### 第九話 世界最強は、神様にも説明責任を求める
世界の管理者を名乗る少女は、三百七十二年間、一度も質問されたことがなかった。
正確には、質問する者はいた。
ここはどこなのか。
あなたは何者なのか。
自分たちはどうなるのか。
そういった質問である。
しかし。
「……帰る前に、確認したいことがあるんですけど」
アルト・レインは、真剣な顔で言った。
『……何でしょう』
「今回の調査依頼、ちゃんと完了扱いになりますよね?」
『…………』
少女は沈黙した。
セラ・ヴァレンタインが額を押さえた。
「アルト」
「はい?」
「今、それを聞くのか?」
「……いや、でも」
アルトは困った顔をした。
「調査対象が何なのか、まだ分かってないじゃないですか」
「……まあ、そうだが」
「報告書に『世界の管理者に会いました』って書いても、信じてもらえない気がして」
セラは黙った。
確かに、その通りだった。
エリシア・ノルンが、静かに頷いた。
「……証拠が必要」
「そうなんだよね」
アルトは少し嬉しそうに言った。
話が通じる相手がいた。
少女は、三人を見つめた。
『……あなた方は、状況を理解しているのですか?』
「……あんまり」
アルトは正直に答えた。
『…………』
「なので、説明してもらえると助かります」
少女は、長い沈黙の後。
『……分かりました』
そう答えた。
*
白い空間に、椅子が三つ現れた。
続いて、小さな机。
そして、四つ目の椅子。
少女がそこに座った。
『まず、自己紹介をしましょう』
アルトたちも席についた。
『私は、この世界の境界を維持するために設計された管理機構です』
「……管理機構?」
『はい。便宜上、あなた方の言葉で「管理者」と名乗っています』
アルトは頷いた。
少女は続けた。
『世界には、内側と外側があります』
机の上に、小さな光の球が現れた。
『この球を世界だと考えてください』
球の表面に、薄い膜が浮かぶ。
『この膜が、境界です』
セラが腕を組んだ。
「……それで?」
『境界は、世界の内側と外側を隔てています』
「外側には何がある?」
『……定義できません』
セラは眉をひそめた。
「……何?」
『観測可能な範囲に限界があります。外側に存在するものを、内側の言葉で正確に記述することはできません』
エリシアが首を傾げた。
「……じゃあ、外側があるって、どうして分かるの?」
少女は少しだけ目を細めた。
『境界に、外部からの干渉が観測されるからです』
「……なるほど」
エリシアは頷いた。
アルトも、少し考えた。
外側がある。
しかし、何があるかは分からない。
そして、境界を守る管理者がいる。
「……じゃあ」
アルトが口を開いた。
「砦で起きていたことは、その境界と関係があるんですか?」
『はい』
少女は頷いた。
『グレイヴ砦付近で、境界の局所的な破損が発生しました』
「……破損?」
『本来、内側と外側は接続されません。しかし、何らかの原因によって接続が生じました』
机の上の球に、小さな穴が開いた。
『その結果、周辺の空間に異常が発生しています』
アルトは眉をひそめた。
「……人が消えたのも?」
『はい』
「……どこへ?」
少女は、少しだけ沈黙した。
『……隔離領域です』
「……隔離?」
『境界異常に接触した存在を、世界から一時的に切り離しています』
アルトは、ゆっくり瞬きをした。
「……じゃあ」
身を乗り出す。
「消えた人たち、生きてるんですか?」
『……はい』
アルトは、心底ほっとした。
「……よかった」
セラも、少しだけ肩の力を抜いた。
しかし。
少女は続けた。
『ただし、現状のままでは、いずれ維持できなくなります』
アルトの表情が変わった。
「……どのくらいですか?」
『推定、四十七時間』
沈黙。
セラが、ゆっくり立ち上がった。
「……おい」
『……はい』
「それを先に言え」
少女は、少し困ったように首を傾げた。
『……説明の順序に問題がありましたか?』
「大ありだ」
*
アルトは、椅子に座り直した。
「……じゃあ、まず人を助けないと」
『はい』
「……どうすればいいですか?」
『あなたの協力が必要です』
少女は、アルトを見つめた。
『境界外個体』
アルトは眉をひそめた。
「……その呼び方、やめてもらえませんか」
『……何故ですか?』
