瀞霊廷。
雛森桃との衝突から、三日が経過した。
その間、日番谷冬華は決して手をこまねいていたわけではない。
藍染惣右介の不可解な死。
中央四十六室から下される不自然な命令。
そして、雛森桃に残された一通の手紙。
十番隊の職務をこなしながら、冬華は松本乱菊の協力を得て、可能な限り情報を集めていた。
しかし、調べれば調べるほど、疑惑は深まるばかりだった。
そして今日。
冬華は、四番隊隊舎を訪れていた。
「……なるほど。中央四十六室の命令について、ですか」
「はい」
隊長室。
机を挟んで向かい合うのは、四番隊隊長の卯ノ花烈。
その傍らには、副隊長の虎徹勇音が控えている。
「ここ数日、過去の通達と照らし合わせてみたんです。やっぱり、今回の処刑には不自然な点が多すぎます」
冬華は持参した書類を机に並べた。
「処刑日時の変更。双殛の使用。そして、隊長格からの問い合わせに対する回答の少なさ……」
「確かに、異例の対応が続いていますね」
卯ノ花は書類へ目を落とした。
「ですが、中央四十六室の決定に異議を唱えるには、それ相応の根拠が必要です」
「……分かっています」
冬華は頷いた。
「だから、もう一つ確認したいことがあるんです」
「何でしょう?」
「藍染隊長の遺体についてです」
勇音が、ぴくりと肩を揺らした。
「日番谷隊長……」
「卯ノ花さん。以前、私がお話ししたことを覚えていますか?」
「ええ。あなたには、藍染隊長の遺体が見えなかったというお話ですね」
「はい」
あの日。
多くの死神たちが、壁に突き刺さった藍染の遺体を目撃した。
しかし、冬華の目に映っていたのは、一本の斬魄刀だけだった。
「検分の際にも、気になる点があったとおっしゃっていましたよね?」
「……そうですね」
卯ノ花は静かに頷く。
「遺体そのものに、説明のつかない違和感がありました。もっとも、それだけで偽物と断定することはできません」
「でも、もし……」
冬華は、一度言葉を切った。
「私たちが見ているものが、最初から本物ではなかったとしたら?」
「……!」
勇音が息を呑む。
「そんな……! ですが、あれほど多くの隊士が藍染隊長の遺体を……!」
「そうなんです。だからこそ、おかしいんですよ」
冬華は真剣な表情で続けた。
「大勢が同じものを見たからといって、それが真実だとは限りません」
卯ノ花は、しばらく冬華を見つめていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「……日番谷隊長」
「はい」
「あなたは、何を疑っているのですか?」
「藍染隊長は、本当は死んでいないんじゃないかと思っています」
「……!」
「そして、もし生きているなら……中央四十六室の不自然な命令とも、何か関係があるのかもしれません」
勇音の表情が強張った。
「そ、それでは、まるで藍染隊長が……!」
「まだ、証拠はありません」
冬華は首を横に振った。
「だからこそ、確かめたいんです」
卯ノ花は静かに目を伏せた。
「……中央四十六室へ、直接赴くつもりですか?」
「はい」
「容易に立ち入れる場所ではありませんよ」
「承知しています。それでも、今は確かめる必要があると思うんです」
しばしの沈黙。
やがて、卯ノ花が立ち上がった。
「……分かりました」
「卯ノ花さん?」
「私も同行しましょう」
「えっ?」
「あなたのお話には、確かに無視できない点があります。それに、藍染隊長の遺体を検分した者として、私にも確かめる責任があります」
卯ノ花は勇音へ視線を向けた。
「勇音。あなたも来てください」
「は、はい!」
冬華は、ぱっと表情を明るくした。
「ありがとうございます、卯ノ花さん!」
「お礼は、まだ早いですよ」
卯ノ花は穏やかに微笑んだ。
