chapter:36 エンジンシティ、そして彼女との出会い。
エンジンシティ。
ガラル地方でも有数の大都市にして、ジムチャレンジの開会式が行われる街。
駅を出た俺の目に飛び込んできたのは、赤茶色のレンガ造りの建物と、空へ向かって伸びる巨大な煙突だった。
街のあちこちには金属製の配管が巡らされ、蒸気の噴き出す音が聞こえてくる。道路を行き交う人々の間にはポケモンの姿も多く、見上げれば、街の中央にそびえ立つ巨大なスタジアムが見えた。
「……うっわ、すげぇ」
思わず声が漏れた。
知っている街だ。前世では何度も訪れたし、ゲームの中なら地図を見なくても歩ける自信がある。
でも、実際に立ってみるとまるで違う。
建物の高さも、街の広さも、行き交う人の数も。
何より、空気が違った。
あちこちから聞こえるポケモンの鳴き声。街路に立ち並ぶ屋台から漂う料理の匂い。すれ違うトレーナーたちの、期待に満ちた会話。
これが、本物のエンジンシティ。
そして、俺がこれから挑むジムチャレンジの出発点だ。
……いやぁテンション上がるなあ!
十五年間、この日を楽しみにしてきたんだぞ?
そりゃ顔だって緩むでしょうが。
「さて、まずは受付だな」
俺はスマホロトムを取り出し、スタジアムまでの経路を確認した。
ちなみに、駅員さんにも道を教えてもらっている。
……前世で何度も歩いた街なのに、なぜわざわざ聞いたのかって?
ゲーム内の道幅と現実の街の規模が違いすぎるからですよ!
何なら、目の前に見えている建物へ行くまでに十分以上かかることもある。
現実の地図、侮れませんね。
俺は鞄の肩紐を直し、スタジアムへ向かって歩き出した。
♦
「ジムチャレンジへの参加登録ですね」
「はい。よろしくお願いします」
エンジンスタジアムの受付。
係員の女性へ推薦状と必要書類を渡すと、彼女は慣れた手つきで内容を確認し始めた。
ところが、推薦者の名前を見たところで動きが止まった。
「……推薦者は、マスタード様?」
「はい。ヨロイ島でお世話になっている師匠です」
「あの、元ガラルチャンピオンのマスタード様でしょうか?」
「そうです」
係員さんが、書類と俺の顔を交互に見た。
……うん。その反応、わかります。
師匠、普段はゲーム好きの気さくなおじいちゃんだから忘れそうになるけど、元ガラルチャンピオンなんだよな。
しかも、その実力は今でも健在。
つい先日、師匠が用意してくれた三本勝負で、ようやく勝利を収めたばかりだ。
「少々お待ちください」
係員さんは奥の職員と確認を取ってから戻ってきた。
「お待たせいたしました。推薦状は問題ありません。登録するポケモンも確認させていただきますね」
「お願いします」
俺は六匹分の登録情報を提示した。
グソクムシャのムーちゃん。
オニシズクモのしずく。
アブリボンのルージュ。
バサギリのモス。
ウルガモスのかえで。
そして、フェローチェのフェリヤ。
全員、色違い。
全員、むしタイプ。
我ながら、なかなか尖ったパーティーである。
しかも、フェリヤを除く五匹は、この一年間で全員レベル80以上まで育成した。
技構成も対人戦を意識して調整済み。
お小遣いも技マシン代に相当消えたけど、後悔はない。
あの一年間の努力を、今度は公式戦で試せるのだ。
楽しみで仕方がない。
ただし、フェリヤについては別だ。
あの子は最初からレベル82だったし、今も自分からバトルに参加したいとは言っていない。
登録はしているけれど、無理に戦わせるつもりはない。
本人が望むまでは、俺たちと一緒に旅をしてくれるだけで十分だ。
「……珍しい組み合わせですね」
係員さんが、登録画面を見ながら呟いた。
「むしタイプだけで、しかも全員色違いなんですか?」
「はい。俺のこだわりです」
「ふふ。素敵ですね」
おお、わかってくれる人がいた。
バウタウンでは散々変わり者扱いされてきたので、ちょっと嬉しい。
「登録は完了しました。こちらが参加証です。明日の開会式には、指定された時間までにお越しください」
「ありがとうございます!」
受け取った参加証を眺める。
そこには、俺の名前と背番号が記されていた。
666。
……うん、何度見てもいい番号だ。
ちょっと物騒な数字だけど、むしタイプ統一使いとしては妙に気に入っている。
俺は参加証を大切にしまい、スタジアムをあとにした。
外へ出た瞬間、思わず拳を握る。
「……っしゃ!」
ついに正式登録。
これで本当に、ジムチャレンジャーだ。
今すぐ叫びたいくらい嬉しいけど、さすがに人通りの多い場所で大騒ぎするのはやめておこう。
俺も十五歳。
少しは落ち着いた大人にならないとね。
……などと考えていた、その直後。
「あっ! あそこに色違いのポケモンがいる!」
「どこ!?」
条件反射で振り向いた。
……落ち着いた大人への道、開始三秒で終了。
いや、仕方ないでしょうが!
