尸魂界、西流魂街一区――潤林安。
雛森桃が真央霊術院へ旅立ってから、数か月が経った。
「……ふぅ」
朝日が差し込む庭先で、一人の少女が小さく息を吐いた。
銀白色の髪に、翡翠色の瞳。
日番谷冬華である。
その小さな身体には、目には見えないほど薄い霊圧の膜が纏われていた。
(……よし。今日も安定していますね)
冬華は自分の両手を見下ろした。
霊圧を身体の外へ放出するだけなら、それほど難しくない。
問題は、その霊圧を一定の厚さに保ち続けることだった。
少しでも集中を乱せば、膜は途切れてしまう。
しかも、全身を覆うとなれば、制御する範囲も広い。
(最初は三分も維持できませんでしたけど……)
今では、普通に歩き回る程度なら問題なく維持できるようになっていた。
もっとも、まだ一層だけだ。
冬華が目指しているのは、その百倍。
百層の霊圧膜を、それぞれ独立して制御することだった。
(百層……。我ながら、とんでもない目標を立てましたね)
思わず苦笑する。
けれど、無意味な修行ではない。
霊圧を精密に操れるようになれば、防御だけでなく、攻撃や斬魄刀の操作にも応用できるはずだ。
何より、将来の強敵たちを考えれば、これくらいの努力は必要だろう。
「冬華ー! 朝ご飯だよー!」
「あっ、はーい!」
おばあちゃんの声が聞こえた。
冬華は霊圧膜を維持したまま、元気よく家へ駆け込んだ。
◇◆◇
「最近、ずいぶん早起きだねえ」
「えへへ。朝の空気が気持ちいいですから!」
「それだけじゃないだろう?」
「……ばれました?」
「ふふふ。冬華のことなら、何でもお見通しだよ」
おばあちゃんは楽しそうに笑った。
冬華もつられて微笑む。
「でも、無理はしていませんよ?」
「本当かい?」
「はい! ちゃんと休憩もしています!」
「それならいいんだけどねえ」
おばあちゃんは冬華の頭を優しく撫でた。
「桃ちゃんに会うためにも、元気でいなくちゃね」
「……はい!」
冬華は嬉しそうに頷いた。
桃が旅立ってから、家の周りは少し静かになった。
以前は毎日のように遊びに来ていた友達。
その声が聞こえないのは、やっぱり寂しい。
けれど。
(約束しましたからね)
いつか、真央霊術院で再会する。
その約束が、冬華の背中を押していた。
◇◆◇
それから、さらに半年が過ぎた。
「……二層目!」
冬華の身体を覆う霊圧が、わずかに揺らめいた。
一層目の上に、もう一枚。
極薄の霊圧膜が重なる。
(……できた!)
冬華の顔がぱっと明るくなった。
しかし。
「……あっ」
喜んだ瞬間、二層目が消えた。
「むぅ……」
冬華は小さく頬を膨らませた。
(喜ぶのは、安定させてからですね)
気を取り直して、もう一度。
一層目。
二層目。
今度は慎重に、霊圧の流れを整えていく。
数秒。
十数秒。
そして――。
「……やった!」
二層の霊圧膜が、安定した。
冬華は思わず両手を握りしめる。
百層には、まだ遠い。
それでも、確かな一歩だった。
◇◆◇
修行は霊圧制御だけではない。
冬華は毎朝、町外れの道を走るようになった。
「はっ……はっ……!」
小さな足で地面を蹴る。
最初はすぐに息が上がっていたが、今では随分と長い距離を走れるようになった。
身体を動かすこと。
霊圧を操ること。
どちらも大切だ。
(原作の日番谷隊長も、天才とはいえ努力していたはずですから)
冬華は額の汗を拭った。
(……それにしても)
自分の小さな手足を見下ろす。
(この身体、いつになったら大きくなるんでしょう?)
