尸魂界、西流魂街一区――潤林安。
瀞霊廷からほど近いこの地区は、流魂街の中でも比較的治安がよく、穏やかな暮らしが営まれている場所だった。
そんな町の一角に、小さな少女が暮らしていた。
「冬華ちゃん! おはよう!」
「あっ、桃ちゃん。おはようございます!」
元気な声に振り返った少女が、ふわりと微笑む。
肩にかかる銀白色の髪。
澄んだ翡翠色の瞳。
小柄で華奢な身体に、可憐な顔立ち。
少女の名前は、日番谷冬華。
この潤林安で、おばあちゃんと二人で暮らしている女の子だ。
「ねえねえ、冬華ちゃん! 今日は何して遊ぶ?」
「そうですね……。お花を見に行きませんか?」
「お花?」
「はい! この前、綺麗な花が咲いている場所を見つけたんです」
「本当!? 行きたい!」
「ふふっ。では、行きましょう!」
冬華が差し出した手を、桃が嬉しそうに握る。
二人は仲よく並んで歩き始めた。
――どこにでもある、穏やかな日常。
けれど。
日番谷冬華には、誰にも話していない秘密があった。
それは――。
(……まさか、本当に『BLEACH』の世界に転生するなんて思いませんでした)
彼女が、前世の記憶を持っているということだった。
◇◆◇
冬華が自分の置かれた状況を理解したのは、物心がついた頃のことだ。
見知らぬ町並み。
現代日本とは異なる生活。
そして、何より決定的だったのは、自分の名前だった。
――日番谷冬華。
最初は偶然だと思った。
しかし、鏡に映る銀白色の髪と翡翠色の瞳を見たとき、その考えは揺らいだ。
さらに、暮らしている場所が西流魂街一区の潤林安だと知り、確信に変わった。
(これって、日番谷冬獅郎の女の子版ですよね……?)
前世で読んでいた漫画『BLEACH』。
その登場人物である日番谷冬獅郎と、自分の境遇があまりにも似ていた。
しかも、目の前には雛森桃までいる。
もはや疑いようがなかった。
(……ということは、いずれ私は氷輪丸を使えるようになるのでしょうか)
氷雪系最強の斬魄刀。
大紅蓮氷輪丸。
前世の知識を思い返せば、その強大な力も、これから起こる数々の事件も知っている。
藍染惣右介の裏切り。
尸魂界を揺るがす戦い。
破面との激闘。
そして、千年血戦。
その未来を思い出すたびに、冬華の胸には小さな不安が生まれた。
特に――。
(桃ちゃん……)
何度も傷つき、命の危険にさらされる少女。
前世では漫画の登場人物だった。
けれど、今は違う。
目の前で笑っている、大切な友達なのだ。
(絶対に、あんな目には遭わせません)
冬華は、密かにそう決めていた。
もっとも。
だからといって、毎日深刻な顔をしているわけではない。
未来を変えるためにも、まずは今を大切にしたい。
それが、冬華の考えだった。
◇◆◇
「わあっ! 綺麗!」
桃が歓声を上げた。
二人が訪れたのは、町外れにある小さな花畑だった。
色とりどりの花が、柔らかな風に揺れている。
「でしょう?」
「うん! 冬華ちゃん、こんな場所よく見つけたね!」
「お散歩していたら、偶然見つけたんです」
冬華は花の前にしゃがみ込んだ。
白い小さな花。
薄桃色の花。
青紫色の花。
どれも可愛らしい。
(やっぱり、お花はいいですね)
冬華は自然と頬を緩めた。
「冬華ちゃんって、本当にお花が好きだよね」
「はい。見ていると、幸せな気持ちになりますから」
「えへへ。冬華ちゃんらしいね!」
「そうでしょうか?」
「うん! 冬華ちゃんも、お花みたいに可愛いもん!」
「……えっ?」
思いがけない言葉に、冬華は目を丸くした。
それから、少し照れくさそうに微笑む。
「ふふっ。ありがとうございます、桃ちゃん」
「本当のことだよ!」
「それなら、桃ちゃんも可愛いですよ?」
「ええっ!? わ、私はそんなこと……!」
今度は桃が真っ赤になる番だった。
二人は顔を見合わせ、楽しそうに笑った。
こんな時間が、冬華は大好きだった。
◇◆◇
その日の夕方。
冬華が家に帰ると、おばあちゃんが縁側に座っていた。
「おかえり、冬華」
「ただいま帰りました、おばあちゃん!」
「今日は桃ちゃんと遊んできたのかい?」
「はい! とっても楽しかったです!」
「そうかい、そうかい」
おばあちゃんは優しく目を細めた。
冬華はその隣に腰を下ろす。
しばらく二人で夕焼けを眺めていると、おばあちゃんがふと口を開いた。
「冬華や。最近、また一人で何か練習しているみたいだねえ」
「……気づいていたんですか?」
「そりゃあ、毎日一緒に暮らしているんだからね」
「えへへ……」
冬華は小さく笑った。
実は、少し前から霊力の制御を練習していた。
原作知識があるとはいえ、身体を動かすことと霊力を操ることは別問題だ。
