Simulation of the Simulacra → SALVATION PARADOX ← さあ、答え合わせに行こうか   作:ゼノリカの名もなき宣教師

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一章 田中トウシ編 憑依したのは究極の天才
1話:究極の天才が憑依している


 

菜月昴は、暗がりの深夜の道を歩いていた。

 

 目的は特にない。ただ単に、体を動かしたかった……それだけ。疲れても、足は止めずに、痛めつけるように動かす。

 

 夜風が頬を撫でる。肌寒さを感じる季節でもないのに、額から流れた汗が妙に冷たくて。

 

 もう、どれくらい歩いただろうか。

 

 時計を見る気にもなれなかった。時間を確認したところで、明日がやってくることに変わりはない。明日になれば、またいつも通りの一日が始まる。

 

 学校に行き、授業を受け、周囲から褒められ、帰宅する。

 

 それだけだ。

 

『お前も、もうそろそろ人生を見つめ直す時って思っとるやろ?』

 

「……」

 

『18歳になった。人生も、うん……まあ、それなりに上手くいっとる』

 

 自身の中に響く、第二の声に、昴は耳を傾けない。それが正論だって知っているから。自分を慮っているということを知っているから。

 

 だからこそ、聞きたくなかった。

 

「うっせえよ……」

 

『知らんぷりしても、現実は何も変わらんで。もっとも、お前の最大の不幸はワシが中にいることなのかもな』

 

「……どうして?」

 

『ワシは、お前が気づきを得る場面をなくしてしまったのかもしれん。人は、気づくことで成長するから』

 

「んな事いうんじゃねえよ! お前のおかげで、俺は……」

 

 言葉は続かなかった。

 

 何を言えばいいのか、自分でもわからなかったから

 

 お前のおかげで、幸せになれた。

 

 お前のおかげで、みんなに認められた。

 

 お前のおかげで、人生が楽しくなった。

 

 ……どれも、嘘だった。

 

 いや、嘘ではないのかもしれない。実際、凄い体験はして、興奮したし、周囲からの評価は上がった。親は喜んでくれたし、友人だって自分を褒めてくれた。

 

 それなのに、どうして。

 

 どうして、こんなにも空っぽなのだろう。

 

 菜月昴は、万能の超人だった。自称はしていない。ただ、他称ではそうだった。

 

 もっとも、その言葉を聞くたびに、昴は昔の自分を思い出す。

 

 父親の菜月賢一。

 

 何をやっても目立つ男で、誰とでも仲良くなれて、周囲を笑わせることができる人間。

 

 幼い頃の昴にとって、父親は自慢だった。

 

 そして、同時に。

 

 いつか自分も、あんなふうにならなければならないと思わせる存在だった。

 

 もし、何もかもが上手くいかなかったなら、昴はどこかで立ち止まっていたのかもしれない。

 

 だが、自分は違った。

 

 立ち止まる前に、正解を手に入れてしまった。

 

 何をやっても上手くいく自分。

 

 父親にも褒められ、友人にも一目置かれ、教師からも期待される自分。

 

 欲しかったはずのものは、全部あった。

 

 なのに。

 

 それを手に入れたのは、本当に自分だったのだろうか。

 

 何をするにも上手くいった。何をしようにも上手くいった。

 

 勉強も、運動も、人付き合いも。

 

 努力すれば報われる、などという段階ではなかった。努力する必要すらないことの方が圧倒的に多かった。

 

 ただ、そこにはいつも、虚無感ばかりが広がっていて……

 

「なあ、お前は俺の命令に逆らえない……んだよな?」

 

『ああ、無理やな。そういう風になっとる。体を代わったとしても、隷属が解けなくなるわけやないし、そもそも、それはお前の人生とは言えん』

 

「なら、お前に悪いところなんて一つたりともねえよ。ただ、俺が……」

 

『お前、今日、またテストでワシを使ったカンニングしたの、気にしとるんか?』

 

「……」

 

『それとも、運動能力テストでーー』

 

「や、やめてくれ……もう、やめてくれ……」

 

 思わず、耳を塞ぎそうになった。

 

 もちろん、耳を塞いだところで意味はない。トウシの声は外から聞こえているわけではないのだから。

 

 それでも、そうせざるを得なかった。

 

『まあ、全部なんやろうな』

 

「……」

 

 菜月昴が万能の超人と呼ばれた所以。

 

 それは最初、ただ単に、自身に居座る男、『田中トウシ』の力を試したいだけだった。自分だけに居座る男の力を。

 

 どんなことができるのか。

 

 どこまでできるのか。

 