周囲の子供たちと比べても、冬華はかなり小柄だった。
原作の日番谷冬獅郎も小柄だったことを考えると、少々不安になる。
(……まあ、可愛いからいいですけど)
冬華は小さく笑った。
そして、再び走り出した。
◇◆◇
さらに時が流れた。
冬華の霊圧制御は、少しずつ上達していた。
三層。
四層。
五層。
重ねられる霊圧膜は増え、今では日常生活でも安定して維持できる。
もっとも、全ての層を別々に動かすとなると、まだ難しい。
(……一層目だけ、右手に集中させて……)
冬華は右手を持ち上げた。
五層のうち、一層だけを動かす。
残りの四層は、そのまま。
「……よし!」
成功した。
以前なら、他の層まで一緒に動いてしまっていただろう。
小さな成長。
けれど、その積み重ねが何より大切だった。
「冬華ー!」
縁側から、おばあちゃんが声をかける。
「少し休んだらどうだい?」
「あっ、そうですね!」
冬華は笑顔で駆け寄った。
差し出されたお茶を受け取り、隣に腰を下ろす。
「ありがとうございます!」
「ふふ。毎日よく頑張るねえ」
「えへへ……」
冬華は照れくさそうに笑った。
そのとき、庭先に咲く花が目に入った。
小さな白い花。
風に揺れるその姿を見て、冬華はふと思いつく。
(……そうだ)
霊圧を膜の形にできるのなら。
もっと複雑な形にも、できるのではないだろうか。
「おばあちゃん、ちょっと見ていてください!」
「おや? 何だい?」
冬華は両手を胸の前に差し出した。
掌の上に、霊圧を集める。
薄く。
細く。
丁寧に。
花びらの形を思い浮かべながら、霊圧を少しずつ整えていく。
しかし――。
「……あれ?」
できあがったのは、何とも不格好な塊だった。
「……お団子?」
おばあちゃんが首を傾げる。
「お花です!」
「おやまあ」
「……まだ途中なんです!」
冬華は少しだけ頬を赤くした。
おばあちゃんは楽しそうに笑っている。
「ふふふ。そうかい、そうかい」
「もう一回やります!」
冬華は気合いを入れ直した。
◇◆◇
それから数週間。
「……できました!」
冬華の掌の上に、小さな花が浮かんでいた。
淡く輝く、五枚の花びら。
霊圧だけで形作られた、可愛らしい花だった。
「わあ……!」
冬華は翡翠色の瞳を輝かせた。
花びらの一枚一枚が、繊細に形作られている。
まだ本物の花ほど精巧ではない。
それでも、初めて成功したのだ。
「おばあちゃん!」
冬華は嬉しそうに家へ駆け込んだ。
「見てください!」
「おやおや、どうしたんだい?」
「お花ができたんです!」
差し出した掌の上で、小さな花がふわりと揺れる。
おばあちゃんは目を丸くした。
「まあ……綺麗だねえ」
「本当ですか!?」
「ああ、とっても綺麗だよ」
「えへへ……!」
冬華は幸せそうに笑った。
そして、花をおばあちゃんの目の前へ運ぶ。
「おばあちゃんに、プレゼントです!」
「私にかい?」
「はい!」
おばあちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうね、冬華」
「ふふっ。どういたしまして!」
小さな花は、しばらくすると光の粒となって消えてしまった。
けれど。
「また作りますね!」
「ああ。楽しみにしているよ」
冬華の笑顔は、いつまでも輝いていた。
◇◆◇
そして、桃が旅立ってから数年。
冬華は、以前よりもずっと成長していた。
霊圧膜の制御。
基礎体力。
霊圧による花の造形。
どれも、毎日の積み重ねによって磨かれている。
もちろん、まだまだ未熟だ。
百層の霊圧膜など、今の冬華には遠い目標でしかない。
それでも。
(……そろそろ、ですね)
冬華は庭先で空を見上げた。
真央霊術院。
死神になるための学校。
桃が先に進んだ道。
今度は、自分がそこへ向かう番だった。
「おばあちゃん」
「なんだい、冬華?」
冬華は振り返り、微笑んだ。
「私、真央霊術院に行こうと思います」
おばあちゃんは、少しだけ驚いた顔をした。
けれど、すぐに優しく目を細める。
「……そうかい」
「はい」
「桃ちゃんとの約束もあるものねえ」
「それもありますけど……」
冬華は小さく首を振った。
「私、死神になりたいんです」
大切な人を守れるように。
未来に待ち受ける悲劇を変えられるように。
そして、誰かが困っているとき、手を差し伸べられるように。
「もっと強くなって、たくさんの人を守りたいんです」
冬華は真っ直ぐにおばあちゃんを見つめた。
その翡翠色の瞳には、確かな決意が宿っていた。
おばあちゃんはしばらく黙っていたが、やがて穏やかに微笑んだ。
「……立派になったねえ、冬華」
「えへへ……まだまだですよ」
「そんなことないよ」
優しい手が、冬華の頭を撫でる。
「行っておいで。おばあちゃんは、いつだって冬華の味方だからね」
「……はい!」
冬華は嬉しそうに笑った。
真央霊術院への道。
その先に、どんな出会いが待っているのか。
どんな困難が待ち受けているのか。
まだ、誰にも分からない。
けれど。
(桃ちゃん、もう少し待っていてくださいね)
冬華は空を見上げた。
柔らかな風が吹き、銀白色の髪が揺れる。
少女の小さな決意が、やがて尸魂界の未来を大きく変えていく。
その物語は、まだ始まったばかりだった。
――第2話「小さな決意」・完。
【あとがき】
第2話をお読みいただき、ありがとうございます!
今回は冬華の修行と成長を描いてみました。
まだまだ未熟ですが、少しずつ強くなっていく冬華を見守っていただければ嬉しいです!
次回はいよいよ新たな出会いと、真央霊術院への入学です!
引き続きよろしくお願いします!