第24話「旅禍侵入」
瀞霊廷、一番隊隊舎。
「……市丸隊長が、旅禍と接触したんですか?」
隊首会の開かれる広間へ向かいながら、日番谷冬華は小さく首を傾げた。
先ほど、一番隊から緊急招集の通達が届いた。
理由は、西側の白道門に現れた旅禍について。
門番の兕丹坊が敗北し、門を開けたところに三番隊隊長の市丸ギンが現れたという。
幸い、旅禍の瀞霊廷への侵入は阻止された。
しかし、ギンは侵入者を捕縛せず、そのまま逃がしてしまったらしい。
(……ああ、あの場面ですね)
冬華には心当たりがあった。
黒崎一護。
かつて現世で出会った、橙色の髪の少年。
前世の記憶が正しければ、彼が仲間たちとともに白道門へ現れたはずだ。
(……一護さん、もう尸魂界に来ているんですね)
懐かしい気持ちが込み上げる。
あの雨の日から、随分と時間が経った。
今の一護は、どれほど成長しているのだろう。
「……ふふっ」
冬華は小さく笑った。
しかし、すぐに表情を引き締める。
(……いけませんね。今は隊首会です)
冬華は背中の二本の氷輪丸を揺らしながら、広間へ足を踏み入れた。
◇◆◇
広間には、すでに多くの隊長たちが集まっていた。
八番隊隊長、京楽春水。
十三番隊隊長、浮竹十四郎。
四番隊隊長、卯ノ花烈。
六番隊隊長、朽木白哉。
十一番隊隊長、更木剣八。
そして、ほかの隊長たち。
冬華は自分の立ち位置へ向かう。
「おや、冬華ちゃん」
「あっ、京楽さん!」
京楽が軽く手を上げた。
「相変わらず元気そうだねえ」
「はい! 京楽さんもお元気そうで何よりです!」
「いやあ、僕はもう少しのんびりしていたいんだけどね」
京楽は苦笑する。
「今回は、なかなか面倒なことになりそうだよ」
「……そうですね」
冬華は頷いた。
その時。
――ゴンッ!!
杖が床を打つ音が響き渡った。
「――静粛に」
広間の空気が、一瞬で引き締まる。
護廷十三隊総隊長。
山本元柳斎重國。
その鋭い眼差しが、集まった隊長たちを見渡した。
「これより、隊首会を始める」
冬華も姿勢を正した。
「すでに報告は受けておろう。西側の白道門に旅禍が現れた」
山本の低い声が響く。
「門番の兕丹坊は敗北。門が開かれ、瀞霊廷への侵入を許しかけた」
「…………」
「しかし、現場に居合わせた三番隊隊長、市丸ギンによって侵入は阻止された」
そこで、山本の視線が一人の男へ向けられる。
「――市丸ギン」
「……はい?」
いつもの薄い笑みを浮かべたギンが、ゆっくりと顔を上げた。
「貴様、旅禍を目の前にしながら、何故捕縛せずに逃がした?」
「……いやあ」
ギンは困ったように笑う。
「申し訳ありまへんなあ」
「謝罪を求めておるのではない。理由を聞いておる」
「……そう言われましても」
ギンは軽く肩をすくめた。
「ちょっと油断してしもうただけですわ」
「…………」
冬華は黙ってギンを見つめていた。
(……市丸隊長)
白道門での出来事。
原作の流れは覚えている。
ギンが本気で戦っていれば、一護たちを捕らえることもできたはずだ。
それをしなかった理由。
(……藍染隊長の計画、でしょうね)
冬華は、そっと視線を動かした。
五番隊隊長、藍染惣右介。
穏やかな表情を浮かべた男が、静かに立っている。
その姿からは、何も読み取れない。
「……まったく」
不意に、別の声が響いた。
「隊長が旅禍を取り逃がすとは、情けない話だね」
十二番隊隊長、涅マユリだった。
ギンは笑みを崩さない。
「いやあ、耳が痛いですわ」
「そもそも、捕縛していれば色々と調べられたものを……」
マユリは不満そうに言う。
その横で、更木剣八が退屈そうに鼻を鳴らした。
「くだらねえ。そんなに気になるなら、次に現れた時に捕まえりゃいいだろ」
「更木隊長。問題は、隊長が職務を果たさなかったことだ」
朽木白哉が静かに告げる。
「ああ?」
剣八が白哉を睨む。
「てめえ、俺に説教してんのか?」
「事実を述べたまでだ」
「……へえ」
剣八が笑う。
広間に、わずかな緊張が走った。
「まあまあ」
京楽が間に入る。
「二人とも、その辺にしておこうよ」
「…………」
冬華は小さく息を吐いた。
(……皆さん、相変わらずですねえ)
護廷十三隊の隊長たちは、誰もが一筋縄ではいかない。
それでも、いざという時には頼りになる人たちだ。
もっとも。
(……全員が味方、とは限りませんけど)
冬華は藍染へ一瞬だけ視線を向けた。
その時。
「……市丸隊長」
藍染が口を開いた。
「今回の件は、少々軽率だったのではないかな」
「……おや」
ギンが顔を向ける。
「藍染隊長まで、そないなこと言わはるんですか?」
「当然だよ。隊長としての責任は果たさなければならない」
「……怖いなあ」
ギンはいつものように笑った。
冬華は、二人のやり取りを静かに見守る。
(……よく言いますねえ)
思わず、そんな感想が浮かんだ。
しかし、口には出さない。
今ここで藍染を追及したところで、証拠がない。
それに、鏡花水月の問題もある。
下手に動けば、かえって状況を悪くしかねない。
「――もうよい」
山本が杖を床へ打ちつけた。
――ゴンッ!!
