ジムチャレンジ開会式、当日。
エンジンシティの朝は、昨日にも増して賑わっていた。
街灯にはガラルリーグの旗が掲げられ、広場に設置された大型スクリーンでは、今年のジムチャレンジを紹介する映像が流れている。通りを歩く人々の中には、応援グッズを手にした家族連れや、真新しいユニフォーム姿のトレーナーも目立っていた。
街全体がお祭りのような雰囲気だ。
窓の外を眺めていた俺は、思わず口元を緩めた。
「……ついに来たなあ」
十五年間、ずっと楽しみにしてきた。
前世では画面越しに何度も経験したジムチャレンジ。それが、今日から本当に始まる。
……いやぁ。
何度考えても、わくわくする。
昨日だって興奮していたのに、いざ当日になると落ち着かないんだから困ったものだ。
俺は鏡の前に立ち、ユニフォームの襟元を整えた。
白を基調とした、ガラルリーグ公式のチャレンジャーユニフォーム。
胸元にはリーグのエンブレムが入り、背中には昨日登録した番号が大きく印刷されている。
666。
六匹の仲間。
六匹全員が色違い。
そして、むしタイプ統一。
俺のこだわりを詰め込んだ、三つの六だ。
……まあ、前世では悪魔の数字なんて呼ばれていた気もするけど。
そこは気にしない。
俺にとっては最高に格好いい番号なので。
「……しかし」
鏡の中の自分を、改めて眺める。
背番号666。
右耳には、黒い結晶のドロップピアス。
使うポケモンは、全員色違いのむしタイプ。
……あれ?何だろう。
主人公というより、悪の組織の幹部みたいじゃない?
しかも、ちょっと強めの中ボス。
いやいや。
俺は正義のポケモントレーナーですよ。
色違いへの執着が少々強いだけで、ごく普通の十五歳ですからね。
……普通かどうかについては、議論の余地がありそうだけど。
「よし!」
俺は気を取り直して、腰に並んだ六つのボールを確認した。
ムーちゃん、しずく、ルージュ、モス、かえで、フェリヤ。
十一年間を共に歩んできた相棒をはじめ、俺が心から信頼している仲間たちだ。
開会式には相当な数の人が集まるはずだ。
ムーちゃんたちも含めて、みんなにはボールの中で待機してもらおう。
「じゃあ、行ってくるね」
俺はボール越しに声をかけ、鞄を肩へ掛けた。
右耳のピアスが、朝日を受けて小さく揺れる。
……師匠。
ついに、ここまで来ましたよ。
推薦してくれたことに、改めて感謝しないとな。
まあ、今頃は道場でゲームでもしてそうだけど。
♦
「おーい! そこのお前!」
エンジンスタジアムへ向かう途中、背後から元気な声が飛んできた。
振り返ると、スポーティーな服装の少年がこちらへ手を振っていた。その隣には、栗色の髪を帽子に収めた女の子が立っている。
二人とも、年齢は俺と同じくらいだろう。
……うん?
いや、ちょっと待て。
あの顔。
あの髪型。
そして、あのやたら元気そうな少年。
……おいおい。
昨日はマリィで、今日はこの二人ですか。
ホップとユウリじゃねえか!
もちろん、知っている。
ホップは現ガラルチャンピオン、ダンデの弟。
そしてユウリは、前世のゲームでは主人公として操作できた女の子だ。
……冷静に考えると、なかなかすごいことになっている。
原作主人公が普通に歩いてるんですが。
しかも、こっちに話しかけてきた。
世界線、どうなってるの?
