よう実の世界に別班入れてみた   作:なかなかさかな

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5月その1

 5月1日の朝、浦原はいつもより少し早く目を覚ました。

 カーテンの隙間から差し込む光が、天井に細い線を引いている。廊下はまだ静かだった。昨夜あれだけ騒いでいた部屋の主たちも、さすがにまだ眠っているらしい。

 浦原は枕元のスマートフォンを手に取り、ポイントの残高を開いた。

 表示された数字は、昨日の夜に見たものと少しも変わっていなかった。

 

(……入っていない)

 

 画面を一度閉じ、もう一度開く。数字は同じだった。振り込みの履歴にも、新しい行はひとつも増えていない。

 減ることは、読んでいた。全額は入らないだろうと、昨夜、ベッドの中で考えたとおりだ。半分か、三分の一か。読みはいくつか立ててあった。その一番底に置いていたのが、0だった。

 あり得なくはない。だが、高校生相手にそこまではしないだろう。そう思って、底に置いた数字だった。

 指先が画面の上で一拍だけ止まった。

 浦原はその一拍のあいだに、ゆっくりと息を吐いた。驚きは、顔に出る前に呑み込む。別班に入るよりずっと前から、体に叩き込まれてきたことだ。この部屋にカメラがないと分かっていても、癖は変わらない。

 

(最悪の読みが当たったか。……この学校は、思っていたより容赦がない)

 

 ひと月分の暮らしがまとめて0と評価された。そういうことだろう。遅刻も、居眠りも、私語も、ひとつ残らず数えられていたのだ。

 浦原自身の暮らしには、それほど響かない。入学の日の10万ポイントはまだ半分以上残っている。無料の棚もあれば、山菜定食もある。上級生たちがこのひと月で黙って教えてくれたことだ。

 気になるのは、このあと教室で起きることのほうだった。

 

――――――――――

 

 寮の廊下が騒がしくなったのは、それから30分ほどあとのことだった。

 

「おい、入ってねえぞ!」

 

「俺もだって。バグだろ、これ」

 

 池の声だった。扉の開く音が続き、あちこちから同じような声が上がり始める。浦原は寝ぐせのついた髪のまま廊下に顔を出し、何も知らない顔で首をかしげてみせた。

 

「……入ってないの?」

 

「浦原もか? だよな、絶対おかしいって。学校のシステムが壊れてんだよ」

 

 池は自分のスマートフォンの画面を、何度も指で引っぱって更新している。更新したところで、数字は変わらない。

 登校の道でも、教室に入ってからも、話題はそればかりだった。誰に聞いても、入っていないと言う。少しだけ入っていた、という者は一人もいない。誰かが「ほかのクラスのやつは、ちゃんと入ってたらしいぞ」と言い出し、教室がまたざわついた。

 

(ほかのクラスには、入っている。……評価は、クラスごとか)

 

 浦原は自分の席から、教室をひととおり見渡した。

 騒いでいる者が、ほとんどだった。だが、全員ではない。

 窓際の最後列で、堀北はいつもと同じように教科書を開いていた。ページをめくる手が、いつもより少しだけ遅い。その隣で、綾小路は頬杖をついて窓の外を眺めていた。昨夜、無料の棚の前で見たのと同じ、何の色も浮かんでいない顔だ。

 前の席の松下は周りの女子たちと顔を寄せ合って、「どういうこと?」と小声で言い合っていた。

 

――――――――――

 

 始業のチャイムと同時に、茶柱が入ってきた。

 手には筒状に丸めた大きな紙を二本抱えている。茶柱が教壇に立っても、教室のざわめきはすぐには収まらなかった。

 

「先生! ポイントが振り込まれてないんですけど」

 

 池が手を挙げるより先に声を上げた。

 

「いや、今朝、振り込まれたぞ」

 

「入ってないですって。0のままなんですけど」

 

「だから、振り込まれた。お前たちの分は、きっちりとな」

 

 茶柱は一本目の紙を黒板に広げ、磁石で四隅を留めた。

 大きな文字で、四つの行が書かれていた。

 Aクラス 940

 Bクラス 650

 Cクラス 490

 Dクラス 0

 教室がしんと静まり返った。

 