「市丸ギン。今回の件については、後日改めて沙汰を下す」
「……へえ」
ギンは軽く頭を下げた。
「承知しました」
「各隊は引き続き警戒を怠るな。旅禍が再び現れた際には、速やかに対処するのじゃ」
「「「はっ!」」」
「――解散!」
こうして、隊首会は終了した。
◇◆◇
瀞霊廷、十番隊隊舎。
「ただいま戻りました!」
「あっ、冬華隊長! お帰りなさい!」
隊長室へ戻った冬華を、松本乱菊が出迎えた。
「隊首会はどうでした?」
「白道門に現れた旅禍についてのお話でした。市丸隊長が取り逃がしたそうです」
「……ギンが?」
乱菊が目を瞬かせる。
「珍しいわね。あいつがそんな失敗するなんて」
「……そうですね」
冬華は曖昧に微笑んだ。
乱菊とギン。
二人の間にある過去を、冬華は知っている。
だからこそ、今は余計なことを言わなかった。
「それより、松本さん」
「はい?」
「旅禍が再び現れる可能性があります。十番隊の皆さんにも、警戒をお願いできますか?」
「もちろんです!」
「ありがとうございます!」
冬華は笑顔で頷いた。
そして、自分の机へ向かう。
(……さて)
一護たちは白道門からの侵入に失敗した。
ならば、次は志波空鶴の協力を得て、瀞霊廷へ侵入してくるはずだ。
(……そろそろ、ですね)
冬華は窓の外を見上げた。
青く澄んだ空。
今はまだ、穏やかな景色が広がっている。
しかし。
その平穏は、長く続かなかった。
――ドオオオオオオン!!
「……っ!?」
突如、遠方から凄まじい轟音が響いた。
続いて、瀞霊廷の上空を巨大な霊圧の塊が横切っていく。
「……あっ」
冬華は窓へ駆け寄った。
空を見上げる。
そして。
「……来ましたね」
小さく呟いた。
次の瞬間。
――ドゴオオオオオン!!
轟音とともに、瀞霊廷の各所へ衝撃が走った。
「――冬華隊長!!」
乱菊が叫ぶ。
「旅禍です! 瀞霊廷内への侵入を確認しました!」
「……はい!」
冬華は振り返った。
「人数は分かっていますか?」
「現在確認されているのは五名です! 侵入後、各方面へ散開した模様です!」
「五名……」
冬華は小さく頷いた。
(……やっぱり、一護さんたちですね)
懐かしい少年との再会。
それを思うと、少しだけ胸が弾む。
だが、今は隊長としての仕事がある。
「松本さん!」
「はい!」
「隊士の皆さんに警戒態勢を取るよう伝えてください! ただし、侵入者を発見しても無理に交戦せず、まずは報告を優先するように!」
「了解です!」
「私は、他の隊の状況を確認してきます!」
「はい! お気をつけて!」
「行ってきます!」
冬華は二本の氷輪丸を背負い直し、隊長室を飛び出した。
◇◆◇
瀞霊廷。
「……随分と騒がしくなりましたね」
冬華は屋根の上へ降り立ち、周囲を見渡した。
各所で隊士たちが慌ただしく動いている。
遠くからは、戦闘によるものと思われる霊圧も感じられた。
(……一護さんたち、もう戦っているんでしょうか)
冬華は少し考え込む。
原作では、旅禍の侵入をきっかけに瀞霊廷全体が大きく混乱する。
そして、その混乱に乗じて動き出す人物がいる。
(……藍染隊長)
冬華の表情が、わずかに引き締まった。
鏡花水月。
五感すべてを支配する、完全催眠の斬魄刀。
その能力を知っているからこそ、冬華は長年にわたって警戒を続けてきた。
完成形の大紅蓮氷輪丸へも、瞬時に移行できるようになった。
だが、それだけで藍染に勝てるとは限らない。
(……まずは、慎重に)
そう考えた、その時だった。
「――日番谷隊長!!」
「……はい?」
背後から声をかけられ、冬華が振り返る。
駆け寄ってきたのは、慌てた様子の隊士だった。
「緊急報告です!」
「どうしました?」
「五番隊隊長、藍染惣右介隊長が……!」
「…………!」
冬華の翡翠色の瞳が、わずかに見開かれる。
「……藍染隊長が?」
「隊舎付近で、遺体となって発見されました!!」
「…………」
冬華は数秒ほど黙り込んだ。
(……来ましたか)
