
何人かの生徒が顔を見合わせた。
「本当に来た……」
「おい」
「聞こえるぞ」
小声。
京楽は気にした様子もない。
「いやぁ」
教室を見渡す。
「特別講義なんて言われて来たんだけど」
頭を掻く。
「堅苦しいのは僕、苦手なんだよねぇ」
隣に立つ教官の眉が僅かに動いた。
「だから今日は」
京楽がにこりと笑う。
「僕なりの特別授業をさせてもらうよ」
生徒たちが顔を見合わせる。
「勉強も大事だけどさ」
京楽は続けた。
「学生たるもの、皆で遊ばないと勿体ないでしょ?」
「「…………」」
教官が何とも言えない顔をする。
「というわけで」
京楽が楽しそうに言った。
「今から、楽しい遊戯をしよう」
◇
場所を移す。霊術院の訓練場。
そこに生徒たちが並んでいた。
「はい。これ」
配られたのは一本の鉢巻きだった。
「頭でも腕でもいいから、好きなところにつけてね」
イタチは鉢巻きを見る。微かに霊力を感じる。
「それ、ちょっと特殊な道具でね」
京楽が説明する。
「着けた人の霊圧を、決まった反応に変えて出してくれるんだ」
一人の生徒が手を上げた。
「何に使うんですか?」
「うん」
京楽が笑う。
「隠れ鬼」
「「…………」」
「隠れ鬼?」
「そう」
京楽が人差し指を立てる。
「普通のかくれんぼとは、ちょっと違うよ」
歩きながら説明する。
「まず、鬼は僕」
「え」
「京楽隊長が?」
「そうだよ」
にこり。
「嫌?」
「い、いえ」
「良かった」
京楽が続ける。
「皆には、学院の敷地内に隠れてもらいます」
周囲を指す。
「ただし、建物の中は禁止」
「どうしてですか?」
「校内で走り回って怒られるのは嫌だから」
「「…………」」
「僕がね」
「京楽隊長……」
教官が低い声を出す。
「冗談ですよ」
多分、そうではない。
「それで」
京楽が続ける。
「僕に見つかっても、その場で終わりじゃない」
「見つかったら?」
「逃げていいよ」
何人かの表情が変わる。
「全力でね」
「「…………」」
「僕に触られるまでは、まだ捕まってない」
隠れる。見つかる。逃げる。捕まる。
「捕まった人は、この訓練場へ戻ってくるように」
「戻ったら?」
「自主練」
「え」
「罰ゲームみたいなもんだよ」
京楽がにこにこと笑う。
「せっかくの楽しい遊戯なのに捕まっちゃったんだから、その分お勉強してもらわないとね」
「せっかくの特別講義が……」
「何か言った?」
「何も言ってません!」
「よろしい」
笑い声が上がる。
「全員捕まったら終了」
京楽が手を叩く。
「簡単でしょ?」
そして、空を見る。
「じゃあ、今から五分」
再び生徒たちを見る。
「好きなところへ逃げていいよ」
一瞬、静寂。
「五分後に、僕が探しに行くから皆隠れるんだよ」
次の瞬間、生徒たちが一斉に走り出した。
◇
五分後。
京楽 春水は一人、訓練場に立っていた。
「さて」
辺りを見渡すが誰もいない。
「そろそろ始めようかな」
目を閉じて意識を広げる。
霊圧感知。
学院の敷地。その中に点々と同じ特徴を持った霊圧反応がある。
木の陰。塀の裏。屋外倉庫の側。植え込み。
随分と分かりやすい。
「うん」
京楽が笑った。
「皆、ちゃんと隠れてるねぇ」
姿が消える。
◇
「見ーつけた」
「えっ!?」
声に生徒が振り返る。
少し離れた場所に京楽が立っている。
「逃げていいよ」
「っ!」
瞬歩。
生徒が消える。
「お」
京楽もその後を追う。
一歩。二歩。
生徒が必死に距離を取ると京楽は少しだけ速度を合わせる。
「ほらほら」
「くっ……!」
「頑張って」
「言いながら追ってこないでください!」
「だって無言だと怖いでしょ?」
「喋ってても怖いです!」
「そう?」
もう一歩、距離を詰める。
「はい」
肩へ手を置く。
「一人目」
「……速すぎる」
「まだまだ」
京楽が笑う。
「戻って自主練ね」
「鬼……」
「鬼だよ?」
「そういう意味じゃなくて!」
◇
それを繰り返した。
「見つけたよ」
「うわっ!」
「右に逃げるんだ?」
「え――」
「はい」
◇
「そこ、隠れるには少し狭くない?」
「いつから!?」
「さっきから」
「うわあああ!」
◇
