瀞霊廷、十番隊隊舎。
「――隊長が、いなくなった?」
松本乱菊の声が、静かな隊長室に響いた。
「……はい」
報告に来た隊士が、緊張した面持ちで頷く。
「昨夜から行方が分かりません。隊舎にも戻られておらず、連絡も取れない状態です」
「……また、勝手にどこかへ行ったんじゃないの?」
「それが……」
隊士は言いにくそうに口を開いた。
「瀞霊廷内を捜索しましたが、見つかっておりません」
「…………」
乱菊は黙り込んだ。
その隣で、日番谷冬華も小さく息を呑んでいた。
(……とうとう)
分かっていた。
いつか、この日が来ることは。
けれど。
(……本当に、いなくなってしまったんですね)
数日前まで、いつものように笑っていた。
豪快に笑い、乱菊に叱られ、冬華の頭を撫でてくれた。
あの隊長が、もうここにはいない。
「……冬華ちゃん」
「……はい」
乱菊が冬華へ視線を向けた。
「隊長、どこに行ったと思う?」
「…………」
冬華は言葉に詰まった。
原作の知識から、ある程度の事情は分かっている。
しかし、それを説明することはできない。
「……分かりません」
冬華は静かに首を振った。
「でも……無事でいてほしいです」
「……そうね」
乱菊は小さく頷いた。
そして、報告に来た隊士へ向き直る。
「捜索は続けて。何か分かったら、すぐに報告してちょうだい」
「はっ!」
隊士が部屋を出ていく。
静寂が戻った。
「……まったく」
乱菊は小さく呟いた。
「本当に、勝手なんだから……」
その声は、いつもより少しだけ弱々しかった。
◇◆◇
それから数日。
十番隊は、隊長不在のまま業務を続けていた。
「松本さん、こちらの書類をお願いします!」
「はーい……」
乱菊は机に突っ伏したまま返事をした。
「……松本さん?」
「……分かってるわよぉ」
いつもなら、仕事をサボるために寝転がっているところだ。
けれど、今日は違った。
冬華は、そっと乱菊の顔を覗き込む。
「……大丈夫ですか?」
「……え?」
「少し、お疲れみたいです」
「……ふふっ」
乱菊は小さく笑った。
「冬華ちゃんには、隠せないわね」
ゆっくりと身体を起こす。
「……あの人、どこに行っちゃったのかしら」
「…………」
「いつも勝手なことばっかりして……でも、最後にはちゃんと帰ってきたのに」
乱菊は窓の外を見つめた。
「今回は、何だか嫌な予感がするのよね」
「……松本さん」
冬華は、そっと乱菊の手を握った。
「……私も、心配です」
「……うん」
「でも、今は私たちが十番隊を守らないといけません」
冬華は真剣な表情で続けた。
「隊長さんが帰ってきた時、困らないように!」
「…………」
乱菊は少しだけ目を見開いた。
そして。
「……そうね」
ふわりと微笑んだ。
「冬華ちゃんの言う通りだわ」
「……はい!」
冬華も笑顔を返した。
「よーし!」
乱菊は勢いよく立ち上がった。
「それじゃあ、今日のお仕事も頑張りましょうか!」
「はい!」
「……冬華ちゃんが!」
「……えっ?」
「だって、冬華ちゃんの方が書類仕事得意なんだもの!」
「松本さん!?」
冬華は思わず声を上げた。
「もう! ちゃんと働いてください!」
「あははっ!」
乱菊は楽しそうに笑った。
その笑顔を見て、冬華も少しだけ安心した。
◇◆◇
数日後。
「……日番谷第三席」
「……はい?」
十番隊隊舎の廊下。
冬華が振り返ると、一人の隊士が立っていた。
「八番隊隊長、京楽春水様がお見えです」
「……京楽隊長が?」
冬華は目を丸くした。
そして、すぐに応接室へ向かった。
「失礼します!」
「やあ、冬華ちゃん」
そこには、見慣れた笠を被った男が座っていた。
八番隊隊長、京楽春水。
かつて冬華に二刀流を教えてくれた人物だった。
「京楽隊長! お久しぶりです!」