「この学校では、クラスごとにポイントがつけられている。お前たちが毎月受け取るポイントは、このクラスのポイントで決まる。クラスのポイント1につき、一人100ポイント。1000なら、10万だ」

 

 940なら、9万4000。0なら――。計算するまでもなかった。

 

「入学した時点で、どのクラスも1000を持っていた。遅刻、欠席、授業中の私語、居眠り、携帯電話。それらをひとつずつ数えて、差し引かせてもらった」

 

 茶柱は手元の紙に目を落とし、遅刻と欠席の回数、私語と携帯電話の回数を、淡々と読み上げた。どちらも浦原が頭の中でつけていた数と、大きくは違わなかった。

 

(数えた目、か。……文字どおりだったな)

 

 日本史の授業で、違反する生徒を一人ずつ見ていった茶柱の目。小テストの答案を集めたあとの、あの見渡し方。あれはたとえでも何でもなかった。茶柱は本当に、数えていたのだ。

 入学式の日、理事長は学校の仕組みについて何ひとつ口にしなかった。小テストのあとに理事長室を訪ねたときもそうだった。その理由も、今なら分かる。教えてしまえば、それは浦原一人にだけ、答えを先に渡すことになる。この学校の理事長として、それだけはできなかったのだろう。

 平田が席から立ち上がった。

 

「先生。そういうことなら、どうして最初に説明してくれなかったんですか。知っていれば、みんな気をつけたはずです」

 

「遅刻をするな。授業中に寝るな。そんなことは、小学生でも知っている。わざわざ言われなければ、守れないものか?」

 

 平田は言葉に詰まった。

 

「それから、ひとつ伝えておく。今日から態度を改めても、失ったポイントは戻らない」

 

 教室のどこかで、椅子のきしむ音がした。

 

「この学校では、入学の時点で、優秀な者から順にAクラスに入れている。Dクラスは、その最後に残った者たちだ。――言ってみれば、不良品だな」

 

 空気が、凍りついた。

 浦原は驚いたように目を見開いてみせながら、教室を見渡した。

 池と山内は口を開けたまま固まっていた。須藤は今にも机の脚を蹴りつけそうな顔で、茶柱をにらんでいる。平田は青ざめていたが、背筋は伸びたままだった。

 櫛田は両手で口元を覆っていた。驚きと戸惑いが、ちょうどいい加減に混ざった顔だ。誰が見ても、ショックを受けた女の子の顔に見える。

 

(……整いすぎている、気もするが)

 

 前の席の松下は周りと同じように息を呑んでいた。高円寺は椅子の背にもたれたまま、面白い芝居でも観るように口の端を上げている。

 窓際の最後列では、堀北が机の上で両手を握りしめていた。部活動紹介の日、壇上の兄を見つめていたときと、同じ握り方だった。不良品という言葉は、ほかの誰よりも堀北に深く刺さったように見えた。

 そして、その隣。

 綾小路の顔は、ほとんど動いていなかった。

 黒板の数字をただ見ている。驚いていないわけではないのかもしれない。だが、その驚きが顔の表面まで上がってこない。昨夜、無料の棚の前で石けんを手にしていた男だ。今朝の0に、驚く理由はないのだろう。

 

(驚いていないのは、高円寺と、綾小路。……それと、俺か)

 

 自分の顔は、ちゃんと驚いて見えているはずだった。

 

「クラスの順位は、このポイントで決まる。Cクラスより多くのポイントを持てば、お前たちがCクラスになる。それだけのことだ。それと、この学校が約束している進学と就職だが――あれが叶うのは、Aクラスで卒業した者だけだ」

 

「そんな話は、聞いていません!」

 

 声を上げたのは、前のほうの席の男子だった。眼鏡の奥の目が怒りで揺れている。幸村輝彦。入学してから、授業中に一度も居眠りをしなかった数少ない生徒の一人だ。

 

「聞かれなかったからな」

 

