最強の冒険者は平穏に暮らしたい   作:最高河原管理之助

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5話

### 第五話 世界最強は、値段のつかないものが苦手

 

アルト・レインは、値札のない店が嫌いだった。

 

理由は単純である。

 

いくら払えばいいのか分からないからだ。

 

剣なら分かる。

 

鋼の質、加工の精度、魔力の通りやすさ。ある程度の相場も知っている。

 

食事も分かる。

 

銀貨一枚なら安い。三枚なら少し贅沢。十枚を超えたら、何か特別な理由が欲しい。

 

しかし、値札のない店は困る。

 

自分が知らないだけで、何か決まりがあるのかもしれない。

 

相場を聞くこと自体が失礼なのかもしれない。

 

そして何より。

 

「……断りづらいんだよなぁ」

 

アルトは、目の前の封筒を見つめていた。

 

封蝋には、見覚えのない紋章。

 

金色の獅子が、三本の鍵を咥えている。

 

封筒の中には、一枚の招待状が入っていた。

 

『親愛なるアルト・レイン閣下へ。

 

このたびは古竜討伐、誠におめでとうございます。

 

つきましては、ささやかながら祝宴を催したく――』

 

以下、丁寧な文章が続く。

 

差出人。

 

オスカー・フォン・バルツ伯爵。

 

「……誰だろう」

 

アルトは首を傾げた。

 

貴族である。

 

伯爵である。

 

偉い人である。

 

しかも、わざわざ招待状を送ってきた。

 

無視するのは、まずいのではないだろうか。

 

「……ミリアさんに聞こう」

 

アルトは封筒を持って家を出た。

 

*

 

「行かない方がいいです」

 

ギルドの受付で招待状を見せると、ミリアは即答した。

 

「……え?」

 

「行かない方がいいです」

 

「……そんなに?」

 

「そんなにです」

 

ミリアは招待状を机に置いた。

 

「バルツ伯爵は、あまり評判の良い方ではありません」

 

「……そうなんですか」

 

「商人への不当な圧力、税の不正申告、賭博場との癒着。噂だけなら、まだいくらでもあります」

 

「……うわぁ」

 

アルトは素直に顔をしかめた。

 

「……でも、伯爵ですよね?」

 

「伯爵ですね」

 

「断って大丈夫なんでしょうか」

 

「ギルドからお断りしておきます」

 

「……いいんですか?」

 

「はい。こういう時のためのギルドですから」

 

ミリアは微笑んだ。

 

アルトは心底ほっとした。

 

「ありがとうございます……」

 

「どういたしまして」

 

ミリアは封筒を引き取った。

 

そして、ふと思い出したように言った。

 

「あ、それとアルトさん」

 

「はい?」

 

「王宮からも書類が届いています」

 

「…………」

 

アルトは笑顔のまま固まった。

 

「……今度は、何でしょう」

 

「王国特別顧問への就任打診です」

 

「……特別顧問?」

 

「はい」

 

「……何をする仕事ですか?」

 

ミリアは書類に目を通した。

 

「ええと……特に何もしなくていいそうです」

 

「……え?」

 

「年金が金貨三千枚。居住地、冒険者活動、出国の自由を保障。王国からの依頼は、原則として拒否可能」

 

アルトは黙った。

 

何もしなくていい。

 

お金がもらえる。

 

しかも、金貨三千枚。

 

「……怪しくないですか?」

 

ミリアは少し笑った。

 

「普通なら、そう思いますよね」

 

「……ですよね」

 

「ただ、王国としては、アルトさんに国内に住んでいてほしいんだと思います」

 

「……ああ」

 

アルトは納得した。

 

帝国からの招聘状を思い出す。

 

金貨一万枚。

 

伯爵位。

 

屋敷。

 

対して、王国は三千枚。

 

しかし、今の生活を変える必要がない。

 

「……うーん」

 

アルトは考えた。

 

非常に悩ましい。

 

帝国の方が、金額は圧倒的に大きい。

 

だが、王都には住み慣れた家がある。

 

行きつけの食堂もある。

 

知り合いもいる。

 

それに、引っ越しは面倒だ。

 

「……少し、考えます」

 

「はい」

 

ミリアは頷いた。

 

そして、書類の最後の一行に目を留めた。

 

「……あら」

 

「……どうしました?」

 