「なあ! お前もジムチャレンジャーだろ?」
少年が俺のユニフォームを指差した。
「そうだけど?」
「やっぱり! オレたちもなんだ!」
彼は嬉しそうに笑うと、勢いよく右手を差し出してきた。
「オレはホップ! よろしくな!」
「俺はリン。バウタウンから来たんだ」
「バウタウンか! いい街だよな!」
「ありがとう。俺も気に入ってるよ」
握手を交わすと、ホップは満足そうに頷いた。
……うん。
何というか、すごくホップだ。
ゲームで知っていた以上に、表情も声も明るい。
人懐っこいというか、初対面の相手にも遠慮がないというか。
こういう子、クラスに一人はいるよね。
「私はユウリ。よろしくね、リン!」
隣にいた女の子も、にこやかに挨拶してくれた。
「うん。よろしく、ユウリ」
ユウリは柔らかく笑い、俺のユニフォームへ視線を向ける。
「バウタウンから来たってことは、結構遠かったんじゃない?」
「昨日列車で来たよ。途中で景色を見るのが楽しくて、あっという間だったけど」
「わかる! 私もエンジンシティに着いたとき、すっごく興奮したもん」
「だよな! あのスタジアム、めちゃくちゃでかいし!」
ホップが身を乗り出してくる。
「オレ、早くあそこでバトルしてみたいんだ!」
「俺もだよ。観客席から見るのとは全然違うだろうしね」
「そうそう! それに、兄貴みたいなバトルができるようになりたいんだ!」
……おっ来ましたね。兄貴発言。
「兄貴って、もしかして?」
「ダンデだよ! ガラルチャンピオンの!」
ホップは誇らしげに胸を張った。
……うん、知ってました。
でも、本人から聞くとちょっと感慨深いな。
「すごいな。あのダンデさんの弟なのか」
「へへっ。でも、いつかは兄貴を超えるつもりなんだ!」
その目は、真っ直ぐだった。
ただ有名な兄を自慢しているんじゃない。
心から憧れていて、いつか同じ場所へ立ちたいと思っている。
そんな気持ちが伝わってきた。
「いい目標だね。俺もダンデさんと戦ってみたいよ」
「おっ! じゃあ、ライバルだな!」
「そうなるね」
「ちょっと、ホップ」
そこで、ユウリが横から口を挟んだ。
「私のこと、忘れてない?」
「忘れてないって!」
「さっきからリンとばっかり話してるじゃん」
「だって、新しいライバルだぞ!?」
「私だってライバルでしょ?」
「もちろん!」
「じゃあ、私にも勝つつもりなんだ?」
「当たり前だろ!」
ホップが胸を張る。
すると、ユウリは少し意地悪そうに笑った。
「昨日の練習試合では負けたのに?」
「うぐっ!?」
「一昨日も負けたよね?」
「ユウリ! 今それ言うなよ!」
「ふふっ。事実でしょ?」
……ああ、なるほどね。
二人のやり取りを見ているだけで、長い付き合いなのがわかる。
ユウリはホップの扱いに慣れているし、ホップも文句を言いながら、本気で怒っているわけじゃない。
それに、ユウリが少し離れようとすると、ホップは自然に歩幅を緩めて待っている。
本人たちは意識していないんだろうけど、こういう何気ない仕草に関係性って出るんだよな。
……うん。
仲いいな、この二人。
というか。
「なあ、お前ら付き合ってんの?」
何となく、聞いてみた。
深い意味はない。
あまりに自然な距離感だったから、気になっただけだ。
ところが……。
「えっ!?」
ユウリが、ものすごい勢いで俺を見た。
「つ、付き合うって……えっ、私とホップが!?」
「うん。違うの?」
「ち、違うよ! そういうんじゃなくて!」
彼女の頬が、みるみる赤くなっていく。
「私たちは、その……小さい頃からずっと一緒で……!」
……おや?
これは、思った以上の反応が返ってきたな。
対するホップはというと。
「ん? 何でそうなるんだ?」
心底不思議そうな顔をしていた。
「オレとユウリは幼馴染だぞ?」
「うん、それは聞いてるけど」
「それにライバルだ! オレたちはどっちが先にチャンピオンになるか競ってるんだからな!」
「……なるほど」
ホップは自信満々に頷いている。
一方、ユウリは口を開きかけて、何かを言い直すように閉じた。
「……もう。ホップはほんとに……」
「何だよ?」
「何でもない!」
「ええっ!? 何で怒ってるんだよ!?」
……うわあ、これはなかなか。
俺の中の元三十代男性が、何とも言えない顔をしている。
前世でそれなりに恋愛経験があった身としては、ユウリの反応にちょっと思うところがある。
