瀞霊廷、十番隊隊舎。
「――よし! 俺が直接行ってくる!」
「……えっ?」
隊長室に響いた声に、日番谷冬華は思わず顔を上げた。
机の向こうでは、十番隊隊長の志波一心が一枚の報告書を手にしている。
「隊長! また勝手に決めて!」
松本乱菊が呆れたように声を上げた。
「仕方ねえだろ! 現世で死神の失踪が続いてるんだぞ!」
「だからって、隊長自ら調査に行く必要があるんですか?」
「ある!」
一心は力強く頷いた。
「何人も死神が消えてるんだ。普通の虚が相手じゃねえ可能性もある」
「……それは、そうですけど」
乱菊は小さくため息をついた。
その隣で、冬華は黙って報告書を見つめていた。
(……やっぱり)
現世で続く死神の失踪。
異常な虚の存在。
そして、志波一心が自ら調査へ向かう。
(……ホワイトの事件ですね)
前世で知っていた出来事が、いよいよ現実になろうとしている。
「……日番谷?」
「……あっ、はい!」
一心に呼ばれ、冬華は顔を上げた。
「どうした? 難しい顔して」
「……いえ」
冬華は少し迷った。
危険な事件だ。
本当なら、自分も同行したい。
けれど、ここで介入すれば、黒崎一護の誕生につながる出来事まで変えてしまうかもしれない。
「……隊長さん」
「ん?」
「絶対に、無事に帰ってきてくださいね」
一心は一瞬だけ目を丸くした。
そして、豪快に笑った。
「がはははっ! 何だ、心配してくれてんのか?」
「当たり前です!」
冬華は頬を膨らませた。
「隊長さんは、私たちの隊長なんですから!」
「……おう!」
一心は笑顔で親指を立てた。
「任せとけ!」
「まったく……」
乱菊は呆れたようにため息をついた。
「それで、留守中の仕事はどうするんですか?」
「松本と日番谷に任せた!」
「やっぱり!」
「がはははっ!」
「……もう!」
冬華も思わず笑ってしまった。
いつもの十番隊。
いつもの隊長。
だからこそ。
(……どうか)
冬華は、そっと拳を握った。
(……無事に帰ってきてください)
◇◆◇
それから、しばらくして。
十番隊隊舎。
「……よし!」
冬華は一枚の書類に目を通し、筆を置いた。
目の前には、整理された書類の山。
隊長が不在の間も、十番隊の仕事は続いている。
第三席として、冬華にもやるべきことは多かった。
「……あと少しですね」
次の書類へ手を伸ばす。
しかし。
(……隊長さん、大丈夫でしょうか)
どうしても、一心のことが気になってしまう。
数日前の模擬戦。
不完全な卍解を使い、全力で挑んだ。
それでも、一心には敵わなかった。
始解を使わせるところまでは追い詰めたものの、その後は圧倒的な実力差を思い知らされた。
(……あんなに強い人ですから)
冬華は小さく息を吐いた。
原作では、一心は生き延びる。
けれど、自分が存在するこの世界でも、必ず同じ結果になるとは限らない。
「冬華ちゃーん!」
「……あっ、松本さん!」
顔を上げると、乱菊が部屋へ入ってきた。
「どう? お仕事は順調?」
「はい! もう少しで終わります!」
「さっすが冬華ちゃん!」
乱菊は嬉しそうに笑った。
「本当に助かるわぁ!」
「……松本さんのお仕事も、ちゃんと残してありますからね?」
「えっ!?」
「えっ、じゃありません!」
冬華は頬を膨らませた。
「副隊長の確認が必要な書類は、松本さんが確認してください!」
「もう! 冬華ちゃんってば真面目なんだから!」
「当たり前です!」
いつものやり取り。
けれど、乱菊はふと表情を和らげた。
「……隊長のこと、心配?」
「……!」
冬華は少し驚いたように瞬きをした。
そして、こくりと頷く。
「……はい」
「大丈夫よ」
乱菊は優しく微笑んだ。
「あの人、ああ見えてすっごく強いんだから」
「……知っています」
冬華は小さく笑った。
「この前の模擬戦でも、全然敵いませんでしたから」
「ふふっ。そうでしょう?」
「……でも」
冬華は窓の外へ視線を向けた。
「強い人でも、怪我をすることはありますから」
「……そうね」
乱菊も静かに頷いた。
その時だった。
「――松本副隊長!」
廊下から、慌ただしい足音が響いた。
「現世へ向かわれた隊長から、予定されていた連絡がありません!」
「……!」
冬華は勢いよく立ち上がった。
