「ムーちゃん! 正面から受けなくていい! 右へ回って!」
「グソッ!」
「コジョンド、追うんじゃ!」
「ジョンドッ!」
道場のバトルコートに、激しい足音が響いた。
ムーちゃんの白い装甲を、コジョンドの長い腕がかすめる。
鋭い一撃。
だが、ムーちゃんは慌てなかった。
身体を捻り、相手の攻撃を受け流す。
「よし! そのまま距離を取ろう!」
「グソッ!」
……うん。いい感じだ。
以前のムーちゃんなら、驚いて俺のところへ戻ってきただろう。
それが今では、ちゃんと相手を見て、自分で動けるようになった。
俺も、無理な攻撃を命じなくなった。
勝てる場面でも、危険なら引く。
仲間の状態を見て、作戦を変える。
……そう。現在、俺たちは。
二度目の卒業試験、真っ最中なのである!
♦
ヨロイ島へ戻ってきてから、約一年。
俺は十歳になった。
初めてこの島へ来たときは、まだ小さな子供だった。
……いや、今も十分子供なんですけどね。
ただ、あの頃とは随分と状況が違う。
手持ちは六匹。
全員色違い。
全員むしタイプ。
そして、全員と同じように戦えるわけではない。
ムーちゃんは相変わらず甘えん坊だが、いざというときは頼れるお姉さん。
しずくはマイペースながら、少しずつ技を使えるようになった。
ルージュは自由奔放。最近は花粉を振りまく前に周囲を確認するようになった。
……確認するだけで、振りまくのはやめないんですけど。
モスは相変わらずの戦闘狂。
ただ、交代の指示を聞いてくれる機会が増えた。
かえでも、危険な相手に突っ込む前に、一度こちらを見るようになった。
そして、フェリヤ。
彼女だけは、今もバトルに参加していない。
でも、以前ほど遠くにはいない。
最近では、俺たちの練習を眺めたり、同じ縁側で休んだりすることもある。
……それだけ。
だけど、俺にとっては大きな変化だった。
♦
「リンちゃん! まだまだいくぞい!」
「望むところ!」
師匠の声で、意識をコートへ戻す。
今日の卒業試験は三対三。
俺が選んだのは、ムーちゃん、モス、ルージュ。
しずくとかえでは、観客席から応援してくれている。
そしてフェリヤは、少し離れた日陰。
本人が選んだ場所で、静かにこちらを見ていた。
「ムーちゃん! 一度戻って!」
「グソッ!」
ムーちゃんが頷き、俺のところへ下がってくる。
以前の俺なら、まだ戦えるからと続投させていただろう。
だが、今は違う。
ムーちゃんの呼吸が少し荒い。
無理に続ける必要はない。
「次はモス!」
「ストライッ!」
鋭い鎌を持つストライクが、勢いよく飛び出した。
……こいつ。
相変わらず出番になるとテンション高いな。
嬉しそうに鎌を構えている。
「モス、焦るなよ!」
「ストライッ!」
……返事はいい。
さて、問題は実際に聞いてくれるかどうか。
師匠のコジョンドが踏み込む。
「今じゃ! とびひざげり!」
鋭い蹴りが迫る。
モスが迎え撃とうとした。
……以前なら、ここで正面からぶつかっていた。
「モス! 上に避けて!」
「ストライッ!」
羽を広げ、一気に跳び上がる。
コジョンドの蹴りが空を切った。
「今だ! アクロバット!」
――ザシュッ!
「ジョンドッ!」
鋭い一撃が決まり、コジョンドが後退する。
「いいぞ、モス!」
「ストライッ!」
モスが鎌を掲げた。
……うん、まだちょっと突っ込みたそうだけど。
今のは、ちゃんと俺の指示を聞いてくれた。
それが嬉しかった。
♦
試合は、その後も一進一退だった。
ルージュの素早い動きで相手を翻弄し、ムーちゃんで攻撃を受け止める。
モスは勝負に熱くなりかけたものの、今度は自分から一度距離を取った。
完璧な連携ではない。
指示が遅れることもあるし、予想外の行動だって起きる。
それでも。
みんなが、俺の声を聞こうとしてくれている。
そして俺も、みんなの様子を見るようになった。
やがて最後の攻防が終わり、師匠が手を上げた。
「そこまでじゃ!」
……ふぅ。
終わった。
「ありがとうございました!」
「グソッ!」
「ストライッ!」
「アブリッ!」
俺たちは、師匠とポケモンたちへ頭を下げた。
勝敗は、師匠の勝ち。
……いやぁ、強い。本当に強い。
十歳の俺が、そう簡単に勝てる相手ではない。
最後の攻防で、俺はルージュが空いた間合いへ入れると思った。ところが師匠は、俺がルージュへ視線を向けた瞬間に次の交代を読んでいたらしい。コジョンドが一歩ずれただけで、こちらの狙っていた軌道が塞がれた。
何というか、対戦の奥行きが違う。
前世なら「択負けした」で片づけたかもしれない。でも今は、相手の姿勢や仲間の呼吸まで見えている。その情報を拾い切れていないのが悔しかった。
それでも、ムーちゃんが疲れたときには無理に続投させなかったし、モスも俺の声を聞いて距離を取れた。勝てなかった試合にも、できるようになったことがある。
……師匠、次はもう少しいい勝負をしてみせますからね。
しかし。
「ほっほっほ! よいバトルじゃったぞ、リンちゃん!」
師匠は、とても嬉しそうに笑っていた。
