修善寺直は治したい。   作:omori

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2.

目が覚めて、すぐに机を見た。

 

 二つに破った紙が、昨夜のまま並んでいた。

 

 ――まだ直さない。

 

 自分で書いたメモを脇へよけて、紙に触れる。

 

 直って。

 

 しばらく待ってみたけれど、紙は二つのままだった。

 

 ぼくはノートから新しい紙をちぎった。

 

 同じくらいの大きさに破り、片方へ指を当てる。

 

 ぱち、と音がした。

 

 紙は一枚になっていた。

 

「……やっぱり」

 

 昨夜の紙を、もう一度試す。

 

 直らない。

 

 どちらも自分で破った。同じノートの紙で、欠けたところもない。

 

 違うのは、破ったのが昨夜か、今か。

 

 ぼくは鉛筆を取った。

 

 ――時間がたつと、直せなくなる?

 

 書いてから、紙をもう一枚破った。

 

 こちらも直る。

 

 もう一回。

 

 やっぱり、直る。

 

 今度こそ、できる。

 

 ぼくは紙とノートを持って部屋を出た。

 

     *

 

 おばあちゃんは、リビングで新聞を読んでいた。

 

「おはよう。今日は早いね」

 

「うん。あのね、もう一回、見てもらってもいい?」

 

 新聞の上から、目がこちらを向いた。

 

「個性かい?」

 

「今度こそ、成功するよ」

 

 机にノートを置いた。

 

 新しい紙を一枚、半分に破る。

 

 おばあちゃんが新聞を畳んだ。

 

「それを直すのかい?」

 

「うん。見ててね」

 

 二つの紙を並べる。

 

 何度もできたのに、見られていると少し怖くなった。

 

 昨日の写真立てを思い出す。

 

 でも、今の紙なら。

 

 ぼくは指を当てた。

 

 ぱちりと、紙の形が変わった。

 

 一枚になった紙を、そっと持ち上げる。

 

 破れ目は、なかった。

 

「……ほら」

 

 おばあちゃんは何も言わなかった。

 

 紙を見ていた。

 

「できたよ」

 

 差し出すと、おばあちゃんは両手で受け取った。

 

 裏返して、表に戻す。破ったはずのところを、指で何度も撫でる。

 

「もう一回、やろうか?」

 

 おばあちゃんが顔を上げた。

 

 口が少し開いていた。

 

 何か言おうとして、それから、ぼくの肩へ手を伸ばした。

 

「直」

 

「うん」

 

「本当に……あんたが」

 

「うん。ぼくが直したんだよ」

 

 急に、身体を引き寄せられた。

 

 おばあちゃんの腕が、背中に回った。

 

「よかったねえ」

 

 耳元で、声が震えた。

 

「よかったねえ、直……!」

 

 ぼくはおばあちゃんの服を掴んだ。

 

 こんなふうに抱きしめられるのは、久しぶりだった。

 

「ずっと、使いたかったんだものねえ」

 

「……うん」

 

 小さな手が、背中を何度も撫でた。

 

 昨日は、ちゃんと見せられなかった。

 

 写真立てが直らなくて、自分でも分からなくなっていた。

 

 でも、今は見てもらえた。

 

「ぼくにも、あったんだね」

 

「ああ」

 

 おばあちゃんが身体を離した。

 

 眼鏡を外し、目元を拭う。

 

 泣いていた。

 

「おばあちゃん、泣いてるの?」

 

「そりゃあ、泣くさ」

 

 笑おうとした顔が、またくしゃりと歪んだ。

 

「あんた、あんなに……」

 

 そこで言葉を切って、もう一度ぼくを抱き寄せた。

 

 ぼくは何を言ったらいいか分からなくなった。

 

 だから、服を掴んだまま頷いた。

 

 おばあちゃんの肩に顔を押しつけると、鼻の奥がつんとした。

 

     *

 

 それからしばらく、ぼくは空いた時間をほとんど個性に使った。

 

 破ってすぐの紙と、置いておいた紙。折れた鉛筆と、前から欠けていた定規。

 

