カンムリ雪原で起きた、あの騒動から二日が経過した。
マックスダイ巣穴で発生した異常なエネルギー反応は、現在のところ落ち着いているらしい。
空を引き裂くような光も、地面を揺らす不気味な振動も、あれ以来確認されていないという。
調査員たちも、ひとまず胸を撫で下ろしているそうだ。
……ただし。一つだけ、解決していない問題がある。
そう、あのフェローチェである。
あの日、巣穴から飛び出してきたウルトラビースト。
圧倒的な素早さで雪原を駆け抜け、あっという間に姿を消してしまった、あのポケモン。
調査員たちは周辺の捜索を続けているものの、いまだに発見できていないらしい。
……いやぁ、困りましたねぇ。
前世であれば、あれだけ欲しかった色違いフェローチェ。
画面に現れた瞬間、発狂しながらボールを投げていたことだろう。
しかし、今回ばかりは事情が違う。
あの子は、俺の知っているゲームのフェローチェではない。
少なくとも、俺の指示を待ってくれる存在ではない。
知らない世界に放り出され、何もわからないまま逃げ続けている、一匹のポケモンなのだ。
……そして。
俺は、あの子が最後に見せた表情を忘れられずにいた。
♦
「……まだ見つかっていないのかい?」
おばあちゃんが、通信端末を片手に呟いた。
朝食を終えたばかりのリビング。
暖炉では薪が静かに燃えており、その前ではムーちゃんが丸くなっている。
……お前、もう完全に定位置になってるな。
たまには外の空気も吸おうぜ?
いや、寒いけど。
「ええ……そうなんですか」
おばあちゃんは、しばらく相手の話を聞いていた。
「わかりました。無理はしないでくださいね」
通話が終わる。
「……おばあちゃん?」
「なんだい、リンちゃん」
「あのポケモン、まだみつからないの?」
おばあちゃんは、少しだけ困ったような顔をした。
「そうみたいだねぇ」
「……そっか」
「調査員さんたちも探しているんだけど、あんまり足が速くて、なかなか見つけられないんだって」
……まあそりゃそうだろうな。
何しろ、フェローチェの素早さ種族値は151。
対する、我が相棒グソクムシャ。
素早さ種族値40。
……差がえぐいんよ。
いや、知ってたよ?
対戦では何度も使ってたから、当然知ってた。
でも、実際に目の前で動かれると話が違う。
あの速さ。
人間どころか、普通のポケモンですら目で追うのが難しい。
仮にムーちゃんと追いかけっこをさせたとして。
よーい、ドン!
フェローチェ、瞬間移動みたいな加速。
ムーちゃん、頑張って走る。
俺、置いていかれる。
無理ゲーにもほどがある。
そもそも勝負にならない。
開始三秒で敗北確定である。
しかし。
「……おばあちゃん」
「うん?」
「はやくはしれるのに、どうしてつかまらないの?」
「……どういうことだい?」
「だって、ずっとはしってたら、つかれちゃうでしょ?」
おばあちゃんは、少しだけ目を見開いた。
……そう、そこなのだ。
あのフェローチェは、確かに速い。
でも、無限に走り続けられるわけではない。
疲れれば休むし、お腹だって空く。
ましてや、ここはカンムリ雪原。
雪と氷に覆われた、慣れない土地である。
どれほど強いポケモンでも、休息なしに生きていけるはずがない。
「……どこかで、やすんでるんじゃないかな」
俺がそう言うと、おばあちゃんは静かに頷いた。
「……そうかもしれないねぇ」
そして、窓の外へ視線を向ける。
「それなら、あの子が安心して休める場所を探してあげないといけないね」
……そうか、追いかけるんじゃない。
隠れていそうな場所を探せばいいのか。
♦
その日の昼。
おばあちゃんは、以前お世話になった調査員のお姉さんに連絡を取ってくれた。
フェローチェの捜索について、何か協力できることはないか。
そう相談してくれたのである。
もちろん、俺が危険な場所へ入ることは許されない。
そこは絶対条件。
ママンからも、パパンからも、何度も念を押されている。
……ちなみに。
「リン、本当に危ないことはしないんだな?」
「しない!」
「勝手にポケモンを追いかけたりしないな?」
「しない!」
「調査員さんの指示には従うな?」
「うん!」
パパンが真剣な表情で確認してくる。
……いや信用なさすぎません?
俺、そんなに危険人物扱いされてる?