 もしかしたら、自分の知らない世界を見せてくれるのではないか。

 

 そんな好奇心だった。

 

 それは大成功した。

 

 テストはオールで満点。試しで出場した数学、物理、化学、生物、地学オリンピック、どれも満点で金メダル。全世界の皆が噂した。

 

 各種メディアも総立ちで昴を褒め称える。

 

 最初は、ただの遊びだった。

 

 ただほんの少しだけ、力を借りるつもりだった。

 

 だが、一度成功してしまえば、次も成功させたくなる。次も成功すれば、その次は失敗したくなくなって、

 

 そうして、中身のない空っぽな実績だけが積み重なっていった。

 

 自分の実績だけを理由にしている友達……もいた。素直に喜んでくれる親もいた。

 

 全員が、自分の実績を褒め称えた。

 

 すごいな。

 

 大天才だな。

 

 お前なら何でもできるな。

 

 その言葉を聞くたび、昴は笑った。

 

 笑うことしかできなかった。自分を相手に、笑い続けて……

 

 なにをするにも、命令をしたら、田中トウシはしてくれる。

 

 なにをしても、命令をしたら、田中トウシはやってくれる。

 

 なにをやっても、命令をしたら、田中トウシは解決する。

 

 なら、自分が頑張る必要なんてあるのだろうか。

 

 自分が悩む必要なんてあるのだろうか。

 

 自分が失敗する必要なんてあるのだろうか。

 

 ……今更、やめられるかよ。

 

 まるで、麻薬に犯された人間のように、菜月昴は田中トウシを手放せなくなっていた。

 

 使わなければ、自分の実力が露呈する。

 

 使わなければ、今までの評価が崩れる。

 

 使わなければ、周囲の期待に応えられなくなる。

 

 そして何より、使わなければ、自分が何者なのかさえわからなくなる。

 

 そんな恐怖が、昴を縛りつけていた。

 

 できない自分を認められずに強がる人間がいるのだとすれば。

 

 昴は、できる自分を信じられずに強がっていた。

 

 違いは、そこだった。

 

 周囲の評価は正反対。

 

 だが、その評価に見合う人間でありたいと願う気持ちは、どこか似ている。

 

 そして、その願いが強すぎるあまり、誰かの目に映る自分を、自分自身よりも大切にしてしまうところも。

 

『ワシという力を手にして、強靭な理性を発揮できる奴なんてそうおらん』

 

 ゆったりとした口調で、トウシは話す。

 

「だけど……っ。全部俺が……」

 

 自分で命令した。

 

 自分で力を借りた。

 

 自分で、何度も繰り返した。

 

 誰かに強制されたわけじゃない。トウシは命令に逆らえないが、命令をするかどうか、それは自分で決められた。

 

 なら、悪いのは自分だ。

 

 その結論だけは、どうしても覆せなかった。

 

『褒められるのは、心地ええかもしれんけど、なにより、1番にあるのは次もそうしなきゃいけないって義務感なんやろ? それが嫌って思いもきちんとある。なら、お前はまだ再起できる。少なくとも、ワシはそう信じてい』

 

 菜月昴が一番、田中トウシの嫌に思っているところ。

 

 それは、こういうところだった。

 

 いつまでも、どんなことをしても、最後には、好転させるために言葉を投げかける。

 

 どれだけ自分が情けなくても。

 

 どれだけ自分が間違っていても。

 

 どれだけ自分自身を嫌いになっても。

 

 最後には、暗にまだ頑張れと言ってくる。

 

 自分を1番わかっている人間だから、そういう、わかったつもりになりやがって、なんて言葉も言えなくて。

 

 何も言い返せない自分が、また嫌になった。

 

 昴は歩き続けた。

 

 気がつけば、コンビニの明かりが目に入ってきて、

 

 自動ドアが開くと、冷房の効いた空気が肌を撫でる。棚に並ぶ商品を眺め、スナック菓子とカップラーメンを買った。

 

 店員に礼を言われ、曖昧に会釈をし、頭を下げる。

 

 たったそれだけのやり取りなのに、どうしてか、ひどく疲れた。

 

 袋を提げて店を出る。

 

 そして、再び夜道を歩き始めた。

 

「なあ、トウシ……」

 

『なんや?』

 

「今更、俺にお前を手放すのなんて無理だ……」

 

 口にした瞬間、胸の奥が痛んだ。

 

 情けない言葉だった。

 

 自分を苦しめている原因を理解しているのに、それを手放せないと認めているのだから。

 

 変わりたい。

 

 こんな自分は嫌だ。

 

