第8話 知らない景色
「今日は現世実習を行う」
教官の言葉に教室が少しだけざわめいた。
「現世?」
「本当に行くのか?」
「虚も出るんだよな?」
「出なかったら実習にならないだろ」
「いや、出ない方がいいだろ……」
そんな声が教室のあちこちから聞こえる。イタチは黙って教官を見た。
「静かにしろ」
声が止まる。
「お前たちも二年目だ。斬術、白打、歩法、鬼道。一通りの基礎は身につけている」
教官は教室を見渡した。
「今日は班ごとに現世へ向かい、指定された区域を探索する」
「虚が出た場合は?」
一人の生徒が訊く。
「討伐しろ」
教室が再びざわめいた。
「もちろん危険と判断された場合には教官が介入する。だが基本的にはお前たち自身で対処してもらう」
「…………」
「遊びではないぞ」
教官の声が少しだけ低くなる。
「現世に出れば相手は訓練用の標的ではない。実際の虚だ」
虚。
イタチはその言葉を頭の中で繰り返す。
見たことはある。流魂街で源三と暮らしていた三年間で遠くからそれらしいものを何度か見かけた。
だが近づいたことはない。
当時はまだ尸魂界について知り始めたばかりだった。自分の身体も霊力も成長の途中で危険である可能性があるものにわざわざ近づく理由はなかった。
しかし今は違う。真央霊術院へ入り二年目。
斬術、白打、歩法、鬼道、そして回道。
この世界の技術を学び身体も霊力も三年前とは比べものにならないほど成長している。
(虚か)
今の自分がどこまで通用するのか。
確かめるにはいい機会だった。
◇
穿界門。
初めて見る門を前に生徒たちが並んでいた。
「班から離れるな」
教官が言う。
「現世へ到着したら指定された区域を探索。虚を発見した場合は周囲の安全を確認した上で対処しろ」
「はい!」
「では――行け」
門が開くとその先に道が続いていた。
「うわ……」
「これが穿界門か」
前を行く生徒たちが次々と進んでいく。イタチもその後へ続き門を抜けた。
「――――」
最初に感じたのは違和感だった。
目の前には街がある。人がいる。道があり建物が並んでいる。
しかし知らない。
イタチは静かに周囲を見渡した。
木ノ葉ではない。それは当然だ。自分が知らない土地など前世にもいくらでもあった。
だがそれだけではない。
街を歩く人々、服装、建物の造り、道を行き交う人間たち。
何もかもが自分の記憶とは違っていた。
(忍が見当たらない....)
忍装束を身につけた者も、忍具を携えた者も、チャクラを扱っている者も。
少なくとも今見える範囲には忍という存在そのものがこの場所にはないように思えた。
「…………」
歩きながら人々を見る。
当然誰もこちらを見ない。死神である自分たちの姿は普通の人間には見えていないらしい。
それも前世にはなかったことだ。
(本当に自分が生きていた世界なのだろうか....?)
