中央四十六室。
冷たい霊圧が、静寂を満たしていた。
日番谷冬華と藍染惣右介。
二人の隊長が、互いに斬魄刀を構えている。
冬華の手には、二本の氷輪丸。
対する藍染の手には、鏡花水月。
「……卯ノ花さん」
「ええ。こちらは任せてください」
卯ノ花烈が、虎徹勇音を伴って後方へ下がる。
その様子を確認した冬華は、改めて正面の男を見据えた。
「……では、参ります!」
――ドンッ!
床を蹴る。
次の瞬間、冬華の姿が掻き消えた。
「……!」
――キィンッ!
鋭い金属音。
藍染の眼前に現れた冬華が、右手の氷輪丸を振り下ろしていた。
しかし、その刃は鏡花水月によって受け止められる。
――ギィンッ!
続けて左手。
藍染が身体をひねってかわす。
冬華はそのまま踏み込み、左右の斬撃を交互に繰り出した。
――キンッ! ギィンッ! キィンッ!
火花が散る。
二本の刀による絶え間ない連撃。
藍染は一振りの鏡花水月で、それらを次々と捌いていく。
「……なるほど」
藍染が小さく呟いた。
「二刀流というのは、なかなか厄介なものだね」
「……っ!」
冬華は答えない。
右の斬撃を受け流された瞬間、左の刀を逆袈裟に振り上げる。
しかし。
――ガキンッ!
藍染の刀が、正確にその軌道を塞いだ。
さらに、刃を滑らせるようにして冬華の左腕を押し上げる。
生まれた隙。
藍染の足が、一歩踏み込んだ。
「……!」
――ヒュッ!
鏡花水月が、冬華の胴を横薙ぎに払う。
回避は間に合わない。
だが。
――キィンッ!
「……!?」
藍染の目が、わずかに見開かれた。
確かに捉えたはずの斬撃。
しかし、その刃は冬華の身体に届いていなかった。
幾重にも重ねられた霊圧の膜が、刀身を受け止めていたのだ。
その一瞬。
冬華の左手が動いた。
――ヒュッ!
「……!」
藍染が即座に身を引く。
だが、完全には避けきれない。
――シュッ!
鋭い刃が、藍染の頬を浅く切り裂いた。
次の瞬間には、二人の姿が掻き消えていた。
――タンッ!
互いに距離を取り、再び向かい合う。
「…………」
藍染は頬に指を触れた。
指先に付着した、わずかな血。
「……驚いたね」
藍染は静かに冬華を見つめる。
「今の一撃を防ぐとは。それも、単純に霊圧で受け止めたわけではないようだ」
「……分かりますか?」
「ああ。幾重にも重ねられた霊圧の層……実に精密な制御だ」
藍染は薄く微笑んだ。
「それぞれの層が独立して衝撃を受け止めている。あれほど薄い霊圧を、戦闘中に維持するとはね」
「……これでも、長年鍛えてきましたから!」
「なるほど」
藍染は、もう一度頬の傷へ触れた。
「その防御を利用して、私の隙を突いたわけか」
「……油断しましたね?」
「そうだね。少々、君を見くびっていたようだ」
藍染は穏やかに微笑んだ。
「だが、仕組みが分かれば対処のしようもある」
「……!」
次の瞬間。
藍染の姿が消えた。
――ガキィンッ!
「……くっ!」
冬華は咄嗟に二本の氷輪丸を交差させた。
凄まじい衝撃。
先ほどまでとは、明らかに違う。
藍染の斬撃が、二本の刀をまとめて押し込んでくる。
(……重い!)
冬華は足元へ霊圧を集中させ、強引に踏みとどまった。
しかし、藍染は止まらない。
――キィンッ!
斬撃。
――ギィンッ!
さらに一撃。
冬華は二刀を駆使して防ぐが、徐々に押し込まれていく。
「……っ!」
藍染の刀が、再び冬華の肩口へ迫った。
今度は、刃の一点に霊圧が集中している。
(……まずい!)
冬華は瞬歩で横へ跳んだ。
――ザシュッ!
