よう実の世界に別班入れてみた   作:なかなかさかな

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初期の性格の綾小路視点です。


閑話 綾小路その1

 入学して、ひと月が終わろうとしている。

 このひと月で、俺にもいくつかの変化があった。話しかけられれば、それなりに返事ができるようになった。池や山内とも、廊下で会えば言葉を交わす程度の仲にはなった。

 この前は昼休みに池から「綾小路って、彼女いたことある?」と聞かれた。「ない」と正直に答えると、なぜか肩を組まれ、山内には「仲間だな」と言われた。何の仲間なのかは、最後まで聞きそびれた。

 それを友達と呼んでいいのかは、正直まだよく分からない。友達の定義というものを、誰かに一度きちんと教えてほしいくらいだ。

 学校そのものにもまだ慣れきってはいない。

 天井の隅には、どこへ行っても黒いレンズがある。毎月1日にはポイントが振り込まれ、入学の日には10万ポイントが入っていた。10万という金額が多いのか少ないのか、いまひとつぴんとこなかった。周りの騒ぎ方からすると、どうやらかなり多いらしい。

 普通の高校生活というのは、思っていたよりも覚えることが多い。

 それから、気になる相手が一人できた。

 ……いや、そういう意味ではない。

 浦原大輔。同じDクラスの、帰国子女だ。

 

――――――――――

 

 最初に見かけたのは、入学の日のバスの中だった。

 俺は前のほうの席で、窓ガラスに映る車内をぼんやり眺めていた。知らない人間がこれだけ乗り合わせる乗り物というのは、それだけで少し面白い。

 そのガラスの中で、後ろのほうの窓際に座る男子生徒と視線が重なりかけた。

 向こうもガラスに映る車内を見ていたような気がする。

 男子生徒はすぐに目をそらし、あくびをひとつして、ぼんやりした顔に戻った。

 俺と同じで、ガラスに映る景色が好きなのかもしれない。だとしたら、少しだけ親近感が湧く。……ただ、ぼんやりした顔に戻るのが、妙に早かった気はした。

 そのあと、優先席をめぐってちょっとした騒ぎがあった。

 金髪の男子生徒が席を譲らず、スーツの女性が困り、最後は同じ制服の女子生徒が車内全体に声をかけて丸く収めた。見事なものだった。

 俺は、座ったままだった。立つべきかどうか、少しだけ考えた。考えているうちに、話が終わっていた。隣に座っていた女子生徒も最初から最後まで窓の外を見ていた。

 ガラスの中で、後ろのほうの窓際の男子も座ったままだった。……もっとも、あそこからでは遠すぎるか。

 

――――――――――

 

 教室に入って、黒板の座席表でその男子生徒の名前を知った。

 自己紹介では、一人称を言い間違えていた。「わた……俺は」。

 教室は笑い、池が「帰国子女っぽくて」と声を上げた。浦原はぎこちなく頭を下げて、席に着いた。

 なるほど。失敗しても、ああいう形で受け入れてもらえることがあるのか。勉強になる。

 ただ、ひとつだけ引っかかった。しまった、という顔が浮かんでから消えるまでが、やけに短かったのだ。俺なら、もう少し長く引きずる。たぶん。

 俺の自己紹介は、まあ、ああいう出来だった。

 名前を言って、趣味をひとつ挙げて、よろしくお願いします、で締める。そこまでは決めていた。ところが、いざ立ってみると、趣味がひとつも思いつかなかった。言葉に詰まり、視線をさまよわせ、最後は自分でも聞き取れないくらいの声になった。

 平田が「よろしくね、綾小路くん」とやさしく声をかけてくれた。ありがたかった。ただ、池のような一言は、俺のときには誰からも出なかった。

 友達作りの第一歩としては、なかなかの失敗だったと思う。

 

――――――――――

 

 その日の夕方、コンビニの前でもう一度浦原を見かけた。

 俺はその少し前に、店の中で無料の棚を見つけていた。歯ブラシや石けん、ノートがただで持っていけるらしい。ありがたい話だと思った。それと同時に、毎月10万ポイントをもらえる学校に、なぜこんな棚が必要なのだろう、とも思った。

 店を出ると、須藤が店の前のスペースをめぐって上級生ともめていた。俺は少し離れた街灯の下で、それを眺めていた。決まりごとのないけんかというものを見るのは、思えば初めてかもしれない。