♦
「ところで、リンちゃん」
「はい?」
「今日はフェリヤちゃんを使わんかったのう?」
……あぁ、その質問か。
俺は少し離れた場所にいるフェリヤを見た。
彼女は、いつものように静かに座っている。
「……うん」
「どうしてじゃ?」
どうして、か。
理由は簡単だった。
「まだ、本人が戦いたいって言ってないから」
師匠は、何も言わなかった。
「フェリヤが強いのは知ってるよ。すごく速いし、きっとバトルでも活躍できると思う」
「うむ」
「でも、だからって無理に戦わせたくない」
俺は、もう一度フェリヤを見る。
「いつか一緒に戦ってくれたら嬉しい。でも、今はまだ、そのときじゃないんだと思う」
師匠は、静かに目を細めた。
そして。
「……ほっほっほ」
優しく笑った。
「立派になったのう、リンちゃん」
師匠の声は、普段の冗談めいた調子より少しだけ柔らかかった。
俺は足元の砂を見た。勝負に負けて悔しいはずなのに、それ以上に、ちゃんと見てもらえていたことが嬉しい。
フェリヤが戦わなかったのは、決して戦力を忘れていたからではない。あの子が望んでいないからだ。その判断も、今日の試験の一部だったのだと思う。
……え?今ので?
「昔のちみなら、きっとフェリヤちゃんをどうやって戦わせるか、考えておったじゃろうな」
「……うん」
「じゃが今は、戦わせないという選択ができる」
師匠が、俺の頭を撫でた。
「それも、トレーナーに必要な強さじゃよ」
なんだろう。
胸の奥が、少しだけ熱くなった。
俺は前世で世界一位になった。
勝つための知識なら、誰にも負けない自信があった。
だけどこの世界でポケモンと暮らして、初めてわかったことがたくさんある。
強さだけじゃ、足りない。
勝利だけでも、足りない。
相手が何を望んでいるのか。
何を怖がっているのか。
それを知ろうとすることが、何より大切なのだ。
「……師匠」
「なんじゃ?」
「俺、少しは成長できたかな?」
「ほっほっほ! もちろんじゃ!」
師匠は、力強く頷いた。
「リンちゃん。二度目の修行、卒業じゃ!」
「……やった」
思わず、拳を握った。
「やったぁぁぁ!!」
「グソォッ!」
「シズッ!」
「アブリッ!」
「ストライッ!」
「メラッ!」
みんなが、嬉しそうに鳴いた。
……うん、嬉しい。
すごく嬉しい。
でも。俺は、フェリヤを見た。
彼女は何も言わない。
ただ、こちらを見ていた。
……まだ、終わっていない。
フェリヤとの関係は、これからも続いていく。
だからこそ卒業は終わりじゃない。
俺は、そう思った。
♦
卒業が決まった日の夕方。
道場では、ささやかなお祝いが開かれた。
「リン君、本当にお疲れさま!」
「ミツバさん、ありがとう!」
「今度は六匹も連れて来たから、賑やかだったわね」
「……お世話、たいへんだった?」
「とっても、ね」
すみません。
そこは、本当にすみません。
何しろ、ルージュは花粉を振りまくし。
モスは庭の木に斬りかかるし。
かえでは熱くなりすぎるし。
しずくはムーちゃんの後を追いかけるし。
……うん。
我がパーティー、問題児しかいないのでは?
「でも、みんな良い子だったわよ」
ミツバさんが笑う。
「また帰っておいでね」
「うん! 絶対!」
その隣では、ハイドが待っていた。
「リン、卒業おめでとう!」
「ありがとう、ハイド!」
「また一緒に研究しようね!」
「もちろん! 次は新しいボールも作りたい!」
「実は、考えてるレシピがあって……」
「マジ!?」
……おっと。
これは聞き捨てならない。
「どんなやつ!?」
「まだ内緒!」
「ええっ!?」
「次に来たときのお楽しみ!」
くっ、この発明少年。
人の好奇心を刺激するのが上手すぎる。
「……絶対だぞ!」
「うん、約束!」
俺たちは笑い合った。
♦
そして、出発の日。
道場の前には、師匠とミツバさん、ハイドが並んでいた。
「リンちゃん。これからどうするんじゃ?」
「バウタウンに帰って、もっと修行する!」
「ほうほう!」
「それで、いつかジムチャレンジに出る!」
師匠が、嬉しそうに頷いた。
「そのときは、推薦の相談にも乗ってやるぞい」
「本当!?」
「ほっほっほ! もちろんじゃ!」
……よし、心強い。
ガラル地方のジムチャレンジは、誰でも簡単に出られる大会ではない。
推薦が必要になる。
だから、師匠の言葉はありがたかった。
「師匠! 次はジムチャレンジの時にお願いね!」
「ほっほっほ! 楽しみにしとるぞい!」
俺は、大きく手を振った。
ムーちゃんたちも、元気よく鳴く。
……さあ、帰ろう。
そう思って歩き出した、そのときだった。
「ああ、そうじゃ!」
師匠が、俺を呼び止めた。
「リンちゃんに渡しておきたいものがあるんじゃった」
「……ん?」
振り返る。
師匠は、懐から小さな箱を取り出した。
「ほい。卒業祝いじゃよ」
「……なにこれ?」
箱を開ける。
中には、不思議な輝きを放つ小さな石が収められていた。
虹色の光。
複雑な模様。
そして。
どこかで見たことのある、その形。
……え?
