Simulation of the Simulacra → SALVATION PARADOX ← さあ、答え合わせに行こうか 作:ゼノリカの名もなき宣教師
「ど、毒舌っ!」
「何言ってんのかわかんねえけど、俺らを馬鹿にしてんだな。ぶち殺す」
「そりゃ……こっちのセリフだぜっ!」
スバルは勢いよく地面を蹴った。
「俺の握力は70キロぉぉ!!それ以下でも以上でもなぁぁぁし!!」
自分でも何を言っているのかわからなかった。とにかく、気合いを入れたかった。拳を振り抜く。フォームも何もあったものではない。ぐるぐるパンチ未満。
しかし、その拳は一人の男の顔面に命中した。
「いってえええええええ!!」
しかし、殴ったスバルのほうが悲鳴を上げた。
「この野郎っ!」
別の男が襲いかかってくる。
昴は反射的に蹴りを放った。
足先が弧を描き、男のみぞおちに突き刺さる。
「ぎゃあっ!」
「……お、おお!?」
倒れた男を見て、昴は目を輝かせた。
いける。
いけるのではないか。
これが異世界補正というやつなのではないか。
『逃げろって言ってんだろ』
「うっせえキックッッ!!」
『この戦いで得られるものは何だ?』
「情報! 俺がチート持ちであるという情報をだなーー」
「コイツ……よくもやりやがったな……!」
最後に残った男が、懐から何かを取り出した。
キラリ。
刃物特有の、嫌な光。
ナイフだった。
スバルの笑顔が、凍りついた。
やっべ。
やっべえ。
これ、やっべえ。
『言わんこっちゃない』
「すみません俺が全面的に悪かったです許してください命だけはーー!」
「よくもやりやがったな!」
「ぎゃああああああああああああああ!!」
その後のことは、よく覚えていない。
ただ、痛かった。
異世界に来たばかりの自分が、何もできないまま地面に転がされている。
その事実だけは、嫌になるほどよくわかった。
センエースの忠告が正しかったことも。
路地裏の地面に転がり、昴は両腕で頭を庇う。
靴が飛んでくる。
拳が飛んでくる。
蹴りが飛んでくる。
抵抗する余裕など、どこにもなかった。
「ぐっ……!」
『ま、この状況を一言で言うとだなーー』
センの声が、やけにはっきりと響いた。
『ーー調子に乗るな』
「ぐうぅ……!」
正論だった。
反論の余地がなかった。
それが余計に腹立たしかった。
しかし、腹を立てている場合でもない。
このままでは、本当に死ぬ。
異世界に来て、まだ何もしていない。
魔法も使っていない。
冒険者ギルドにも行っていない。
何なら、異世界の名物すら食べていない。
なにより、親に再会出来ない。
それなのに、死ぬ。
あまりにも情けない。
あまりにも、あっけない。
ーーそのとき。
「ちょっとどけどけどけ! そこの奴ら、ホントに邪魔!」
場違いなほど明るい声が響いた。
金髪の少女が、路地裏を駆け抜けていく。
小柄な身体。
身軽な足取り。
人混みをすり抜ける動きは、獲物を追う獣のように俊敏だった。
少女は、倒れている昴を一瞥した。
「なんかスゴイ現場だけど、ゴメンな! アタシ忙しいんだ! 強く生きてくれ!」
「お、おい! 助けーー」
言い終わる前に、少女は壁を蹴り走り去っていた。
「…………」
『ほう、あの身のこなし……ここは、やはり高次法則が働いている世界。人外レベルの人間がいるようだな』
「……はは」
スバルは乾いた笑いを漏らした。
「こういう異世界チックな物事は、俺の周りだけをだな……いや、俺も内なるモノを飼っているって意味では同じーー」
「何をごちゃごちゃ言ってやがんだ! さっきから!」
「ぐほっ!」
腹に蹴りが突き刺さる。
肺から空気が抜けた。
視界が揺れる。
身体が丸まる。
痛みが、意識を塗り潰していく。
ああ。
流石に死ぬな、これ。
そう思った。
そう思ってしまった。
『選手交代するか?』