 壊し方を変えたり、触る場所を変えたりして、結果をノートに書いた。

 

 壊れてすぐのものなら、直せる。

 

 時間がたったものは、難しい。

 

 紙でも木でも使えるけれど、何でもきれいに戻せるわけではなかった。鉛筆は外側だけつながって、芯が折れたままのこともあった。

 

 そんなことを調べていたある日、庭で転んだ。

 

 手をついたところに、小さな石があった。

 

「いた……」

 

 手のひらが擦りむけていた。膝も痛い。

 

 立ち上がろうとすると、またひりっとして、目に涙が溜まった。

 

 おばあちゃんを呼ぼうかと思った。

 

 でも、泣いているところを見られるのは嫌だった。

 

 唇を結んで、庭の水道へ行った。水をかけると余計にしみて、涙が一つ落ちた。

 

 もう、痛いのやだ。

 

 洗った手のひらに、そっと触れた。

 

 治って。

 

 皮膚の形が、一瞬ぶれた。

 

 ぼくは息を止めた。

 

 赤く剥けていたところが、薄い桃色になっていた。

 

 指を曲げる。

 

 痛くない。

 

「……治った」

 

 もう一度、手のひらを見た。

 

 怪我も。

 

 ぼくの個性、怪我も治せるんだ。

 

 さっきまで涙が出ていたのに、口元が勝手に緩んだ。

 

 膝にも触れて、個性を使った。ひりひりしていたところが消えた。

 

 ぼくは立ち上がって、家へ走った。

 

「おばあちゃん! 手、見て!」

 

 傷の消えた手を差し出してから、先に擦りむいていたことを説明しなきゃ伝わらないと気づいた。

 

 でも、言葉が追いつかなかった。

 

「転んだんだけど、治ったんだよ。ぼくの個性、怪我も治せるんだ!」

 

 おばあちゃんが手のひらを確かめる間も、じっとしていられなかった。

 

 ずっと真似していた。

 

 傷に口をつけても何も起きなくて、代わりに包帯の巻き方を覚えた。

 

 今、その傷が自分の手で消えた。

 

「ぼくも、おばあちゃんみたいになれるかな」

 

 顔を上げると、おばあちゃんが笑っていた。

 

「なれるさ。その個性は、人を助けられる力だよ」

 

 嬉しくて、ぼくは何度も頷いた。

 

     *

 

 その日は、おばあちゃんと練習用の包帯を片づけていた。

 

 何度も巻いて洗った包帯には、ほつれや穴ができている。

 

「こっちは傷んだところを切って、短くして使おうかね」

 

 渡された一本を広げ、はさみを入れた。

 

 斜めになった切り口を揃えようとして、今度は短くしすぎた。

 

 個性で戻せばいい。

 

 残った包帯に触れると、ぱち、と布が跳ねた。

 

「それじゃ、切り直しだねえ」

 

「うん。――あれ?」

 

 戻った先を持ち上げた。

 

 さっきまであった穴が、なくなっている。

 

 机に残った切れ端は、ほつれたままだった。それなのに、手の中の包帯には、きれいな布地が続いていた。

 

「おばあちゃん、……これ、穴まで直ってる」

 

 おばあちゃんが身を寄せた。二つを並べ、指で確かめる。

 

 ぼくは、かごから別の包帯を取った。

 

 端にほつれがある。そのまま触っても変わらない。

 

 傷んだところごと切り落とし、残った方へ個性を使った。

 

 一瞬で戻った先には、ほつれもなかった。

 

「どうして。壊れたばかりのものしか直せないはずなのに」

 

 古い破れ目を少し広げても、そこまでは直らなかった。

 

 おばあちゃんも、戻った包帯を見つめていた。

 

「傷んだところをもう一度壊し直せば、時間が経っていても元に戻せるのかもしれないね」

 

 ぼくは包帯の先を撫でた。

 

 ただ個性を使うだけでは直らなかったのに、もう一度切って、壊し直せば直った。

 

「じゃあ、前にできなかったものも、直せるかもしれないね」

 

「そうだねえ。ただ、壊したものを必ず戻せるとは限らないよ」

 

