「メラッ! メラッ!」
「かえで! あと三回!」
「メラァッ!」
朝の庭に、小さな炎が弾けた。
白い毛並み。
丸っこい身体。
頭から伸びた五本の角。
そして、通常個体とは違う金色がかった美しい体色。
我が色違いのメラルバ、かえで。
本日も元気に修行中である。
「よし! 今日はここまで!」
「メラッ!」
かえでが嬉しそうに駆け寄ってきた。
その身体を受け止める。
ほんのり温かい。
……ああ、天然の湯たんぽ。
冬場の人権ポケモンである。
ただし、本人が興奮すると普通に熱くなる。
以前、うっかり抱きしめたまま寝かけたところ、パジャマが焦げそうになりました。
火の取り扱いには十分注意しましょう。
……いや、取扱説明書みたいに言うな。
♦
十二歳になった俺は、相変わらずポケモンたちとの修行を続けていた。
ムーちゃんは頼れる相棒。
しずくは立派なオニシズクモへ進化。
モスもバサギリになり、毎日岩斧を振り回している。
ルージュは……まあ、元気だ。
昨日は俺の髪に花粉で王冠を作っていた。
やめろ。
そしてフェリヤ。
今もバトルには参加していないが、以前よりずっと穏やかに暮らしている。
俺が隣に座っても、すぐには離れなくなった。
触れ合えるわけではない。
けれど、あのカンムリ雪原で出会った頃を思えば、本当に大きな変化だ。
さて、そんな我がパーティーで、現在唯一の進化前ポケモン。
それが、かえでである。
メラルバの進化は遅い。
ゲームで言えば、ウルガモスへ進化するのはレベル59。
……59ですよ、59。
普通のポケモンなら、とっくに最終進化していてもおかしくない段階である。
だが、そのぶん進化したときの感動も大きい。
何より、ウルガモスは俺の大好きなポケモンだ。
いつか、あの美しい羽を広げる日が来る。
そう思うだけで胸が躍る。
……とはいえ。
「かえで、疲れてない?」
「メラッ!」
「そっか。じゃあ、今日はゆっくり休もう」
焦らせるつもりはない。
進化のためだけに、無理なバトルを繰り返す必要もない。
かえでが自分のペースで強くなれば、それでいい。
そう考えるようになったのには、ちゃんと理由がある。
以前のかえでは、強そうな相手を見るとすぐに飛び出していた。ヨロイ島でアブリーを助けたときだってそうだったし、練習中にモスの素振りへ割り込もうとしたこともある。
けれど、最近は違う。相手が近づくと、まず俺の方を見るようになった。俺が合図を送るまで待って、何が危険なのか確かめようとする。
この前なんて、俺が「もう一回」と言うより先に、自分から休憩場所へ戻って水を飲んでいた。
……素晴らしい。
かえで、ちゃんと休むことを覚えたんだな!
まあ、その横ではモスが岩に斧を振り下ろしていたんですけどね。先輩、君ももう少し休もう?
強くなるって、ただ技の威力が増えることじゃない。自分の身体と相談して、次の一歩を選べるようになることでもあるのだろう。
……それに。あの子が小さな身体で頑張っている姿も、俺は大好きなのだから。
♦
その日の午後。
「リン! 今日はちょっと本格的にやってみない?」
「本格的に?」
俺に声をかけてきたのは、ルリナ姉さんだった。
場所はバウタウン郊外の水辺。
いつもの練習場である。
「ええ。最近、みんな随分と強くなったでしょう?」
「うん!」
「だから今日は、少し強い相手との連携を練習しましょう」
そう言って、ルリナ姉さんがボールを取り出した。
「お願い、カジリガメ!」
「ガメェッ!」
現れたのは、大きなカジリガメ。
硬そうな甲羅。
鋭い牙。
そして、ずっしりとした体格。
……ほう。これは、なかなか。
「姉さん、結構本気じゃん」
「ふふっ。もちろん手加減はするわよ。でも、油断しないでね?」
……うむ、恐ろしいことを笑顔で言う人だ。
ただし、俺も望むところ。
今日の練習は、ムーちゃん、モス、しずくを中心とした連携戦。
ルージュとかえでは待機。
フェリヤは少し離れた場所で、本人の好きなように過ごしている。
「よし、みんな! 始めるぞ!」
♦
「モス! 左から回り込んで!がんせきアックス!!」
「バサァッ!」
「カジリガメ、アクアブレイク!」
――バシャァッ!