ただ、それを指摘するのは野暮だろう。
少なくとも、今のホップには何も伝わっていない。
この子、バトルのことになると理解が早そうなのに、そういう方面の察しはあまりよくないらしい。
「ごめんごめん。仲がよさそうだったから、つい聞いちゃった」
俺が笑って謝ると、ユウリはまだ赤い顔のまま首を横に振った。
「う、ううん。別にいいけど……」
「ほら、ホップ。開会式に遅れるよ」
「おっ、そうだった!」
俺はさりげなく話題を戻した。
こういうのは、無理に追及しない方がいい。
……まあ。
二人の今後について、ちょっと興味は湧きましたけどね。
♦
「ところでリン! お前はどんなポケモンを使うんだ?」
歩きながら、ホップが尋ねてきた。
「俺? むしタイプだよ」
「むしタイプ?」
「うん。むしタイプ統一」
「……だけ?」
「だけ!」
ホップが目を丸くした。
ユウリも、少し驚いたような顔をする。
「えっ、六匹ともむしタイプなの!?」
「すっげぇ!!」
ホップが、周囲の人まで振り返るような声を上げた。
「そんなトレーナー初めて会ったぞ!」
……おお、実にいい反応だ。
バウタウンでは『むし博士』なんて呼ばれていたから、こうして素直に驚かれると嬉しい。
「でも、ほのおタイプとかひこうタイプにはどうするの?」
ユウリが興味深そうに尋ねた。
……おっ、いい質問ですね。
「もちろん、対策はしてるよ。みんな技範囲を広げてあるし、持ち物も相手に合わせて変えるつもり」
「へえ!」
「むしタイプだからって、相性だけで負けるつもりはないからね」
俺が笑うと、ユウリの目が少し輝いた。
「面白そう! リンとバトルしてみたい!」
「俺も。ユウリがどんな戦い方をするのか気になるし」
「じゃあ、今度勝負しようね!」
「どうせなら、公式戦で当たりたいな」
「いいね! じゃあ、お互い勝ち上がらないと!」
ユウリが嬉しそうに拳を握った。
……うん。
この子、見た目は柔らかい雰囲気なのに、かなりの負けず嫌いだ。
ホップとの練習試合でも、結構容赦なさそうだったし。
前世で主人公として知っていたけれど、実際に会ってみると、やっぱり知らないことばかりだな。
「オレだって負けないぞ!」
ホップが勢いよく割り込んでくる。
「もちろん。ホップとも戦ってみたいよ」
「よし! 約束だからな!」
俺たちは笑い合いながら、スタジアムへ続く道を歩いた。
それにしても。
まだ開会式が始まってすらいないのに、ライバルが二人も増えたんですが。
昨日のマリィを入れたら三人。
……いやぁ。
今年のジムチャレンジ、楽しすぎません?
♦
「……リン?」
スタジアムの入口へ到着したところで、聞き覚えのある声がした。
振り返ると、黒とピンクを基調とした服装の少女が、こちらへ歩いてきていた。
マリィだ。
「おはよう、マリィ」
「……おはよう」
俺が手を振ると、マリィも小さく手を上げた。
昨日より少しだけ表情が柔らかい気がする。
まあ、昨日はエール団の騒動から始まったからなあ。
あれと比べれば、今日は随分と平和な再会だ。
「昨日は、ちゃんと寝られた?」
マリィが尋ねてきた。
「うん。何とかね。マリィは?」
「……あたしも。ちょっと緊張してたけど」
「開会式、楽しみだね」
「うん。いよいよやけんね」
彼女が、少し嬉しそうに笑った。
……うん。
今日もかわいいな。
昨日は初対面ということもあって、多少意識してしまったけれど、今は普通に話せている。
もちろん、実物のマリィを見て嬉しくないわけじゃない。
ただ、昨日いろいろ話したおかげで、彼女のことを少しだけ知れた気がする。
前世のゲームで知っている女の子というより、昨日知り合った新しい友達。
今はそんな感覚の方が近かった。
「おっ! お前もチャレンジャーか?」
ホップが元気よく声をかけた。
マリィは一瞬驚いたように目を瞬かせたが、すぐに頷いた。
「……うん」
「オレはホップ! こっちはユウリ!」
「私はユウリ。よろしくね!」
「……あたしはマリィ。よろしく」
三人が挨拶を交わす。
こうして並ぶと、何だか不思議な気分だ。
ホップ。
ユウリ。
マリィ。
昨日まで、俺はほとんど一人で旅をしていた。それが、開会式を迎えた途端に三人ものライバルができたわけだ。
……いやぁ、最高じゃないか。
……それにしてもすごいなあ。
本当に、この世界で生きてるんだな。
今年のジムチャレンジ、始まる前から楽しすぎません?
