第一幕 鴉は尸魂界に生きる
第一部 死して、なお
第9話 遠い場所
現世での実習から数か月が経った。
あれからも何度か現世へ赴く機会はあった。虚の討伐、魂葬、現世における死神の役割。実習の内容はその時々で異なったがイタチにとってはその全てがこの世界を知るための機会でもあった。
そして今、霊術院の自室。
机の上には何冊もの書物が置かれていた。
歴史、地理、宗教、文化、現世について記されたものを可能な範囲で集めている。
もちろん調べられることには限界があった。霊術院での授業がある。鍛錬もある。斬魄刀についても、鬼道についても、回道についても、まだ学びたいことは多い。
自由に使える時間は決して多くなかった。それでも数か月あればそれなりの情報は集まる。
イタチは一冊の書物を閉じた。
「…………」
最初に現世へ降りた時に幾つかの可能性を考えた。
自分が死んでから途方もない年月が経過している可能性。かつて暮らしていた場所から遥か遠く離れた土地である可能性。あるいは自分が知らなかっただけで忍とは異なる文化を持つ国が存在していた可能性。
だから調べた。一つずつ可能性を消していった。
現世へ赴く度に町を見る。人を見る。言葉を聞く。霊術院へ戻れば書物を読む。歴史を辿る。宗教を調べる。地理を見る。文化を比べる。
その結果どうしても一つの結論へ行き着く。
(……やはり)
机の上の書物へ視線を落とす。
(ここは俺がいた世界ではない)
断定するには分からないことも多い。この世界の全てを調べたわけではない。
だがこれまで集めた情報を考えればそう考えるのが最も自然だった。
「…………」
分かっていたはずだった。
自分は死んだ。
サスケとの戦いの末に最後に額へ指を当て、そのまま命を終えた。そして気がつけば尸魂界にいた。
源三と出会い三年を過ごし、霊術院へ入り、今では死神になるための道を歩いている。
前の人生とは違う。それはとうに理解していた。
それでも、心のどこかに残っていたのかもしれない。
この世界のどこかに木ノ葉が、父が、母が。
そしてサスケがいるのではないかと。
ほんの僅かに、そう考えていたのかもしれない。
しかし少なくとも今自分がいるこの世界にあの木ノ葉が存在した痕跡は見つからない。忍の歴史も、忍術も、五大国も何一つ見つからなかった。
イタチは書物を閉じる。
理解はできる。情報を集め比較し、最も可能性の高い答えを出した。それだけだ。
だが。
「…………」
手は、閉じた書物の上に置かれたままだった。
(サスケ)
最後に見た弟の顔。
怒り、憎しみ、悲しみ。
そして自分はその先を知らない。知ることもできないのかもしれない。
「…………」
イタチは目を閉じ、しばらくそのままでいた。
やがて静かに息を吐く。
(……少し、外へ出るか)
◇
瀞霊廷の一角。
暖簾を潜ると甘い香りがした。
「いらっしゃい」
「団子をお願いします」
「あいよ」
店の奥、空いている席へ座る。しばらくして茶と団子が運ばれてきた。
「…………」
一つ取る。口へ運ぶ。
甘い。
自然と源三の家で食べた団子を思い出した。
『食え』
『……ありがとうございます』
『だから礼はいらねえって』
「…………」
もう一つ口へ運ぶ。
悪くない。
いや、美味い。
それでも今日はいつものようにただ味を楽しむ気にはなれなかった。
「相席しても構わないかな?」
声にイタチが顔を上げる。
白い髪、穏やかな顔、長い髪を後ろへ流した男が立っていた。
羽織。その背にあるものを見れば何者なのかは分かる。
「どうぞ」
「ありがとう」
男が向かいへ座る。
「俺も団子を。それとお茶を頼むよ」
「あいよ」
男はそう注文すると改めてイタチを見た。
「霊術院の生徒だね」
「はい」
「やっぱりそうか」
穏やかに笑う。
「俺は浮竹 十四郎。十三番隊の隊長をしている」
「うちは イタチです」
「うちは君か。よろしく」