「お」
「…………!」
「今の瞬歩は悪くないね」
「本当ですか!?」
「うん」
「ありがとうございます!」
「はい、捕まえた」
「ずるい!」
◇
少しずつ訓練場へ生徒が増えていく。
そして、最後。
「はい」
肩へ手を置く。
「これで終わりかな」
「はぁ……はぁ……」
捕まった生徒が膝へ手をつく。
「残念だったね」
「隊長相手にどうしろっていうんですか……」
「頑張ればいいんじゃない?」
「無茶言わないでください……」
京楽は笑いながら訓練場へ戻った。
◇
「いやぁ」
並んだ生徒たちを見る。
「残念ながら、全員捕まっちゃったね」
にやりと笑う。
「「…………」」
「なんだい、その顔は〜?」
「楽しかったですか?」
「うん」
「でしょうね……」
「僕も久しぶりに思いっきり走ったよ」
「絶対嘘だ」
「聞こえてるよ」
「…………」
京楽が辺りを見る。
「じゃあ、これで――」
「あの」
「ん?」
一人が手を上げる。
「うちはがいません」
「…………」
京楽が瞬きをする。
「うちは?」
「うちは イタチです」
「ああ」
名簿を思い出す。
「教官から話は聞いてるよ、赤い眼になる子だっけ?」
「そうです」
「…………」
もう一度人数を見る。
確かに一人足りない。
「あれ~?」
京楽が首を傾げる。
「おかしいなぁ」
笑いながら周囲へ意識を広げる。
「見逃したかな~?」
霊圧感知。
先ほどと同じ範囲。
「…………」
いない。
「…………」
京楽の笑みがほんの少し変わった。
「隊長?」
「いや」
もう一度探す。
やはり見つからない。
「うちはの奴、霊圧抑えるの上手いんですよ」
「そうなの?」
「かなり」
「入学試験の時も何かあったらしいぞ」
「ああ、測定で最初ほとんど出なかったってやつ?」
「そうそう」
「普段からずっと抑えてるらしい」
「寮じゃたまにすごい威圧感出してるけどな」
「それ関係あるのか?」
「知らん」
「…………」
京楽はその会話を聞きながら笑う。
「へえ」
そして今度は、少しずつ真面目に探した。
広く。深く。微かな霊圧まで拾う。
「…………」
数秒。
それから。
「……ああ」
見つけた。
訓練場からそう遠くない一本の木。その枝葉の重なった奥。
ほんの僅かに反応がある。あの鉢巻きの霊圧反応。
(これは)
京楽の目が僅かに細くなる。
(見逃しても仕方ないか)
鉢巻きが霊圧を別の反応へ変えている。それでも元となる霊圧そのものが極端に小さい。
完全に消しているわけではない。しかしあれだけの量まで絞っている。
(すごい霊圧制御だねぇ)
京楽の姿が消えた。
◇
木の上。
イタチは枝に身を預けていた。
呼吸。霊圧。動き。
可能な限り抑える。
鉢巻きがある以上、完全に気配を消すことはできない。なら、反応そのものを可能な限り小さくする。
その時。
「見つけたよー」
声。
イタチの眼が開く。
少し離れた枝。
京楽 春水。
「随分上手に隠れたね」
「ありがとうございます」
「でも」
笑う。
「見つけたからには、つかまえちゃうよ」
眼が紅く染まる。
黒い勾玉。
写輪眼。
「へえ」
京楽が僅かに目を細めた。
次の瞬間。
霊力。足元。進行方向。
瞬歩。
イタチが先に動く。
「おっと」
京楽の手が空を切る。
一歩。二歩。
木々の間をイタチが移動する。
「速いねぇ」
京楽も追う。
霊術院生としては破格。
上手い。
霊力の足場。移動。着地。
無駄が少ない。
「霊圧制御だけじゃなくて」
一歩。
「瞬歩も上手なんだね」
「ありがとうございます」
「逃げながら返事する余裕もあるんだ」
「話しかけられたので」
「真面目だなぁ」
さらに追う。
だが。
「…………」
京楽が気づく。
一歩踏み出す。その前にイタチが動く。
もう一度、足元へ霊力を通す。
その瞬間、イタチが進路を変えた。
(……ん?)
京楽が速度を落とす。
イタチも距離を取る。
もう一度、瞬歩へ移る。
その起こり。
イタチが動く。
(僕が動いてからじゃない)
紅い眼。
京楽はそれを見る。
(動く前に反応してる)
足元。霊力。瞬歩へ移る直前。
その流れを見られている。
(瞬歩の起こりが分かってるのかな?)