「そういえば、リンとマリィって知り合いなの?」
ユウリが尋ねた。
「昨日、ホテルで会ったんだ」
「……うん。少し話したんよ」
「へえ! もう仲よくなったんだ?」
ユウリが楽しそうに笑う。
マリィは少しだけ首を傾げた。
「……そうなんかな?」
「少なくとも、俺は仲よくなれたと思ってたけど」
俺が笑って答えると、マリィがこちらを見た。
それから、ほんの少し頬を緩める。
「……ふふ。じゃあ、あたしもそう思っとく」
……いいじゃないですか。
友達認定、無事にいただきました。
「へえ、いいなあ」
ユウリが何やら嬉しそうに頷いている。
……ユウリさん?
さっきまでホップとの話で赤くなっていたのに、今度は人のことを面白がっていません?
この子、なかなか油断ならないな。
とはいえ、昨日知り合ったばかりのマリィが自然に会話へ加わってくれたのは嬉しかった。
ホップもユウリも話しやすい。
四人で歩いていると、まるで以前からの知り合いみたいな気分になる。
「……リン」
「ん?」
マリィが、俺の背中を見ていた。
「その番号、666なんやね」
「そうそう。いい番号でしょ?」
彼女は少し考えたあと、小さく笑った。
「……結構、目立つね」
「覚えてもらいやすいからね」
「ふふ。リンらしか」
褒められた。
いや、褒められたのか?
ちょっと微妙なところだな。
「666!?」
ホップが俺の背番号を見て、声を上げた。
「お前、悪の組織のボスみたいな番号だな!」
…………おい貴様。
それ、今朝の俺が自分で思ったやつ!
やっぱりそう見えるのか!?
「でも、私は覚えやすくていいと思うよ」
ユウリが笑いながら言った。
「決勝で戦うことになっても、絶対に忘れないしね!」
……なるほど、言うじゃないか。
「じゃあ、決勝で会おうか」
「うん! 約束ね!」
ユウリが嬉しそうに頷いた。
ホップも負けじと拳を掲げる。
「オレだって決勝まで行くぞ!」
「……あたしも、負けんよ」
マリィが、静かに言った。
……うん。いいねえ。
四人とも、本気で優勝するつもりだ。
こういう関係、嫌いじゃない。
むしろ、大好きである。
♦
「チャレンジャーの皆さん! まもなく開会式が始まります!」
係員の声が響いた。
周囲にいたトレーナーたちが、一斉に移動を始める。
いよいよだ。
俺たちも指定された通路を進み、スタジアムの内部へ向かった。
石造りの街並みとは違い、建物の中は近代的な設備で整えられている。広い通路の壁には歴代の大会を紹介する写真が飾られ、頭上には各地のジムのエンブレムが並んでいた。
通路の奥からは、低く響く歓声が聞こえてくる。
それが一歩進むごとに大きくなっていった。
「……すげえな」
ホップが、小さく呟いた。
さっきまであれほど騒いでいた彼が、少しだけ静かになっている。
ユウリも、期待と緊張が入り混じったような顔をしていた。
マリィは無言で前を見つめている。
その手は、少しだけ強く握られていた。
「……緊張するね」
俺が声をかけると、マリィがこちらを向いた。
「リンも?」
「もちろん。こんな大舞台、初めてだから」
「……そっか」
マリィは少しだけ安心したように笑った。
「リン、ずっと楽しそうやったけん、緊張せんのかと思っとった」
「いやいや。楽しみなのと緊張するのは別だよ」
俺は笑った。
「でも、緊張するくらい本気で挑めるって、いいことだと思う」
「……うん」
彼女が頷く。
「そうやね」
その表情が少しだけ柔らかくなったところで、係員から入場の合図が出た。
「それでは、チャレンジャーの皆さん! フィールドへお進みください!」
俺は一度、大きく息を吸った。
そして、前へ踏み出した。
♦
エンジンスタジアム。
その巨大なフィールドへ足を踏み入れた瞬間、全身を包み込むような歓声が響いた。
「…………!」
思わず、足を止めそうになった。
見上げるほど高い観客席。
巨大なスクリーン。
あちこちで振られる応援旗。
そして、何万人もの観客が生み出す圧倒的な熱気。
……うわ。これは。
本当にすごい。
前世では、何度もゲーム画面で見た光景だった。
でも、実際に立ってみると、まるで違う。
足元の芝生の感触も、照明の熱も、観客の歓声が身体に伝わってくる感覚も。
全部、本物だ。
「すっげえええ!!」
隣でホップが叫んだ。
……うん、気持ちはわかる。
めちゃくちゃわかるぞ、ホップ!