最初は、自分の内側にある力を感じ取ることさえ難しかった。
それでも、毎日少しずつ練習を続けている。
「無理はしていないかい?」
「大丈夫です。疲れたら、ちゃんと休んでいますから」
「そうかい。でも、あまり頑張りすぎるんじゃないよ」
「はい!」
冬華は元気よく頷いた。
そんな孫の頭を、おばあちゃんが優しく撫でる。
冬華は嬉しそうに目を細めた。
(……この人も、絶対に守りたいですね)
原作の日番谷冬獅郎にとっても、大切な存在だったおばあちゃん。
冬華にとっても、それは同じだった。
◇◆◇
それから、しばらく経ったある日。
「冬華ちゃん! 聞いて聞いて!」
いつもより興奮した様子で、桃が家にやって来た。
「どうしたんですか、桃ちゃん?」
「あのね! 私、真央霊術院に行くことにしたの!」
「……!」
冬華は思わず目を見開いた。
真央霊術院。
死神を育成するための教育機関。
そして、原作の雛森桃が通っていた場所でもある。
(……ついに、この時が来たんですね)
冬華は胸の内で呟いた。
もちろん、桃が死神を目指すこと自体は知っていた。
それでも、実際に本人の口から聞くと、少しだけ寂しさを感じる。
「私ね、死神になりたいんだ!」
桃は目を輝かせていた。
「まだまだ知らないことばっかりだけど、いっぱい勉強して、立派な死神になりたいの!」
「……そうなんですね」
「うん!」
桃の笑顔は、希望に満ちていた。
冬華はその表情を見つめる。
この先、桃がどんな経験をするのか。
どんな人を尊敬し、誰を信じ、そして誰に傷つけられるのか。
冬華は知っている。
けれど。
だからといって、桃の夢を否定するつもりはなかった。
「桃ちゃん」
「なあに?」
「応援しています」
「……!」
「桃ちゃんなら、きっと素敵な死神になれますよ」
冬華が微笑むと、桃の顔がぱっと明るくなった。
「ありがとう、冬華ちゃん!」
そして、少しだけ寂しそうに続ける。
「でも……しばらく会えなくなっちゃうね」
「そうですね」
「冬華ちゃんと遊べなくなるの、ちょっと寂しいな……」
冬華は少し考えてから、桃の手を取った。
「それなら、約束しませんか?」
「約束?」
「はい」
翡翠色の瞳を細め、冬華は微笑んだ。
「私も、いつか真央霊術院に行きます」
「えっ!?」
「だから、それまで待っていてください」
「本当!?」
「はい。約束です」
桃は嬉しそうに笑った。
「うん! 待ってる! 絶対だよ!」
「ふふっ。もちろんです」
二人は小指を絡めた。
「「指切りげんまん!」」
小さな約束。
けれど、冬華にとっては、とても大切な約束だった。
◇◆◇
そして、旅立ちの日。
「冬華ちゃん! おばあちゃん! 行ってきます!」
荷物を抱えた桃が、大きく手を振った。
「気をつけて行くんだよ、桃ちゃん」
「はい!」
冬華も笑顔で手を振る。
「桃ちゃん、頑張ってくださいね!」
「うん! 冬華ちゃんも、約束忘れないでね!」
「もちろんです!」
「じゃあ、またねー!」
桃は何度も振り返りながら、道の向こうへと歩いていった。
その姿が見えなくなるまで、冬華は手を振り続けた。
やがて、静けさが戻ってくる。
「……行っちゃったねえ」
「はい」
「寂しいかい?」
「……少しだけ」
冬華は素直に答えた。
おばあちゃんは優しく笑う。
「冬華も、いつか行くんだろう?」
「はい」
冬華は、桃が歩いていった道を見つめた。
真央霊術院。
護廷十三隊。
そして、その先に待ち受ける未来。
知っているだけでは、何も変えられない。
どれほど未来の出来事を覚えていても、それを変える力がなければ意味がない。
(……強くならないと)
冬華は小さく拳を握った。
桃を守りたい。
おばあちゃんを守りたい。
これから出会う、大切な人たちも守りたい。
そのためには、もっと強くなる必要がある。
けれど、冬華はすぐに表情を和らげた。
「おばあちゃん」
「なんだい?」
「私、頑張りますね!」
「ああ。応援しているよ」
「はい!」
冬華は嬉しそうに微笑んだ。
柔らかな風が吹き、銀白色の髪がふわりと揺れる。
その胸の奥には、まだ目覚めぬ氷雪の力が眠っている。
いずれ氷雪系最強の斬魄刀を振るい、護廷十三隊の頂点の一角に立つ少女。
しかし、今はまだ――。
大切な友達との再会を楽しみにしている、小さな女の子だった。
――第1話「氷の少女」・完。
【あとがき】
新作『BLEACH』転生IF、始まりました!
今回は女の子になった日番谷冬獅郎こと、日番谷冬華が主人公です!
原作知識を活かしながら、大切な人たちを守るために成長していく物語を描いていきます。
次回からは冬華の修行が本格的に始まります!
これからよろしくお願いします!