ついに。
原作で起こった、あの事件が始まった。
「……分かりました」
冬華は静かに頷いた。
「現場へ案内してください」
「はっ!」
冬華は隊士の後を追い、五番隊隊舎へ向かった。
◇◆◇
五番隊隊舎付近。
「……これは」
現場へ到着した冬華は、思わず足を止めた。
周囲には、多くの隊士たちが集まっている。
その視線の先。
高い壁に、一人の男が串刺しにされていた。
五番隊隊長。
藍染惣右介。
胸元から血を流し、壁に固定されたその姿は、誰が見ても凄惨なものだった。
そして。
「……藍染、隊長……!」
震える声が聞こえた。
「……桃ちゃん」
冬華が視線を向ける。
そこには、雛森桃が立っていた。
顔色は真っ青。
目には涙が浮かび、今にも崩れ落ちそうになっている。
「……そんな……」
雛森は、壁に串刺しにされた藍染を見上げていた。
「……嘘、ですよね……?」
その声は、ひどく弱々しかった。
冬華は胸が痛むのを感じた。
(……桃ちゃん)
幼い頃から、一緒に過ごしてきた大切な友人。
その雛森が、これほど悲しんでいる。
冬華はそっと近づこうとした。
しかし。
「……ん?」
ふと、壁へ視線を戻す。
そして、目を瞬かせた。
「…………あれ?」
冬華は、もう一度よく見た。
壁に突き刺さっているもの。
確かに、そこには何かがある。
だが。
(……あれ?)
冬華は首を傾げた。
(……刀、ですよね?)
壁に突き刺さっているのは、一振りの斬魄刀。
少なくとも、冬華の目にはそう見えていた。
血まみれの遺体など、どこにもない。
「…………」
冬華はしばらく考え込んだ。
(……もしかして)
氷のコンタクトレンズ。
かつて藍染の始解披露会に参加した際、冬華が密かに使用していた対策。
鏡花水月の完全催眠を回避するために考えた方法だった。
その効果が、本当にあったのかどうか。
今まで確かめる機会はなかった。
だが、もし。
(……成功、していたんでしょうか?)
冬華は、もう一度壁を見上げた。
やはり、刀しか見えない。
周囲の隊士たちは、藍染の遺体があると信じている。
雛森も、目の前で泣いている。
その光景を見て、冬華は思わず口を開いた。
「……あの」
「……?」
近くにいた隊士が振り返る。
「どうされました、日番谷隊長?」
「……えっと」
冬華は壁を指差した。
「これ、刀が刺さっているだけですよね?」
「…………え?」
隊士が固まった。
「……はい?」
「ですから」
冬華は不思議そうに首を傾げる。
「藍染隊長の遺体なんて、どこにもありませんよ?」
「…………」
周囲が、静まり返った。
そして。
「――ええええっ!?」
隊士たちの驚愕の声が響き渡った。
「な、何をおっしゃっているんですか!?」
「藍染隊長が、あそこに……!」
「……え?」
冬華は目を瞬かせた。
「でも、どう見ても刀ですよ?」
「い、いえ! 遺体です!」
「……刀ですけど」
「遺体です!!」
「…………」
冬華は困ったように眉を下げた。
(……どうしましょう)
どうやら、自分と周囲では見えているものが違うらしい。
もっとも、その理由には心当たりがある。
(……やっぱり、鏡花水月ですね)
冬華は小さく息を吐いた。
しかし。
「……冬華、ちゃん?」
「……あっ」
その声に、冬華が振り返る。
雛森桃だった。
雛森は、信じられないものを見るような目で冬華を見つめていた。
「……今、何て言ったの?」
「……桃ちゃん」
「藍染隊長が……死んじゃったんだよ……?」
「…………」
「それなのに……刀だなんて……」
雛森の声が震える。
「……どうして、そんなこと言うの……?」
「……それは」
冬華は言葉に詰まった。
雛森の目には、確かに藍染の遺体が映っているのだろう。
その状態で、いくら刀だと説明しても、簡単には信じてもらえない。
「……桃ちゃん、落ち着いて聞いてください」
「……っ!」
「私は、本当に刀が刺さっているようにしか見えないんです」
「…………!」
「だから、藍染隊長はまだ……」