「人、多いね……!」
ユウリも、驚いたように観客席を見上げている。
「……ほんとに、すごいね」
マリィが、小さく呟いた。
その声には、わずかな緊張が混じっていた。
俺は彼女へ顔を向ける。
「うん。こんな場所で戦えるなんて、最高だね」
マリィは一瞬こちらを見てから、小さく笑った。
「……ふふ。リンはほんと、バトルが好きやね」
「そりゃもう!」
胸を張って答える。
でも、本当にそうなんだ。
俺はこの場所へ来たかった。
ムーちゃんたちと一緒に、こんな大舞台で戦ってみたかった。
その夢が、もうすぐ叶う。
そう思っただけで、胸の奥が熱くなった。
『さあ! 今年も始まりました!』
スタジアム全体に、実況者の声が響く。
『ガラル地方最大の祭典! ジムチャレンジ!』
観客席から大歓声が上がった。
チャレンジャーたちは番号順に整列し、俺も指定された位置へ移動する。
スクリーンには、参加者たちの姿が次々と映し出されていた。
その中に、自分の姿もある。
背番号666。
黒い結晶のピアス。
そして、少し緊張しながらも笑っている十五歳の少年。
……ああ。
俺、本当にここにいるんだな。
十一年前、小さなコソクムシと出会ったあの日には、まだ想像することしかできなかった景色。
ヨロイ島での修行。
カンムリ雪原での冒険。
仲間たちとの出会い。
そして、去年一年間の徹底した育成。
その全部が、今この場所へつながっている。
俺は腰のボールへ、そっと指先を触れさせた。
……ムーちゃん。
みんな。
やっと始まるぞ。
♦
『それでは、ご紹介いたしましょう!』
実況者の声が、さらに大きくなった。
『ガラル地方が誇る、無敗のチャンピオン!』
……来た。
『ダンデ選手の登場です!!』
会場が、爆発したような歓声に包まれた。
中央の通路から、一人の男性が姿を現す。
派手なユニフォーム。
大きく翻る赤いマント。
堂々とした立ち姿。
そして、観客席へ向けた自信に満ちた笑顔。
……ああ、ダンデだ。
前世では、何度も画面越しに見た男。
ガラル地方の無敗のチャンピオン。
リザードンを相棒に持ち、数々の強敵を退けてきた最強のトレーナー。
その本人が、今は目の前に立っている。
……すげえな。
ただ歩いているだけなのに、会場の空気が変わる。
観客の視線が、一瞬で彼へ集まっていく。
チャンピオンという肩書きだけじゃない。
実際に積み重ねてきた勝利と経験が、あの堂々とした姿を作っているのだろう。
「兄貴ぃぃぃ!!」
突然、ホップの大声が響いた。
……うん。知ってた。
ホップなら絶対叫ぶと思ってた。
ダンデがこちらへ顔を向ける。
そして、ホップを見つけると、大きく手を振った。
「おお! ホップ!」
「兄貴ー!!」
……いやぁ。いい兄弟だなあ。
ホップは本当に嬉しそうだった。
目の前にいるチャンピオンが、自分の兄であることを誇りに思っているのだろう。
でも、同時に。
いつか、その背中を超えたいと思っている。
……ホップ。
簡単な目標じゃないぞ。
でも、頑張れよ。
俺も負けるつもりはないけど、あの人を超えたいって気持ちはよくわかる。
ダンデは、堂々とフィールドの中央へ進んだ。
観客席へ手を振り、集まったチャレンジャーたちへ視線を向ける。
その表情は、どこまでも楽しそうだった。
この人も、本当にポケモンバトルが好きなんだな。
そう思った瞬間、俺の口元にも自然と笑みが浮かんだ。
いつか、戦いたい。
ゲームのデータとしてではなく。
本当にポケモンを育て、何年も無敗を守り続けてきた、この世界のダンデと。
ムーちゃんたちと一緒に、全力で挑んでみたい。
……いやぁ。
楽しみすぎるでしょうが。
「……リン?」
マリィが、こちらを見ていた。
「何か、嬉しそうやね」
「ん? ああ、強い人と戦えるのが楽しみでさ」
俺が答えると、彼女は小さく笑った。
「……変わっとるね」
「またそれ!?」
「ふふっ。でも……」
マリィは、フィールドの中央へ視線を戻した。
「……あたしも、楽しみ」
その声は、さっきまでとは少し違っていた。
