### 第四話 天才少女は、普通の男の子を知らない
アルト・レインは、十八歳にして一つの真理に到達していた。
分からないことは、詳しい人に聞けばいい。
剣の手入れなら鍛冶屋。
税金ならギルドの会計係。
料理なら食堂のおばちゃん。
そして、恋愛なら。
「……セラさん」
「何だ?」
「女の子が、男の人の手を握るのって、どういう意味があるんでしょうか」
白金級冒険者セラ・ヴァレンタインは、飲んでいた紅茶を吹き出した。
*
「……お前、今、何て言った?」
「いや、その……」
アルトは目を逸らした。
「手を握るのって、どういう意味なのかなって」
「誰に握られた?」
「……それは」
「リーナか」
「……何で分かったんですか?」
セラは天井を仰いだ。
「神様。こいつにもう少し知恵を与えてやってください」
「……そこまでですか?」
「そこまでだ」
セラは椅子に座り直した。
そして、妙に真面目な顔になった。
「いいか、アルト」
「はい」
「女が男の手を握る理由は、いくつもある」
「……はい」
「好意がある。安心する。甘えたい。単に距離感が近い。相手の反応を楽しんでいる」
「……なるほど」
「だから、一度握られたくらいで決めつけるな」
「……ですよね!」
アルトは安心した。
やはり、そうだったのだ。
勘違いして恥をかくところだった。
「ただし」
セラが続けた。
「好意がないとも限らん」
「……え?」
「お前がどう思ってるかも大事だろう」
「……どう、って」
「リーナのこと、好きなのか?」
アルトは固まった。
好き。
好き?
リーナは可愛い。
明るい。
一緒にいると楽しい。
しかし、それが恋愛感情なのかどうかは、よく分からない。
「……嫌いじゃないです」
「そんなことは聞いてない」
「……えっと」
アルトは真剣に考えた。
そして、顔を赤くした。
「……まだ、よく分かりません」
セラは少し驚いたように目を細めた。
それから、ふっと笑った。
「そうか。なら、急いで答えを出す必要はない」
「……はい」
「ただ、あんまり期待させるなよ」
「……はい」
アルトは頷いた。
そして、少し考えた。
「……セラさん」
「何だ?」
「セラさんは、好きな人とかいるんですか?」
セラの笑顔が止まった。
「…………」
「……あれ?」
「……お前な」
セラはゆっくり立ち上がった。
「今日の稽古、少し厳しくするか」
「……えっ、何でですか?」
「いいから剣を持て」
「……はい」
アルトは慌てて立ち上がった。
どうやら、また何か間違えたらしい。
*
王都郊外。
冒険者ギルドの訓練場。
アルトとセラは、向かい合っていた。
「……じゃあ、お願いします」
「ああ」
セラは双剣を抜いた。
アルトも剣を構える。
そして、戦闘が始まった。
セラの双剣が閃く。
右。
左。
斜め。
連続する斬撃。
アルトは、それらを受け流した。
しかし、反撃しない。
セラは眉をひそめた。
「……おい」
「はい?」
「手加減しすぎだ」
「……すみません」
「もう少し真面目にやれ」
「……はい」
アルトは頷いた。
そして、少しだけ動きを変えた。
セラの斬撃。
アルトは半歩踏み込む。
剣を合わせる。
その瞬間、セラの重心が崩れた。
「……っ!」
セラは咄嗟に体勢を立て直した。
しかし、アルトの剣は既に喉元にあった。
「……一本、ですかね」
アルトは言った。
セラは、しばらく黙っていた。
そして。
「……お前、今の」
「はい?」
「私の技だろ」
「……ああ」
アルトは少し照れた。
「前に見せてもらったやつ、使ってみました」
セラは眉をひそめた。
「……いつ覚えた?」
「……何回か戦ってるうちに」
「……そうか」
セラは深く息を吐いた。
そして、笑った。
「……本当に、腹立つ男だ」
「……すみません」
「謝るな」
セラは双剣を構え直した。
「もう一本だ」
その瞳は、楽しそうに輝いていた。
*
訓練場の外。
一人の少女が、その戦闘を眺めていた。
銀色の髪。
青い瞳。
白い外套。
エリシア・ノルン。
十八歳。
帝国から王都へやってきた、若き天才剣士だった。
「……なるほど」
