目が覚めて、すぐに机を見た。
二つに破った紙が、昨夜のまま並んでいた。
――まだ直さない。
自分で書いたメモを脇へよけて、紙に触れる。
直って。
しばらく待ってみたけれど、紙は二つのままだった。
ぼくはノートから新しい紙をちぎった。
同じくらいの大きさに破り、片方へ指を当てる。
ぱち、と音がした。
紙は一枚になっていた。
「……やっぱり」
昨夜の紙を、もう一度試す。
直らない。
どちらも自分で破った。同じノートの紙で、欠けたところもない。
違うのは、破ったのが昨夜か、今か。
ぼくは鉛筆を取った。
――時間がたつと、直せなくなる?
書いてから、紙をもう一枚破った。
こちらも直る。
もう一回。
やっぱり、直る。
今度こそ、できる。
ぼくは紙とノートを持って部屋を出た。
*
おばあちゃんは、リビングで新聞を読んでいた。
「おはよう。今日は早いね」
「うん。あのね、もう一回、見てもらってもいい?」
新聞の上から、目がこちらを向いた。
「個性かい?」
「今度こそ、成功するよ」
机にノートを置いた。
新しい紙を一枚、半分に破る。
おばあちゃんが新聞を畳んだ。
「それを直すのかい?」
「うん。見ててね」
二つの紙を並べる。
何度もできたのに、見られていると少し怖くなった。
昨日の写真立てを思い出す。
でも、今の紙なら。
ぼくは指を当てた。
ぱちりと、紙の形が変わった。
一枚になった紙を、そっと持ち上げる。
破れ目は、なかった。
「……ほら」
おばあちゃんは何も言わなかった。
紙を見ていた。
「できたよ」
差し出すと、おばあちゃんは両手で受け取った。
裏返して、表に戻す。破ったはずのところを、指で何度も撫でる。
「もう一回、やろうか?」
おばあちゃんが顔を上げた。
口が少し開いていた。
何か言おうとして、それから、ぼくの肩へ手を伸ばした。
「直」
「うん」
「本当に……あんたが」
「うん。ぼくが直したんだよ」
急に、身体を引き寄せられた。
おばあちゃんの腕が、背中に回った。
「よかったねえ」
耳元で、声が震えた。
「よかったねえ、直……!」
ぼくはおばあちゃんの服を掴んだ。
こんなふうに抱きしめられるのは、久しぶりだった。
「ずっと、使いたかったんだものねえ」
「……うん」
小さな手が、背中を何度も撫でた。
昨日は、ちゃんと見せられなかった。
写真立てが直らなくて、自分でも分からなくなっていた。
でも、今は見てもらえた。
「ぼくにも、あったんだね」
「ああ」
おばあちゃんが身体を離した。
眼鏡を外し、目元を拭う。
泣いていた。
「おばあちゃん、泣いてるの?」
「そりゃあ、泣くさ」
笑おうとした顔が、またくしゃりと歪んだ。
「あんた、あんなに……」
そこで言葉を切って、もう一度ぼくを抱き寄せた。
ぼくは何を言ったらいいか分からなくなった。
だから、服を掴んだまま頷いた。
おばあちゃんの肩に顔を押しつけると、鼻の奥がつんとした。
*
それからしばらく、ぼくは空いた時間をほとんど個性に使った。
破ってすぐの紙と、置いておいた紙。折れた鉛筆と、前から欠けていた定規。
壊し方を変えたり、触る場所を変えたりして、結果をノートに書いた。
壊れてすぐのものなら、直せる。
時間がたったものは、難しい。
紙でも木でも使えるけれど、何でもきれいに戻せるわけではなかった。鉛筆は外側だけつながって、芯が折れたままのこともあった。
そんなことを調べていたある日、庭で転んだ。
手をついたところに、小さな石があった。
「いた……」
手のひらが擦りむけていた。膝も痛い。
立ち上がろうとすると、またひりっとして、目に涙が溜まった。
おばあちゃんを呼ぼうかと思った。
でも、泣いているところを見られるのは嫌だった。
唇を結んで、庭の水道へ行った。水をかけると余計にしみて、涙が一つ落ちた。
もう、痛いのやだ。
洗った手のひらに、そっと触れた。
治って。
皮膚の形が、一瞬ぶれた。
ぼくは息を止めた。
赤く剥けていたところが、薄い桃色になっていた。
指を曲げる。
痛くない。
「……治った」
もう一度、手のひらを見た。
怪我も。
ぼくの個性、怪我も治せるんだ。
さっきまで涙が出ていたのに、口元が勝手に緩んだ。
膝にも触れて、個性を使った。ひりひりしていたところが消えた。
ぼくは立ち上がって、家へ走った。
「おばあちゃん! 手、見て!」
傷の消えた手を差し出してから、先に擦りむいていたことを説明しなきゃ伝わらないと気づいた。
でも、言葉が追いつかなかった。
「転んだんだけど、治ったんだよ。ぼくの個性、怪我も治せるんだ!」
おばあちゃんが手のひらを確かめる間も、じっとしていられなかった。
ずっと真似していた。
傷に口をつけても何も起きなくて、代わりに包帯の巻き方を覚えた。
今、その傷が自分の手で消えた。
「ぼくも、おばあちゃんみたいになれるかな」
顔を上げると、おばあちゃんが笑っていた。
