瀞霊廷、十番隊隊舎。
「――卍解!」
――ゴオオオオッ!!
訓練場に、凄まじい冷気が吹き荒れた。
「――大紅蓮氷輪丸!」
日番谷冬華の背中に、巨大な氷の翼が広がる。
腕や脚を覆う氷の装甲。
鋭く伸びる氷の尾。
そして、背後に浮かぶ幾輪もの氷華。
山本元柳斎重國との模擬戦で、初めて完成形の大紅蓮氷輪丸へ到達してから、約六年。
冬華は、さらなる高みを目指して修行を続けていた。
「……ふう」
氷輪丸を構え、静かに呼吸を整える。
(……あの時とは、違います)
六年間。
十番隊隊長としての仕事をこなしながら、冬華は霊圧を鍛え続けてきた。
斬術、瞬歩、白打、鬼道。
基礎的な戦闘技術を磨くことはもちろん、特に力を入れたのが霊圧総量の増強と、氷輪丸への霊力供給だった。
二本の氷輪丸。
本来、一人の死神が所有するはずのない、二振りの同一斬魄刀。
冬華は長い年月をかけて、その二本へ霊力を送り込み、自在に操る技術を磨いてきた。
そして、卍解では二本が融合する。
(……必要なのは、ただ氷華を壊すことじゃありません)
冬華は背後の氷華へ意識を向けた。
六年前。
完成形へ到達した瞬間の、あの圧倒的な力。
四界氷結によって、山本総隊長の左腕の一部を凍結させた。
しかし、あの力を引き出すには、氷華がすべて消えるまで待たなければならなかった。
そこで考えたのが、氷華の強制破砕。
だが、実際に試してみると、そう簡単にはいかなかった。
氷華を無理に砕こうとしても、卍解の霊力が乱れるだけ。
完成形へ移行することはできなかった。
何度も試し、何度も失敗した。
その過程で、冬華は一つの答えに辿り着いた。
(……完成形を発動するための霊力が、足りなかったんです)
氷華は、ただの飾りではない。
完成形へ至るまでの過程を示すもの。
必要な霊力が満たされていない状態で氷華だけを破壊しても、意味がない。
だからこそ、冬華は自分自身の霊圧総量を鍛え、氷輪丸へ送り込む霊力の量と精度を高め続けた。
そして、今日。
(……今なら、きっと!)
冬華は氷輪丸を握り直した。
その翡翠色の瞳に、強い決意が宿る。
「……いきます!」
――ゴオオオオッ!!
冬華の霊圧が、一気に膨れ上がった。
◇◆◇
「……っ!」
訓練場の外。
松本乱菊が、思わず足を止めた。
「……また、凄い霊圧ね」
冬華が修行を続けていることは知っていた。
しかし、最近の成長は目を見張るものがある。
六年前と比べても、霊圧の密度が明らかに違う。
「……本当に、どこまで強くなるつもりなのかしら」
乱菊は苦笑した。
もっとも、その努力を誰よりも近くで見てきたのも自分だ。
毎日のように修行を重ね、隊長としての仕事も決して疎かにしない。
休暇を取らせようとしても、少し目を離せば訓練場へ向かってしまう。
「……もう」
乱菊は小さく息を吐いた。
「今日こそ、成功するといいわね」
◇◆◇
(……集中!)
冬華は目を閉じた。
全身を流れる霊力。
それを、一振りに融合した氷輪丸へ送り込んでいく。
――キィィン!
刀身が、澄んだ音を響かせた。
氷の翼が大きく広がり、足元から冷気が噴き上がる。
――パキパキパキッ!!
訓練場の地面が、次々と凍結していった。
(……まだ!)
さらに霊力を送り込む。
だが、無理に押し込むのではない。
流れを整え、必要な場所へ、必要な量だけを送り届ける。
幼い頃から磨き続けてきた霊圧制御。
百層の霊圧多層膜を形成するほどの精密な操作技術。
そのすべてを、今は氷輪丸へ向けていた。
「……っ!」
額に汗が浮かぶ。
膨大な霊力が、刀身を通じて循環していく。
そして。
――キィィィン!!