 それなのに、変わるために必要なものを、自分から捨てることができない。

 

『安い言葉になったもんやけど、諦めたらそこで試合終了やで?』

 

「……だからな」

 

 昴は息を吸い込み、

 

「お前に比肩する存在になってやる。お前に劣らない存在になってやる。お前に、負けない俺になってやる。それでようやく、自分を認められる気がする」

 

 口にした言葉は、思っていた以上にすんなりと出てきた。

 

 ずっと、考えていたのかもしれない。

 

 トウシに勝ちたい。

 

 トウシと同じ場所に立ちたい。

 

 自分の力で、トウシに並び立ちたい。

 

 そうすれば、少しは自分を好きになれる気がした。

 

『ほう……現状の問題点は、お前がワシの力に依存しとること、自分の実力で成功した経験がないこと、そして具体的な計画もなしに、精神論だけで解決しようとしている所や。それで、解決出来るんか?』

 

「……やっぱ、お前って正論好きだよな……」

 

 思わず、苦笑が漏れる。

 

 わかっていた。

 

 こいつが、こんな答えを返してくることくらい。

 

『正論が好きって言うか、ただの事実確認や。そしてな、最大の問題点はーー』

 

「……なんだよ……」

 

『ーー自分の価値をまだワシとの比較で決めようとしとることや』

 

「……じゃあ、どうすりゃいいんだよ」

 

『そこをワシが答えたら、また同じことの繰り返しやろ』

 

「……っ」

 

『いや、今のも半分は答えやったな』

 

「……」

 

『お前が何をしたいか、ワシには推測できる。お前が何を怖がっとるかも、かなりの精度で当てられる。せやけどな』

 

 そこで、トウシは言葉を切った。

 

『お前が何を選ぶべきかまで、ワシが決めてええわけやない』

 

「……」

 

『ワシが賢いことと、お前の人生の正解を知っとることも、たとえ知っていてもお前の人生の正解を話していいのかも、全く別や』

 

「……」

 

 何も言い返せなかった。

 

 言い返せるはずがなかった。

 

 結局、自分は何も変わっていないのだ。

 

 トウシに依存するのをやめたいと言いながら、トウシに勝つことを目標にしている。自分の人生を取り戻したいと言いながら、自分の価値を決める基準を、相変わらずトウシに委ねている。

 

 何もかもが、矛盾していた。

 

『おっと、これやとまた気づき、思考の余地を与えられへんな。反省や』

 

 また、昴は意気消沈した。

 

 結局、こうなる。

 

 言い合いとか、討論とか、そういうのでコイツに勝てる奴は多分いない。

 

 自分が何時間も悩んで出した結論を、こいつは1秒もかからず解体してしまう。

 

 間違ったことも言っていない。

 

 だからこそ、腹が立つ。

 

 間違っていると言えれば、どれほど楽だっただろう。

 

 お前のせいだと責められれば、どれほど楽だっただろう。

 

 でも、トウシは自分の言葉を曲げない。昴を傷つけるために言っているのではなく、ただ事実を伝えているだけだから。

 

 自分の決意が無駄になったような気がした。

 

 また、今までとは別の虚無感が湧いて出てきて、胸の中に広がっていく。

 

 結局、自分は何をすればいいのだろう。

 

 どうすれば、自分を認められるのだろう。

 

 どうすれば、こいつの力に頼らずに生きられるのだろう。

 

 考えても、答えは出なかった。

 

 夜道は相変わらず暗かった。

 

 街灯が照らす範囲だけが白く浮かび上がり、その先には、何があるのかもわからない闇が広がっている。

 

 その時だった。

 

「っ!?」

 

 目の前が弾けた。

 

 光が視界を覆い、思わず目を細める。

 

 何が起きたのか、理解する暇もなかった。

 

 夜の静寂が、音を立てて崩れていく。

 

「……ぁ?」

 

 空は晴天、雲一つ……とは言わないが、曇りではない。

 

『んー、なんかとんでもないことになったな。世界観、変わりすぎちゃう? いや、元よりワシみたいな存在がいる時点でおかしな世界やったやけど』

 

 中から聞こえたのは、冷静な声。それのおかげで、なんとかスバルは気を取り戻す。

 

「お、おい……これってまさか……」

 

『異世界転移の可能性が高いな。せやけど、まだ断定はせん。幻覚か、転送か、空間そのものが変わったのか……そんなことは現実の前では今はどうでもええか。まずは安全確認や』

 

「あ、ああ」

 

 スバルは相変わらず、トウシの指示に従っていく。

 

 まず、身体に異常がないかを確かめる。

 