……ヨロイ島でのウッウロボ騒動。
バウタウンでの草むらレベリング。
数々の色違い厳選未遂。
…………残当、反論の余地なし。
これは完全に自業自得である。
「……約束できるか?」
「できる!」
「……よし」
パパンは俺の頭を撫でた。
「じゃあ、父さんも一緒に行こう」
……おお、ありがたい。
やはり持つべきものは理解のあるパパンである。
♦
調査員たちが設けた臨時詰め所。
そこでは、数人の大人たちが地図を囲んで話し合っていた。
「あら、リン君」
「こんにちは!」
「ふふっ。今日も元気ね」
以前、ウルトラホールについて話したお姉さんが出迎えてくれた。
……うむ、どうやら覚えていてくれたらしい。
「それで、今日はどうしたの?」
「フェローチェ……じゃなくて、あのポケモン!」
「……フェローチェ?」
……おっと、しまった。
普通に名前言っちゃった。
いや、待て。
俺が名前を知っていること自体は、別におかしくない。
アローラ地方の研究資料に載っているポケモンだし。
たぶん……うん、きっと大丈夫。
「そのポケモン、まだみつかってないんでしょ?」
「……ええ。残念だけど」
「だったら、かくれそうなところをさがしたらどうかなって!」
女性は、少し考えるように顎へ手を当てた。
「隠れそうな場所?」
「うん!」
俺は机の上に広げられた地図を見た。
カンムリ雪原。
広大な雪原と岩山。
凍った湖。
そして、いくつもの入り組んだ地形。
……ふむ。あのフェローチェが、今どこにいるのか正直見当もつかない。
ただ。もし俺が、突然知らない世界へ放り出されたら。
何もわからない場所で、知らない人間たちに追いかけられたら。
……どこへ逃げるだろう。
「……ひとが、あんまりこないところ」
「……うん?」
「それで、かぜがあたらなくて、あったかいところ!」
女性が、地図へ視線を落とす。
「……なるほど」
隣にいた調査員も、頷いた。
「確かに、あのポケモンが寒さに慣れていないなら、風を避けられる場所を選ぶ可能性はありますね」
「巣穴の周辺には、岩陰や洞窟も多いですし……」
……おっ、採用された。
俺の提案、採用されたぞ!
しかし、ここで一つ問題がある。
隠れられる場所なんて、いくらでもあるのだ。
一つずつ探していたら、何日かかるかわからない。
……そこで。
「……ムーちゃん!」
「グソ?」
俺は、隣にいる相棒を見た。
「ムーちゃんだったら、どこにかくれる?」
…………。
ムーちゃんが、首を傾げた。
そして、少しだけ考えるような仕草を見せる。
「グソ……」
……うん、わからないよね。
そりゃそうだ。
突然そんなことを聞かれても困るだろう。
……でも。
ムーちゃんは、もともと怖がりなポケモンである。
小さなコソクムシだった頃から、危険を感じると岩陰や草むらへ逃げ込んでいた。
その習性は、グソクムシャへ進化した今でも残っている。
だからこそ。怖がっている相手が、どんな場所を好むのか。
それを考える手がかりになるかもしれない。
「……リン君」
調査員のお姉さんが、少し驚いたように言った。
「そのグソクムシャ、怖がりなの?」
「うん!」
「……そうなのね」
女性は、ムーちゃんを見つめた。
「だったら、この子の行動を参考にするのもいいかもしれないわね」
まさに、それである。
ムーちゃんの怖がりな性格。
以前の俺なら、弱点だと思っていたかもしれない。
でも今は違う。
危険を察知する能力も、逃げ道を探す能力も。
全部、立派な強さなのだ。
……師匠。
俺、ちゃんと教えを活かしてるよ。
♦
それから、しばらくの時間が経過した。
調査員たちは地図を確認し、過去の観測情報を整理していた。
フェローチェが最後に確認された場所。
そこから続く岩場。
風の流れ。
人や野生ポケモンが少ない地域。
そして、寒さを凌げそうな場所。
いくつかの候補が挙げられる。
その中に、一か所だけ気になる場所があった。
「……ここ」
俺は、地図の端にある小さな印を指差した。
「ここ、なに?」
「ああ。そこは昔使われていた作業小屋の近くね」
……作業小屋?
「今はほとんど使われていないんだけど、近くに地熱で温められた水が流れる場所があるのよ」
……ほう。
人が少ない、風を避けられる。
しかも、近くに温かい水。
怪しくない?