「うんうん。元気そうで何よりだ」
京楽は穏やかに笑った。
「……と言いたいところだけど、今は大変だろう?」
「……はい」
冬華は小さく頷いた。
「隊長さんが、いなくなってしまいましたから」
「……そうだね」
京楽は少しだけ表情を曇らせた。
「一心君のことは、僕も気にしているよ」
「……ありがとうございます」
冬華は頭を下げた。
「それでね」
京楽は、ゆっくりと話題を変えた。
「今日は冬華ちゃんに、少し話があって来たんだ」
「……私に、ですか?」
「うん」
京楽は微笑んだ。
「この前、一心君と模擬戦をしたそうだね」
「……あっ、はい!」
冬華は頷いた。
「でも、最後は負けてしまいました」
「それでも、一心君に始解を使わせたんだろう?」
「……はい」
「大したものだよ」
京楽は感心したように頷いた。
「それに、卍解も習得しているそうじゃないか」
「……まだ不完全ですけど」
「それでも、卍解を使える死神はそう多くない」
京楽は穏やかな口調で続けた。
「二本の氷輪丸を扱う技量。第三席としての実績。そして、卍解」
「…………」
冬華は黙って耳を傾けた。
京楽は、少しだけ真剣な表情になる。
「冬華ちゃん」
「……はい」
「十番隊の次の隊長について、上の方でも話が出始めているんだ」
「……!」
冬華は目を見開いた。
「……次の、隊長?」
「うん」
京楽は静かに頷いた。
「一心君の行方は、まだ分かっていない。だけど、隊長不在の状態をいつまでも続けるわけにはいかないからね」
「……そう、ですよね」
冬華は小さく呟いた。
京楽は、そんな冬華をじっと見つめた。
「そこで、僕は君の名前を挙げた」
「…………えっ?」
一瞬、意味が分からなかった。
「……わ、私ですか!?」
「そう」
京楽は微笑んだ。
「日番谷冬華。君を、次期十番隊隊長の候補として推薦したんだ」
「……えええっ!?」
冬華の驚いた声が、応接室に響き渡った。
◇◆◇
「……わ、私が隊長ですか!?」
「うん」
京楽は楽しそうに頷いた。
「そんなに驚くことかな?」
「お、驚きますよ!」
冬華は慌てて答えた。
「私、まだ第三席ですし! 卍解だって完全じゃありません!」
「それでも、実力は十分にあると思うよ」
「……!」
「それに、一心君も君のことを高く評価していたそうじゃないか」
「……隊長さんが?」
「うん」
京楽は穏やかに笑った。
「君なら、いつか隊長になれるってね」
「…………」
冬華は、そっと視線を落とした。
数日前の模擬戦。
一心が笑いながら言ってくれた言葉。
『お前、もう隊長を目指せるところまで来てるぞ』
冬華は、小さく拳を握った。
「……でも」
少しだけ、声が震えた。
「隊長さんは、まだ……」
「……うん」
京楽は静かに頷いた。
「分かってるよ」
そして、優しく続けた。
「僕だって、一心君には帰ってきてほしい」
「……!」
「でも、十番隊の隊士たちを守る人間も必要なんだ」
「…………」
冬華は黙り込んだ。
隊長。
それは、ただ強いだけで務まる役職ではない。
多くの隊士を率い、その命を預かる立場。
今までの自分とは、責任の重さが違う。
「……京楽隊長」
「ん?」
「私に、本当に務まるのでしょうか」
京楽は、少しだけ笑った。
「それを決めるのは、僕じゃないよ」
「……え?」
「君自身と、これから君を試す人たちさ」
そして、立ち上がる。
「近いうちに、一番隊から呼び出しがあると思う」
「……一番隊?」
「うん」
京楽は笠を軽く持ち上げた。
「その時は、自分の気持ちで答えるといい」
「……はい」
冬華は静かに頷いた。
◇◆◇
その日の夕方。
「――えええっ!?」
十番隊隊舎に、乱菊の驚いた声が響き渡った。
「冬華ちゃんが、隊長候補!?」
「……はい」