 次に、周囲の人間の反応を観察する。

 

 こちらを見て騒ぐ者はいない。少なくとも、突然現れた異物として注目されているわけではなさそうだった。

 

『ええか。今わかっとるんは、見知らん場所にいることと、周囲の人間が普通に生活しとることだけや。異世界かどうかは、その先の話や』

 

「……お前、こういう時でも慎重だよな」

 

『こういう時やから慎重なんや。わからんことが多い時に、わかった気になるんが一番危ない』

 

 そう言われて、スバルは店の看板へ視線を移した。

 

「わ、わからねえ文字だ……さ、最悪……」

 

『ふむ』

 

 とある軒先にある店を発見した。そこのしっかりとしたメニューボードをみて、文字が日本語かどうかを確認するが……案の定、

 

「に、日本語じゃねえ……」

 

『いや、日本語に比較的近しい言語やな』

 

「どう言うことだ?」

 

『……まず、価格表らしいな』

 

「……は?」

 

『数字に見える記号がある。で、その横に短い文字列が繰り返されとる。売り物の名前と値段が並んどると考えるんが自然な発想』

 

「いや、自然って言われてもな……」

 

『ただし、値段の単位はまだわからん。食べ物らしい絵もあるけど、絵と文字の対応も確定やない。まだ読めんな。もしそこまで言うたら、そらただのハッタリ……』

 

「お前がハッタリを警戒する側なの、なんか新鮮だな」

 

『ワシは嘘が嫌いなんやなくて、精度の低い判断が嫌いやねんなぁ』

 

 トウシは、そう言ってから、少し黙った。

 

 その間にも、通りを歩く人々の会話が耳に入る。

 

 店主が客を呼び止める声。

 

 客が値段を尋ねる声。

 

 何かを指さし、笑い合う声。

 

『……今、右の客が指さした商品。店主が同じ単語を二回使うた。看板の右端にある文字列と、音の長さが近い』

 

「は? それが何だってんだよ」

 

『候補が一つ減った』

 

「……候補?」

 

『意味の候補や。言語は文字だけでできとるわけやない。音、身振り、状況、反応。使える情報は全部使う』

 

 そこまで言われて、昴はようやく気づいた。

 

 トウシは、文字を見ているだけではない。

 

 文字を読もうとしているのですらない。

 

 この街で行われている、無数のやり取り。

 

 それらを、一つの巨大な問題として処理している。

 

『さっきの店主が、客に商品を渡した。客が銅色の硬貨を二枚出した。看板の数字に見える記号と対応しとる。ここはかなり確度が高いな』

 

「おい待て。今の一瞬で、そこまで見てたのか?」

 

『見たんはお前の目や。ワシは、その情報を整理しただけやで』

 

「それを『だけ』って言うな!」

 

『ほな、仮訳してみるか。……この店、何かの記念で値引きしとるらしい。料理名はまだ怪しいけど、野菜の炒め物と、果物の甘い料理っぽいな』

 

「……いや、普通にすげえよ」

 

『まだ全然や。固有名詞はほぼ未確定。文字の読みも仮置き。別の看板で検証して、外れた仮説は捨てる』

 

「なんでそんな冷静なんだよ。俺ならもう天才宣言してるぞ」

 

『せやから、お前はワシに頼りすぎるんやろ』

 

「ぐっ……」

 

『ワシの推測をそのまま信じるな。お前自身で確認できるところは確認せえ。それが、ワシの間違いを見つける一番簡単な方法になる』

 

「……お前でも間違えるのか? なんか想像つかねえ」

 

『そら間違えるやろ。情報が足りん時は特にな。どんだけ計算が速うても、間違った前提から正しい結論は出えへん。勘で当てるって言うのもあるけど、最終手段やからな』

 

 トウシはそう言ってから、

 

『それに、まずは生き延びることや……最悪の事態には陥らんとけばええんやが』

 

「……お前がいう最悪の事態ってガチで最悪の事態っぽいな。一応聞く。どんなんなの?」

 

『この世界の特有の奇病にかかって即死』

 

「スペランカー!?」

 

『無駄に不安にさせたくないから言っとらんだけで、この世界の伝染病とかの抗体を持っとらんやろうから、簡単な病気の悪化とか、一般的に考えたら、それ原因で普通に死ねるで。まあ、そこら辺は勘弁されるように祈っとくしかない』

 

「し、知りたくなかったぜ、そんなこと……」

 

『だから、遺言だけでも書けるように文字は勉強しような』

 

「文字を勉強する理由が、遺言を書く為ってのは、肝が座ってんだか、アホなんだか……」

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