「就任に際して、一度だけ国王陛下との面会が必要だそうです」

 

「…………」

 

アルトは、ゆっくり天井を見上げた。

 

「……偉い人ばっかりだ」

 

*

 

王都南区。

 

冒険者用の訓練場では、カイル・フェルナーが剣を振っていた。

 

朝から三時間。

 

素振り千回。

 

足運びの反復。

 

魔力循環の訓練。

 

そして、模擬戦。

 

「……はっ!」

 

木剣が空気を裂く。

 

踏み込む。

 

斬る。

 

戻る。

 

再び踏み込む。

 

その動きに、無駄は少なかった。

 

十八歳。

 

銀級冒険者。

 

同年代では、十分に優秀な部類に入る。

 

しかし、カイルは満足していなかった。

 

「……まだだ」

 

剣を振る。

 

「……まだ、足りない」

 

汗が流れる。

 

腕が重くなる。

 

それでも、止めなかった。

 

その時だった。

 

「……足の運び、少し変えた方がいいと思う」

 

声がした。

 

カイルは振り向いた。

 

銀髪の少女。

 

エリシア・ノルン。

 

先日、ここで出会った少女だった。

 

「……またお前か」

 

「うん」

 

エリシアは頷いた。

 

そして、カイルの足元を見た。

 

「今の踏み込み、速いけど戻りが遅い」

 

「……分かってる」

 

「じゃあ、どうして直さないの?」

 

カイルは眉をひそめた。

 

「簡単に直せるなら、とっくに直してる」

 

「……そう」

 

エリシアは少し考えた。

 

そして、首を傾げた。

 

「難しいの?」

 

「……ああ」

 

「……そうなんだ」

 

彼女は、本当に不思議そうだった。

 

カイルは、少し苛立った。

 

この少女は、おそらく天才だ。

 

自分が何百回も繰り返して身につけた動きを、数回で理解するような人間。

 

アルトと同じ。

 

そういう種類の人間なのだろう。

 

「……お前には分からないだろうな」

 

カイルは呟いた。

 

エリシアは、しばらく彼を見つめた。

 

そして。

 

「……うん」

 

あっさり頷いた。

 

「分からない」

 

カイルは、少し驚いた。

 

エリシアは続けた。

 

「でも、知りたい」

 

「……何を?」

 

「あなたが、どうしてそんなに頑張るのか」

 

カイルは黙った。

 

「昨日も、遅くまで練習してたでしょう」

 

「……見てたのか」

 

「うん」

 

「……暇なのか?」

 

「少し」

 

エリシアは真顔で答えた。

 

カイルは、思わず笑いそうになった。

 

「……何だよ、それ」

 

エリシアは首を傾げた。

 

「……変?」

 

「……いや」

 

カイルは剣を下ろした。

 

そして、少し考えた。

 

「……強くなりたいからだよ」

 

「どうして?」

 

「……守りたいものがあるから」

 

エリシアは黙った。

 

カイルは、視線を逸らした。

 

「……それに」

 

「……うん」

 

「……負けたくない奴がいる」

 

エリシアは、少しだけ微笑んだ。

 

「……アルト?」

 

カイルは顔をしかめた。

 

「……何で分かるんだよ」

 

「何となく」

 

エリシアは頷いた。

 

そして。

 

「……私も、負けたくない」

 

静かに言った。

 

カイルは、少し驚いた。

 

「……お前も?」

 

「うん」

 

「……あいつに?」

 

「うん」

 

エリシアは微笑んだ。

 

「……でも、楽しい」

 

その言葉に、カイルは少しだけ救われた気がした。

 

自分と彼女は、まったく違う。

 

才能も。

 

考え方も。

 

生き方も。

 

しかし。

 

同じ相手を見ている。

 

そのことが、少しだけ嬉しかった。

 

*

 

王都中央区。

 

高級住宅街。

 

バルツ伯爵邸。

 

「……断られただと?」

 

オスカー・フォン・バルツは、執事の報告を聞いて固まった。

 

「はい。冒険者ギルドから、丁重なお断りが届いております」

 

「……何故だ!」

 

オスカーは机を叩いた。

 

「最高級の酒! 最高級の料理! 最高級の美女! すべて用意したというのに!」

 

「……旦那様」

 

「何だ!」

 