色違いですよ!?
しかも、どこにいるのか結局わからなかったし!
……くっ。気になる。
♦
受付を済ませた俺は、宿泊先のスボミーインへ向かうことにした。
途中で昼食を取り、ポケモンセンターへ立ち寄って必要な道具も補充した。
正直、もう少し街を見て回りたかったけれど、明日は開会式だ。
初日から寝坊なんてしたら笑い話にもならない。
パパンには一生いじられそうだし、それだけは避けたい。
そんなことを考えながら、ホテルの扉を開けたときだった。
「だからよぉ! マリィちゃんの邪魔をするなって言ってんだろ!」
「そ、そんなことを言われましても……」
……ん?何やら騒がしい。
受付の前には、黒とピンクを基調とした派手な服装の男女が数人集まっていた。
特徴的な髪型に、応援タオル。
そして、妙に威圧的な態度。
……ああ~エール団だ。
うっわ、懐かしい。
いや、実物を見るのは初めてなんだけどね。
前世では何度も見かけた連中である。
それにしても、こうして目の前にすると、なかなか迫力があるな。
「俺たちはマリィちゃんを応援してんだ!」
「ほかのチャレンジャーは引っ込んでな!」
男性団員が大声を上げる。
受付の女性は困り果てた様子で、後ろにはチェックインを待つ宿泊客もいた。
……いやいや。
何やってんの、この人たち。
推しを応援したい気持ちはわかる。
俺だって好きなものへの情熱なら負けない自信があるし。
でも、ほかの人に迷惑をかけるのは違うでしょうが。
しかも、応援している本人の名前を出して。
それ、マリィの評判まで悪くなりません?
「すみません」
俺は男性団員へ声をかけた。
「ああ!?」
勢いよく振り返ってくる。
……元気ですね。
「チェックインしたいので、少し通してもらってもいいですか?」
「今こっちは忙しいんだよ!」
「それはわかりましたけど、受付を塞いだままだとほかのお客さんも困りますよ」
なるべく穏やかに伝える。
喧嘩をしたいわけじゃない。
ただ、ホテルへ入りたいだけなんだよな。
「何だお前! 俺たちに文句があるってのか!?」
「文句というか、お願いですね」
「だったらポケモンバトルで決めようじゃねえか!」
……え?何でそうなる?
会話の途中でいきなりバトルを申し込んでくるの、いかにもポケモン世界だけどさ。
せめて話の流れくらい考えてほしい。
団員はボールを取り出すと、ホテルの入口近くにある広い通路へ向かった。
「来いよ! 勝った方の言うことを聞くんだ!」
「……わかりました」
俺は小さく息を吐いて、受付の女性へ振り返った。
「すみません。すぐ終わらせるので、少しだけ待っていてください」
「えっ? あ、はい……」
女性が戸惑いながら頷く。
さて。初日から変なことになったけど、ここはさっさと片づけよう。
「行け! ジグザグマ!」
「ジグザァッ!」
現れたのは、ガラルのすがたのジグザグマ。
白と黒の毛並みに、赤い舌。
威勢よく鳴きながら、地面を蹴っている。
……かわいい。
いや、普通にかわいいな。
色違いだったら赤と白なんだよなあ。
あっちの配色も好きなんだよね。
……っと。今はバトルだった。
「ルージュ、お願い」
「アブリィ!」
俺がボールを投げると、小さな妖精が軽やかに飛び出した。
色違いアブリボンのルージュ。
この一年間、対人戦を意識して徹底的に鍛えてきた子だ。
持ち物はこだわりスカーフ。
技構成も調整済み。
今のルージュなら、相手の動きを見て適切に対応できる。
「何だぁ? そんな小さいむしポケモンで勝てると思ってんのか!」
団員が笑った。
……おっと。
むしタイプを見た目で判断するとは。
なかなか勇気がありますね。
「ジグザグマ! たいあたり!」
「ジグザァッ!」
ジグザグマが勢いよく飛び込んでくる。
俺はその動きを確認し、短く指示を出した。
「ルージュ、ムーンフォース」
「アブリィ!」
ルージュがふわりと上昇した。
次の瞬間、淡い月光を思わせる輝きが彼女の周囲へ集まり、一直線に放たれる。
光がジグザグマを包み込んだ。
「ジグッ!?」
勢いよく飛び込んできたジグザグマは、そのまま後方へ弾き飛ばされる。
そして、地面に倒れ込んだ。
……はい、終了。
「ジ、ジグザグマ!?」
団員が慌てて駆け寄った。
ルージュはというと、得意げに羽を揺らしながら俺の肩へ戻ってきている。
「お疲れ、ルージュ」
「アブリィ♪」
俺は指先で小さな頭を撫でた。
まあ、相性もレベル差もあるからね。
さすがにここで苦戦するようでは、一年間の特訓が泣いてしまう。
「な、何なんだよ、お前!」
「ただのジムチャレンジャーですよ」
「むしポケモンなんか使いやがって!」
……ほう?今、何と?