「はい」
少しして浮竹の前にも団子と茶が置かれた。
「ありがとう」
一つ取る。
「うん。美味い」
それから何気ない様子で。
「ここの団子はよく食べるのかい?」
「いえ。たまにです」
「そうか。甘いものが好きなのかな」
「はい」
「俺も好きだよ」
浮竹が笑う。
「春水にもよく甘いものを食べ過ぎだと言われるんだが、あいつに言われたくはないな」
「京楽隊長ですか」
「知っているのかい?」
「先日、特別講義に来られました」
「ああ」
浮竹が納得したように頷く。
「それなら、随分賑やかな授業になっただろう」
「隠れ鬼をしました」
「…………」
浮竹が団子を持ったまま止まった。
「隠れ鬼?」
「はい」
「特別講義で?」
「はい」
「…………」
少しして浮竹が笑った。
「ははは。春水らしいな」
その笑顔を見ながらイタチは茶を一口飲む。
「…………」
浮竹の目が僅かにイタチを見る。
先ほどから目の前の少年は静かだった。元々そういう性格なのかもしれない。だがそれだけではないようにも見えた。
「うちは君」
「はい」
「何か悩み事かい?」
「…………」
イタチは浮竹を見る。
穏やかな眼、興味本位で聞いているようには見えない。
少し考える。全てを話す必要はない。だが隠す必要もない。
「……生前の家族について考えていました」
「生前?」
浮竹が僅かに目を見開く。
「それは珍しいな」
「そうなのですか」
「ああ。尸魂界へ来た者の多くは生前の記憶をほとんど残していないからね」
浮竹は団子を皿へ戻す。
「君は人だった頃の記憶が残っているのかい?」
「はい」
「そうか」
少し考え。
「現世へ行くことが増えたことで思い出したのかな」
「……それもあります」
「家族を探しに行ったのかい?」
「いえ」
イタチは首を振る。
「俺のいた場所とは違うようです」
「違う?」
「はい」
「今となってはどこにあるのかも見当がつきません」
「…………」
「会いに行きたいという気持ちはあります。ですが、何かをしようとは考えていません」
浮竹は少しだけ黙った。
そして。
「その方がいいだろうね」
「はい」
浮竹が茶へ手を伸ばす。
「前はどんなことをしていたんだい?」
「以前も戦いを生業としていました」
「そうなのか」
「はい」
「それなら霊術院で学んでいることにも馴染みやすかったんじゃないか?」
「戦うことについてはそうかもしれません」
「なるほど」
「ただ」
「うん?」
「知らないことの方が多いです」
死神。虚。斬魄刀。鬼道。回道。霊子。霊力。
似ているものもあればまるで違うものもある。
「だから学ぶことは多いと思っています」
浮竹が笑った。
「良い考え方だ」
団子を一つ食べる。
「家族は?」
「両親と」
「弟がいました」
「弟か」
「はい」
「仲は良かったのかい?」
「…………」
イタチは少しだけ目を伏せる。
「大切な弟です」
「そうか」
浮竹はそれ以上聞かなかった。
何があったのか。どんな家族だったのか。なぜ今少年がこんな顔をしているのか。
聞こうとはしなかった。
「こちらへ来れば多くの場合、生前の記憶は失われてしまう」
「はい」
「たとえ同じ尸魂界にいたとしても、再会するのは難しいだろう」
「…………」
「だから」
浮竹が穏やかに言う。
「今はその人たちが幸せに過ごしていることを願うしかないのかもしれないな」
イタチは浮竹を見る。
「…………」
幸せに。
その言葉を胸の中で繰り返す。
「はい」
静かに頷く。
「俺も、そう思います」
「うん」
浮竹もそれ以上は言わなかった。
しばらく二人で茶を飲む。団子を食べる。
やがて。
「ところで」
浮竹が言った。
「霊術院はどうだい?」
「霊術院ですか」
「ああ」
「学ぶことが多く興味深いです」
「大変じゃないか?」
「大変ではあります」
「ははは」
浮竹が笑う。
「真面目だな」
「そうでしょうか」