柔らかさの中に、真っ直ぐな意志がある。
「絶対、勝つけん」
彼女が、小さく呟いた。
俺は、その横顔を見た。
昨日、故郷のためにチャンピオンを目指していると話してくれた女の子。
今、目の前の大舞台を見つめる彼女は、少しも迷っていなかった。
……うん。いいね。
この子も、本気なんだ。
「俺もだよ」
俺が答えると、マリィは少しだけこちらを向いた。
そして、静かに笑った。
まだ出会って二日目。
それでも、彼女がいいライバルになってくれそうなことは、何となくわかる。
もちろん、俺だって負けるつもりはない。
全員、本気で優勝を目指している。
だからこそ、面白い。
……ああ、最高じゃないか。
♦
開会式が終わると、チャレンジャーたちは順番にスタジアムをあとにした。
俺たち四人も、係員に案内されて出口へ向かう。
「いやぁ! すごかったな!」
ホップが興奮した様子で話し始めた。
「兄貴、やっぱり格好よかった!」
「うん、すごかったね」
ユウリが笑う。
「でも、ホップ。ずっとお兄さんばっかり見てたよね」
「そりゃそうだろ!」
「私たちも出てたのに?」
「……あ」
……おい、ホップ。
そこは気づこう。
「べ、別に忘れてたわけじゃないぞ!」
「ふふっ。わかってるよ」
ユウリは楽しそうに笑っている。
……うん。
やっぱり、この二人は見ていて飽きないな。
それにしても、ここまで仲がいいのに付き合っていないのか。
……いや。
正確には、ホップがまったくそういう方向を意識していないのかもしれない。
ユウリの方は……まあ、ね。
今朝の反応を見る限り、少なくとも何も感じていないわけではなさそうだ。
ただ、余計なことは言わないでおこう。
恋愛事情に首を突っ込むのは、ほどほどにしておいた方がいい。
「そういえば、みんな!」
ユウリがスマホロトムを取り出した。
「せっかく知り合えたんだし、連絡先交換しない?」
……おっ、いいじゃないか。
こういうところが実に陽キャっぽい。
「賛成。旅の途中で会えないこともあるだろうしね」
「オレも! バッジを取ったら自慢してやる!」
「ふふっ。じゃあ、私も自慢しちゃおうかな」
ホップとユウリが楽しそうに笑い合う。
俺はマリィへ視線を向けた。
「マリィもどう?」
「……あたしも?」
「うん。よかったら交換しよう」
マリィは少しだけ目を瞬かせた。
それから、小さく頷く。
「……うん。いいよ」
俺たちはそれぞれスマホロトムを取り出し、連絡先を交換した。
ホップは登録した直後に、早速メッセージを送ってきた。
『ホップ:よろしくな! オレが一番にチャンピオンになるからな!』
……早い。
登録して十秒も経ってないんですが。
続けて、ユウリからもメッセージが届いた。
『ユウリ:ホップより先にバッジ集めちゃおうかな?』
『ホップ:何だと!?』
……うん。
この二人、スマホでも変わらないな。
思わず笑ってしまう。
そこへ、マリィから短いメッセージが届いた。
『マリィ:よろしくね、リン』
……おっ。
名前入りだ。
別に特別な意味はないんだろうけど、こうして直接送ってもらえると、何だか嬉しいな。
『リン:こちらこそ! また会えたら一緒に話そう!』
少しして、返事が来た。
『マリィ:……うん。楽しみにしとる』
俺は画面を見て、小さく笑った。
……いいね。
旅先で新しい友達ができて、連絡先まで交換する。
こんな経験、前世のゲームではできなかった。
ポケモンの世界で生きるって、こういうことなんだな。
「よし! じゃあ、グループも作っちゃおう!」
ユウリが嬉しそうに提案した。
「グループ?」
「うん! みんなで連絡できた方が便利でしょ?」
「いいな!」
ホップが即答する。
俺も頷いた。
「そうだね。ジムチャレンジの情報交換もできるし」
「……あたしも、いいと思う」
マリィも賛成してくれた。
こうして、四人のグループが作られた。
名前は――。
『ガラルジムチャレンジ同期組』
……うん。なかなか普通だな。
もっと格好いい名前でもよかったけど、わかりやすいのが一番か。