俺は、思わず団員の顔を見た。
「むしポケモンの何が悪いんですか?」
「えっ?」
「むしタイプには優秀な特性を持つポケモンも多いですし、技範囲だって意外と広いんですよ。例えば――」
……あ。いかん。
つい語りそうになった。
ここで種族値や技構成の説明を始めたら、少なくとも三十分は止まらない。
相手も困るだろうし、俺もチェックインできなくなる。
ぐっと言葉を飲み込んだ、そのときだった。
「……ちょっと」
背後から、女の子の声が聞こえた。
「何しよるん?」
静かな声だった。
けれど、不思議とよく通る。
エール団の面々が一斉に振り返った。
「ま、マリィちゃん!?」
……マリィ。
その名前に、俺もゆっくりと顔を向けた。
そして。
思わず、目を見開いた。
♦
黒を基調とした服装に、鮮やかなピンク色のアクセント。
片側にまとめられた黒髪と、鋭さの中に柔らかさを感じる瞳。
少し不機嫌そうに眉を寄せているのに、不思議と表情は可愛らしい。
……うわ。本物だ。
マリィじゃん。
いや、知ってたけど!
この世界にマリィがいることくらい、当然知ってたけどさ!
実際に目の前に立たれると、やっぱり違うんですよ。
前世ではゲームの中で何度も見た。
ファンアートも見たし、ポケモンカードだって知っている。
特にマリィのカード。
あの高額っぷりには、何度驚かされたことか。
……いやぁ。
ポケカの世界って、時々恐ろしいよな。
カードじゃなくて、もはや株に近いもんな……。
そんなことを考えながら、俺は改めて彼女を見た。
実物のマリィは、想像していた以上に表情が豊かだった。
怒っているときにはちゃんと眉が動くし、話す相手によって声の温度も変わる。
それに、写真やイラストでは伝わらない雰囲気がある。
……なるほど。
これは、確かに人気が出るわ。
もっとも、俺だって前世は三十うん歳まで生きていた人間である。
彼女がいたことだって、まあ、ある。
それなりに恋愛も経験してきたし、女性と二人で食事をしたり、デートしたりしたこともあった。
だから、可愛い女の子を見たくらいで会話ができなくなるほど、初心なつもりはない。
……ないんだけど。
それはそれこれはこれ、である。
前世で知っていたマリィが、本当に目の前にいる。
その事実に驚かない方が無理でしょうが!