エリシアは小さく呟いた。
目の前で戦う青年。
アルト・レイン。
確かに、強い。
しかし。
それだけではない。
彼の動きには、奇妙な柔軟さがあった。
相手の技を受ける。
理解する。
そして、自分の動きに組み込む。
それが、あまりにも自然だった。
「……面白い」
エリシアは微笑んだ。
そして、訓練場へ足を踏み入れた。
*
「……あの」
声がした。
アルトとセラは、動きを止めた。
振り向くと、銀髪の少女が立っていた。
「……誰だ?」
セラが尋ねた。
少女は、静かに答えた。
「エリシア・ノルン」
そして、アルトを見た。
「あなたが、アルト・レイン?」
「……あ、はい」
アルトは少し緊張した。
綺麗な女の子だった。
銀色の髪。
透き通るような青い瞳。
整った顔立ち。
しかも、こちらをじっと見つめている。
「……あの」
「あなた、強いのね」
「……え?」
「さっきの戦い、見てた」
「……ああ」
アルトは少し照れた。
「ありがとうございます」
エリシアは首を傾げた。
「……何でお礼を言うの?」
「……え?」
「事実を言っただけなのに」
「……いや、まあ」
アルトは困った顔をした。
何だろう。
少し変わった子だ。
エリシアは、さらに一歩近づいた。
「……ねえ」
「……はい?」
「私と戦ってくれる?」
アルトは、少し考えた。
突然の申し出。
しかし、冒険者なら珍しくない。
「……模擬戦ですか?」
「うん」
「……いいですけど」
エリシアは微笑んだ。
「ありがとう」
そして、剣を抜いた。
*
セラは、少し離れた場所へ下がった。
「……気をつけろよ、アルト」
「……え?」
「その娘、ただ者じゃない」
アルトは頷いた。
確かに。
剣を抜いた瞬間、分かった。
エリシアは強い。
非常に強い。
少なくとも、そこらの金級冒険者とは比較にならない。
「……よろしくお願いします」
アルトは頭を下げた。
エリシアも、小さく頷いた。
「……うん」
そして。
戦闘が始まった。
最初の一撃。
アルトは、少し驚いた。
(……速い)
エリシアの剣が、目の前に迫っていた。
アルトは、剣を合わせた。
衝撃。
軽い。
しかし、鋭い。
エリシアは、すぐに次の一撃を放った。
右。
左。
突き。
斬り上げ。
連続する攻撃。
アルトは、それらを受け流した。
しかし。
(……おかしいな)
エリシアの動きは、普通ではなかった。
剣術の型がない。
いや、型がないわけではない。
型が、固定されていない。
相手の動きに合わせて、最適な形へ変化している。
(……これ)
アルトは、少し笑った。
(……俺と似てる)
エリシアも、同じことを考えていた。
(……この人)
剣を振る。
アルトが受ける。
次の瞬間、アルトの動きが変わる。
自分の剣に合わせて、最適な角度で反撃してくる。
(……面白い)
エリシアは微笑んだ。
そして、さらに速度を上げた。
*
十分後。
訓練場の空気が変わっていた。
セラは、腕を組んで戦闘を眺めていた。
「……なるほどな」
アルトとエリシア。
二人の天才。
その戦闘は、奇妙だった。
最初は、互いに探り合っていた。
しかし、今は違う。
相手の技を受ける。
理解する。
そして、次の瞬間には、それを超える動きを見せる。
互いに。
何度も。
繰り返している。
「……化け物同士だな」
セラは、楽しそうに笑った。
しかし。
その瞳には、わずかな悔しさもあった。
自分は、何十年も剣を振ってきた。
努力してきた。
血を流してきた。
それでも。
目の前の二人には、届かない。
いや。
届かないと決めつけるつもりはない。
しかし、その差は確かに存在していた。
「……面白いじゃないか」
セラは、双剣の柄を握った。
そして、静かに笑った。
「……まだまだ、鍛え甲斐がある」
*
戦闘開始から十五分。
エリシアは、少し息を切らしていた。
アルトは、まだ余裕があった。
しかし。
楽勝ではなかった。
エリシアの剣は、非常に厄介だった。
こちらの動きに合わせて、常に最適な攻撃を選択してくる。
しかも、その判断が速い。
(……すごいな)
アルトは、素直に感心していた。
そして。