「何もなければ、それが一番なのですから」
「……はい!」
冬華は力強く頷いた。
そして三人は、中央四十六室へと向かった。
◇
中央四十六室。
瀞霊廷の司法を司る、最高機関。
普段であれば、隊長格であっても自由な出入りは許されない場所だ。
その重厚な扉の前に、三人は立っていた。
「……静かですね」
勇音が小さく呟く。
「そうですね」
冬華は扉を見上げた。
周囲に人の気配はない。
不自然なほどの静寂。
(……やっぱり)
胸の奥に、嫌な予感が広がっていく。
「日番谷隊長」
卯ノ花が静かに声をかけた。
「……はい」
「参りましょう」
三人は、扉を開いた。
そして。
「――っ!?」
勇音が息を呑んだ。
広い室内。
そこにあったのは、無数の死体だった。
血に染まった床。
倒れ伏した賢者たち。
中央四十六室を構成する者たちが、誰一人生きていなかった。
「そ、そんな……!」
勇音が口元を押さえる。
冬華も、思わず眉をひそめた。
(……やっぱり、こうなっていましたか)
知識としては知っていた。
けれど、実際に目の当たりにすると、その凄惨さに胸が締めつけられる。
卯ノ花はすぐに遺体へ歩み寄った。
その表情から、いつもの穏やかな微笑みが消えている。
「……勇音」
「は、はい!」
「遺体の状態を確認してください」
「分かりました!」
勇音が動き出す。
卯ノ花自身も遺体を調べ、やがて静かに口を開いた。
「……亡くなってから、相当な時間が経過しています」
「……そうですか」
「少なくとも、ここ数日の出来事ではありません」
冬華は目を伏せた。
つまり。
中央四十六室から下されていた命令は、すでに存在しない者たちの名義で発せられていたことになる。
「……誰かが、中央四十六室になりすましていた」
冬華が呟く。
「その可能性が高いですね」
卯ノ花は静かに頷いた。
そのときだった。
「――見事だね」
背後から、穏やかな声が響いた。
「……!」
冬華は即座に振り返る。
入口付近。
そこに、一人の男が立っていた。
眼鏡をかけた、穏やかな顔立ちの死神。
五番隊隊長。
藍染惣右介。
「……藍染隊長」
冬華は、その名を口にした。
藍染は微笑んでいる。
まるで、いつものように隊長会議で顔を合わせたときのように。
「やあ、日番谷隊長。卯ノ花隊長も一緒とはね」
「……藍染隊長」
卯ノ花が静かに口を開いた。
「お亡くなりになったはずでは?」
「そういうことになっていたね」
藍染は、あっさりと答えた。
「……随分と簡単に認めるんですね」
冬華が言う。
「ここまで来られてしまっては、隠す意味もないだろう?」
「……そうですか」
冬華は、藍染から目を離さなかった。
その背後から、もう一人の男が姿を現す。
「いやぁ……えらいことになりましたなぁ」
細い目。
いつもの笑み。
三番隊隊長、市丸ギン。
「……市丸隊長」
「おや、日番谷隊長。そんな怖い顔せんといてください」
ギンは楽しそうに笑った。
「久しぶりに会うた気ぃしますわ」
「……三日前にも会いましたよね?」
「せやったかなぁ?」
とぼけるギンを、冬華はじっと見つめた。
あの日。
桃が自分へ襲いかかったときも、ギンはそこにいた。
そして今。
藍染の隣に立っている。
「……市丸隊長も、藍染隊長の協力者だったんですね」
「さて、どうでしょう?」
ギンは笑みを崩さない。
その答えを待つことなく、卯ノ花が口を開いた。
「藍染隊長。中央四十六室の方々を殺害したのは、あなたですか?」
「……そうだよ」
あまりにも平然とした返答だった。
勇音が目を見開く。
「なっ……!」
「彼らには、少々邪魔をしてもらいたくなかったのでね」
「……そのために、全員を?」
冬華の声が低くなる。
「必要なことだった」
「……そうですか」