 茶柱の答えはそれだけだった。

 

「もうひとつ、見せておくものがある」

 

 二本目の紙が黒板に広げられた。先週の小テストの結果だった。四十人の名前が、点数の高い順に並んでいる。

 一番上には、ふたつの名前があった。高円寺六助と、幸村輝彦。どちらも90点だ。

 浦原は自分の名前を探すより先に、紙の上から下までを目でなぞった。四十の数字を頭の中で順に足し上げていく。

 

(合計で、2575。……平均は、64.4か)

 

 浦原大輔、70点。名前は上から三分の一ほどのところにあった。平均を少しだけ上回る。狙いどおりの位置だ。

 堀北の名前は、上から数えてすぐのところにあった。

 紙の下のほうには、赤い線が一本、横に引かれていた。線より下に並んだ名前は、七つ。池、山内、須藤の名前もその中にあった。須藤は15点。一番下だった。

 

「32点に届かなかった者は、赤点だ。今回は成績に反映しないと言ったが、もしこれが中間テストだったら――この七人は、退学になっていた」

 

 女子の誰かが、小さく悲鳴を上げた。

 

「中間テストは、三週間後だ。赤点をひとつでも取れば、その時点で退学になる。せいぜい、励むことだな」

 

(32点。……64.4の半分が、32.2)

 

 偶然かもしれない。だが、この学校が線を引く場所を気まぐれで決めるとは思えなかった。もし平均点の半分が赤点の線なら、その線はクラス全体の出来しだいで上がりも下がりもすることになる。

 浦原はそれを頭の片隅に書き留めて、紙の中ほどへ目を戻した。

 綾小路清隆、50点。

 

(ちょうど、50か)

 

 一問5点の試験だ。50点そのものは珍しい点数ではない。十問正解すれば、誰でも50点になる。

 だが、平均は64.4だった。名前の並びでいえば、50点は真ん中より下になる。真ん中あたりを狙っただけの者が、たまたま落ちる場所にしては、少し低すぎる。

 

(クラスの出来を読み違えたのか。それとも、最初から50と決めていたのか)

 

 小テストの日、綾小路は誰よりも早く鉛筆を置き、答案を伏せて窓の外を眺めていた。解き終えたのか、最初から解く気がないのか。あのとき浦原は、どちらとも取れると考えた。

 今なら、もう少しだけ言える。どちらにしても、あの男は自分の点数を自分で決めている。

 茶柱は二枚の紙を黒板に残したまま、教室を出ていった。扉の閉まる音が、やけに大きく響いた。

 

――――――――――

 

 茶柱の足音が遠ざかると同時に、教室は弾けたように騒がしくなった。

 

「ふざけんなよ、聞いてねえって!」

 

「不良品って何だよ。言っていいことと悪いことがあるだろ」

 

「てか、誰のせいだよ。毎日遅刻してたやつ、いただろ」

 

 最後の一言で、何人かの視線が同じ方向へ向いた。

 須藤だった。

 

「あ? 俺のせいだって言いてえのかよ」

 

 須藤が椅子を鳴らして立ち上がり、教室の空気がさらに尖る。今にも誰かがつかみかかりそうになったところで、明るい声が割って入った。

 

「待って待って。今は、誰のせいとか言ってる場合じゃないよ」

 

 櫛田だった。須藤の前に回り込み、両手を軽く広げて笑いかける。それから、言い返そうとしていた男子のほうにも「ね?」と首をかしげてみせた。

 それだけで、尖っていた空気が少しずつ丸くなっていく。櫛田は教室の中を行き来しながら、泣き出しそうな女子に声をかけ、言い返しかけた男子をなだめて回った。

 

(……やはり、場の空気の動かし方を心得ている)

 

 入学の日のバスで見たのと同じだった。誰も逆らえない言葉を選び、誰も傷つけない笑顔で差し出す。

 話はやがて、これからどうするかへ移っていった。遅刻をしない。授業中に寝ない。私語をしない。当たり前のことを、当たり前に守る。誰かがそう言い出すと、ほとんどの者が頷いた。