◇◆◇
「……まだ連絡がないんですか?」
「はい。こちらからも呼びかけていますが、応答がありません」
隊士の報告を聞き、乱菊が眉をひそめた。
「……まったく、あの隊長は」
普段なら、連絡を忘れているだけだと笑い飛ばせたかもしれない。
しかし、今回は違う。
死神の失踪が続く、原因不明の事件。
その調査に向かった隊長と連絡が取れないのだ。
「松本さん!」
冬華が声を上げた。
「私、現世へ行きます!」
「冬華ちゃん……」
「隊長さんの安否を確認してきます!」
冬華の表情は真剣だった。
ここまで来れば、未来が変わることを恐れている場合ではない。
事件そのものに介入するつもりはない。
けれど、隊長が無事かどうかも分からないまま、待っていることなどできなかった。
乱菊は少し考え込んだ。
そして、頷く。
「……分かったわ」
「……!」
「隊長の安否確認を最優先にして。もし危険な相手がいたら、無理に戦わずに戻ってきなさい」
「はい!」
「現世への派遣手続きは、こっちで進めるわ。許可が下りたらすぐに出発して」
「ありがとうございます!」
冬華は深く頭を下げた。
乱菊は、そんな冬華の頭をぽんと撫でる。
「……気をつけてね」
「はい!」
冬華は力強く頷いた。
◇◆◇
現世。
夜の街には、冷たい雨が降っていた。
――ヒュンッ!
建物の屋根に、一人の少女が降り立つ。
銀白色の髪。
翡翠色の瞳。
背中には、二本の氷輪丸。
日番谷冬華だった。
「……ふう」
冬華は周囲を見渡した。
現世への到着後、すぐに一心の霊圧を探り始めていた。
(……隊長さん)
目を閉じ、意識を集中させる。
雨の音。
街のざわめき。
そして、周囲に漂う微かな霊圧。
「……!」
冬華は目を開いた。
(……見つけました!)
覚えのある霊圧。
間違いない。
志波一心のものだ。
(……よかった。生きています!)
冬華の顔に、安堵の色が浮かんだ。
しかし、すぐに表情を引き締める。
霊圧が、普段よりも弱まっている。
(……まさか、怪我を?)
冬華は地面を蹴った。
――ヒュンッ!
瞬歩。
雨の降る街を、一気に駆け抜けていく。
◇◆◇
「……ったく。とんでもねえ虚だったぜ」
雨の中。
志波一心は、建物の屋根の上で小さく息を吐いていた。
死覇装には傷がつき、身体にも負傷が見られる。
しかし、その表情はどこか晴れやかだった。
「……さて、そろそろ戻るか」
そう呟いた、その時。
「――隊長さーん!!」
「……ん?」
聞き慣れた声が響いた。
一心が振り返る。
すると。
――ヒュンッ!
銀白色の髪を揺らした少女が、目の前に現れた。
「……おおっ!?」
一心は目を丸くした。
「日番谷じゃねえか!」
「隊長さん!」
冬華は一心の姿を見た。
そして、息を呑んだ。
「……っ!」
破れた死覇装。
身体に残る傷。
普段とは違う、乱れた霊圧。
(……あの隊長さんが)
つい先日、自分の卍解を正面から受け止め、最後には圧倒した相手。
その一心が、これほど傷ついている。
冬華は思わず駆け寄った。
「け、怪我してるじゃないですか!」
「ん? ああ、これか?」
一心は自分の傷を見下ろした。
「がはははっ! ちょっとやられちまってな!」
「ちょっとじゃありません!」
冬華は頬を膨らませた。
「もう! どれだけ心配したと思ってるんですか!」
「お、おう……」
一心は思わずたじろいだ。
「連絡もありませんでしたし! 松本さんも心配してましたよ!」
「わ、悪かったって!」
「本当に、もう……!」
冬華は一心を見上げた。
いつもの豪快な笑顔。
聞き慣れた声。
そして、確かに感じられる霊圧。
目の前にいる。
ちゃんと、生きている。
「……よかった」
冬華の声が、小さく漏れた。
「……ん?」
一心が首を傾げる。
冬華は、ふわりと微笑んだ。
「おかえりなさい、隊長さん!」
「……!」
一心は一瞬だけ目を見開いた。
そして。
「……おう!」
にかっと笑った。
「ただいま、日番谷!」
◇◆◇
「……それで、何があったんですか?」
冬華は一心の隣に立ちながら尋ねた。
「おう。妙な虚と戦ってな」
「……虚、ですか?」
「ああ。普通の虚とはまるで違う奴だった」
一心は腕を組んだ。
「見た目も変わってたし、何より強かったな」
「……!」