 浦原は自動ドアの脇で足を止めていた。見物しているだけのように見えたが、立ち方が少しだけ違った。両足に体重を均等に乗せて、どちらにでもすぐに動けるようにしている。

 殴り合いになったら、止めに入るつもりだったのだろうか。だとしたら、ずいぶん親切な帰国子女だ。

 ……あの何気ない顔のまま止めに入れるのだとしたら、親切というだけでは済まない気もするが。

 結局、殴り合いにはならなかった。須藤がDクラスだと分かった途端、上級生たちは笑い出し、「Dか。じゃあ、仕方ねえな」と言って去っていった。

 仕方ない、とはどういう意味だろう。Dであることが何かの理由になるらしい。よく分からないので、覚えておくことにした。

 

――――――――――

 

 次の日の部活動紹介では、最初のうちは俺もちゃんと壇上を見ていた。

 最後に壇上に上がった生徒会長は、マイクの前に立ったまま、何も言わなかった。ただ黙って、客席を見ている。それだけで、騒がしかった体育館が前の席から少しずつ静かになっていった。

 うまいやり方だと思った。声を張り上げるより、ずっとよく効く。

 ただ、途中からは壇上より、教室で隣の席の女子生徒のほうを見ていた。

 堀北鈴音。入学以来、俺の数少ない話し相手だ。もっとも、向こうが俺を話し相手だと思っているかどうかは、かなり怪しい。

 壇上の生徒会長は、堀北と同じ苗字だった。そして堀北は、膝の上で両手をきつく握りしめたまま、その男が消えていった舞台袖をずっと見つめていた。

 何か声をかけるべきか、少し考えた。考えているうちに、やめておいたほうがいい気がしてきた。たぶん、正しい判断だったと思う。

 会が終わったところで、視線を感じた。後ろのほうの席からだ。

 浦原だった。体育館の一番後ろに近い席。壇上を見るには遠すぎるが、客席を見渡すにはちょうどいい。

 あいつも壇上ではないものを見ていたらしい。

 もっとも、部活に入るつもりのない人間が後ろのほうに座るのは、別に珍しいことでもない。だから、たぶん深い意味はない。……たぶん。

 

――――――――――

 

 浦原の英語を初めて聞いたのは、その週の英語の授業だった。

 浦原が当てられて英文を読み始めると、教室がすっと静かになった。教科書の英語というより、向こうで暮らしていた人間の英語だった。帰国子女なのだから、当然といえば当然なのかもしれない。

 先生が試すように英語で尋ねた。浦原は迷わず英語で答えた。

 問題は、その直後だった。

 浦原は日本語で付け足した。「……あの、英語は、話すほうが楽で」。その前に、ほんの少しだけ間があった。

 言葉を探す間、というより、間を置くことを思い出したような間だった。

 教室に小さな拍手が起こり、池が「すげえ、本物じゃん」と声を上げた。俺も一応手を叩いておいた。周りに合わせて拍手をするというのも、このひと月で覚えたことのひとつだ。

 

――――――――――

 

 水泳の授業では、浦原と同じ組になった。

 その日の朝、池や山内たちが教室の後ろで何やら盛り上がっていた。女子の胸の大きさで、賭けをするらしい。本人たちは声をひそめているつもりのようだったが、俺の席まで丸聞こえだった。

 前のほうで話していた女子たちの会話が、途中でぴたりと止まったのにも気づいた。池たちに教えるべきだったのかもしれない。だが、教えたところで、たぶん止まらなかったと思う。

 案の定、プールサイドに出ると、女子の大半が見学のベンチに座っていた。賭けは、始まる前に終わった。

 体育教師は男子50メートル自由形の1位に、5000ポイントを出すと言った。先生がポイントを配れるのなら、先生がポイントを取り上げることもあるのかもしれない。そう思ったが、今は泳ぐことを考えたほうがいい。目立たない程度に。

 笛が鳴って水に入ると、隣のレーンの浦原は周りの水しぶきを見ながら泳ぎ始めた。前を行く水泳部の男子との距離、後ろの男子との距離。それを見ながら、少しずつ速さを変えている。

 組の真ん中に入るつもりなのだろう。俺も、そのつもりだった。目立たないのが一番だ。

 だから、自然と並んだ。

 25メートルの壁で蹴る力を抜いた。ここで強く蹴ると、半身ほど前に出てしまう。

 すると、隣の水しぶきが一度だけ強くなった。

 ……試されているのか?