「じゃあ、次に会ったときは誰が一番バッジを集めてるか勝負だな!」
ホップが拳を掲げる。
「いいね!」
ユウリも嬉しそうに応じた。
「……あたしも負けんよ」
マリィが静かに笑う。
俺も、思わず拳を握った。
「もちろん、俺だって負けるつもりはないよ!」
四人で顔を見合わせる。
さっきまで開会式で感じていた緊張が、いつの間にか心地よい高揚感へ変わっていた。
それぞれに夢がある。
それぞれに大切な仲間がいる。
そして、誰もがチャンピオンを目指している。
……うん。
こういうの、いいなあ。
前世では、画面の向こうにいた人物たち。
でも今は、こうして直接話して、笑って、連絡先まで交換できた。
俺自身が、物語の中にいるわけじゃない。
この世界で、一人のトレーナーとして生きている。
改めて、そう実感した。
♦
その後、ホップとユウリは先にホテルへ戻ることになった。
「じゃあな、リン! またどっかで会おうぜ!」
「うん。またね!」
「リン、次に会うときはバトルしようね!」
ユウリが笑いながら手を振った。
「もちろん。楽しみにしてるよ」
二人が並んで歩いていく。
ホップが何かを熱心に話し、ユウリが笑いながら返している。
……本当に仲いいな。
何というか、幼馴染っていいものですね。
俺にはあまり縁のなかった関係だから、少し羨ましい。
……まあ。
あの二人の今後については、ちょっと気になるけど。
「……リン」
「ん?」
振り返ると、マリィがまだ隣に立っていた。
「今日は、楽しかったね」
「うん。すごく楽しかった」
「……そっか」
彼女は少しだけ安心したように微笑んだ。
それから、スマホロトムを手にしたまま、俺を見上げる。
「……連絡先、交換できてよかった」
「俺も。これで旅の途中でも話せるね」
「……うん」
マリィが、小さく頷いた。
そして、少しだけ照れくさそうに笑う。
「リン、ポケモンの話いっぱいしそうやね」
「えっ、もうバレてる?」
「ふふ。昨日、結構話しとったけん」
……ああ。
そういえば、昨日もルージュやムーちゃんの話をしたな。
まあ、仕方ない。
俺の人生、ほとんどポケモンでできてますので。
「もし長かったら、遠慮なく言ってね」
「……別に、嫌とは言っとらんよ」
マリィが、少しだけ口元を緩めた。
……それは嬉しいな。
「じゃあ、今度ゆっくり話そうか」
「……うん。楽しみにしとる」
彼女はスマホをしまい、改めて俺へ向き直った。
「……リン」
「うん?」
「あたし、絶対チャンピオンになるけん」
その声は、小さいけれど、はっきりしていた。
俺は頷く。
「うん」
「だから……リンにも負けんよ」
マリィは、真っ直ぐに俺を見つめていた。
昨日、故郷への思いを話してくれたときと同じ瞳。
でも、今はそこに強い闘志が宿っている。
……ああ。いいね。
本当に、いいライバルだ。
「俺だって、負けないよ」
俺は笑った。
「マリィと戦うの、楽しみにしてる」
「……ふふっ」
マリィが、小さく笑った。
「あたしも」
その笑顔は、昨日初めて見たときよりも、少しだけ自然に感じられた。
まだ出会って二日目。
これからどんな関係になっていくのかなんて、わからない。
でも、少なくとも。
また会いたいと思える相手ができた。
それだけで、今回のジムチャレンジはさらに楽しみになった気がする。
「じゃあ、またね。マリィ」
「……うん。またね、リン」
彼女が小さく手を振った。
俺も振り返す。
そして、マリィがホテルへ戻っていく姿を見送った。
……うん。
いい一日だったなあ。
♦
ホテルへ戻った俺は、ベッドへ腰を下ろし、スマホロトムを開いた。
今日の開会式は、すでにニュースになっているらしい。
『今年のジムチャレンジ開幕! 注目のチャレンジャーたち!』
そんな見出しの記事が、画面いっぱいに表示されていた。
……おお。
さすがガラル。
ジムチャレンジへの注目度が違う。
記事を開くと、参加者たちの写真が並んでいた。
ホップ。
ユウリ。
マリィ。
そして。
…………。
……ん?
俺?
いや、待って。
何で俺まで載ってるの?