「……!」
冬華は目を見開いた。
(……満たされた!)
感覚で分かった。
これまで、どれほど霊力を注ぎ込んでも届かなかった領域。
その境界を、今、確かに越えた。
氷輪丸が、応えている。
「……よし!」
冬華は氷輪丸を掲げた。
そして、背後の氷華へ意識を集中させる。
(……今です!)
霊力の流れを維持したまま、氷華を形成する氷雪へ干渉する。
これまでなら、ここで霊力が乱れていた。
だが。
――ピシッ!
氷華に、小さな亀裂が走った。
「……っ!」
冬華は息を呑む。
さらに霊力を集中させた。
――ピシピシピシッ!!
亀裂が、すべての氷華へ広がっていく。
(……いける!)
そして。
「――砕けてください!」
――パキィィィン!!
すべての氷華が、同時に砕け散った。
その瞬間。
――ゴオオオオオッ!!
訓練場を、凄まじい冷気が駆け抜けた。
「……っ!」
冬華の身体が、眩い氷雪の光に包まれる。
小柄だった身体が成長し、手足が伸びていく。
身長百五十センチだった身体は、百六十五センチほどの姿へ。
銀白色の髪が舞い上がり、翡翠色の瞳が輝いた。
氷の翼が砕け散り、周囲に純白の冷気が広がっていく。
――キィィィン!!
そして。
静寂。
「…………」
冬華は、ゆっくりと目を開いた。
視線を落とす。
先ほどまでとは違う、成長した身体。
手足の長さも、目線の高さも変わっている。
何より。
全身を満たす、圧倒的な氷雪の力。
「……あ」
冬華は小さく声を漏らした。
そして。
「……できた」
翡翠色の瞳が、大きく見開かれる。
「……できました!」
思わず笑みがこぼれた。
「やりましたーっ!!」
――ゴオオオッ!!
喜びに反応するように、周囲の冷気が大きく渦を巻いた。
「……わわっ!?」
冬華は慌てて霊圧を抑える。
すると、冷気はすぐに収まった。
「……ふう!」
そして、改めて自分の手を見つめる。
(……本当に、できたんですね)
六年間。
何度も失敗し、そのたびに原因を考え、修行を重ねてきた。
ようやく、その努力が実を結んだ。
冬華は氷輪丸を胸の前へ掲げた。
「……ありがとうございます、氷輪丸」
その声は、いつもより少しだけ穏やかだった。
◇◆◇
「――冬華隊長ーっ!」
「あっ!」
訓練場の入口から、乱菊が駆け込んできた。
「今の霊圧、いったい何が……」
そして、冬華の姿を見た瞬間。
「…………え?」
ぴたりと足を止めた。
「……冬華、隊長?」
「はい!」
冬華は嬉しそうに微笑んだ。
「松本さん!」
「……えっ? ちょっと待ってください」
乱菊は目を瞬かせた。
目の前に立っているのは、銀白色の髪と翡翠色の瞳を持つ女性。
見慣れた顔立ちの面影はある。
だが、普段より明らかに背が高く、大人びた姿になっていた。
「……もしかして」
「えへへ!」
冬華は嬉しそうに頷いた。
「完成形です!」
「……完成形?」
「はい!」
そして、満面の笑みを浮かべる。
「氷華を、自分で全部壊せるようになりました!」
「…………」
乱菊は数秒ほど固まった。
そして。
「――ええええっ!?」
訓練場に、大きな声が響いた。
「つ、ついに成功したんですか!?」
「はい!」
「本当に!?」
「本当です!」
「……っ!」
乱菊の表情が、ぱっと明るくなる。
「やりましたね、冬華隊長!」
「えへへ! ありがとうございます!」
乱菊は嬉しそうに冬華の両手を握った。
「もう! 何年も頑張ってましたもんね!」
「はい!」
冬華も大きく頷く。
「やっと成功しました!」
「……ふふっ!」
乱菊は笑った。
そして、改めて冬華の姿を見つめる。
「それにしても……」
「はい?」
「こうして見ると、本当に大人っぽいですねえ」
「……えっ?」
冬華は目を瞬かせた。
「そ、そうですか?」
「ええ! いつもの冬華隊長も可愛いですけど、今はすっかり綺麗なお姉さんですよ!」
「……えへへ!」
冬華は照れたように笑った。
「ありがとうございます!」
しかし、次の瞬間。
「……あっ!」
「どうしました?」
「そういえば、完成形を解除したら元に戻るんですよね!」
「……まあ、そうでしょうね」
「……ちょっと残念です」
「ふふっ! いつもの冬華隊長も十分可愛いですよ!」
「……本当ですか!?」
「もちろん!」
「えへへ!」
冬華は嬉しそうに笑った。
そして、氷輪丸へ意識を向ける。
――キィン!