「……あ? あ、そう言えば、前も俺の体を乗っ取ってたな……」
その声だけは、妙にはっきりと聞こえた。
昴は、痛みの中で呻いた。
「お前だったら勝てんのか? ぐっ、こいつらに……!」
『知らんよ。まあ、やってみなくちゃな』
「……っ」
『どうする?』
昴は、目を閉じた。
悔しかった。
情けなかった。
それでも。
それでも、まだ。
「……選手、交代だ」
その瞬間。
スバルの身体はどろっと溶けた。
そうして構築されたその体からは、余計な力が抜けていて、呼吸が整う。
乱れていた視線が、一点に定まる。
痛みに歪んでいた表情が、嘘のように静まっていて、
顔を上げる。
そこにいたのは、先ほどまでの少年ではなかった。
「よう」
声が違った。
落ち着いていた。
男たちが、動きを止める。
「……あ?」
殴ろうとしていた拳が、宙で止まる。
明らかな異常事態。目の前の少年が、ゆっくりと立ち上がった。
上には蒼い半羽織を、下は薄い灰色で、裾は足首で絞られ、足元に生地がたるんでいる
「体の傷とかはそのまま移されるんだな。だが、俺が背負っている呪いのダメージは移されてないから、痛みなんかは、代われそうだな……というか、代われなきゃおかしい。代わるつもりなんてサラサラないけど」
傷だらけの身体。
口元には血が滲んでいる。
「この世界特有の体内の根源的生命エネルギーも、俺の方が高いっぽいな。こんな要素、初めてだ……ま、気と似てると言ったらしょっぱく思えるが……」
それなのに。
その瞳は、まるで別人のように澄んでいた。
いや、別人のようにではない、別人なのだ。
恐怖がない。
怒りもない。
ただ、目の前の状況を正確に把握し、評価している。
背には『剣翼』を、頭には天輪がついているソイツは……
ーー圧倒的威圧感がそこら中に撒き散らされてーー
「「「っ!!!???」」」
「いや、大丈夫か」
と、そんな感じだったものの、結局は助っ人が来たことにより、また身体がどろっと溶けて、スバルに主導権が移る。
『……エルフか。この世界にもいるんだな』
センの声が、頭の奥で響いた。
しかし、その声さえも、今はどこか遠い。
目の前にいたのは、銀髪の少女だった。
透き通るような髪。
紫紺の瞳。
そして、誰かを見捨てることをよしとしない、まっすぐな眼差し。
「それ以上の狼藉は見過ごせないわ。ーーそこまでよ」
少女が言った。
その手の周囲に、冷気が集まる。
空気中の水分が凍りつき、白い結晶となって浮かび上がる。
次の瞬間。
氷が、男の目の前をかすめた。
「ひっ……!」
男たちが悲鳴を上げる。そうして、スタコラさっさと逃げて行った。
魔法。
それは、昴が夢にまで見たものだった。
しかし、センは違う反応を示した。
『……なるほど。魔法か』
声に、わずかな興味が混じっている。
『しかも、精霊を使っている。珍しい世界観だな。召喚獣ってわけでもなさそうだ』
「……魔法?」
スバルは呆然と呟いた。
さらに、少女の肩のあたりから、小さな猫のような生き物が姿を現す。
少女が、こちらを向いた。
「……動かないで」
「……っ」
その声に、スバルは思わず目を逸らした。
『お前、まさか……』
「やましいことがあるから目を逸らす。私の目に狂いはないみたいね」
「どうかな。今のは男の子的な反応であって、邪悪な感じはゼロだったけど」
「パックは黙ってて」
少女は猫を黙らせると、スバルに向き直った。
「あなた、私から徽章を盗んだ相手に心当たりがあるでしょ?」
「期待されてるところ悪いけど、全然知らない」
「嘘っ!?」
少女は、本気で驚いていた。
その顔を見て、スバルは思った。
……なんだ、この子。
美少女だ。
間違いなく、美少女だ。
しかも、魔法が使える。
喋る猫までいる。
ここは異世界。
そして、自分は異世界転移者。
となれば。
これは、あれだ。
運命の出会い。
そういうやつではないだろうか。
『スバル』