慌てて記事を読み進める。
『背番号666! 謎のむしタイプ統一使いが参戦!』
……おい。
謎のむしタイプ統一使いって何だ。
まだ一戦もしてないんですけど!?
『元ガラルチャンピオン、マスタード氏から推薦を受けた少年トレーナー。むしタイプのみを使用し、手持ちはすべて色違いという異色の挑戦者として注目されている』
……おお。
師匠の名前まで出てる。
さすが元チャンピオン。
影響力がすごいな。
ただ。
記事の最後に、余計な一文があった。
『不吉とも思える背番号666。その実力はいかに?』
……不吉?
「不吉って言うなぁぁぁ!!」
思わず叫んでしまった。
いや、確かに!
悪魔の数字なんて呼ばれることもあるけど!
俺にとっては、ちゃんと意味のある番号なんですよ!?
六匹の仲間!
全員色違い!
むしタイプ統一!
どこをどう見ても、最高の番号でしょうが!
……まあ。
選んだのは俺なんですけどね。
すると。
スマホロトムが、ぴこんと鳴った。
ママンからのメッセージだった。
『リン、開会式見たわよ! 背番号、随分目立ってたわね』
……あ、ママン。見てたんだ。
『リン:でしょ! 結構気に入ってる!』
すぐに返事が来た。
『ママン:それはいいけど、悪の組織みたいってお父さんが言ってるわよ』
……パパンまで!?
何なんだよ、もう!
みんなして悪の組織扱いしないでください!
俺はただ、六匹の色違いむしポケモンと一緒に、ガラルの頂点を目指したいだけなんですけど!?
……いや。
冷静に考えると、結構悪役っぽい目標の言い方だったな。
まあ、いいか。
俺は笑いながらスマホを置き、腰に並んだ六つのボールへ目を向けた。
ムーちゃん。
しずく。
ルージュ。
モス。
かえで。
フェリヤ。
ここまで一緒に歩いてきた、大切な仲間たち。
そして今日、新しく出会った三人のライバル。
ホップ。
ユウリ。
マリィ。
それぞれに夢があって、譲れないものがある。
きっと、これから何度も競い合うことになるだろう。
勝ったり、負けたり。
時には悔しい思いをするかもしれない。
でも、それも含めて楽しみだった。
俺は右耳の黒い結晶へ触れた。
師匠からもらったキーストーンが、指先で小さく揺れる。
「……師匠」
窓の外には、夜のエンジンシティが広がっていた。
赤茶色の建物に明かりが灯り、遠くのスタジアムはまだ眩しく輝いている。
「俺、絶対に楽しんでくるよ」
そう呟いて、俺は笑った。
前世では、画面越しにしか知らなかった世界。
その中で今、俺自身が一人のトレーナーとして歩いている。
大切な仲間たちと。
新しくできたライバルたちと。
これから、どんな冒険が待っているんだろう。
……いやぁ。楽しみだ。
本当に、楽しみだ!
こうして。
背番号666、色違いむしタイプ統一使い。
リンのガラルジムチャレンジは、いよいよ本当の意味で幕を開けた。
……さて。
明日から、まずはヤローさんのジムへ向かうわけだけど。
草タイプのジムかぁ。
むしタイプ統一の俺にとっては、なかなか相性のいい相手だ。
とはいえ、油断は禁物。
ジムリーダー相手に、慢心なんてしたくない。
……うん。まずは一勝。
そこから始めよう。
俺はスマホロトムを手に取り、今日作ったばかりのグループを開いた。
ホップとユウリは、まだ明日の予定について盛り上がっている。
マリィも、ときどき短い返事を送っていた。
その様子を見て、思わず笑みがこぼれる。
……いいなあ。こういうの。
ライバルがいるって、やっぱり楽しい。
しかも、みんな本気で優勝を目指している。
……だったら。
俺も全力で行くしかないでしょうが!
「よし!」
俺は画面へ短いメッセージを打ち込んだ。
『リン:みんな、また会おう! 次はジムバッジ持ってね!』
すぐに返事が届く。
『ホップ:もちろんだ! オレが一番に取るぞ!』
『ユウリ:ふふっ。負けないからね!』
そして、少し遅れて。
『マリィ:……あたしも、負けんよ』
俺は、声を出して笑った。
……最高だ。
これから先、何が待っていても。
きっと、退屈する暇なんてないだろう。
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