いや、怪しいというか。
もし俺が寒さに弱かったら、そこへ行きたいと思う。
……まあ。
俺ならおばあちゃんの暖炉の前に直行しますけどね。
ムーちゃんと一緒に。
「……そこ、あやしくない?」
俺がそう言うと、女性は頷いた。
「そうね。候補には入れておきましょう」
そして、別の調査員に声をかける。
「周辺の安全を確認してから、遠隔カメラを回せますか?」
「わかりました。確認してみます」
……よし、あとは大人たちに任せよう。
俺が現場へ行ったところで、できることは限られている。
それに。
あのフェローチェが、本当にそこにいるかどうかもわからないのだから。
♦
――それから、およそ一時間後。
「……反応がありました!」
詰め所の奥から声が響いた。
……ん?
「作業小屋付近のカメラに、何か映っています!」
……え、マジ?
俺は思わず顔を上げた。
調査員のお姉さんが、端末の画面を覗き込む。
そこには、雪に覆われた岩場が映っていた。
大きな岩。
風を遮る地形。
そして、その奥にある古びた小屋。
……あ、いた。
岩陰に、小さな影が見える。
細長い四肢。
特徴的な頭部。
そして、通常個体とは違う色彩。
フェローチェだ。
「……見つかった……!」
思わず呟いた。
調査員たちも、安堵したように息を吐く。
だが、次の瞬間。
「……これは」
女性の表情が曇った。
……ん?どうしたんだ?
「……あまり動いていませんね」
別の調査員が言った。
「外傷は確認できませんが、かなり消耗しているように見えます」
……消耗?
俺は、もう一度画面を見た。
フェローチェは岩陰に身を寄せていた。
時折、周囲を警戒するように顔を上げる。
しかし、すぐに身体を丸めてしまう。
あの日の、目にも留まらぬ速さはどこにもなかった。
……ああ、そうか。
ずっと逃げていたんだ。
知らない場所で、知らないポケモンたちに囲まれて。
誰も信用できないまま。
寒さに震えながら。
胸が、少しだけ苦しくなった。
♦
その後、調査員たちは慎重に保護の準備を進めた。
フェローチェの近くには、無理に近づかない。
まずは周辺の安全確認。
そして、食べ物と水を用意する。
刺激しないよう、遠くから様子を見る。
そういう方針になった。
俺も、おばあちゃんとパパンに付き添われ、安全な観察場所からその様子を見せてもらうことになった。
もちろん、フェローチェへ直接近づくわけではない。
間には十分な距離があり、何かあればすぐに避難できるようにしてある。
……それでも。
実際に目の前で見ると、胸が締めつけられた。
「……フェロ」
小さな鳴き声。
岩陰に身を寄せる、色違いフェローチェ。
その身体は、微かに震えていた。
……ああ。
やっぱり、寒いんだな。
……怖いんだな。
「……リン」
パパンが、俺の肩に手を置いた。
「大丈夫か?」
「……うん」
俺は、小さく頷いた。
そして、ムーちゃんを見た。
「……ムーちゃん」
「グソ?」
「……あのこ、こわいんだって」
ムーちゃんは、しばらくフェローチェを見つめていた。
そして。
「……グソ」
静かに頷いた。
……うん、そうだよな。
ムーちゃんには、少しだけわかるのかもしれない。
怖くて。
逃げたくて。
でも、どこへ行けばいいのかわからない。
そんな気持ちが。
♦
調査員たちは、あらかじめ用意したきのみと水を、フェローチェから離れた場所へ置いた。
そして、ゆっくりと後退する。
……しばらくの沈黙。
フェローチェは動かない。
ただ、警戒するように周囲を見回している。
……食べないのか?