少しだけ、本気を出した。
剣が閃く。
エリシアは反応した。
しかし、間に合わない。
アルトの剣が、彼女の喉元で止まった。
「……一本、ですかね」
アルトは言った。
エリシアは、しばらく黙っていた。
そして。
「……うん」
小さく頷いた。
しかし。
その表情は、悔しそうではなかった。
むしろ。
嬉しそうだった。
「……すごい」
エリシアは、微笑んだ。
「……本当に、すごい」
アルトは、少し照れた。
「……ありがとうございます」
エリシアは、剣を鞘に収めた。
そして、アルトに近づいた。
「……ねえ」
「……はい?」
「あなた、恋人いる?」
アルトは固まった。
「…………え?」
エリシアは、首を傾げた。
「恋人」
「……い、いませんけど」
「そう」
エリシアは頷いた。
そして、微笑んだ。
「……よかった」
アルトは、完全に思考停止した。
*
セラは、少し離れた場所で頭を抱えていた。
「……おいおい」
これは、まずい。
非常にまずい。
アルトは、女性に弱い。
それは知っている。
しかし、エリシアは別の意味で危険だった。
天然。
しかも、極めて純粋。
そして、遠慮がない。
この二人を組み合わせたら、どうなるか。
セラは、嫌な予感しかしなかった。
*
「……ねえ、アルト」
「……は、はい」
「今度、一緒にご飯食べない?」
「……え?」
「もっと話してみたい」
エリシアは、まっすぐにアルトを見つめた。
「あなたのこと、知りたいから」
アルトは、顔を真っ赤にした。
「……あ、あの」
「……嫌?」
「……い、嫌じゃないです!」
「そう」
エリシアは微笑んだ。
「……じゃあ、約束」
そして。
アルトの手を握った。
「……っ!」
アルトは、完全に固まった。
エリシアは、不思議そうに首を傾げた。
「……どうしたの?」
「……い、いえ」
「……顔、赤い」
「……そ、そうですか?」
「うん」
エリシアは、さらに顔を近づけた。
「……熱、ある?」
「……な、ないです!」
アルトは、必死に首を振った。
エリシアは、少し考えた。
そして、微笑んだ。
「……よかった」
セラは、遠くからその様子を眺めていた。
「……終わったな」
小さく呟いた。
*
その日の夕方。
王都の酒場。
一人の男が、机に突っ伏していた。
カイル・フェルナー。
十八歳。
努力家の剣士。
リーナの幼馴染。
そして、現在進行形で、人生に悩んでいる男だった。
「……何なんだよ、あいつ」
アルト・レイン。
世界最強の冒険者。
十八歳。
自分と同い年。
しかも。
リーナとデートした翌日に、別の美少女と仲良くなっている。
「……ふざけんなよ」
カイルは、机を叩いた。
しかし。
その直後。
彼は、少しだけ笑った。
「……いや」
違う。
アルトが悪いわけではない。
リーナがアルトを好きになるのも、仕方ないのかもしれない。
あの男は、強い。
優しい。
そして、妙に人懐っこい。
しかし。
それでも。
「……負けたくねぇな」
カイルは、静かに呟いた。
剣でも。
恋愛でも。
人生でも。
あの男に、負けたくない。
*
その夜。
アルトは、自宅で家計簿をつけていた。
今日の支出。
訓練場使用料。
昼食代。
剣の手入れ代。
そして。
「……エリシアさんとの食事代、いくらくらいだろう」
アルトは、少し悩んだ。
リーナとの菓子店。
エリシアとの食事。
最近、女性と出かける予定が増えている。
これは、どういうことなのだろう。
「……もしかして」
アルトは、少し考えた。
そして。
「……俺、モテ期なのかな」
小さく呟いた。
数秒後。
「……いやいやいや」
首を振った。
そんなわけがない。
きっと、偶然だ。
リーナは、ただお菓子が食べたかっただけ。
エリシアは、ただ戦闘の話がしたいだけ。
そうに違いない。
アルトは、自分に言い聞かせた。
そして、家計簿を閉じた。
しかし。
その夜も、なかなか眠れなかった。
世界最強の冒険者。
十八歳。
その青年は、今日もまた。
女の子に手を握られた理由が分からず、悩んでいた。
そして。
彼の知らないところで。
王国の未来は、少しずつ動き始めていた。
――第四話 完。