ただ、ここで変に興奮しても仕方がない。
相手からすれば、俺は初対面の男の子なんだから。
深呼吸して、気持ちを落ち着ける。
……よし、普通に話そう。
「……あんたたち」
マリィはエール団の面々を見回した。
「あたし、ほかのチャレンジャーの邪魔はせんでって言ったよね?」
「こ、これは違うんです!」
「俺たちはマリィちゃんのために!」
「……あたしのため?」
彼女の眉が、さらに寄った。
「だったら、ちゃんと応援してよ。ほかの人に迷惑かけるのは、応援とは違うやろ?」
「「「……すみません!!」」」
見事なまでの即答だった。
……圧倒的統率力。
さっきのジグザグマ戦より早く決着ついたぞ。
エール団の面々は肩を落とし、マリィに何度も謝っている。
彼女は小さくため息をついてから、こちらへ顔を向けた。
「……ごめんなさい。あの人たち、ちょっと熱くなりすぎるところがあるけん」
「大丈夫。怪我人もいないし、もう収まったから」
俺は笑って答えた。
「それに、君がちゃんと止めてくれたしね」
マリィは少しだけ驚いたように目を瞬かせた。
「……怒っとらんと?」
「別に。君が謝ることでもないと思うよ」
実際、騒いでいたのはエール団の人たちだ。
マリィ本人が迷惑をかけたわけじゃない。
そのうえ、きちんと注意してくれたんだから、それ以上責める理由もないだろう。
「ただ、また同じことがあったら、今度は自分たちで責任を取ってもらわないとね」
そう言って団員たちへ視線を向ける。
「……うっす」
「すんませんでした……」
全員、妙に素直だった。
マリィはそんな彼らを見てから、少しだけ口元を緩めた。
「……ありがと」
「どういたしまして」
俺も軽く笑い返す。
すると、彼女は俺の肩へ視線を向けた。
「……その子、アブリボン?」
「うん。ルージュっていうんだ」
「アブリィ♪」
ルージュが嬉しそうに羽を震わせる。
「……かわいいね」
「ありがとう。本人も喜んでるよ」
「ふふ。ほんとやね」
マリィはルージュをじっと見つめた。
「……もしかして、色違い?」
「お、よくわかったね」
「普通のアブリボンとは、少し色が違うけん」
……ちゃんと見てるな。
ルージュの色違いは、知らなければ見落とす人もいる。
それを一目で気づくあたり、ポケモンの観察が好きなのかもしれない。
「珍しいね」
「うん。俺にとっても大切な子なんだ」
俺がルージュの頭を撫でると、彼女は得意げに胸を張った。
……かわいいでしょう?
うちの子、最高でしょう?
まあ、いたずら好きなのが玉に瑕ですが。
「……あたし、マリィ」
彼女が改めて口を開いた。
「スパイクタウンから来たんよ」
「俺はリン。バウタウン出身だよ」
「バウタウン?」
「うん。ルリナさんのジムがある街」
「……じゃあ、みずポケモンも好きなん?」
「もちろん。でも、一番好きなのはむしタイプかな」
「ふふ。さっきも言っとったね」
あっ聞かれてた。
むしタイプへの熱い演説を始めかけたところ、しっかり見られていたらしい。
「俺、むしタイプ統一でジムチャレンジに参加するんだ」
「むしタイプだけで?」
「しかも全員色違い」
「……えっ?」
マリィが目を丸くした。
うん、そういう反応になるよね。
「それって、すごく珍しかね」
「かなり時間かかったけどね。最初の相棒とは十一年の付き合いだし」
「十一年……」
マリィは感心したように頷いた。
それから、少しだけ微笑む。
「リンも、ジムチャレンジャーなんやね」
「そうだよ。今日登録したばっかり」
「……そっか」
彼女は俺を真っ直ぐに見た。
「じゃあ、ライバルやね」
……おお、ライバル。
マリィと俺が。
同じ大会へ挑むライバル。
いやあ。
なんか、いいなあ。
前世で知っていた女の子と、今は同じ舞台に立とうとしている。
そう考えると、少し感慨深いものがある。
「うん。よろしく、マリィ」
俺が手を差し出すと、彼女は一瞬だけ驚いたような顔をした。
けれど、すぐに小さく笑って、その手を握ってくれる。
「……うん。よろしくね、リン」
細くて、温かい手だった。
軽く握手を交わし、自然に手を離す。
……よし。普通に会話できた。
前世の経験、ちゃんと役に立ってるじゃないか。
内心では結構な騒ぎなんですけどね。
そこはまあ、秘密ということで。
♦
チェックインを済ませたあと、俺はホテルの外にある休憩スペースで一息つくことにした。
夕暮れのエンジンシティは、昼間とはまた違った雰囲気だった。
赤茶色の建物が夕日に照らされ、街灯が少しずつ灯り始めている。
遠くからは蒸気機関の低い音が聞こえ、通りを歩く人々の影が長く伸びていた。
「ムーちゃん、出ておいで」
「グソッ!」
ボールから現れたのは、銀白色の装甲を持つ大きなグソクムシャ。
俺の最初の相棒、ムーちゃんである。
「……いやぁ、ついに来たな」
「グソ?」
「ジムチャレンジだよ。十一年かけて、ようやくここまで来たんだなって」
ムーちゃんは嬉しそうに身体を寄せてきた。
俺はその頭を撫でながら、少しだけ笑った。
四歳の頃は、あんなに小さなコソクムシだったのに。
今では俺よりずっと大きい。
しかもメガシンカまでできるようになった。
……ああ。
そういえば、初めてメガシンカしたときの抱擁は凄まじかったな。
四本腕で抱きしめられた瞬間、身体が圧縮されるかと思った。