「うん。鉛筆も、まだうまくできないし」

 

 せっかく直った包帯を、また切ってしまわないようにはさみを置いた。

 

 ノートに書くことが増えた。

 

     *

 

 それからは、捨てるものを先に見せてもらうようになった。

 

 端の割れた植木鉢。ひびの入った洗濯ばさみ。表紙の外れた古い帳面。

 

 そのままでは直せなくても、傷んだところを壊し直すと、戻せることがあった。

 

 ただし、少し傷をつければいいわけではないらしい。

 

 植木鉢のひびの先を更に割ってみてもだめ。ひびの入った部分をまとめて割って、ようやく全部が直った。

 

 洗濯ばさみは失敗した。形は戻ったけれど、挟むところがずれてしまった。

 

 おばあちゃんに見せると、指でつまんで首を傾げた。

 

「これじゃあ、洗濯物が落ちちまうね」

 

「もう一回やったら、できるかもしれない」

 

「今日はここまで。おやつにしよう」

 

 まだ試したかったけれど、お腹も空いていた。

 

 ノートを閉じて、おばあちゃんについていった。

 

     *

 

 何日か後、近所の子が膝を擦りむいた。

 

 おばあちゃんと公園の前を通りかかった時だった。目の前で男の子が転んで、少し遅れて泣き声が上がった。

 

 膝から血が出ていた。

 

 ぼくまで膝が痛くなって、思わず駆け寄った。

 

「だ、大丈夫?」

 

 男の子は泣いたまま、首を振った。

 

 どうしよう。

 

 おばあちゃんを振り返りかけて、自分の手が目に入った。

 

 そうだ。ぼくも治せるんだ。

 

「大丈夫! ぼくにまかせて!」

 

 しゃがんで膝に触れ、そのまま個性を使った。

 

 手の下で皮膚の形が一瞬ぶれて、赤く剥けていたところが、薄い桃色に変わった。

 

 男の子の泣き声が止まった。

 

「……治った?」

 

 涙の残った顔で、膝を覗き込んでいる。

 

「痛くない」

 

 ぼくはほっとして、それから嬉しくなった。

 

「よかった。治せた……!」

 

「直、ちょっと見せてごらん」

 

 追いついたおばあちゃんが、隣にしゃがんだ。

 

 ぼくは膝に添えていた手をどけた。

 

「ぼくが治したんだよ」

 

「ああ。ちゃんと見ていたよ」

 

 おばあちゃんが傷を確かめる横で、男の子が膝を曲げ伸ばしした。

 

「すごい。ありがとう!」

 

 ぼくも笑った。

 

 自分だけじゃない。人の怪我も、治せたんだ。

 

「おーい、もう遊べる?」

 

 広場から声がした。

 

「うん!」

 

 男の子が立とうとして、ぼくは慌てた。

 

「あ、待って。まだ少し腫れてるよ」

 

 膝の端に、赤く腫れたところが残っていた。

 

 もう一度触れて、個性を使う。

 

 変わらなかった。

 

「これくらい平気。もう痛くないよ」

 

 男の子は立ち上がると、「ありがとう!」と広場へ走っていった。

 

 ぼくは伸ばしかけた手を下ろした。

 

「助けてあげられたね」

 

 おばあちゃんに言われて、頷いた。

 

 嬉しかった。

 

 ただ、最後に残った赤いところが、少し気になっていた。

 

     *

 

 部屋に戻って、ノートを開いた。

 

 はじめて、個性を使ってだれかを助けることができた。

 

 ありがとう、って言ってもらえた。

 

 そこまで書いて、鉛筆を止めた。

 

 自分の手のひらを見た。転んだ時の傷は、もうどこにあったか分からない。

 

 同じように治したつもりだったのに。

 

 前のページには、包帯のことが書いてあった。

 

 傷んだところを、もう一度壊し直す。

 

 ぼくは、その一行を指でなぞった。

 

 あの残った怪我も、同じようにすれば、もっとちゃんと治してあげられたのかな。

 

 今度おばあちゃんに、聞いてみようと思った。

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