無理もない。
突然現れた知らない人間たち。
そこに置かれた、見知らぬ食べ物。
簡単に信用できるはずがない。
俺は、そっとムーちゃんの装甲に触れた。
「……ムーちゃん」
「グソ?」
「……まってようね」
「グソッ」
俺たちは、静かに待った。
一分……二分……五分。
……やがて。
「……フェロ?」
フェローチェが、ゆっくりと顔を上げた。
その視線が、置かれたきのみへ向く。
少しだけ身体を動かす。
そして、また止まる。
……うん、怖いよな。
でも、お腹も空いているんだろうな。
フェローチェは、長い時間をかけて、きのみの近くへ移動した。
そして……そっと、一つだけ手に取った。
「……!」
俺は、思わず息を呑んだ。
フェローチェは、きのみをじっと見つめていた。
それから、小さく口をつける。
……食べた。
たった一口、それだけだった。
でも、俺にはそれがとても大きな出来事に思えた。
「……よかった」
自然と、そんな言葉が漏れた。
……ああ、本当に。
よかった。
♦
それから、調査員たちはフェローチェの様子を慎重に見守り続けた。
食べ物を少し口にしたことで、多少は落ち着いたように見える。
だが、警戒心はまったく解けていない。
人の気配がすると、すぐに顔を上げる。
ポケモンが動けば、身を強張らせる。
……それでも。
もう、あの日のように走り回ってはいなかった。
逃げる力が残っていないのかもしれない。
あるいは、この場所が少しだけ安全だと思えたのかもしれない。
……それは、わからない。
ただ一つ、確かなことがある。
このまま雪原に放っておくわけにはいかない。
…………。
俺は、しばらくフェローチェを見つめていた。
あの子は、ウルトラビースト。
異世界から現れた、特殊なポケモン。
普通のポケモンとは違う生態を持っている可能性もある。
それに、今のカンムリ雪原の環境が、あの子に合っているとは思えない。
……だったら。
安全な場所へ連れていく必要がある。
でも、どうやって?
無理やり捕まえたところで、きっと余計に怖がらせてしまう。
そのとき。
ふと、あるものを思い出した。
ヨロイ島。
マスター道場。
そして、ハイドと一緒に作った、あの特別なボール。
……あ、そうか。
……あれが、あるじゃないか。
♦
「……パパン」
「ん?」
「……ちょっと、きいてもいい?」
「どうした?」
俺は、鞄の中へ手を伸ばした。
大切にしまっていた、小さなケース。
その中には、二つの特別なボールが入っている。
一つはマスターボール。
そして、もう一つは。
……ウルトラボール。
青と白を基調にした、不思議な模様。
ハイドが研究資料をもとに改良を重ね、ようやく完成させた試作品。
ウルトラビーストと呼ばれる、特殊なポケモンを捕獲するためのボール。
……まさか。こんなところで、出番が来るとはな。
「……リン?」
パパンが、俺の手元を見つめていた。
「それは……?」
「……ウルトラボール」
「……ああ。ヨロイ島で作ったっていう、あれか」
「うん」
俺は、手の中のボールを見つめた。
……正直に言おう。
最初は、単純に欲しかっただけだ。
珍しいボール。
独特なデザイン。
そして、ウルトラビースト専用という特別感。
オシャボ厨として、持っておきたかった。
それだけだった。
……でも。
今は、少し違う。
このボールがあれば。
あの子を、寒い雪原から連れ出せるかもしれない。
安全な場所へ、連れていけるかもしれない。
……もちろん。
捕まえたからといって、仲良くなれるとは限らない。
それは、もう知っている。
ムーちゃんと一緒に過ごした時間が、教えてくれたことだ。
俺は、フェローチェへ視線を向けた。
岩陰で、小さく身体を丸める色違いのウルトラビースト。
あの子は、まだ俺たちを信用していない。
それどころか、誰も信用できていないのかもしれない。
……だけど、だからこそ。
まずは、安心できる場所を用意してあげたい。
俺は、ウルトラボールをそっと握りしめた。
「……パパン」
「……ん?」
「……あのこ、たすけたい」
パパンは、しばらく俺を見つめていた。
そして。
「……そうか」
静かに頷いた。
俺は、もう一度フェローチェを見る。
まだ、何もわからない。
どうすれば信用してもらえるのか。
どうすれば安心してくれるのか。
そもそも、俺たちと一緒に来てくれるのか。
……全部、わからない。
でも……それでも。
何か、できることがあるなら……やってみたい。
「……ハイド」
俺は、小さく呟いた。
「……まさか、こんなに早く出番が来るとはな」
手の中で、ウルトラボールが静かに光を反射していた。
♦
……ただ。俺はまだ、知らなかった。
このボールが、俺とフェローチェの長い付き合いの始まりになることを。
そして。
捕まえることと、仲間になることは、まったく違うのだということを。
今日は書き溜めから何話か投稿します。
よかったら、お気に入り、★、感想お願いします。
投稿三日くらいで思ったより反響があってうれしく思います。
今後ともお付き合いいただけますと幸いです。
感想も一つ一つ大切に読ませていただいております。
また、まとまった機会に返していこうと思いますので、たくさんのご感想お待ちしております。