「――やめて!!」
「……っ!」
雛森の悲痛な叫びが響いた。
「もう……やめてよ……!」
涙が、頬を伝う。
「藍染隊長は……あんな姿になってるのに……!」
「……桃ちゃん」
冬華は悲しそうに眉を下げた。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
目の前にあるのは、藍染の遺体ではない。
それだけは、確かだった。
その時。
「……おや?」
柔らかな声が響いた。
「何や、随分と騒がしいことになってますなあ」
「…………!」
冬華が振り返る。
そこに立っていたのは、三番隊隊長。
市丸ギンだった。
いつものように細い目を浮かべ、薄く笑っている。
「……市丸隊長」
「こんにちは、日番谷隊長」
ギンは軽く手を上げた。
「何や、面白い話が聞こえてきましたけど」
「……面白い話、ですか?」
「ええ」
ギンは壁へ視線を向ける。
「藍染隊長の遺体が、刀に見えるとか何とか」
「……はい」
冬華は頷いた。
「私には、刀が刺さっているようにしか見えません」
「…………」
ギンの笑みが、ほんのわずかに止まった。
だが、それも一瞬。
「……へえ」
すぐに、いつもの笑顔へ戻る。
「そら、不思議なこともあるもんですなあ」
「……そうですね」
冬華はじっとギンを見つめた。
(……市丸隊長)
藍染の計画に協力している人物。
そして、乱菊にとって大切な幼なじみ。
冬華は、その事情をある程度知っている。
だが、今はそれよりも。
「…………!」
隣から、凄まじい怒気が伝わってきた。
「……桃ちゃん?」
冬華が振り返る。
雛森が、ギンを睨みつけていた。
「……市丸、隊長……!」
「……ん?」
ギンが首を傾げる。
「何ですの、雛森副隊長?」
「……あなたが……!」
雛森の手が、斬魄刀の柄へ伸びた。
「あなたが……藍染隊長を……!!」
「……桃ちゃん!?」
冬華が声を上げる。
しかし、雛森は止まらなかった。
「――あなたが殺したんでしょう!!」
――シャキィン!!
雛森が斬魄刀を抜き放った。
そして、そのままギンへ斬りかかる。
「――はあああっ!!」
「……っ!」
冬華は即座に動いた。
――ヒュン!
瞬歩。
一瞬で雛森とギンの間へ割り込む。
そして。
――キィィン!!
「……っ!?」
雛森の斬魄刀が、冬華の氷輪丸によって受け止められた。
「――桃ちゃん!!」
「……冬華、ちゃん……!?」
雛森が目を見開く。
冬華は真剣な表情で、雛森を見つめた。
「落ち着いてください!」
「……どうして……!」
「こんなところで、隊長へ斬りかかったら駄目です!」
「……っ!」
雛森の表情が歪む。
「……どうして、邪魔するの……?」
「……桃ちゃん」
「藍染隊長が……殺されたんだよ……!?」
「…………」
「なのに……冬華ちゃんは……!」
雛森の瞳から、涙があふれた。
「藍染隊長の遺体を刀だなんて言って……!」
「……っ」
「今度は、市丸隊長まで庇うの……!?」
冬華は、思わず息を呑んだ。
(……違うんです)
ギンを庇いたいわけではない。
雛森が取り返しのつかないことをするのを、止めたいだけだ。
だが。
今の雛森には、その言葉が届かない。
「……桃ちゃん」
冬華は静かに告げた。
「今は、刀を収めてください」
「……っ!」
「お願いします」
「…………!」
雛森は唇を噛み締めた。
そして、冬華の氷輪丸を押し返そうとする。
しかし。
「……っ、く……!」
動かない。
冬華の刀は、まるで巨大な岩のようにびくともしなかった。
「……桃ちゃん」
冬華はそっと雛森の斬魄刀を押し下げる。
力の差は、あまりにも大きかった。
「……今は、落ち着きましょう」
「…………っ!」
雛森の手から、力が抜けた。
冬華はゆっくりと氷輪丸を引く。
その直後。
「――雛森!!」
「……!」
駆けつけたのは、三番隊副隊長の吉良イヅルだった。
「何をしているんだ!?」
「……吉良、君……」
吉良は雛森と冬華、そしてギンを見比べる。