「なれるさ。その個性は、人を助けられる力だよ」
嬉しくて、ぼくは何度も頷いた。
*
その日は、おばあちゃんと練習用の包帯を片づけていた。
何度も巻いて洗った包帯には、ほつれや穴ができている。
「こっちは傷んだところを切って、短くして使おうかね」
渡された一本を広げ、はさみを入れた。
斜めになった切り口を揃えようとして、今度は短くしすぎた。
個性で戻せばいい。
残った包帯に触れると、ぱち、と布が跳ねた。
「それじゃ、切り直しだねえ」
「うん。――あれ?」
戻った先を持ち上げた。
さっきまであった穴が、なくなっている。
机に残った切れ端は、ほつれたままだった。それなのに、手の中の包帯には、きれいな布地が続いていた。
「おばあちゃん、……これ、穴まで直ってる」
おばあちゃんが身を寄せた。二つを並べ、指で確かめる。
ぼくは、かごから別の包帯を取った。
端にほつれがある。そのまま触っても変わらない。
傷んだところごと切り落とし、残った方へ個性を使った。
一瞬で戻った先には、ほつれもなかった。
「どうして。壊れたばかりのものしか直せないはずなのに」
古い破れ目を少し広げても、そこまでは直らなかった。
おばあちゃんも、戻った包帯を見つめていた。
「傷んだところをもう一度壊し直せば、時間が経っていても元に戻せるのかもしれないね」
ぼくは包帯の先を撫でた。
ただ個性を使うだけでは直らなかったのに、もう一度切って、壊し直せば直った。
「じゃあ、前にできなかったものも、直せるかもしれないね」
「そうだねえ。ただ、壊したものを必ず戻せるとは限らないよ」
「うん。鉛筆も、まだうまくできないし」
せっかく直った包帯を、また切ってしまわないようにはさみを置いた。
ノートに書くことが増えた。
*
それからは、捨てるものを先に見せてもらうようになった。
端の割れた植木鉢。ひびの入った洗濯ばさみ。表紙の外れた古い帳面。
そのままでは直せなくても、傷んだところを壊し直すと、戻せることがあった。
ただし、少し傷をつければいいわけではないらしい。
植木鉢のひびの先を更に割ってみてもだめ。ひびの入った部分をまとめて割って、ようやく全部が直った。
洗濯ばさみは失敗した。形は戻ったけれど、挟むところがずれてしまった。
おばあちゃんに見せると、指でつまんで首を傾げた。
「これじゃあ、洗濯物が落ちちまうね」
「もう一回やったら、できるかもしれない」
「今日はここまで。おやつにしよう」
まだ試したかったけれど、お腹も空いていた。
ノートを閉じて、おばあちゃんについていった。
*
何日か後、近所の子が膝を擦りむいた。
おばあちゃんと公園の前を通りかかった時だった。目の前で男の子が転んで、少し遅れて泣き声が上がった。
膝から血が出ていた。
ぼくまで膝が痛くなって、思わず駆け寄った。
「だ、大丈夫?」
男の子は泣いたまま、首を振った。
どうしよう。
おばあちゃんを振り返りかけて、自分の手が目に入った。
そうだ。ぼくも治せるんだ。
「大丈夫! ぼくにまかせて!」
しゃがんで膝に触れ、そのまま個性を使った。
手の下で皮膚の形が一瞬ぶれて、赤く剥けていたところが、薄い桃色に変わった。
男の子の泣き声が止まった。
「……治った?」
涙の残った顔で、膝を覗き込んでいる。
「痛くない」
ぼくはほっとして、それから嬉しくなった。
「よかった。治せた……!」
「直、ちょっと見せてごらん」
追いついたおばあちゃんが、隣にしゃがんだ。
ぼくは膝に添えていた手をどけた。
「ぼくが治したんだよ」
「ああ。ちゃんと見ていたよ」
おばあちゃんが傷を確かめる横で、男の子が膝を曲げ伸ばしした。
「すごい。ありがとう!」
ぼくも笑った。
自分だけじゃない。人の怪我も、治せたんだ。
「おーい、もう遊べる?」
広場から声がした。
「うん!」
男の子が立とうとして、ぼくは慌てた。
「あ、待って。まだ少し腫れてるよ」
膝の端に、赤く腫れたところが残っていた。
もう一度触れて、個性を使う。
変わらなかった。
「これくらい平気。もう痛くないよ」
男の子は立ち上がると、「ありがとう!」と広場へ走っていった。
ぼくは伸ばしかけた手を下ろした。
「助けてあげられたね」
おばあちゃんに言われて、頷いた。
嬉しかった。
ただ、最後に残った赤いところが、少し気になっていた。
*
部屋に戻って、ノートを開いた。
はじめて、個性を使ってだれかを助けることができた。
ありがとう、って言ってもらえた。
そこまで書いて、鉛筆を止めた。
自分の手のひらを見た。転んだ時の傷は、もうどこにあったか分からない。
同じように治したつもりだったのに。
前のページには、包帯のことが書いてあった。
傷んだところを、もう一度壊し直す。
ぼくは、その一行を指でなぞった。
あの残った怪我も、同じようにすれば、もっとちゃんと治してあげられたのかな。
今度おばあちゃんに、聞いてみようと思った。