あれは愛情表現という名の拷問器具だった。
「ムーちゃん、明日からもよろしくな」
「グソクシャ♪」
嬉しそうに鳴いたムーちゃんが、俺の背中へそっと前脚を回してくる。
……うん。
今日は優しくお願いしますね。
「……あ」
そのとき、後ろから小さな声が聞こえた。
振り返ると、買い物袋を提げたマリィが立っていた。
「あれ、マリィ」
「……リン?」
彼女は少し驚いたように俺とムーちゃんを見比べた。
「何しよるん?」
「相棒と休憩してたところ。マリィは買い物?」
「うん。モルペコのおやつを買ってきたと」
「そっか。よかったら、少し休んでいく?」
近くのベンチを示すと、マリィは少しだけ迷ってから頷いた。
「……じゃあ、ちょっとだけ」
彼女が隣のベンチへ腰を下ろす。
俺はムーちゃんの方を向いた。
「紹介するね。この子がムーちゃん。俺が四歳の頃から一緒にいる相棒なんだ」
「グソッ!」
ムーちゃんが前脚を上げた。
挨拶できて偉い。
「……グソクムシャ?」
「そう。しかも色違い」
「……すごい。さっきのアブリボンもやけど、ほんとに色違いばっかりなんやね」
マリィは素直に驚いていた。
ただ、すぐに別のところへ目を向ける。
「そのベルト、どうしたん?」
ムーちゃんの胸元。
白い斜め掛けのベルトには、銀色のバックルがあり、そこにグソクムシャナイトが収められている。
「ああ、これは大切な道具なんだ。俺とムーちゃんが、もっと強くなるためのね」
「……そうなんや」
マリィは興味深そうにベルトを眺めた。
そして、今度は俺の顔へ視線を向ける。
「……リンの、それも?」
「ん?」
「右耳のピアス」
……よく見てるな。
俺は黒い結晶のドロップピアスへ指を添えた。
「ああ、これもそうだよ。昔、師匠からもらった大切な石が入ってるんだ」
「……きれい」
マリィが、小さく呟いた。
「似合っとるね」
……褒められた。
しかもマリィに。
いや、嬉しいな。
このピアス、結構こだわって作ったからね。
「ありがとう。実は俺もかなり気に入ってるんだ」
「ふふ。そうなんやね」
「マリィの髪型も似合ってるよ。ピンクのアクセントがいい感じだね」
「……えっ?」
マリィが少し目を見開いた。
それから、頬をほんのり赤くして視線を逸らす。
「……ありがと」
……おや。
照れた?
今の、普通に褒めただけなんだけどな。
前世では、女性の服装や髪型が変わったら、それくらいの感想は伝えていた。
もちろん、何でもかんでも褒めればいいってものではないけど。
本人が気に入っていそうなところに気づけたなら、素直に伝えたいじゃないか。
……しかし。
こうして照れられると、こっちまで少し意識してしまうな。
何というか。
思っていた以上に、かわいい反応だった。
「……ムーちゃん、触ってもいい?」
マリィが尋ねた。
「もちろん。でも、本人にも聞いてみようか」
俺はムーちゃんへ顔を向ける。
「ムーちゃん、マリィが触ってもいいって」
「グソ?」
ムーちゃんはマリィを見つめ、少しだけ首を傾げた。
そして、ゆっくりと前脚を差し出す。
「グソッ」
「いいってさ」
「……ほんと?」
「うん。優しい子だから大丈夫」
マリィは少し緊張した様子で手を伸ばし、ムーちゃんの装甲へそっと触れた。
「……硬い」
「でしょ?」
「でも、あったかいね」
その言葉に、俺は少しだけ驚いた。
……ああ、そうなんだよな。
ムーちゃんの装甲は硬いし、見た目だって結構迫力がある。
でも、その奥にはちゃんと体温がある。
十一年間、俺がずっと感じてきた温かさだ。
「うん。すごく優しい子なんだ」
「……そうみたいやね」
マリィが微笑んだ。
その笑顔を見て、ムーちゃんも嬉しくなったらしい。
「グソォ~♪」
俺の背中へ前脚を回してきた。
……あ、いつものやつですね。
「よしよし。わかったって、ムーちゃん」
「グソォ♪」
ぐいっ。
「……おっと!」
身体が少し前へ傾く。
目の前にはマリィ。
危うく彼女へぶつかりそうになったけれど、何とか足を踏ん張った。
「ごめん。大丈夫だった?」
「……うん」
俺はすぐに身体を離し、マリィとの距離を戻した。
「ムーちゃん、嬉しくなると結構甘えてくるんだ」
「……ふふっ」
マリィが口元に手を添え、小さく笑った。
「ほんとに仲いいんやね」
「まあ、十一年も一緒だからね」
「……そっか」
彼女はもう一度、ムーちゃんを見上げた。
その表情は、さっきホテルでエール団を叱っていたときとはまるで違っていた。
凛とした雰囲気は残っている。
でも、今は年相応の柔らかな笑顔を見せている。
……いい笑顔だな。
思わず、そんなことを考えた。
前世の俺は、マリィをゲームのキャラクターとして知っていた。
でも今、目の前にいるのは、そのキャラクターを演じている誰かじゃない。
自分の意思で話し、笑い、大切なポケモンと一緒に旅をしている、一人の女の子だ。
当たり前のことだけど、実際に会うとその違いがよくわかる。
……うん。
せっかく知り合えたんだ。
ゲームで知っていることだけじゃなくて、この世界のマリィ自身のことも、少しずつ知っていけたらいいな。
♦
「……あっ」
マリィが突然、小さな声を上げた。
「どうした?」
「ちょっと待ってね」
彼女は買い物袋を開き、そこから一匹のポケモンを抱き上げた。
「モルペッ!」
……おお!