 頷かなかったのは、須藤だけだった。

 

「知るかよ。眠いときに寝て、何が悪いんだよ」

 

 須藤は吐き捨てるように言って、乱暴に席に座り直した。誰もそれ以上は言い返さなかった。だが、教室の空気ははっきりと須藤から離れていった。昨日までは笑って見過ごされていた須藤の居眠りが、今日からはクラス全員のポイントを削るものになる。誰もがそのことに気づいてしまったのだ。

 浦原は周りに合わせて頷いていた。

 何かを言うつもりはなかった。このひと月、何も手を打たなかったのは、自分で決めたことだ。今さら教室の前に立ち、何かを語れば、浦原大輔という生徒はその日から別の顔を持つことになる。

 休み時間になると、平田が窓際の最後列へ歩いていった。

 

「綾小路くん、堀北さん。放課後、クラスのポイントをどう増やすか、みんなで話し合おうと思うんだ。よかったら、二人も――」

 

「遠慮しておくわ」

 

 堀北の返事は、平田が言い終わる前に返ってきた。綾小路も少し迷うような間をおいてから、「……俺も、いい」と言った。

 平田は困ったように笑って、それ以上は押さなかった。

 

(わざわざ、あの二人を誘いに行ったのか)

 

 輪に入らない者を放っておけない性分なのだろう。だが、教室の中で誰が輪の外にいるのかを、平田はちゃんと見ている。親切な人間というのは、案外よく人を見ているものだ。

 浦原の席には、平田は来なかった。

 それでいい、と浦原は思った。誘われない程度には、浦原大輔は目立っていない。

 

――――――――――

 

 放課後、帰り支度をしていると、教室のスピーカーが短く鳴った。

 

『1年Dクラスの綾小路清隆くん。担任の茶柱先生がお呼びです。職員室まで来てください』

 

 何人かが窓際を振り返った。

 

「綾小路、お前、何やったんだよ」

 

「呼び出しとか、かわいそー」

 

 池たちの冷やかしに、綾小路は困ったように首をかしげただけで、鞄を手に教室を出ていった。

 

(……呼び出し、か)

 

 浦原は理事長室へ向かう廊下で茶柱とすれ違った日のことを思い出していた。入学式の日にも、呼ばれていたな。あのとき茶柱は、そう言った。

 茶柱は生徒をよく見ている。その茶柱が今日、綾小路を名指しで呼んだ。

 

(あの50点に、気づいたか)

 

 浦原は少し時間をおいてから教室を出た。

 昇降口へ下りるには、職員室の前の廊下を通るのが近い。入学してから何度も使ってきた道順だ。今日その道を選んだところで、誰も不思議には思わない。

 職員室が見えてきたところで、浦原は廊下の掲示板の前で足を止めた。部活動の勧誘の貼り紙がまだ何枚も残っている。それを眺めるふりをしながら、目の端で廊下の先をとらえた。

 職員室の扉の前に、綾小路がいた。

 そして、その綾小路に一人の女性教師がやけに近い距離で話しかけていた。ゆるく波打つ明るい色の髪に、人なつこい笑顔。Bクラスの担任、星之宮知恵。廊下で生徒たちがそう呼んでいるのを、何度か耳にしていた。

 

「へえ、きみが綾小路くんかぁ。サエちゃんに呼び出されるなんて、何したの?」

 

 サエちゃん、というのが茶柱のことだと分かるまでに、一拍かかった。

 綾小路はどう返していいか分からないという顔で、半歩だけ後ろに下がった。その半歩を、星之宮が笑顔のまま詰める。

 職員室の扉が開き、茶柱が出てきた。

 

「星之宮。何をしている」

 

「えー、ちょっとお話ししてただけだよ」

 

 茶柱は星之宮には取り合わず、綾小路に「ついてこい」とだけ言った。二人が廊下の奥へ歩き出すと、星之宮も当然のような顔でそのあとについていく。

 その背中を、反対側から呼び止める声があった。

 

「星之宮先生! よかった、探してたんです。ちょっと相談したいことがあって」

 