「……名前があるので」
少女は、少しだけ瞬きをした。
『……アルト・レイン』
「……はい」
『あなたの協力が必要です』
アルトは頷いた。
「……何をすればいいんですか?」
少女は、机の上に新しい光の球を出した。
『境界の破損箇所を修復するためには、外部干渉に対抗できる存在が必要です』
「……それが、俺?」
『はい』
「……どうして?」
『あなたは、この世界の通常の法則に完全には拘束されていません』
セラが、静かにアルトを見た。
エリシアも、目を細めた。
アルトは、少し困った顔をした。
「……そうなんですか?」
『はい』
「……自覚はないんですけど」
『自覚の有無は、関係ありません』
「……なるほど」
アルトは頷いた。
しかし。
次の瞬間。
「……それって、危ないんですか?」
少女は、少しだけ沈黙した。
『……危険はあります』
「……どのくらい?」
『現時点では、算出できません』
アルトは、少し考えた。
そして。
「……じゃあ、やめときます」
『…………』
少女は固まった。
セラも、少し驚いた。
「……アルト?」
「……いや」
アルトは、真面目な顔で言った。
「危険の程度が分からないのに、いきなり引き受けるのはちょっと」
『しかし、隔離領域の維持限界が迫っています』
「……分かってます」
アルトは頷いた。
「だから、別の方法を考えましょう」
少女は、少しだけ首を傾げた。
『……別の方法?』
「はい」
アルトは、机の上の光の球を見つめた。
「そもそも、何で俺が必要なんですか?」
『……先ほど説明しました』
「いや、そこじゃなくて」
アルトは、少し考えた。
「……修復って、具体的に何をするんですか?」
少女は沈黙した。
そして。
『……境界の破損箇所に、あなたの存在情報を接続します』
「……存在情報?」
『はい』
「……それを接続すると、どうなるんですか?」
『あなたを基準として、境界の整合性を再構築します』
アルトは、しばらく黙った。
そして。
「……それ、俺が境界の一部になるってことですか?」
少女は、初めて明確に動きを止めた。
『…………』
セラが眉をひそめた。
「……おい」
アルトは続けた。
「修復した後、俺は普通に帰れるんですか?」
少女は答えなかった。
「……ずっと、ここにいなきゃいけなくなるとか」
『…………』
「……そういうこと、ないですか?」
沈黙。
そして。
『……可能性は、あります』
セラが立ち上がった。
「……ふざけるな」
低い声だった。
「最初から、それを説明しろ」
少女は、静かにセラを見つめた。
『……説明すれば、協力を得られない可能性が高いと判断しました』
「……だから隠したのか?」
『……はい』
セラの双剣が、わずかに鳴った。
アルトは、ゆっくり息を吐いた。
「……それは、困りますね」
少女は、アルトを見つめた。
『……何故ですか?』
「……だって」
アルトは、少しだけ困った顔をした。
「……俺、帰りたいので」
その言葉は、あまりにも普通だった。
しかし。
少女には、理解できなかった。
『……世界の存続よりも、あなた個人の生活が重要なのですか?』
アルトは、少し考えた。
そして。
「……比べるものじゃないと思います」
『……何故?』
「世界がなくなったら、俺も困ります」
『……はい』
「でも、俺が帰れなくなったら、それも困ります」
『……はい』
「……だから」
アルトは、静かに言った。
「……両方、何とかする方法を考えたいです」
少女は、しばらく黙った。
そして。
『……非合理的です』
小さく呟いた。
アルトは、少し笑った。
「……そうですかね」
*
エリシアは、ずっと黙っていた。
しかし、ここで口を開いた。
「……ねえ」
『……何でしょう』
「あなた、さっきから変」
少女は首を傾げた。
『……変?』
「うん」
エリシアは頷いた。
「……アルトにしか、頼んでない」
『……はい』
「私たちは?」
少女は、少しだけ目を細めた。
『……あなた方には、適性がありません』
「……本当に?」
『……はい』
エリシアは、静かに微笑んだ。
「……じゃあ、確かめて」
そして。
机の上に手を伸ばした。
光の球。
境界の模型。
その表面に、指先が触れる。
次の瞬間。
球が、わずかに震えた。
『…………』
少女が、初めて驚いた表情を見せた。