「バサッ!?」
モスが大きく後退した。
……くっ。
やっぱり、みず技は厳しい。
バサギリはむし・いわタイプ。
相性だけなら、かなり不利な相手である。
「ムーちゃん! カバーお願い!」
「グソッ!」
ムーちゃんが大きな身体で割って入る。
水流を受け止め、モスが下がる時間を作った。
……よし。
いい連携だ。
ところが。
「カジリガメ、もう一度!」
「ガメェッ!」
今度は角度を変えて水撃が飛んでくる。
「しずく! あの水を止めて!」
「オニシズッ!」
しずくが大きな水泡を揺らし、アクアブレイクを受け止めた。
しかし、カジリガメの勢いは強い。
三匹が連携しても、なかなか攻め込めない。
……なるほど。
これが、経験の差か。
こちらが一手を考える間に、ルリナ姉さんは次の行動を準備している。
技の選択も的確。
ポケモンとの呼吸も合っている。
……強いな。
ジムリーダーを目指す人間は、やっぱり違う。
「リン! どうする?」
ルリナ姉さんが問いかける。
俺は、三匹の様子を確認した。
まだ戦える。
しかし、かなり消耗している。
このまま続ければ、無理をさせることになるかもしれない。
「……一回、下がろう!」
俺が指示を出そうとした、そのときだった。
「……メラッ!」
足元から、小さな声が聞こえた。
♦
「……かえで?」
振り返る。
そこには、小さなメラルバが立っていた。
「メラッ!」
かえでは、カジリガメを見つめている。
そして、一歩前へ出た。
……え?まさか。
「かえで、戦いたいの?」
「メラッ!」
力強い返事。
しかし、俺はすぐには頷けなかった。
相手はカジリガメ。
みず・いわタイプ。
メラルバにとっては、非常に相性の悪い相手だ。
……正直、危険である。
相性表を頭の中で開けば、嫌でもわかる。みず技はもちろん、いわ技まで飛んできたら洒落にならない。
今のかえでが強くなったのは知っている。でも、強くなったからといって、苦手な攻撃を受けても大丈夫なわけではないのだ。
俺はルリナ姉さんへ目を向けた。姉さんも状況を理解したらしく、カジリガメを一度下がらせてくれる。
「技の威力は抑えるわ。かえでちゃんが怖がったら、すぐ終わりにしましょう」
「うん。俺も、無理だと思ったら止める」
かえでも、俺たちのやりとりをじっと聞いていた。自分から前に出たいと言ったからには、できることをやってみたいのだろう。
でも、その勇気を無茶に変えていいわけじゃない。そこは俺が気をつけないとな。
「かえで、無理しなくていいんだよ?」
俺はしゃがみ込み、目線を合わせた。
「今の相手は強い。かえでは、まだ――」
「メラッ!」
かえでが、俺の言葉を遮った。
小さな身体。
短い脚。
それでも、その目はまっすぐ前を向いていた。
……ああ、そうか。
この子は、昔からそうだった。
ヨロイ島で初めて出会った日。
自分よりずっと大きなサイドンを相手に、小さなアブリーを守ろうとした。
無謀なくらい勇敢で。
誰かを助けるためなら、真っ先に飛び出してしまう。
……でも、今のかえでは違った。
勝手に飛び込まない。
俺の前で立ち止まり、返事を待っている。
自分一匹で戦おうとしているんじゃない。
俺と一緒に戦おうとしてくれている。
「……そっか」
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
「姉さん!」
「なに?」
「かえでが、戦いたいって!」
ルリナ姉さんは少し驚いたあと、優しく頷いた。
「わかったわ。危なくなったら、すぐに止めるからね」
「うん!」
俺は、かえでを見た。
「……よし。頼むぞ!」
「メラァッ!!」
♦
「かえで! まずは相手の動きを見て!」
「メラッ!」
カジリガメが、水辺を踏みしめた。
強い水流が迫る。
「右へ!」
かえでが小さな身体を動かし、水流をかわした。
……よし。
焦らない、突っ込まない。
ちゃんと俺の指示を聞いてくれている。
「今だ! いとをはく!」
「メラッ!」
白い糸が飛び、カジリガメの足元へ絡みつく。
「ガメッ!?」
動きが一瞬止まった。
……いいぞ!
「かえで! そのまま――」
次の指示を出そうとした、その瞬間だった。
――ぱぁっ。
「……え?」
かえでの身体が、光り始めた。
白い毛並みが輝く。
小さな身体を包む、不思議な光。
……待て。
これは。
「リン!」
ルリナ姉さんの声が響いた。
「かえでちゃん、進化するの!?」
ついに。
ついに、この瞬間が。
光の中で、かえでの身体が変化していく。
小さな脚が伸びる。
丸かった身体が、すらりとした姿へ変わる。
そして。
背中から、大きな羽が広がった。
美しい色彩。
太陽の光を受け、輝く鱗粉。
その周囲には、暖かな熱が満ちていく。
俺は、息を呑んだ。
小さなメラルバ。
毎朝、庭で一生懸命練習していた。
何度も転んだ。
強い相手に挑もうとして、俺に止められたこともあった。
それでも、諦めなかった。
少しずつ技を覚え、少しずつ動きを磨いてきた。
……そして今。
その努力が、形になろうとしている。
「……かえで」
光が、ゆっくりと収まった。
そこにいたのは。
六枚の大きな羽を広げた、美しいポケモン。
金色の輝きを帯びた、色違いのウルガモス。
「……ウルガァァッ!」
力強い鳴き声が、青空へ響いた。
……ああ、綺麗だ。
まるで、本当に。
小さな太陽が、生まれたみたいだった。
♦
「……かえで!」
俺が名前を呼ぶと、ウルガモスが振り向いた。
「ウルガッ!」
その声は、以前よりずっと力強い。
でも、俺にはわかった。
あの小さなメラルバと、同じ声だ。
「……大きくなったな」
思わず、笑みがこぼれる。
かえでが、ゆっくりと羽を動かした。
暖かな風が頬を撫でる。
……ああ。もう、抱きかかえられる大きさじゃないんだな。
少しだけ寂しい。
でも、それ以上に。
「……進化、おめでとう」
胸がいっぱいだった。
かえでは、嬉しそうに鳴いた。
そして、俺の周囲をゆっくりと一周する。
かえでは以前のように俺へ飛びつこうとして、一度動きを止めた。今の大きな身体で勢いよく近づけば、俺が倒れてしまうことに気づいたのかもしれない。
それからゆっくりと羽を畳み、俺の目線に合わせるように身体を低くした。
……ちょっと待って。
そんな優しいことされたら、こっちの涙腺が危ないんですけど!?