それだけではない。
進む方向。距離。
そこまで、ある程度読んでいるように見える。
「…………」
京楽が笑った。
(面白い眼だねぇ)
試してみる。
右へ霊力を通す。
イタチが反応する。
だが、京楽は動かない。
「…………」
イタチの動きが一瞬止まった。
(やっぱり)
見ている。
動作ではない。
霊力の流れを。
「じゃあ」
京楽が笑う。
「これはどうかな」
消えた。
「――」
見える。
写輪眼が捉える。
霊力。足場。軌道。行き先。
だが。
(速い)
身体を動かす。
その前に。
「はい」
肩へ手が置かれた。
「捕まえた」
「…………」
イタチが振り返る。
京楽がすぐ後ろに立っていた。
「最後まで残ったのは君だね」
「はい」
「大したものだよ」
「ありがとうございます」
京楽がイタチの顔を見る。
紅い眼。黒い模様。
「ところで」
「はい」
「その眼、どうしたの?」
イタチは京楽を見る。
「集中した時など、色が変わることがあります」
「へえ」
「はい」
「その模様も?」
「はい」
「そうなんだ」
京楽はそれ以上聞かなかった。
ただ、紅い眼を見る。
(それだけじゃなさそうだけどねぇ)
だが、本人が話さないのなら今はそれでいい。
「じゃ」
京楽が訓練場を指す。
「戻ろうか」
「はい」
◇
「これで」
京楽が生徒たちを見る。
「本当に全員だね」
「結局うちはも捕まったのか」
「当たり前だろ、相手隊長だぞ」
「でも最後まで残ったんだろ?」
「どこに隠れてたんだよ」
「木の上だ」
「木の上?」
「俺も見たぞ、あの木」
「…………」
「お前どうやって隠れてたんだ?」
「普通に」
「絶対普通じゃない」
京楽がそのやり取りを眺める。
「さて」
手を叩く。
生徒たちが京楽を見る。
「今日は僕も楽しかったよ」
「隊長が一番楽しんでませんでした?」
「そう見えた?」
「見えました」
「じゃあ、良い授業だったってことだね」
「どういう理屈ですか」
笑い声。
京楽も笑う。
そして。
「まあ」
少しだけ声が変わった。
「護廷十三隊に入れば、戦わなきゃいけない時はたくさんある」
生徒たちが静かになる。
「虚と戦うこともある。誰かを守らなきゃいけない時もある。逃げちゃいけない時だって、もちろんある」
だが。
「僕はね」
京楽が笠へ手を添える。
「駄目な時には、逃げてもいいと思うんだ」
「「…………」」
「勝てない相手に出会ったら、逃げる」
「「…………」」
「生き残って、助けを呼ぶ」
軽い声。
けれど、誰も笑わなかった。
「戦うことだけが、正しい判断じゃない」
生きて、戻る。
「逃げるっていうのもね」
京楽が笑う。
「ちゃんと覚えておいた方がいいよ」
生徒たちは黙って聞いていた。
「まあ」
京楽が辺りを見渡す。
「今日は全員捕まっちゃったんだけどね」
「「…………」」
「最後にそれ言います!?」
「だって本当だし」
「いい話だったのに!」
「そう?」
笑い声が戻る。
「だから」
京楽が手を振る。
「次は逃げ切れるように頑張ってね」
「また来てもらえますか?」
「次は捕まったら終わるまで素振りでいいよ」
「勘弁してください!」
京楽は楽しそうに笑った。
◇
授業が終わる。
生徒たちが訓練場を離れていく。
イタチは少しだけ、その場に残った。
遠ざかる京楽 春水の背中を見る。
(あれが、護廷十三隊の隊長か)
霊圧。
抑えていたのだろう。
それでも知覚できる範囲だけでこれまで出会った死神とは明らかに違った。
そして、瞬歩。
最後の一歩。
写輪眼には見えていた。
霊力の流れ。起こり。進む方向。
それでも間に合わなかった。
(見えていても身体が追いつかないか)
まだ遠い。
それが分かった。
そしてもう一つ。
(俺が霊力の流れを見ていることにも気づいていた)
おそらく確信まではしていない。
だが何かがあることには気づかれた。
別に構わない。
写輪眼については自分から話していないだけで、知られてはならないと考えているわけではない。
それでも僅かな時間でそこまで見抜いた。
(流石は隊長だな)
霊術院で多くを学んだ。
知らなかった技術を知った。使えるようにもなった。
だが、その先はまだ遥かに遠い。
イタチは京楽が去った方角をもう一度見る。
そして訓練場を後にした。
京楽 春水
護廷十三隊・八番隊隊長。
笠と花柄の羽織が特徴的な、飄々とした雰囲気の男。
酒と女性を好み、仕事を面倒臭がることも多いため、一見すると隊長らしい威厳には欠ける。
しかし、その実力と洞察力は隊長の名に恥じないもの。
普段の軽い態度とは裏腹に、必要な時には冷静に状況を見極め、時に非情ともいえる判断を下せる人物でもある。