寡黙な弓聖と畏れられていますが、黙っているのは次のポエムの韻を探しているだけです〜自作の詩を弟子に短剣へ刻まれたので全力で夜逃げします〜 作:イマエサン
「詠ませるな!」と長が、もう一度叫んだ。「若様、その男が詠めば、森の伏兵が動きます!」
「型です、長」と若者が言った。「型は、王の御徳と同じくらい、高いのです」
「王の御徳より高い型など……」
「同じくらい、と申し上げました。修辞学的には、大きな違いです」
長は、それ以上は言わなかった。トゥエイン家の次男に、警備隊の長は逆らえない。弩の半分は森を向き、残りの半分は、壇の上の私を向いた。
壇の上で、私は国境の向こうを見ていた。あの子が、まだ目を開けていた。
今夜この壇で詠むべき一篇は、旧作の中にはない。旧作は、全部、私のことしか書いていない。九十九本の夜明けに百本目を射られなかったのも、同じ理由だった。
言えなかった七つの、七つ目。あの日のことを、まだ一行も書けていない。
十年、何度も書こうとした。引き取った年の冬に一度。あの子が初めて剣を握った春に一度。短剣を渡した朝の晩に一度。旅先の宿場でも、一度。そのたびに、一行目で筆が止まった。止まる理由は、分かっていた。書こうとするたびに、黄昏が来た。宿命が来た。選ばれし者が来た。だが、あの芋蔵に、黄昏は差していなかった。あの子は、宿命の子ではなかった。二日、何も食べていない、十二の子だった。
村は、収穫祭の三日後に焼かれていた。煙の匂いが、まだ残っていた。私の髪は、まだ黒かった。台所の床板を一枚ずつ剥がして、芋蔵の戸を見つけた。開けると、暗がりの奥で、目が二つ、こちらを見ていた。泣いていなかった。泣く力が、もう残っていなかったのだと思う。
韻は、踏まない。宿命も、黄昏も、入れない。
二十二年かけて覚えたものを、全部、置いていくことになる。残るのは、あの日に見たものと、あの日に言えなかったことだけである。それが詩になるのかどうか、私には分からなかった。二十二年で初めて、分からなかった。
第四の理由は、床下から出てこなかった。喝采されたくて詠む一篇ではないことを、あれも知っているのだろう。
韻のない行は、矢にならない。この一篇は、射るために詠むのではない。それで、いい。
私は弓を下ろし、壇の板の上に置いた。十年前、芋蔵の床に置いたのと、同じように。百本目は、矢筒に残したままにした。
「題を、お願いします」と若者が言った。型なのだろう。
「……ない」
「題がないのも、型に外れています」若者は、少し困った顔をして、それから頷いた。「でも、伺います」
詠む声は、使わなかった。削りもしなかった。あの日、芋蔵の戸の前で出したのと、同じ声で言った。
台所の床の下に 芋の蔵があった
戸を開けると 小さい子がいた
父親の小刀を 両手で握っていた
私は弓を 床に置いた
黒パンは硬かったので 先に少しかじって
半分を その子に渡した
もう、出ていい と それだけ言った
帰り道 私は振り返らなかった
後ろの足音が止まると 私も止まり
足音が動くと また歩いた
あれから十年
言えずにいたことが ひとつある
出てきてくれて ありがとう
詠み終えても、こだまは返ってこなかった。
大きな声では、なかったからである。それでも、国境は、静かだった。六百の兵も、町じゅうの松明も、一行目から最後まで、物音ひとつ立てなかった。
国境の向こうで、あの子が、両手で顔を覆うのが見えた。
◇
煙突は、北を向いている。境の石も、北にある。二十二年、煙突越しに聞いてきた。今夜は、煙突より近くで聞くことにした。炉の火は、落としてきた。
韻が、なかった。
二十二年、聞いた。十一万三千本。韻のない行は、一本もなかった。
今夜のは、全部、韻がなかった。矢も、飛ばなかった。弓は、壇の板の上にあった。
十年前の秋。あいつは、焼けた村から、子どもを連れて帰ってきた。北門を通る足音が、その夜から、二つになった。