「そうだと思うよ」
どこかで同じことを言われた気がする。
「俺が霊術院にいた頃はね」
浮竹が懐かしそうに目を細める。
「春水も一緒だったんだ」
「京楽隊長が」
「ああ」
浮竹が苦笑する。
「今でこそ隊長なんてやっているけど、昔からあんな調子でな」
「そうなのですか」
「よく授業を抜けようとするんだ」
「…………」
「それで俺まで巻き込まれてね」
「浮竹隊長もですか」
「俺は止めようとしていたんだよ」
「はい」
「……その顔は信じていないな?」
「いえ」
「本当なんだぞ」
「はい」
「本当に信じてるかい?」
「信じています」
「ならいいんだが」
浮竹が笑う。
「それで二人まとめて山本先生に見つかって随分扱かれたよ」
「山本先生?」
「山本 元柳斎先生。今の総隊長だ」
「…………」
「昔は霊術院で直接教えていたんだ」
「そうなのですか」
「ああ。厳しかったぞ」
浮竹が遠くを見る。
「春水が余計なことをする度になぜか俺まで一緒に怒られてな」
「それは」
「理不尽だろう?」
「少し」
「そうだろう?」
浮竹が楽しそうに笑う。
やがてその笑みが少しだけ柔らかくなる。
「あの頃は大変だと思っていたけどね」
「…………」
「今になって思えば」
湯呑みを置く。
「楽しかったよ」
イタチは浮竹を見る。
その表情には懐かしさがあった。戻れない時間を惜しんでいるようにも見えた。けれど悲しんでいるようには見えなかった。
「うちは君も」
「はい」
「今の時間を大切にするといい」
「…………」
「霊術院にいられる時間は思っているより短いからね」
浮竹が笑う。
「はい」
イタチは小さく頷いた。
◇
「ごちそうさまでした」
浮竹が立ち上がる。
イタチも懐へ手を伸ばす。
「今日は俺が払おう」
「いえ」
「いいんだ」
「ですが」
「先輩からの奢りだと思ってくれ」
「…………」
「こういう時くらい隊長らしいことをさせてほしいな」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
浮竹が代金を払う。
二人で店を出る。
「それじゃあ俺はこっちだから」
「はい」
「頑張れようちは君」
「ありがとうございます」
浮竹が歩き出す。
数歩。
そこで。
「ああ、そうだ」
振り返った。
「はい」
「卒業してからの行き先をまだ決めていないなら」
浮竹が笑う。
「十三番隊も考えてみてくれ」
「…………」
「君みたいな学生なら歓迎するよ」
イタチは少しだけ目を見開いた。
「……ありがとうございます」
「ああ」
浮竹が手を上げる。
「またな」
「はい」
今度こそ浮竹は去っていった。
◇
イタチは一人、霊術院へ向かって歩く。
先ほどまでと何かが変わったわけではない。
サスケがどこにいるのか分からない。父も、母も、木ノ葉も。今となっては確かめる方法すらない。
それでも先ほどより少しだけ胸の内が静かだった。
(今の俺にできることはない)
探すことも、会いに行くことも、無事を確かめることもできない。
なら今はそれでいい。
分からないものを無理に答えへ変える必要はない。自分が最後に託したものを信じるしかない。
(サスケ)
弟の顔を思い浮かべる。
(……お前が、幸せに生きていることを願っている)
答えは返ってこない。
それでも、それで良かった。
イタチは再び歩き出す。
帰る場所はもうあの里ではない。
それでも今は自分の歩く道がある。
夕暮れの瀞霊廷を一人の霊術院生が静かに歩いていった。
浮竹 十四郎
護廷十三隊・十三番隊隊長。
長い白髪が特徴的な穏やかで温厚な雰囲気の男。
生まれつき病弱で度々療養を必要とする一方、他者への気遣いを欠かさず部下や周囲の者からも慕われている。
京楽 春水とは霊術院時代からの親友であり共に山本 元柳斎重國の教えを受けた古参の隊長。
柔和な人柄とは裏腹にその実力と判断力は隊長の名に恥じないもの。