俺が手を伸ばすと、かえでは熱を抑えた羽の端をそっと近づけてきた。指先に伝わる温かさが、昔抱き上げた小さなメラルバの体温と重なる。
大きな羽が、陽の光を受けて輝いた。
「ふふっ。すごく綺麗ね」
ルリナ姉さんが微笑む。
カジリガメも、満足そうに鳴いていた。
結局、模擬戦はそこで終了となった。
勝敗はつかなかった。
でも、そんなことはどうでもよかった。
今日。俺は、かえでの成長を見届けることができた。
それだけで、十分だった。
♦
その日の夜。
我が家では、ささやかな進化のお祝いが開かれた。
「かえで、進化おめでとう!」
「ウルガッ!」
ママンが用意してくれた、ポケモン用の特別なご飯。
パパンも、嬉しそうにかえでを眺めている。
「いやぁ、立派になったなぁ」
「でしょ!」
「これで、全員が最終進化したのか?」
「うん!」
……そう。
ムーちゃん。
しずく。
ルージュ。
モス。
かえで。
そしてフェリヤ。
六匹全員が、ついに最終進化の姿となった。
……まあフェリヤだけは、最初から進化しないポケモンなんですけどね。
そこは気にしない。
「グソォッ!」
ムーちゃんが、かえでの近くへ寄っていく。
そして、大きな前脚で優しく身体を撫でた。
「ウルガッ!」
かえでも嬉しそうに鳴く。
しずくは、いつも通り水泡をぷるぷるさせている。
ルージュは、かえでの大きな羽の周りを楽しそうに飛び回っていた。
「アブリッ!」
「ウルガッ!」
……おい、ルージュ。
花粉はかけるなよ?
お祝いの席で大惨事になるからな?
モスは、少し離れたところで誇らしげに頷いている。
「バサッ!」
……うむ。
まるで、後輩の成長を喜ぶ先輩のようだ。
そして、フェリヤはいつもの窓際にいた。
♦
俺は、ふとそちらへ視線を向けた。
フェリヤは、かえでを見つめていた。
大きな羽。
暖かな光。
楽しそうに鳴く仲間たち。
その光景を、静かに眺めている。
……そして。
ほんの一瞬。
フェリヤが、両手を小さく合わせた。
ぱち。
ぱち。
……え?
今の……拍手?
俺は、思わず目を瞬かせた。
フェリヤは、すぐに手を下ろした。
そして、何事もなかったかのように窓の外へ視線を戻す。
……ああ、そっか。
あの子も。
かえでの進化を、喜んでくれているのかな。
……いや。本当のところは、わからない。
ただ、そうだったら嬉しいと思った。
俺は、何も言わなかった。
フェリヤの名前も呼ばない。
拍手していたことを、誰にも話さない。
もし俺が騒げば、きっとフェリヤは居心地が悪くなるだろう。
そんなことは、もうわかっている。
だから。俺は、そっと笑った。
それだけだった。
♦
夜。
みんなが眠ったあと、俺は自分の部屋で図鑑を開いていた。
そこには、新しく登録された姿。
色違いウルガモス。
ニックネーム、かえで。
……うん。
格好いい。
綺麗。
そして、何より。
あの小さなメラルバが、ここまで成長したのだ。
それが、たまらなく嬉しかった。
ポケモンの進化は、ただ姿が変わるだけじゃない。
一緒に過ごした時間。
積み重ねてきた努力。
そして、本人が前へ進もうとする気持ち。
そんなものが、全部詰まっているのだと思う。
「……かえで」
俺は、小さく呟いた。
「本当に、おめでとう」
窓の外には、月が浮かんでいた。
今日の昼間に見た、あの輝き。
小さな太陽のような姿。
きっと、一生忘れないだろう。
そして。
フェリヤが見せた、あの小さな拍手も。
……うん。
まだまだ、知らないことばかりだ。
でも、少しずつ。
俺たちは、ちゃんと一緒に成長している。
そう思えた夜だった。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。
よかったら、感想、評価、お気に入りいただけますと嬉しいです。
感想も一つ一つ大切に見させていただいております。
返せるときに全員返していきますので、軽率に感想いただけますと幸いです。