冬華は、小さく息を吐いた。
目の前の男は、少しも悪びれていない。
何十人もの命を奪い、瀞霊廷全体を欺き、桃の心まで利用した。
それでもなお、穏やかに微笑んでいる。
「……藍染隊長」
「何だい?」
「桃ちゃんに残した手紙も、あなたが書いたんですよね?」
「……ああ」
藍染は微笑んだ。
「雛森君なら、あの内容を信じてくれると思っていたよ」
「…………」
「彼女は実に素直だからね」
冬華の指が、わずかに震えた。
桃の泣き顔が脳裏をよぎる。
――冬華ちゃんなんて、大嫌い。
あの言葉を、冬華は忘れていない。
「……そうやって、人の気持ちを利用するんですね」
「感情というものは、時に非常に便利なものだよ」
「……私は、そうは思いません」
冬華は、まっすぐ藍染を見据えた。
「桃ちゃんは、あなたを本当に信頼していたんです」
「知っているとも」
藍染の声は、どこまでも穏やかだった。
その態度に、冬華は唇を結んだ。
けれど、感情に任せて飛びかかることはしない。
ここには卯ノ花と勇音もいる。
そして、相手は藍染惣右介なのだ。
「……ところで」
藍染が、不意に話題を変えた。
「日番谷隊長。君には一つ、聞きたいことがある」
「……何でしょう?」
「私の死体を見たとき、君は刀しか見えなかったと言ったそうだね」
「……はい」
「実に興味深い話だ」
「……鏡花水月について、ですか?」
卯ノ花が静かに問いかけた。
「藍染隊長。あなたの斬魄刀は、流水系の能力だったはずですが……」
「ああ。そう説明していたね」
藍染は穏やかに微笑んだ。
「だが、鏡花水月の本当の能力は完全催眠だ」
「……完全催眠、ですか」
卯ノ花の目が、わずかに細められた。
「一度でも始解の解放を目にした者の五感を支配し、あらゆるものを私の望む姿に見せることができる」
「そ、そんな……!」
勇音が息を呑む。
冬華も、驚いたように目を見開いた。
「……では、あの遺体も?」
「そういうことだよ」
藍染は微笑んだ。
卯ノ花は、静かに考え込むような仕草を見せた。
「……なるほど。私たちが検分した藍染隊長の遺体も、催眠によって見せられた偽物だったのですね」
「その通りだよ」
「ですが……」
卯ノ花の視線が、冬華へ移る。
「日番谷隊長には、その遺体が見えていなかった」
「……はい」
冬華は、小さく頷いた。
「それは、私も気になっていたところだ」
藍染が冬華を見つめる。
「君だけが、私の完全催眠に囚われていなかった」
その視線が、ふと冬華の瞳で止まった。
「……なるほど」
「……?」
「君の目か」
冬華の表情が、わずかに変わった。
「……何のことでしょう?」
「微弱だが、君の瞳の周囲には霊力が集中している」
藍染は静かに続けた。
「非常に精密な制御だ。注意して見なければ、見落としてしまうほどにね」
「…………」
「何かを仕込んでいるんだろう? 私の鏡花水月を見ることを避けるために」
冬華は答えなかった。
その沈黙を、藍染は肯定と受け取ったらしい。
「やはり、そうか」
藍染は興味深そうに目を細めた。
「しかし、不思議だね」
「……何がですか?」
「君は、私が始解を披露したときから、すでに対策をしていたことになる」
「…………」
「私は君の前で、敵意を見せた覚えはない」
藍染の笑みが、わずかに深くなった。
「それなのに、君はなぜ私を警戒していたんだい?」
冬華は、少しだけ考えた。
もちろん、本当の理由を話すわけにはいかない。
前世の記憶。
この世界の未来。
そんなことを説明するつもりは、最初からなかった。
だから。
「……胡散臭かったからです」
「…………」
沈黙。
藍染の笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。