冬華は少し困ったように笑った。
「京楽隊長が、推薦してくださったそうです」
「すごいじゃない!」
乱菊は勢いよく冬華を抱きしめた。
「うちの冬華ちゃんが隊長だなんて!」
「ま、松本さん! まだ決まってません!」
「いいのよ! 候補になっただけでもすごいんだから!」
「……もう!」
冬華は頬を赤らめた。
けれど。
「……松本さん」
「ん?」
「私が隊長になったら……どう思いますか?」
乱菊は少しだけ目を見開いた。
そして、優しく微笑んだ。
「……そうね」
少し考えてから、答える。
「きっと、いい隊長になると思うわ」
「……!」
「冬華ちゃんは真面目だし、優しいし、何より隊士たちのことをちゃんと考えられるもの」
「……ありがとうございます」
冬華は嬉しそうに微笑んだ。
しかし、乱菊は続けた。
「でもね」
「……はい?」
「隊長になったからって、何でも一人で背負っちゃ駄目よ?」
「……!」
「困った時は、ちゃんと私を頼りなさい」
乱菊は、にっこりと笑った。
「私、これでも副隊長なんだから!」
「……ふふっ!」
冬華は思わず笑ってしまった。
「はい! 頼りにしています!」
「うん!」
乱菊も笑顔を返した。
◇◆◇
それから数日後。
「――日番谷冬華第三席!」
「……はい!」
十番隊隊舎に、一番隊の隊士が訪れた。
「山本元柳斎重國総隊長より、出頭命令です!」
「……!」
冬華は息を呑んだ。
ついに、その時が来た。
「……分かりました」
冬華は静かに頷いた。
「すぐに向かいます!」
◇◆◇
瀞霊廷、一番隊隊舎。
重厚な扉の前に、冬華は立っていた。
「……ふう」
小さく息を吐く。
そして。
「失礼します!」
扉を開いた。
広い室内。
その奥に、一人の老人が立っている。
護廷十三隊総隊長。
山本元柳斎重國。
「……日番谷冬華、参りました!」
冬華は深く頭を下げた。
「うむ」
山本は静かに頷いた。
「面を上げよ」
「……はい!」
冬華は顔を上げた。
鋭い眼光が、まっすぐに向けられる。
「日番谷冬華」
「……はい!」
「貴様のこれまでの働きは、報告を受けておる」
「……!」
「第三席としての実績。二刀の氷輪丸。そして、卍解の習得」
山本は淡々と続けた。
「先日の志波一心との模擬戦についても、聞き及んでおる」
「……はい」
冬華は緊張した面持ちで頷いた。
「志波一心の行方は、未だ知れぬ」
「…………」
「されど、十番隊をいつまでも隊長不在のままにしておくわけにはいかぬ」
山本は杖を静かに床へ突いた。
――コツン。
「そこで、貴様に問う」
「……!」
冬華は背筋を伸ばした。
「日番谷冬華」
山本の声が、室内に響く。
「貴様に、隊長資格試験を受ける意思はあるか」
「…………!」
冬華は息を呑んだ。
隊長。
かつて、自分が憧れた存在。
そして、志波一心が務めていた役職。
数日前まで、考えもしなかった未来。
けれど。
(……隊長さん)
冬華は、そっと拳を握った。
豪快に笑う一心の姿が、脳裏に浮かぶ。
『お前、もう隊長を目指せるところまで来てるぞ』
そして、乱菊の言葉。
『困った時は、ちゃんと私を頼りなさい』
冬華は、静かに顔を上げた。
その翡翠色の瞳に、迷いはなかった。
「……はい!」
力強く頷く。
「私でよければ、挑戦させてください!」
山本は、しばらく冬華を見つめていた。
そして。
「……よかろう」
静かに頷いた。
「ならば、その力を示してみせよ」
「――はい!」
冬華の返事が、一番隊隊舎に響き渡った。
――第15話「隊長不在」・完。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
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