モルペコ!
実物のモルペコだ!
かわいいなあ!
丸い身体に、小さな手足。
しかも、あの独特の表情。
……いやぁ。
モルペコもいいよな。
はらぺこスイッチという特性も面白いし、オーラぐるまのタイプ変化だって戦術的に優秀だ。
……っと。危ない。
また頭の中で性能考察が始まるところだった。
「この子、モルペコっていうんよ」
「知ってるよ。かわいいね」
「ふふ。ありがと」
マリィは嬉しそうにモルペコを撫でた。
「ちょっとお腹が空きやすいけん、いつもおやつを持ち歩いとるんよ」
「なるほど。だから買い物してたんだ」
「そうそう」
モルペコが、俺の肩にいるルージュを見つめた。
ルージュも、興味深そうにモルペコを眺めている。
……ん?その顔。
嫌な予感がする。
「ルージュ?」
「アブリ?」
「いたずらは駄目だからね?」
「アブリィ♪」
……うん。
その返事、信用できないな。
案の定、ルージュはふわりと宙に浮き、モルペコの目の前へ飛んでいった。
「アブリ~♪」
ぱらぱら。
小さな花粉が舞う。
「……ルージュ!」
「モルペッ!?」
モルペコが、盛大なくしゃみをした。
そして。
「……モル」
表情が変わった。
……あっ、これは。
はらぺこもようですね。
「モルペコ、ちょっと待って!」
マリィが慌てて袋を開く。
俺もルージュを抱き寄せた。
「こら、ルージュ。知らない子にいたずらしないの」
「アブリィ……」
「ちゃんと謝ろうね」
ルージュは少しだけしょんぼりしたあと、モルペコへ向かって小さく鳴いた。
マリィはおやつを取り出し、モルペコへ渡している。
「はい、これ食べて」
「モルペッ!」
もぐもぐ。
もぐもぐ。
……。
…………。
無事、鎮静化。
「……ふぅ」
マリィがほっと息をついた。
「ごめんね。ちょうどお腹が空いとったみたい」
「いや、こっちこそごめん。ルージュが余計なことしちゃって」
俺たちは顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく笑ってしまった。
「ふふっ。賑やかな子やね」
「そうなんだよ。かわいいんだけど、目を離すとすぐいたずらするから」
「……リンも大変やね」
「まあ、それも含めて大切な仲間だからね」
俺が笑うと、マリィも柔らかく微笑んだ。
……なんか、いいな。
初対面なのに、意外と話しやすい。
無理に会話を続けようとしなくても、自然と話題が出てくる。
それに、彼女は人の話をちゃんと聞いてくれる。
ただ相槌を打つだけじゃなくて、興味を持ったことには質問もしてくれるし、ポケモンを見る目も優しい。
思っていた以上に、居心地のいい時間だった。
♦
「……そういえば、リン」
「ん?」
「リンは、どうしてジムチャレンジに参加したん?」
マリィが、少し真剣な顔で尋ねてきた。
「チャンピオンになりたいから?」
「もちろん、それもあるよ」
俺はムーちゃんの頭を撫でながら答えた。
「でも、一番は強いトレーナーとたくさん戦ってみたいからかな」
「……バトルが好きなんやね」
「大好きだよ」
これは即答だった。
「それに、今までずっと一緒に頑張ってきた仲間たちと、どこまで行けるのか試してみたいんだ」
俺はムーちゃんを見上げる。
十一年間、一緒に過ごしてきた相棒。
ほかの仲間たちも、みんなそれぞれに努力を重ねてきた。
その成果を、本物の大舞台で試してみたい。
前世では世界一位にまで上り詰めたけれど、それは画面の中での話だ。
今は違う。
目の前に本物のポケモンがいて、一緒に考え、一緒に戦える。
これ以上に楽しいことなんて、そうそうないと思う。
「……だから、すごく楽しみなんだよね」
俺が笑うと、マリィは少しだけ目を細めた。
「……そっか。いいね、そういうの」
「マリィは?」
「……あたし?」
「うん。マリィはどうしてチャンピオンを目指してるの?」
彼女は少し考え込んだ。
それから、遠くに見えるエンジンシティの街並みへ目を向けた。
「……あたしの故郷、スパイクタウンっていうんやけど」
「うん」
「ちょっと元気のない街なんよ」
……知ってる。
ゲームでも、彼女が故郷のためにチャンピオンを目指していたことは覚えている。
でも、今は余計なことを言わずに聞こうと思った。
これは、マリィ自身の言葉だから。
「あたしがチャンピオンになったら、街のことももっと知ってもらえると思うんよ」
マリィは、膝の上のモルペコを優しく撫でた。