「……何だって?」
「胡散臭かったからです」
冬華は、もう一度はっきりと言った。
「いつも穏やかに笑っていらっしゃいますけど、何を考えているのか全然分からなかったので!」
「…………」
「だから、念のため警戒していました!」
にっこり。
冬華は、実に晴れやかな笑顔を浮かべた。
その瞬間。
「……くっ」
藍染の背後から、奇妙な声が漏れた。
「……ふ、ふふっ……!」
「……市丸」
「いやぁ……堪忍してください、藍染隊長」
ギンが口元を袖で隠している。
その肩が、小刻みに震えていた。
「まさか……そないな理由やとは……くくっ……!」
「……随分と楽しそうだね」
「そらもう。藍染隊長が胡散臭い言われるんは、なかなか新鮮ですわ」
「…………」
藍染は、静かにギンへ視線を向けた。
「……市丸」
「はいはい。黙っときます」
そう言いながらも、ギンの笑みは消えない。
冬華は不思議そうに首を傾げた。
「……あれ? 市丸隊長は、そう思いませんでした?」
「……っ!」
ギンが、とうとう吹き出した。
「ふっ……ははっ! あかん、日番谷隊長……!」
「……?」
「ほんま、おもろい子ですわ……!」
勇音は、何とも言えない表情で立ち尽くしていた。
卯ノ花は、口元にわずかな笑みを浮かべている。
そして藍染は。
「……なるほど」
ゆっくりと、眼鏡の位置を直した。
「随分と理不尽な理由だね」
「そうでしょうか?」
「少なくとも、私としては心外だよ」
冬華は、きょとんとした顔で答えた。
「……でも、当たっていましたよね?」
「…………」
藍染は、答えなかった。
再び、短い沈黙が訪れる。
やがて藍染は、小さく笑った。
「……面白いね、日番谷冬華」
その声から、先ほどまでの軽さが消えていた。
「だが、それだけで私の能力に対策を施すとは思えない」
「……そうですか?」
「ああ。君は、まだ何かを隠している」
冬華は、微笑んだまま答えた。
「……女の子には、秘密があるものですよ?」
「……そうか」
藍染は、それ以上追及しなかった。
ただ、その目は少しも笑っていなかった。
「では、その秘密を抱えたまま、ここから帰れると思うかい?」
空気が変わった。
肌を刺すような、重い霊圧。
「……っ!」
勇音が息を呑む。
冬華も、表情を引き締めた。
「……卯ノ花さん」
「ええ」
卯ノ花は静かに頷いた。
「勇音。下がっていなさい」
「は、はい!」
冬華は一歩前へ出た。
背中に差した二本の氷輪丸へ、両手を伸ばす。
「……藍染隊長」
「何だい?」
「一つだけ、言っておきます」
冬華の翡翠色の瞳が、まっすぐ藍染を捉えた。
「私は、あなたを許しません」
「……そうか」
藍染は、穏やかに微笑んだ。
「それは残念だ」
――シャキンッ!
冬華が、二本の氷輪丸を抜き放つ。
右手に、自分自身の氷輪丸。
左手に、草冠宗次郎から託された氷輪丸。
冷たい霊圧が、静かに広がっていく。
対する藍染も、腰の斬魄刀へ手をかけた。
「……君の実力には、以前から興味があった」
ゆっくりと、刀身が鞘から引き抜かれる。
「二本の氷輪丸を操る、史上稀に見る天才。そして、私の鏡花水月に囚われなかった死神」
藍染の視線が、冬華へ向けられた。
「……どこまで私に届くのか、見せてもらおう」
冬華は、二本の刀を構えた。
(……藍染惣右介)
冬華は、静かに息を吸った。
(あなたの思い通りには、させませんからね)
中央四十六室。
その静寂の中で。
二人の隊長が、互いの刃を向け合った。
――第27話『真実』・完。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
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