「……それが、原因では?」

 

「……何?」

 

執事は、静かに言った。

 

「アルト様は、まだ十八歳でございます」

 

「……知っておる」

 

「それに、女性関係には非常に疎いと聞いております」

 

「……ほう」

 

「豪華な宴席よりも、落ち着いた食事の方が好まれるかと」

 

オスカーは黙った。

 

そして。

 

「……なるほど!」

 

大きく頷いた。

 

「さすがはアルト様!」

 

執事は、少し嫌な予感がした。

 

「……何がでございますか?」

 

「若くして世界最強に至りながら、贅沢に溺れぬ!」

 

オスカーは立ち上がった。

 

「素晴らしい! まさに王者の器!」

 

「……左様でございますか」

 

「ならば、宴席は取りやめだ!」

 

「……はい」

 

「代わりに、何を贈るべきか……」

 

オスカーは考えた。

 

宝石。

 

屋敷。

 

高級馬車。

 

いや、違う。

 

アルト様は、そういうものを望まれない。

 

ならば。

 

「……食堂だ」

 

執事は眉をひそめた。

 

「……食堂?」

 

「アルト様が通っておられる食堂を調べろ!」

 

「……はい?」

 

「そこに、最高級の食材を送り込むのだ!」

 

オスカーは笑った。

 

「ただし、値段は上げさせるな!」

 

執事は、しばらく黙った。

 

そして。

 

「……旦那様」

 

「何だ?」

 

「それは、賄賂では?」

 

「違う!」

 

オスカーは即答した。

 

「投資だ!」

 

その目は、真剣だった。

 

「アルト様が満足して食事を取れる環境を整える!」

 

拳を握る。

 

「それこそが、私の勝利への投資なのだ!」

 

執事は、深いため息をついた。

 

この主人は、以前よりも悪質になっている気がする。

 

しかし。

 

何故か、以前よりも善行が増えていた。

 

*

 

その日の夕方。

 

アルトは、行きつけの食堂にいた。

 

「……おばちゃん」

 

「はいよ」

 

「今日の定食、ちょっと豪華じゃない?」

 

「あら、分かる?」

 

「……肉、多いし」

 

「そうなのよ」

 

おばちゃんは、少し困った顔をした。

 

「今日ね、変な人が来たの」

 

「……変な人?」

 

「うん。高そうな服を着た人でね」

 

アルトは首を傾げた。

 

「……何て?」

 

「食材を寄付したいって」

 

「……寄付?」

 

「そうなのよ。しかも、値段は上げるなって」

 

アルトは、少し考えた。

 

不思議な話だ。

 

しかし、ありがたい話でもある。

 

「……いい人ですね」

 

「そうねぇ」

 

おばちゃんは笑った。

 

「でも、何か裏があるんじゃないかって、ちょっと怖くてね」

 

「……ああ」

 

アルトは頷いた。

 

確かに。

 

世の中、そんなに都合のいい話ばかりではない。

 

「……気をつけてくださいね」

 

「ありがとね」

 

おばちゃんは笑った。

 

アルトは、定食を食べ始めた。

 

美味しい。

 

肉が柔らかい。

 

量も多い。

 

値段は変わらない。

 

「……最高だなぁ」

 

アルトは幸せそうに呟いた。

 

*

 

その夜。

 

王宮。

 

国王アレクシス三世は、一人で書斎にいた。

 

机の上には、数枚の報告書。

 

帝国の動向。

 

北方の魔物。

 

そして、アルト・レイン。

 

国王は、静かに目を閉じた。

 

未来を見る。

 

それは、彼だけが持つ異能だった。

 

しかし、万能ではない。

 

未来は、無数に分岐する。

 

選択によって変わる。

 

そして、見るほどに、視界は曖昧になる。

 

国王は、慎重に意識を集中させた。

 

次の瞬間。

 

光景が浮かんだ。

 

王都。

 

燃える街。

 

崩れ落ちる城壁。

 

そして。

 

巨大な影。

 

それは、竜ではなかった。

 

人でもなかった。

 

形を持たない、何か。

 

国王は、眉をひそめた。

 

「……また、これか」

 

何度見ても、同じ光景。

 

しかし、少しずつ違う。

 

ある未来では、王都が滅びる。

 

ある未来では、帝国が滅びる。

 