「そうしたら、また人がいっぱい来てくれるかもしれんし……お兄ちゃんにも喜んでほしいけん」
「……そっか」
俺は静かに頷いた。
前世の俺は、マリィがそういう目標を持っていることを知っていた。
でも、実際に本人の声で聞くと、少し印象が違う。
単なるキャラクター設定じゃない。
彼女には本当に大切な故郷があって、家族がいて、そこで過ごした思い出がある。
そのために、こうして旅へ出てきたのだ。
「……いい夢だね」
自然と、そんな言葉が出た。
マリィが少し驚いたようにこちらを見る。
「……え?」
「自分のためだけじゃなくて、故郷のことまで考えてるんでしょ? すごいと思うよ」
「……そう、かな」
「うん。応援したくなる」
マリィが少し照れくさそうに笑った。
その表情が、何だか印象に残った。
ただし。
「まあ、俺も優勝するつもりだけどね」
「……え?」
「そこは譲れないから。マリィと戦うことになったら、全力で勝ちにいくよ」
一瞬、彼女がきょとんとした。
それから、楽しそうに笑った。
「……ふふっ。変わった人やね、リンって」
「えっ、何で!?」
「応援してくれるって言ったすぐあとに、負けんって言うけん」
「いや、応援と勝負は別じゃん!」
「ふふ。そうやね」
マリィが、また笑った。
……あれ。この子、思ったよりよく笑うな。
ゲームでは落ち着いた印象が強かったけれど、実際に話してみると表情が結構変わる。
少し照れくさそうに笑ったり、面白いことがあると口元を緩めたり。
それに、時々こちらをからかうような言い方もする。
……うん、いい子だな。
そして、普通にかわいい。
いや、前世から知ってたけどさ。
でも、今の俺がかわいいと思ったのは、ゲームの中のマリィじゃない。
目の前で楽しそうに笑っている、この女の子だった。
♦
「……そろそろ戻らんと」
マリィが、ホテルの方へ視線を向けた。
気づけば、辺りはすっかり暗くなり始めている。
「あ、もうこんな時間か」
……いかん。
楽しくて、つい長話してしまった。
「明日は開会式やけん、早めに休まんとね」
「そうだね。俺もそろそろ戻るよ」
俺はベンチから立ち上がり、マリィが立つのを待った。
「今日はありがとう。いろいろ話せて楽しかったよ」
「……あたしも」
彼女はモルペコを抱き直し、少しだけ微笑んだ。
「リン、明日も会えるかな?」
……おっ。
それは嬉しいお誘いですね。
「もちろん。同じジムチャレンジャーだし、きっと会えるよ」
「……そっか」
「もし見かけたら声かけて。俺からも挨拶するから」
「うん。そうする」
マリィは小さく頷いた。
それから、少し迷うように視線を動かしたあと、もう一度俺を見る。
「……リン」
「ん?」
「明日から、お互い頑張ろうね」
その声は、さっきより少し柔らかかった。
俺は笑って頷いた。
「うん。お互い頑張ろう」
「……ふふ。じゃあ、また明日」
「また明日、マリィ」
彼女が小さく手を振る。
俺も振り返した。
そして、モルペコを抱えたマリィの姿がホテルの中へ消えるまで、その背中を見送った。
「……ムーちゃん」
「グソ?」
「いい子だったな」
「グソッ」
ムーちゃんが、嬉しそうに頷く。
……うん。本当に。
前世では画面越しにしか知らなかったマリィ。
人気キャラクターで、たくさんの人に愛されていた女の子。
でも、今日出会ったマリィは、それだけじゃなかった。
エール団の迷惑行為をきちんと叱って。
ムーちゃんに触れる前には、ちゃんと許可を取って。
故郷のことを話すときには、真剣な表情を見せていた。
そして、笑うときは思っていた以上に柔らかい顔をする。
……なるほどね。
前世では知っているつもりだったけど、実際には知らないことばかりだ。
「……また話せるといいな」
俺が呟くと、ムーちゃんがこちらを覗き込んできた。
「グソ?」
「ん? いや、何でもないよ」
……まあ。
気になる女の子ができた、というにはまだ早いか。
今日会ったばかりだしね。
ただ、また会ってみたいとは思う。
今度は、もう少し彼女のことを聞いてみたい。
スパイクタウンって、どんな街なんだろう。
お兄さんとは、普段どんな話をするんだろう。
モルペコとは、いつから一緒にいるんだろう。
……うん。
知りたいこと、結構あるな。
そんなことを考えていると、ムーちゃんが俺の背中へ腕を回してきた。
「グソォ~♪」
「おっと、ムーちゃん。今日は優しくね?」
ぎゅっ。
「……ぐえっ」
……はい。
いつものやつですね。
いや、嬉しいけど!