 駆け寄ってきたのは、長い髪の女子生徒だった。明るく、よく通る声だ。走ってきたのか、少しだけ息を弾ませている。

 浦原はその顔に見覚えがあった。

 部活動紹介の日、生徒会長が役員の募集を告げたとき、前のほうの席でわずかに身を乗り出した何人か。その中の一人だ。

 

(Bクラスの生徒だったか)

 

 担任を探しに来たのだから、そういうことになる。名前はまだ分からない。だが、顔と、声と、Bクラスであることは覚えた。

 星之宮は「あ、ごめんごめん」と笑いながら、女子生徒と一緒に来た道を引き返していった。茶柱と綾小路はそのまま廊下の奥へ消えていく。その先にあるのは、生徒指導室といくつかの空き教室だけのはずだった。

 浦原は掲示板の貼り紙を一枚ずつ眺め続けた。

 5分ほどたったころ、今度は別の足音が近づいてきた。迷いのない、硬い足音だ。

 堀北だった。

 堀北は掲示板の前の浦原には目もくれず、まっすぐに廊下の奥へ歩いていった。茶柱と綾小路が消えたのと、同じ方向だった。

 

(堀北も、か)

 

 今朝、不良品という言葉に、机の上で両手を握りしめていた堀北。あの顔のまま担任のところへ向かう理由は、そう多くは思い浮かばない。

 だが、綾小路と堀北が同じ部屋にいるのかどうかまでは、ここからでは分からない。

 浦原は廊下の奥へは進まなかった。

 天井の隅には、ここにも黒いレンズがある。掲示板の前で足を止める生徒は珍しくない。だが、職員室の前の廊下でいつまでも立ち止まっている生徒は珍しい。これ以上ここにいれば、浦原大輔は「何かを待っている生徒」として、記録に残ることになる。

 

(今日は、ここまでだ)

 

 浦原は、最後にもう一枚だけ貼り紙を眺めてから、昇降口へ向かった。

 

――――――――――

 

 その夜の寮は、昨日の夜が嘘のように静かだった。

 廊下からゲームの効果音は聞こえてこない。ときどき誰かの部屋の扉が開き、小声で何かを言い合う気配がするだけだった。

 帰りに寄ったコンビニでは、無料の棚がほとんど空になっていた。昨日の夜まで、新入生がほとんど足を止めなかった棚だ。

 浦原は机に向かい、今日一日のことを頭の中で並べ直した。

 この学校はクラス同士を競わせる場所だった。ポイントは生徒一人ひとりではなく、クラスごとに評価される。そして、Aクラスで卒業した者だけが、この学校の約束を受け取れる。

 シンシーの工作員にとっては、どうだろうか。

 工作員の目的がこの学校の生徒に紛れ込むことなら、クラスの順位などどうでもいいはずだ。だが、退学だけは困る。この学校から追い出されれば、任務はそこで終わる。

 それは浦原も同じだった。

 

(中間テストで赤点を取れば、退学。……浦原大輔の任務も、そこで終わりだ)

 

 70点を狙った小テストのときとは、話が違う。赤点の線が平均点の半分で決まるのなら、線の高さはクラス全体の出来で動く。三週間後の答案を作るときには、どこまでなら点を落としていいのかを、クラスの出来から読み直さなければならない。

 

(……計算のやり直しだな)

 

 それから、もうひとつ。

 今日、驚かなかった者たちのことだ。

 高円寺は最初から何も隠していない。驚かなかったのは、驚く必要のない男だからだ。

 だが、綾小路は違う。

 月の最後の夜に無料の石けんを取りに来て、今朝の0にも顔色ひとつ変えなかった。小テストではちょうど50点を取った。そして放課後には、生徒をよく見ている担任に名指しで呼ばれた。

 頭の中の名簿には、ほかにも気になる名前がいくつか残っている。だが、今日一日で太い線が引かれたのは、ひとつだけだった。

 

(綾小路清隆。……お前は、何を隠している)

 

 浦原は部屋の明かりを消した。

 答え合わせは、まだ半分しか終わっていない。

 

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