自分が死んでから長い年月が経過した。そう考えることもできる。時代が変われば街も人も変わる。
あるいは単純に自分が知らない土地へ来ただけかもしれない。前世でも世界のすべてを見たわけではない。
そしてもう一つ。
(……違う世界)
その可能性も否定はできない。
死後の世界が存在する。魂が新たな身体を得て再び生きることがある。それ自体が前世では知らなかったことだ。
ならば自分が死後に辿り着いた場所が、かつて生きていた世界と同じだと断定できる根拠もない。
(断定するには情報が少ない……)
今考えても答えは出ない。この場所だけを見て判断するべきではない。
まずは今できることをする。知る必要があるならこれから調べればいい。
「……うちは」
「…………」
「おーい」
「…………」
「イタチ?」
「……何だ」
横を見ると同じ班の生徒が呆れた顔でこちらを見ていた。
「何だ、じゃねえよ」
「どうした」
「さっきから呼んでたんだけど」
「…………」
(考えすぎだったか)
「悪い」
「珍しいな」
「何がだ」
「お前がぼーっとしてるの」
別の生徒もこちらを見る。
「現世がそんなに気になるのか?」
「…………」
「さっきからずっと周り見てるし」
「うちはも現世には興味があるんだな」
「……集中しろ」
「え?」
「虚が隠れている可能性がある」
「…………」
「…………」
「お前がな!」
「気をつける」
「認めるのかよ!」
声が少しだけ大きくなる。
「静かにしろ」
「誰のせいだと思ってんだ」
その時イタチが足を止めた。
「…………」
「どうした?」
視線を路地の先へ向ける。空気が僅かに変わった。
「来るぞ」
「え?」
次の瞬間低い唸り声が響いた。
建物の陰から白い仮面をつけた異形が姿を現す。
「虚!」
「本当に出た!」
「どうする?」
「まずは囲んで――」
言葉の途中でイタチの姿が消えた。
「え?」
瞬歩。
一歩で虚の背後へ回り、刀を抜く。
一閃。
仮面ごと首が落ちた。
虚の身体が崩れ、端から崩壊するように消えていく。
イタチは刀を払い、鞘へ戻した。
「…………」
「…………」
「……あ」
「終わった」
消えていく虚を見る。
(斬魄刀で斬れば浄化される)
授業では聞いていたが実際に見るのは初めてだった。
「次へ行くぞ」
「待て待て待て!」
振り返る。
「何だ」
「何だじゃねえよ!」
「俺たち何もしてないんだけど!?」
「虚は倒した」
「実習だぞ!」
「そうだ」
「俺たちの実習でもあるんだよ!」
「…………」
確かにその通りだった。
「次は俺たちもやるからな」
「ああ」
一人が指を立てる。
「よし。次から早い者勝ちな!」
「分かった」
「絶対だからな!」
「ああ」
◇
それからしばらくして。
「いた!」
声が上がった。
前方。屋根の上から虚がこちらを見ている。
「今度こそ!」
「俺が先だ!」
班員たちが一斉に走り出す。
イタチは右手を上げ虚へ向けた。
「破道の四・白雷《びゃくらい》」
指先から白い雷が迸った。
閃光が虚の頭部を撃ち抜く。
その身体が屋根の上で大きく揺らぎ、端から崩れるように消えていった。
「…………」
「…………」
走り出した姿勢のまま二人が止まる。
「……うちは」
「何だ」
「早い者勝ちって言ったの俺だけどさ」
「ああ」
「鬼道はずるくない?」
「何故だ」
「俺たちが走ってるの見てたろ!」
「鬼道を使ってはいけないとは聞いていない」
「正論で返すなよ!」
「次は絶対俺たちがやる!」
「そうか」
「お前は見てろ!」
「分かった」
「絶対だからな!」
「ああ」
◇
しばらく後。
地面が僅かに揺れた。
「…………」
全員が足を止める。
「何だ?」
「地震か?」
「いや……」
イタチが前を見る。
建物の向こうから巨大な影がゆっくりと姿を現した。
「――――!」
先ほどまでとは明らかに違う。周囲の建物を見下ろすほどの巨大な虚。
「「「…………」」」
「でかいな」
「どうする?」
「早く行け」
「「…………」」
一人がそっとイタチの後ろへ下がる。
もう一人も続く。
「……やっぱり」
「早い者勝ちにするか」
「…………」
「何だよその目は」
「いや」