抜き放たれた斬魄刀。
周囲の騒然とした様子。
何が起こったのか、すぐに理解したらしい。
「……雛森」
吉良は険しい表情になった。
「隊長に斬りかかるなんて、正気か!?」
「……だって……!」
「だってじゃない!」
「……っ!」
雛森は俯いた。
冬華は小さく息を吐く。
「……吉良さん」
「……日番谷隊長!」
「桃ちゃんは、今とても混乱しています。少し休ませてあげてください」
「……はい」
吉良は頷いた。
そして、雛森へ視線を向ける。
「……行こう、雛森」
「…………」
雛森は答えなかった。
ただ、冬華を一度だけ見つめる。
その瞳には、悲しみと困惑が入り混じっていた。
「……冬華ちゃん」
「……はい」
「……私、分からないよ……」
「…………」
「冬華ちゃんが、何を考えてるのか……」
その言葉に、冬華の胸が小さく痛んだ。
「……桃ちゃん」
だが、雛森はそれ以上何も言わなかった。
吉良に付き添われ、その場を離れていく。
冬華は、二人の背中を静かに見送った。
◇◆◇
「……いやあ」
「……?」
背後から声がした。
冬華が振り返ると、ギンがいつもの笑みを浮かべていた。
「助かりましたわ、日番谷隊長」
「……いえ」
冬華は氷輪丸を鞘へ収めた。
「桃ちゃんを止めただけですから」
「それでも、助けてもろたことには変わりませんやろ?」
「……そうですね」
冬華は少し考えてから、ギンを見上げた。
「……市丸隊長」
「はい?」
「一つ、聞いてもいいですか?」
「何ですの?」
「……藍染隊長、本当に亡くなったと思いますか?」
「…………」
ギンの笑みが、わずかに深くなった。
「……何で、そないなこと聞くんです?」
「……だって」
冬華は壁を見上げる。
「私には、刀しか見えませんから」
「…………」
ギンは何も答えなかった。
ただ、細い目をさらに細める。
「……なるほどなあ」
「……?」
「いや、何でもあらへんよ」
ギンは軽く手を振った。
「ほな、ボクはこれで」
「……はい」
「また会いましょ、日番谷隊長」
そう言い残し、ギンはゆっくりと歩き出した。
冬華は、その背中を見送る。
(……さて)
藍染の偽装死。
そして、鏡花水月の完全催眠。
少なくとも、自分には通用していないらしい。
(……これは、大きな収穫ですね)
冬華は小さく頷いた。
だが、同時に。
(……桃ちゃんには、嫌われちゃったかもしれません)
少しだけ、肩を落とす。
「……はあ」
思わずため息がこぼれた。
それでも。
雛森を傷つけずに済んだ。
今は、それでよしとするしかない。
「……よし!」
冬華は気持ちを切り替えた。
「まずは、松本さんに報告ですね!」
そう呟き、十番隊隊舎へ向かって歩き出した。
◇◆◇
一方。
五番隊隊舎から少し離れた廊下。
「…………」
市丸ギンは、一人で歩いていた。
いつもの笑みを浮かべたまま。
しかし、その足取りは、普段よりも少しだけ遅い。
(……刀にしか見えへん、か)
先ほどの冬華の言葉が、頭から離れなかった。
藍染惣右介。
その斬魄刀、鏡花水月。
完全催眠。
一度始解を見た者は、五感すべてを支配される。
そして、日番谷冬華は。
確かに、藍染の始解披露会に参加していた。
(……おかしいなあ)
ギンは、ゆっくりと目を細めた。
冬華は、あの場で何を見ていたのか。
なぜ、完全催眠が通じていないのか。
そもそも、どこまで知っているのか。
分からない。
ただ一つ、確かなことがある。
藍染の計画に、予想外の存在が現れた。
それも、護廷十三隊の隊長格。
山本総隊長との模擬戦で、流刃若火を相手に渡り合ったほどの実力者。
そんな人物が、鏡花水月の完全催眠を見破っている。
「…………」
ギンは、ふと足を止めた。
そして。
「……どないしよ」
ぽつりと呟いた。
――第24話『旅禍侵入』・完。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
引き続きよろしくお願いします!