『……何故』
エリシアは、首を傾げた。
「……何が?」
『……あなたは、通常個体のはずです』
「……そう?」
エリシアは、もう一度球に触れた。
今度は、表面に小さな波紋が広がった。
少女は、静かに立ち上がった。
『……再計測』
白い空間に、無数の文字が浮かんだ。
そのすべてが、エリシアを中心に回転する。
そして。
『……異常』
少女が呟いた。
『……観測結果に、矛盾が発生しています』
アルトは、少し驚いた。
「……エリシアさん?」
エリシアは、アルトを見た。
そして、微笑んだ。
「……私も、少し変みたい」
アルトは、少しだけ笑った。
「……そうみたいですね」
セラは、深いため息をついた。
「……天才が二人いると、こうなるのか」
*
その頃。
王宮。
国王アレクシス三世は、書斎で一通の報告書を読んでいた。
北方国境。
グレイヴ砦。
異常現象。
そして。
アルト・レイン。
国王は、静かに目を閉じた。
未来を見ようとする。
しかし。
見えない。
白い。
どこまでも白い。
その中で。
何かが、こちらを見ていた。
『……観測者』
声がした。
国王は、息を呑んだ。
『……あなたも、見つけました』
次の瞬間。
視界が、真っ暗になった。
国王は、椅子から立ち上がった。
「……っ!」
額に汗が滲む。
そして。
初めて。
未来視が、完全に途絶えた。
*
白い空間。
少女は、アルトとエリシアを見つめていた。
『……計算を修正します』
静かに言った。
『……二名の協力があれば、修復成功率は上昇します』
アルトは、少し考えた。
「……それで、帰れるんですか?」
『……現時点では、保証できません』
「……じゃあ、まだ駄目ですね」
『…………』
少女は、再び沈黙した。
そして。
『……あなたは、何故そこまで帰還にこだわるのですか?』
アルトは、少し驚いた。
「……え?」
『……世界を救うという行為には、十分な価値があります』
「……まあ、そうですね」
『……ならば』
「……でも」
アルトは、静かに言った。
「……俺、世界を救うために生きてるわけじゃないので」
少女は、動きを止めた。
アルトは続けた。
「美味しいもの食べたいし」
「……うん」
エリシアが頷いた。
「友達とも遊びたいし」
「……うん」
「……できれば、長生きしたいです」
セラが、少しだけ笑った。
アルトは、少女を見つめた。
「……だから」
そして。
「……世界を救うために、全部捨てろって言われても、困ります」
少女は、長い沈黙の後。
『……理解できません』
そう答えた。
アルトは、少し笑った。
「……じゃあ、少しずつで」
*
その時だった。
白い空間に、ひびが入った。
細い亀裂。
しかし、確かに存在していた。
少女が、顔を上げた。
『……異常』
亀裂が広がる。
白い空間が、静かに割れていく。
『……外部干渉、増大』
セラが双剣を抜いた。
「……何だ?」
エリシアも、剣を構えた。
アルトは、亀裂を見つめた。
そして。
「……あれ?」
小さく呟いた。
亀裂の向こう。
そこには。
何かがいた。
巨大な影。
形のない存在。
しかし。
今まで見たものとは、明らかに違う。
こちらを見ている。
明確な意思を持って。
そして。
『……見つけた』
声が響いた。
少女の顔から、初めて血の気が引いた。
『……そんな』
小さく呟く。
『……何故、ここが』
アルトは、ゆっくり剣を抜いた。
そして、静かに言った。
「……とりあえず」
少しだけ困った顔をする。
「……あれ、敵ですか?」
少女は、震える声で答えた。
『……はい』
そして。
『……この世界を、終わらせるものです』
アルトは、少し考えた。
そして。
「……それは、困りますね」
静かに剣を構えた。
*
白い空間に、巨大な影が侵入してくる。
世界の境界が、軋む。
管理者の少女は、動けなかった。
セラは双剣を構えた。
エリシアは、静かに微笑んだ。
そして。
アルト・レイン。
十八歳。
世界最強の冒険者。
その青年は、いつものように少しだけ困った顔をしていた。
「……できれば」
小さく呟く。
「……壊さずに済ませたいなぁ」
しかし。
その瞳には、確かな戦意が宿っていた。
世界を救うためではない。
英雄になるためでもない。
ただ。
自分の帰る場所を、守るために。
――第九話 完。