「キーストーンといってのう。カロス地方で使われる、ちょっと珍しい石なんじゃ」
「……キーストーン?」
「そうじゃよ」
「……メガシンカの?」
「おお! 知っとったか!」
ちょ、ちょっと待って。
待ってください師匠。
「師匠ぉぉぉぉ!!」
「ほっほっほ! 落ち着くんじゃ!」
「無理!! 落ち着けない!!」
いや、そりゃ無理でしょ!?
キーストーンだぞ!?
メガシンカだぞ!?
バトル中にポケモンがさらなる姿へ変化する、あのロマンの塊だぞ!?
しかも本物!
現物!!
十歳で!?
ちょっと待て。
俺の人生、イベント報酬が豪華すぎません!?
「ほっほっほ! 相変わらず反応が大きいのう!」
「だって師匠! これ、すごいやつだよ!?」
「そうじゃなぁ」
「……でも、メガストーンは?」
「それは、まだないぞい」
あ、ふーん。
そうですよね。
さすがにセットではないですよね。
……でも、キーストーンだけでも十分すぎる。
俺は、石をそっと持ち上げた。
虹色の輝きが、掌の中で揺れる。
……綺麗だな。
「リンちゃん」
師匠の声が、少しだけ真剣になった。
「この石はのう。強いポケモンを、ただ強くするための道具ではないんじゃよ」
「……うん?」
「メガストーンがあっても、それだけでは足りん。トレーナーとポケモンが、互いを信じて心を重ねることが大切なんじゃ」
俺は、隣にいるムーちゃんを見た。
「グソ?」
ムーちゃんが、不思議そうに首を傾げる。
「ちみとムーちゃんが、本当に心を重ねたとき。そのときに初めて、意味を持つものなんじゃ」
……そうか。
メガシンカ。
それは、単純なパワーアップではない。
ポケモンとトレーナーの絆があってこそ、成立するもの。
俺がこの島で学んできたことと、深く繋がっている。
「……師匠」
「なんじゃ?」
「ありがとう」
俺は、キーストーンを大切に箱へ戻した。
「いつか、ムーちゃんと一緒に使えるようになりたい」
「ほっほっほ! その日を楽しみにしとるぞい!」
……うん、俺もだ。
もし、いつかムーちゃんに合うメガストーンが見つかったら。
そのときは、彼女と相談してみよう。
もちろん、無理に使わせるつもりはない。
だって、この石を使えることよりも。
ムーちゃんが、俺と一緒にいてくれることのほうが大切だから。
♦
こうして。
俺の二度目のヨロイ島修行は、幕を閉じた。
九歳で始まった修行。
十歳で迎えた卒業。
六匹の色違いむしポケモン。
そして、新たに手に入れたキーストーン。
……本当に、いろいろあったな。
フェリヤは、まだ俺を完全には信用していない。
それでも、以前より少しだけ近くにいてくれるようになった。
俺は、それだけで嬉しかった。
いつか、あの子が自分から、一緒に戦いたいと思ってくれる日が来るのだろうか。
今は、まだわからない。
でも、その日が来たら。
今度こそ、ちゃんと応えられるトレーナーでいたい。
「……さて!」
俺は、道場へ向き直った。
「師匠! ミツバさん! ハイド!」
三人が、こちらを見る。
「また来るね!」
「ほっほっほ! いつでも待っとるぞい!」
「気をつけて帰るのよ!」
「リン! また研究しようね!」
「うん!」
そして、最後に。
「あと、ハイド!」
「なに!?」
「新しいオシャボのレシピ、よろしく!!」
ハイドが、少しだけ呆れた顔をした。
「……そっちも忘れないんだね」
「当たり前だろ!!」
……いや、当然である。
修行は修行。
オシャボはオシャボ。
どちらも俺の人生には欠かせないものなのだ。
……その会話を聞いていたミツバさんから。
「次に来たときも、お手伝いはちゃんとしてもらうからね」
と念を押されました。
師匠からはキーストーン、ミツバさんからは家事の継続契約をいただきました。
卒業祝いの格差がすごい。
……でも。
そんなマスター道場が、俺は大好きだった。
またいつか、ここへ帰ってこよう。
そのときには、きっと。
今より少しだけ、立派なトレーナーになっているはずだから。