「ん?」
『浮かれるなよ』
「……うっせ」
かくして、スバルは銀髪の少女と行動を共にすることになった。
少女は、徽章を盗んだ犯人を追っているらしい。
そして、その犯人が逃げ込んだ先が、盗品蔵だった。
……なるほど。
ここから、冒険が始まるわけだ。
スバルは、密かに拳を握りしめた。
今度こそ、格好いいところを見せてやる。
そんな決意を胸に、彼は少女の後を追った。
『行動は機敏に行った方がいい。さっさとするぞ』
「うっせ。いや、否定はしないから、まあ、さっさといくけど」
「ねえ、スバル。さっきから独り言を言ってるけど、それって何なの?」
猫ーーパックが、不思議そうに尋ねてきた。
昴は、一瞬だけギョッとして、
「あ、これはだな……まあ、イマジナリーなフレンズと一緒ってことで、一つ話をつけようぜ」
そんなやり取りをしながら、二人と一匹は盗品蔵へと向かった。
空は、すっかり夜の色に染まっていた。
街の喧騒が遠ざかる。
人通りも減っていく。
そして。
『……嫌な予感がする』
「は?」
センが、珍しく真面目な声を出した。
スバルは、その言葉に眉をひそめる。
「何だよ、急に」
『俺のこう言う予感はまあ、50%当たる』
「2分の1か……いや、よく当たるほうなのか?」
『いや、解釈を変えれば当たった気がするし、解釈を変えなかったら当たらなかったなと言う意味で50%だ』
「……はぁ……」
そう言いながらも、そのスバルの声には、いつもの軽薄は薄らいでいた。
盗品蔵の扉を開ける。
ギィ、と。
古びた蝶番が、嫌な音を立てた。
中は暗かった。
月明かりが差し込んでいる。
床には、何かが散乱していた。
布切れ。
木箱。
割れた陶器。
そして。
「…………」
昴の足が止まった。
床に、べったりと付着した液体。
最初は、何かの油かと思った。
しかし、違った。
鉄のような臭い。
暗がりの中でもわかる、赤黒い色。
血だった。
「……な、何だよ……これ」
喉が、ひゅっと鳴った。
嫌な予感がする。
これは、まずい。
そう思った瞬間、奥から悲鳴が聞こえた。
「ーーっ!」
スバルは、走った。
何も考えずに。
センエースの制止も聞かずに。
ただ、身体が動いていた。
奥の部屋。
そこにいたのは、黒い外套を纏った女だった。
女は、こちらを見た。
笑っていた。
まるで、獲物が自分から飛び込んできたことを喜ぶかのように。
ああ、見つけてしまったのね」
女の声は、妙に優しかった。
「まだ、最中なのに。それじゃ仕方ない。ええ、仕方ないのよ」
次の瞬間。
女の姿が、消えた。
「――え?」
何が起きたのか、理解する暇もなかった。
腹部に衝撃。
遅れて、全身が大きく揺れる。
「――っ、が……!」
息ができない。
吸おうとしても、肺が言うことを聞かない。
身体の中心、腹から、異様な熱が広がっていく。
熱い。
熱い、熱い。
いや、これは熱なんかじゃない。
痛い。
痛い。
痛い。
痛みを理解した瞬間、スバルの身体から力が抜けた。
膝が折れる。
手をつこうとしたが、腕が動かない。
地面が迫る。
顔がぶつかった。
固い。
冷たい。
それなのに、身体の内側だけが燃えているように熱い。
タチの悪い対比は、まだまだ終わらなかった。
「……っ、は……」
声にならない息が漏れる。
呼吸をしようとするたび、胸の奥が嫌な感覚を訴えてくる。何度も空気を取り込もうとするが、まともに吸えない。
自分の身体が、自分のものではなくなっていく。
指先が遠い。
腕も遠い。
足も、もうどこにあるのか分からない。
ただ、腹部だけは異常なほどはっきりと存在を主張していた。
そこに意識を向けるだけで、頭の中が白くなる。
ーーああ。
ーーこれ、ヤバいやつだ。
ようやく、そんなことを考えた。
『あー、こりゃヤバそうだな』
センエースの声だけが、妙に冷静だった。
『選手交代するぞ。いいだろ? こんな有様じゃ、お嫁にいけねえぞ』