イタチは小さく息を吐いた。
「……はぁ」
巨大な虚を見る。
ちょうどいい。試したいことがあった。
黒い瞳が紅へ変わる。
三つの勾玉。
写輪眼。
巨大虚がイタチを見る。
視線が重なった。
「――――」
世界が変わる。
◇
巨大な蛇が虚の身体へ巻きつく。
「――!?」
一匹、二匹、三匹と
次々と身体へ絡みつき、腕を、胴を、脚を締め上げる。
虚が暴れようとする。
だが動かない。
蛇の身体がさらに強く締めつける。
「――――!」
◇
現実では巨大虚が突然動きを止めていた。
「…………」
「……何だ?」
「止まった?」
「何してんだ、あいつ」
イタチは眼を細める。
(効くか)
虚にも幻術は作用する。少なくともこの個体には。
「今だ!」
一人が叫んだ。
「動かないなら!」
「合わせて行くぞ!」
班員たちが一斉に構える。
「「破道の三十一・赤火砲《しゃっかほう》!」」
鬼道が巨大虚へ殺到する。
爆発。
巨体が大きく揺れる。
「もう一発!」
「撃て!」
さらに鬼道が撃ち込まれ、巨大虚の仮面に亀裂が走る。
そして。
「――――!」
巨体が端から崩れ、地面へ落ちる前に消えていった。
「…………」
「よっしゃあ!」
「やった!」
二人が拳を上げる。
「見たか、うちは!」
「俺たちも捨てたもんじゃないだろ!」
「…………」
イタチは消えていく虚を見る。
幻術は通用した。だが一体だけではまだ何とも言えない。個体による差、霊力の差、知性の差。より強い虚にも同じように作用するのか。確認すべきことはまだ多い。
「イタチ?」
声に思考を止める。
「どうなんだよ」
「…………」
「そうだな」
「だろ!?」
「俺たちだってやればできるんだよ!」
別に間違ってはいない。鬼道を撃って倒したのは彼らなのだから。
「よし!」
一人が勢いよく言う。
「次からも早い者勝ちな!」
「おう!」
「分かった」
◇
「はぁ……はぁ……」
それからしばらく。
「結局……」
「何だ」
「あのでかい奴以外……全部お前に取られた……」
「早い者勝ちだったはずだ」
「そうだけどよ……!」
「何で鬼道撃つ俺たちよりお前の方が先に斬ってんだよ……」
「瞬歩を使えばいい」
「俺たちはまだお前みたいにできねえんだよ!」
二人が肩で息をしている。
イタチは周囲を見る。他に虚の気配はない。
「そろそろ時間じゃないか?」
「あ……」
一人が時間を確認する。
「本当だ」
「戻るか……」
「ああ」
「疲れた……」
「実習ってこんな疲れるのかよ……」
「お前が走り回るからだろ」
「だって先に見つけないとうちはが全部倒すだろ!」
「それはそうだけど!」
言い合いながら二人が歩いていく。
イタチもその後へ続き――ふと、足を止めた。
街を見る。
知らない建物、知らない服、知らない人々。忍の姿は最後まで一度も見なかった。今日だけでは何も分からない。
自分がどこにいるのか。
ここがかつて自分が生きていた世界なのか。それともまったく違う場所なのか。
今は判断できない。
だが時間はある。これから知っていけばいい。
「イタチ!」
「置いてくぞ!」
「ああ」
歩き出す。
今日の実習では色々と確認できた。
斬魄刀、瞬歩、鬼道、そして幻術。
虚にも自分の技術は通用する。少なくとも今日遭遇した相手には。まだ試したいことは多い。
(次は)
穿界門へ向かいながらイタチはもう一度だけ現世の街を見た。
(もう少し時間が欲しいな)
知らない景色がそこにはまだ広がっていた。
斬魄刀《ざんぱくとう》・濡れ鴉《ぬれがらす》
うちは イタチの魂から生まれた斬魄刀。
濡れ鴉は単なる武器の人格ではなく、うちは イタチの魂・記憶・生き方と極めて深く結びついた存在である。
そのため斬魄刀の具象化した姿は、イタチにとって生前もっとも大切だった存在――うちは サスケを思わせる姿を取る。
ただし濡れ鴉=転生したサスケではない。
サスケ本人の魂でも、サスケの記憶を持つ存在でもない。
あくまでうちは イタチの魂から生まれた「濡れ鴉」という独立した人格である。
サスケに似た容姿・兄弟的な関係性を持つのは、イタチの魂に刻まれたサスケへの愛情が斬魄刀の具象化へ強く反映されたため。