その冬から、森の声は、少しだけ変わった。韻は、変わらなかった。下手なのも、変わらなかった。ただ、帰りの足音が、前より早くなった。
七年前。あいつは、俺の店でいちばん出来のいい短剣を買った。黙って。値も訊かずに。何に使うのかも、言わなかった。
言わなかったことが、今夜、全部、壇の上で言われた。
「韻もない!」壇の下で、王国の長が叫んだ。「宿命もない! こんなものは、詩ではない!」
誰も、聞いていなかった。
詩じゃない、か。そうかもしれない。俺には、分からない。俺に分かるのは、下手かどうかだけだ。二十二年、それだけを聞いてきた。
王国の兵は、首をすくめなかった。すくめる場所が、なかった。代わりに、兜を脱ぐ音がした。一つ。二つ。それから、たくさん。
房を射られるからではない。誰も、射ていない。
長だけが、兜を脱がなかった。前髪を押さえる手が、少し震えていた。
人波の端で、指先の青い女が、紙を一枚、胸に当てていた。隣の女は、声を出さずに泣いていた。斥候は、手帳を開いていたが、何も書いていなかった。
町の側では、マルタが前掛けで顔を覆っていた。バルドは、泣き声を出さずに泣いていた。双子が、同時に鼻をすすった。ティモは、目を閉じたまま、口を開けていた。
前衛の列の真ん中で、あの子が泣いていた。
泣かない子だった。七年前、短剣を渡された朝も。八日前、国境で、あいつが前に立ったときも。
今夜、泣いていた。前髪は、揺れていなかった。風が、なかった。
あの子の唇が、少しだけ動いた。何と言ったのかは、ここまでは聞こえなかった。
壇の上では、若い貴族が、袖で顔を拭いていた。あいつは、弓を拾わずに立っていた。
俺は、腕を組んだまま、立っていた。
……下手じゃ、なかった。
二十二年で、初めてだ。
俺は、黙っている。今までどおりだ。ただ、今夜は、少しだけ鼻をすすった。誰にも、聞かれていない。
◇
国境の向こうで、あの子が、まだ顔を覆っていた。あの子のところへ、行きたかった。だが、詩帳は、まだ若者の腕の中にある。
若者の手巾は、尽きていた。書記の手巾も、尽きていた。若者は、自分の袖で顔を拭いた。
「……評を、申し上げます」
若者は、詩会の席にある者の声で言った。声は、半分ほど裏返っていた。
「型には、外れています。四行ではありません。韻もありません。四行目に、王の御徳もありません。題も、ありません。宿命も、黄昏も、一つもありません」
壇の下で、長が「それ見たことか」と言った。
「長は、詩ではないとおっしゃいました」若者は、袖で鼻を拭いた。「型に照らせば、長が正しいのです。僕は、詩会の席にある者として、それを申し上げねばなりません」
「でも」若者は、続けた。「僕は、生まれて初めて、四行目に嘘のない詩を聞きました」
四行目は、いつも少しだけ嘘のような気がする。若者の顔に、そう書いてあった気がした。
「評は、詩帳の見返しに書き入れるのが、詩会の型です。それから、お返しします」
若者は、一冊目を開いた。
見返しの下に何があるかを、私は知っていた。七冊に、一枚ずつ。十五年前、この若者の父の書斎で書かれた紙である。ソフィエが十五年かけて手に入れ、私の詩の表紙の裏に貼り込んだものである。
止める理由は、いくらでもあった。止める言葉は、一つも出てこなかった。
若者は、表紙の裏の見返しに、羽ペンを当てかけて、止まった。
見返しの角が、少しだけ浮いていた。若者は、何度も開かれた本の綴じを確かめるように、その角に指をかけた。
糊が、まだ新しかった。
見返しの下から、薄い紙が一枚、のぞいていた。祈りの頭の字が、縦に、何列も並んでいた。そのうちの一列が、丸で囲まれていた。
その横に、細い字で、短く書き添えてあった。
――これでよい。
若者の手から、羽ペンが落ちた。
若者の顔から、涙が引いていくのが見えた。泣いていない若者の顔を、私は、初めて見た。十五年前の、子どもの顔だった。
「……父上の、字です」