 考えすぎかもしれない。ただ、なんとなく、ここで置いていかれるのは癪だった。気づけば、俺も少しだけ速くなっていた。浦原が速さを戻すと、俺も戻した。壁に手をついたのは、ほぼ同時だった。

 プールの縁で、隣に座ってみた。

 同級生の隣に、自分から座る。俺にしては、かなり思い切った行動だ。

 浦原は肩で息をしていた。ただ、呼吸の間隔はほとんど乱れていない。肩だけが、律儀に上下している。

 疲れたふりが上手なのか、それとも肺が丈夫なだけなのか。帰国子女というのは、みんなこうなのだろうか。比べる相手がいないので、よく分からない。

 肩口の筋肉のつき方にも、つい目がいった。運動部の体とは、少し違う。見せるための厚みがなくて、ついている場所に無駄がない。

 視線を水面に戻したのと、浦原の目がこちらに向いたのは、ほとんど同時だった。

 ……人の体をじろじろ見るのは、普通の高校生としてはまずかったかもしれない。気をつけよう。

 何か話さなければと思い、自己紹介のときのことを口にした。「大変だったな」。浦原は「忘れてほしい」と言った。「たぶん、みんなもう忘れてる」と返した。慰めたつもりだったが、うまく伝わったかどうかは自信がない。

 それから、アメリカのどのへんにいたのかを聞いてみた。

 

「……西海岸。小さい町だから、言っても分からないと思う」

 

 答えはすらすらと出てきた。それでいて、町の名前は出さない。

 聞かれる前から、答えを用意していたような言い方だった。……まあ、何度も聞かれていれば、そうなるか。

 中学はどこかと聞き返されて、俺は「普通の中学だ」と答えた。それ以上は、うまく説明できる気がしなかった。

 浦原は「そっか」とだけ言って、それ以上は聞いてこなかった。

 そのあと、高円寺が23秒台で泳いだ。プールサイドがどよめく中で、俺は「すごいな」と言った。浦原も「すごい」と返した。

 二人とも驚くほど気の抜けた声だった。少なくとも、そこだけは気が合ったらしい。

 

――――――――――

 

 小テストの日にも、少しだけ浦原のほうを見た。

 最後の三問はたしかに難しかった。高校に入ってひと月も経たない生徒に出す問題ではない。成績に関係のないテストにわざわざこんな問題を混ぜるのには、何か理由があるのだろう。そう思っただけで、深くは考えなかった。

 早めに鉛筆を置いて、窓の外を眺めるのにも飽きてきたころだ。廊下側の席で、浦原の鉛筆が止まっていた。そのまま、しばらく動かない。

 解けない問題を前にした人間は、もっとそわそわするものだと思っていた。池は頭を抱えていたし、堀北は何度も消しゴムを使っていた。浦原はそのどれもしなかった。ただ問題用紙を見下ろして、静かに鉛筆を置いた。

 諦めが早いのか、それとも。

 俺の点数は、ちょうど真ん中あたりになるはずだ。

 

――――――――――

 

 4月30日の夜、部屋でぼんやりしていると、廊下から池の大きな声が聞こえてきた。明日入る10万で、何を買うかという話らしい。

 俺は明日10万が入るとは、あまり思っていなかった。理由を言葉にするのは難しい。ただ、この学校はポイントを配りっぱなしにしておくには、ずいぶんと目が多い。

 念のため、石けんをひとつもらいに行くことにした。念のため、というのは、つまり、そういうことだ。

 コンビニの無料の棚の前で、また浦原に会った。

 月の最後の夜に、この棚を見に来る新入生はほとんどいない。明日になれば、また10万ポイントが入ると、みんな信じているからだ。

 棚の反対側の端に浦原の姿を見つけたとき、少しだけ驚いた。それから、少しだけ納得した。

 目が合った。会釈をすると、向こうも同じくらい小さく頭を下げた。

 何か言うべきだったのかもしれない。「お前も無料の棚か」とか。だが、気の利いた一言がすぐに出てくるような人間なら、俺はもう少し友達が多い。

 石けんの会計を済ませて店を出ると、夜風が少し冷たかった。

 浦原大輔が何者なのかは、よく分からない。

 物静かな帰国子女。少し不器用で、英語が得意で、自己紹介で一人称を言い間違えた男。教室での浦原はずっとそういう顔をしている。それなのに、ときどき、その顔の向こうから別の誰かがこちらを見ているような気がする。

 クラスの誰もそれに気づいている様子はない。気づいているのが俺だけなのだとしたら、困るのはむしろ俺のほうかもしれない。普通の高校生は、たぶん、そんなことには気づかない。

 一瞬、ある場所のことが頭をよぎった。だが、すぐに打ち消した。考えすぎだ。あそこを出てきたばかりの人間が、何にでもそれを重ねてしまうのは、たぶんよくない癖だ。

 友達になれるかどうかは、分からない。なれない気も、少しする。

 ただ、不思議と、嫌な感じはしなかった。

 明日になれば、この学校の答え合わせが始まる。

 




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