冷気が収まり、完成形が解除された。
成長していた身体も、元の百五十センチへ戻る。
同時に、一振りだった氷輪丸が二本へ分かれた。
「……よし!」
冬華は二本の氷輪丸を背中へ収めた。
「これで、いつでも完成形になれます!」
「……本当に凄いですねえ」
乱菊は感心したように呟いた。
だが、すぐに表情を変える。
「……ところで、冬華隊長?」
「はい?」
「今日の書類仕事、終わってます?」
「…………」
冬華の笑顔が、ぴたりと止まった。
「……えっと」
「……冬華隊長?」
「……あと、少しだけ?」
「……はあ」
乱菊は額に手を当てた。
「もう! 修行が成功したのは嬉しいですけど、仕事もちゃんとしてください!」
「は、はいっ!」
冬華は慌てて頷いた。
「すぐに終わらせます!」
「……ふふっ!」
乱菊は思わず笑った。
「まったく。どんなに強くなっても、そこは変わりませんね」
「……えへへ!」
冬華も、少し照れたように笑った。
◇◆◇
その日の午後。
十番隊隊長室。
「……よし!」
冬華は最後の書類へ判を押した。
「終わりましたーっ!」
「お疲れ様です、冬華隊長」
向かいの机で書類を整理していた乱菊が微笑む。
「えへへ! これで今日はゆっくりできますね!」
「そうですねえ。せっかくですし、お祝いでも……」
――バタンッ!!
「――失礼します!!」
「……っ!?」
突然、隊長室の扉が開かれた。
飛び込んできたのは、十番隊の隊士だった。
「どうしたんですか?」
冬華は顔を上げる。
隊士は息を切らしながら、慌てた様子で敬礼した。
「緊急報告です!」
「……緊急報告?」
冬華の表情が引き締まる。
「はい!」
隊士は大きく息を吸った。
そして。
「――瀞霊廷内に、旅禍が侵入しました!!」
「…………!」
冬華の翡翠色の瞳が、わずかに見開かれた。
「……旅禍?」
「はい! 現在、各隊へ緊急連絡が回されています!」
「……分かりました」
冬華は静かに立ち上がった。
その背中には、二本の氷輪丸。
六年間の修行を経て、ついに完成形への瞬時移行を習得したばかり。
そして今。
瀞霊廷に、侵入者が現れた。
(……まさか)
冬華の脳裏に、前世の記憶がよぎる。
朽木ルキア。
死神の力の譲渡。
そして、尸魂界へ乗り込んでくる少年たち。
(……もう、そんな時期なんですね)
冬華は小さく息を吐いた。
「松本さん」
「はい!」
「状況を確認しましょう」
「了解です!」
冬華は隊長羽織を翻し、扉へ向かって歩き出した。
その表情からは、先ほどまでの無邪気な笑みが消えている。
護廷十三隊十番隊隊長。
日番谷冬華。
長い修行の年月を経て、氷雪系最強の斬魄刀を極めつつある少女。
その前に、今、新たな事件が幕を開けようとしていた。
――第23話『さらなる高みへ』・完。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
引き続きよろしくお願いします!