嬉しいんだけどさ!
俺の肋骨、そろそろ耐久調整した方がいいのでは!?
♦
部屋へ戻った俺は、ベッドへ腰を下ろした。
ジムチャレンジへの正式登録。
エール団との遭遇。
そして、マリィとの出会い。
……うん。
なかなか濃い一日だった。
明日は開会式。
ここから本格的に旅が始まる。
ヤローさん、ルリナ姉さん、カブさん。
その先にも、強いジムリーダーたちが待っている。
もちろん、ほかのジムチャレンジャーたちとの勝負も楽しみだ。
今日出会ったマリィとも、いつか戦うことになるのだろう。
……楽しみだな。
俺は右耳の黒い結晶へ軽く触れた。
ムーちゃんたちと十一年間積み重ねてきた時間。
去年、一年間かけて仕上げた技構成と対人戦の練習。
そして、マスタード師匠から受け取った推薦状。
ここまで準備してきたんだ。
あとは、全力で楽しむだけだろう。
「……よし!」
俺はベッドへ倒れ込み、天井を見上げた。
……それにしても、マリィか。
思い返すのは、さっきの別れ際。
『明日も会えるかな?』
あの言葉を思い出すと、少しだけ頬が緩む。
……いや。
別に深い意味はないだろうけどね。
同じジムチャレンジャーだし、せっかく知り合ったんだからまた話そう、くらいのものだと思う。
それでも、嬉しかったのは事実だ。
前世で三十年以上生きて、それなりに恋愛も経験してきた。
だから、女の子の何気ない言葉を全部特別な意味に受け取るほど、浮かれているつもりはない。
……つもりは、ないんだけど。
『……似合っとるね』
ピアスを褒めてくれたときの声を思い出した。
……ああ。ちょっと嬉しいな、これ。
こういうのは、何歳になっても慣れるものじゃないらしい。
いや、今は十五歳なんですけどね。
それに、さっきマリィが少し照れた顔をしていたことも、妙に記憶に残っている。
……うん、かわいかった。
普通に。
「……寝るか」
俺は小さく笑って、部屋の明かりを落とした。
明日は大切な開会式だ。
ちゃんと寝て、万全の状態で臨まないと。
それに、これから先は忙しくなる。
強いトレーナーたちとのバトル。
まだ見ぬポケモンたちとの出会い。
そして、新しいライバルたち。
きっと、楽しいことがたくさん待っている。
……ああ。
本当に、わくわくするな。
俺は枕へ頭を預け、静かに目を閉じた。
エンジンシティの夜は、まだ賑やかだった。
窓の外からは、街を走る車の音と、遠くのスタジアムから聞こえる準備の音が微かに届いている。
その音を聞きながら、俺は明日から始まる冒険へ思いを馳せた。
……そういえば。
マリィも明日、開会式に出るんだよな。
また会えるかな。
……いや。
会えたらいいな。
そんなことを考えているうちに、自然と眠気が訪れた。
十五歳になった俺の、新しい冒険。
その最初の日は、思っていた以上に賑やかで、少しだけ心が弾む一日になった。
そして、このときの俺はまだ知らなかった。
今日出会ったあの女の子が、これからの旅で、どれほど大切な存在になっていくのかを。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。
よかったら、感想、評価、お気に入りいただけますと嬉しいです。
感想も一つ一つ大切に見させていただいております。
返せるときに全員返していきますので、軽率に感想いただけますと幸いです。