冬華は静かに耳を傾けた。
「しかも、戦ってる途中で何者かに斬られちまってよ」
「……えっ!?」
「おかげで、ちょいと厄介なことになった」
一心は苦笑した。
冬華は、その言葉に息を呑んだ。
(……藍染惣右介)
やはり、あの男が関わっていた。
「……その人の姿は、見えたんですか?」
「いや。完全に不意を突かれたからな」
「……そうですか」
冬華は小さく頷いた。
正体を知っていても、今ここで証明することはできない。
それが、もどかしかった。
「まあ、最後は何とかなったけどな!」
一心は豪快に笑った。
「……隊長さん」
「ん?」
「もう少し、ご自分の身体を大切にしてください」
「がはははっ! 分かった、分かった!」
「……本当ですか?」
「おう!」
「……怪しいです」
「おいおい!」
冬華は小さく笑った。
そして、ふと周囲へ視線を向ける。
雨に濡れた街。
すでに戦闘の気配はない。
しかし、微かに残る異質な霊圧の痕跡。
(……ホワイト)
冬華は静かに目を細めた。
戦いは、すでに終わっている。
そして、一心は生きていた。
それだけで、今は十分だった。
◇◆◇
「よし! そろそろ帰るか!」
「……はい!」
一心の言葉に、冬華は頷いた。
「松本さんも待っていますからね!」
「げっ!」
「……?」
「いや、帰ったら絶対怒られるよなぁ……」
「当たり前です!」
冬華はきっぱりと言った。
「連絡もせずに、こんな怪我までして!」
「……お前も怒ってるじゃねえか!」
「怒っています!」
「がはははっ!」
一心は楽しそうに笑った。
「ま、二人揃って怒られるとするか!」
「私は怒られませんよ!?」
「そうかぁ?」
「そうです!」
二人の声が、雨の街に響いた。
やがて、尸魂界へ戻るための穿界門が開かれる。
冬華は、最後に一度だけ現世を振り返った。
(……黒崎真咲さん)
彼女も、この夜の出来事に関わっていたはずだ。
冬華は静かに息を吐いた。
ここから先、一心の運命は大きく変わっていく。
それを知っていても、今の自分には何もできない。
「おーい! 日番谷!」
「……あっ!」
「置いてくぞー!」
「待ってください!」
冬華は慌てて一心を追いかけた。
そして、二人は穿界門をくぐっていく。
◇◆◇
瀞霊廷、十番隊隊舎。
「――隊長!!」
「……お、おう!」
帰還した一心を出迎えたのは、満面の笑みを浮かべた松本乱菊だった。
ただし。
その額には、青筋が浮かんでいる。
「随分と楽しそうですねぇ?」
「い、いやぁ……」
「連絡もなしに、何をしてたんですか!?」
「わ、悪かったって!」
「しかも怪我までして!」
「だから悪かったっての!」
乱菊の怒声が、隊舎に響き渡る。
その隣で、冬華はにこにこと笑っていた。
「……日番谷!」
「はい?」
「お前も助けてくれ!」
「……え?」
冬華は可愛らしく首を傾げた。
「隊長さんが悪いんですから、ちゃんと怒られてください!」
「お前まで!?」
「ふふっ!」
冬華は楽しそうに笑った。
乱菊も、思わず吹き出す。
「まったく……本当に心配したんですからね」
「……おう」
一心は少しだけ表情を和らげた。
「心配かけたな」
「……もう」
乱菊は小さくため息をついた。
「とにかく、まずは四番隊で治療を受けてください!」
「へいへい!」
「返事は一回!」
「へい!」
「……ふふっ!」
冬華は、そんな二人を見て嬉しそうに微笑んだ。
いつもの十番隊。
いつもの隊長と副隊長。
そして、自分もその中にいる。
(……やっぱり)
冬華は、そっと胸に手を当てた。
(……この場所が、大好きです)
だからこそ、守りたい。
この温かな日常を。
大切な人たちの笑顔を。
冬華は、いつものように笑う一心を見つめた。
(……隊長さん)
今日も無事に帰ってきてくれた。
明日も、明後日も。
きっと、こうして笑い合える。
そう願っていた。
しかし。
――それから数日後。
十番隊隊長、志波一心が姿を消した。
――第14話「おかえりなさい」・完。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
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