「……そ、れで……」
スバルは、震える唇を動かした。
声を出すことすら難しい。
「……何か、変わるのかよ……」
視界が明滅する。
目の前の景色が、見えたり、見えなくなったりする。
意識を保とうとしても、頭の中に靄がかかっていく。
「……もう、詰み……だろ……」
『知らねえよ』
投げやりな声。
いつものセンだった。
向こうにもダメージはあるはずだ。
こちらの身体を通じて、尋常ではない衝撃を受けているはずだ。
それなのに、声には全くの焦りもない。
まるで、まだどうにかなると本気で思っているような調子で、
『だが、まだ終わってねえ。それは、ここまで積み重ねてきたお前がよーく知ってるはずだ』
「……あた、ま、悪いんじゃねえの……?」
スバルは、顔を上げようとした。
動かない。
首に力が入らない。
それでも、どうにか視線だけを前へ向ける。
女がいた。
黒い外套。
手に持ったククリナイフ。
刃に付着した赤い色。
そして、その奥にいる少女の姿。
見えた。
ちゃんと、見えた。
あの子は、まだそこにいる。
――よかった。
そんなことを思った。
自分の身体がどうなっているのか、もう正確には分からない。
息をするのも苦しい。
指先の感覚も薄れている。
このまま意識が途切れたら、次に目を覚ませる保証なんてない。
それでも。
それでも、あの子だけは。
どうか。
どうか、あの子が。
ひどい目に遭いませんように。
そんな願いが、最後に残った。
『おい』
センの声がした。
『聞こえてるか、スバル』
「…………」
『返事くらいしろよ。まあ、別にいいけど……今回の件は俺案件だ。別に、お前を苦しめたい訳ではないから、気を失ったら同意を得ずとも好きにさせてもらうぜ? この時間、無駄だからさっさと承諾してほしい所だが』
いつもの調子だった。
いつも通り、ふざけているようで。
いつも通り、こちらを少しだけ、ほんのちょっぴり気にかけているようで。
だから、少しだけ安心した。
まだ、終わっていない。
けれど、もう自分の意識を保つことすら難しい。
目の前が暗くなる。
音が遠ざかる。
身体の感覚が、一つずつ消えていく。
ーーああ。
ーーもう、限界だ。
スバルは、最後に一度だけ息を吸おうとした。
うまくいかなかった。
だから、それでも、口を開く。
「……選手、交代だ」
☆
女は、首を傾げた。
先ほどまで、痛みに喘いでいた少年。
今にも意識を失いそうだった少年。
その少年が、突然、静かになったから。
「……?」
チラリと、背後のソレを見る。
呼吸が変わった。
目つきが変わった。
身体の重心が変わった。
そして何より。
「誰……あなた……?」
傷の位置は同じの、異なる少年の腹部にあった傷が、塞がっていっているようで。
裂けた皮膚が寄り合わさる。
傷口から流れていた血が止まる。
失われたはずの肉体が、何事もなかったかのように元の状態へと戻っていく。
勿論。
半端織があるので再生箇所は見えないのだが、男が、おそらく自分のまろび出た内臓を素手でかき集めていたようなのと、純粋に腹の部位がなにやらモコモコしているので気づいた。
そうして、自分の腸をしまい込んだ、そうして、真っ赤に染まったその手首から先を、惜しげもなく晒しこんでいる。
普通に、色々、猟奇的である。
「……治癒魔法?」
女が呟いた。
少年は、ゆっくりと顔を上げた。
「残念」
よっこらしょと立ち上がり、
「ただの根性だ」
「……え?」
「脳が肉体に課している生理的な制限を、精神の力で殺した。そんだけ」
「……何を言っているの?」
「さらに、脳が分泌するホルモンや神経伝達物質が、通常ではあり得ない働きをする。幹細胞が異常なメキメキ分化し、細胞外マトリックスの急速な再構築によって、再生した細胞が組織として結合する。結果、俺の腹の傷は塞がった。以上、時間稼ぎ終了」