ある未来では、世界そのものが、静かに壊れていく。

 

そして。

 

そのすべての未来に。

 

アルト・レインがいた。

 

「……厄介なものだ」

 

国王は、静かに呟いた。

 

彼を使えば、救えるかもしれない。

 

しかし。

 

使い方を間違えれば、別の破滅を招く。

 

それは、まるで。

 

魔剣を手にした王が、魔剣に飲まれるようなものだった。

 

国王は、ゆっくり目を開けた。

 

「……まだだ」

 

静かに言った。

 

「まだ、彼を使う時ではない」

 

そして、机の上の書類を閉じた。

 

*

 

翌朝。

 

アルトは、ギルドで一通の手紙を受け取った。

 

差出人。

 

オスカー・フォン・バルツ。

 

「……また?」

 

アルトは、少し困った顔をした。

 

封筒を開ける。

 

中には、短い文章が書かれていた。

 

『アルト・レイン様。

 

先日は突然の招待、失礼いたしました。

 

今後は、貴殿の平穏な生活を第一に考え、陰ながら応援させていただきます。

 

なお、貴殿の行きつけの食堂に、ささやかな贈り物をいたしました。

 

どうぞ、お気になさらず。

 

永遠の支持者、オスカー・フォン・バルツ』

 

アルトは、しばらく黙った。

 

そして。

 

「…………」

 

昨日の食堂。

 

肉。

 

寄付。

 

高そうな服の人。

 

アルトは、ゆっくり天井を見上げた。

 

「……あの人かぁ」

 

どうやら、自分には知らないところで応援してくれる人がいるらしい。

 

ありがたい。

 

しかし。

 

「……ちょっと、怖いな」

 

アルトは正直に呟いた。

 

その時だった。

 

「……アルト」

 

背後から声がした。

 

振り向く。

 

銀髪の少女が立っていた。

 

エリシア・ノルン。

 

彼女は、静かにアルトを見つめた。

 

「……おはよう」

 

「……あ、おはようございます」

 

「……ねえ」

 

「……はい?」

 

「今日、暇?」

 

アルトは、少し考えた。

 

今日は、特に仕事がない。

 

王宮の件は、まだ返事をしていない。

 

ギルドの依頼も受けていない。

 

「……まあ、暇ですけど」

 

「そう」

 

エリシアは微笑んだ。

 

「……じゃあ、一緒にご飯食べよう」

 

アルトは、少し緊張した。

 

「……あ、はい」

 

エリシアは、満足そうに頷いた。

 

そして。

 

「……あと」

 

「……はい?」

 

「手、繋いでいい?」

 

アルトは固まった。

 

「…………え?」

 

エリシアは、不思議そうに首を傾げた。

 

「……駄目?」

 

アルトは、必死に考えた。

 

手。

 

繋ぐ。

 

何故。

 

どういう意味。

 

昨日、セラに相談したばかりなのに。

 

もう、分からなくなっていた。

 

そして。

 

「……い、いや」

 

アルトは、顔を真っ赤にした。

 

「……駄目じゃ、ないですけど」

 

エリシアは、微笑んだ。

 

「……よかった」

 

そして、そっと手を握った。

 

アルトは、完全に固まった。

 

*

 

少し離れた場所。

 

リーナ・ベルは、その光景を目撃していた。

 

「…………」

 

アルト。

 

エリシア。

 

手。

 

繋いでいる。

 

リーナは、ゆっくり瞬きをした。

 

そして。

 

「……へぇ」

 

小さく呟いた。

 

その笑顔は、いつもと少し違っていた。

 

*

 

同じ頃。

 

カイル・フェルナーは、訓練場で剣を振っていた。

 

「……はっ!」

 

剣が閃く。

 

汗が流れる。

 

努力を重ねる。

 

その先に、何があるのか。

 

まだ、分からない。

 

しかし。

 

彼は、剣を振り続けた。

 

いつか、アルト・レインに追いつくために。

 

そして。

 

自分の大切なものを、自分の力で守るために。

 

*

 

一方。

 

アルト・レインは、今日もまた。

 

女の子に手を握られた理由が分からず、困っていた。

 

世界最強の冒険者。

 

十八歳。

 

その平穏な生活は。

 

本人の知らないところで、少しずつ騒がしくなっていた。

 

――第五話 完。

 

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