隊長羽織の端が切り裂かれる。
先ほどのように受け止めていれば、防御を突破されていたかもしれない。
「……やはりね」
藍染が静かに言った。
「君の防御は優秀だ。だが、無限に攻撃を受け止められるわけではない」
「……もちろん、分かっていますよ」
冬華は呼吸を整えた。
「ですから、同じ手ばかり使うつもりもありません!」
そして。
二本の氷輪丸を、左右へ広げる。
「――霜天に坐せ、氷輪丸!」
――ゴオオオオッ!!
凄まじい冷気が、中央四十六室を駆け抜けた。
白い霧が広がり、床を氷が覆っていく。
二本の氷輪丸から、巨大な氷の竜が姿を現した。
「……ほう」
藍染が興味深そうに目を細める。
「二本同時の始解か」
「……行きます!」
冬華が刀を振るう。
――ゴオオオッ!
二匹の氷竜が、左右から藍染へ襲いかかった。
藍染は瞬歩で後退する。
しかし。
――バキバキバキッ!
退路を塞ぐように、床から氷の柱が突き出した。
「……!」
藍染が跳躍する。
その頭上。
すでに冬華が待ち構えていた。
――キィンッ!
右手の氷輪丸が、鏡花水月と激突する。
続けて左手。
藍染は身体をひねって回避した。
しかし、冬華は攻撃を止めない。
――ゴオオッ!
背後から氷竜が迫る。
藍染は振り返ることなく瞬歩で移動した。
直後。
――ドォォンッ!
氷竜が壁へ激突する。
凄まじい轟音。
砕け散った氷片が、室内を白く染めた。
「……なるほど」
藍染は少し離れた場所へ着地した。
「単純な二刀流ではない。二本の氷輪丸を、それぞれ独立して操っているのか」
「……はい!」
冬華は笑みを浮かべた。
「私の得意分野ですから!」
再び、瞬歩。
――キィンッ!
刃が交差する。
――ギィンッ!
さらに一撃。
藍染の周囲を、氷雪が渦巻いた。
冬華は二刀流による近接戦闘と、氷輪丸による広範囲の攻撃を組み合わせていた。
一方の刀で藍染を牽制し、もう一方で攻める。
さらに氷の竜が、逃げ道を制限する。
その攻防を、少し離れた場所から卯ノ花が見つめていた。
「……すごい……」
勇音が呆然と呟く。
「日番谷隊長が、あの藍染隊長と……!」
「ええ」
卯ノ花は静かに頷いた。
「見事なものですね」
二本の斬魄刀。
高度な瞬歩。
精密な霊圧操作。
そして、氷雪系最強と呼ばれる氷輪丸。
そのすべてが、長年の鍛錬によって一つの戦闘技術へと昇華されている。
「ですが……」
卯ノ花の表情は、決して明るくなかった。
「藍染隊長も、まだ底を見せていません」
◇
――キィンッ!
「……っ!」
冬華の右手の氷輪丸が、鏡花水月に弾かれた。
すかさず左手で追撃する。
しかし、藍染はわずかに身体を傾けただけで、それをかわした。
――ヒュッ!
鋭い蹴りが、冬華の脇腹へ迫る。
「……!」
冬華は霊圧を集中させ、左腕で受け止めた。
――ドンッ!
衝撃に押され、床を滑る。
すぐさま体勢を立て直すが、藍染は追撃してこなかった。
「……実に興味深い」
藍染は静かに口を開いた。
「二本の氷輪丸だけでも異例だが、君の真価はむしろ、その霊圧操作にあるのかもしれないね」
「……褒めても、何も出ませんよ?」
「褒めているつもりだよ」
藍染は微笑んだ。
「ただし、君にも弱点はある」
「……!」
「君は攻撃と防御を、非常に高い精度で切り替えている。だが、その制御にも限界はあるはずだ」
冬華は答えなかった。
藍染の分析は、的確だった。
霊圧多層膜。
瞬間的な身体能力の強化。
二本の氷輪丸の制御。
それらを同時に行うには、相応の集中力が必要になる。
(……本当に、嫌な相手ですね)
冬華は内心で苦笑した。
わずかな攻防だけで、ここまで見抜いてくる。
やはり、藍染惣右介は恐ろしい。
それでも。
「……まだまだ、これからですよ!」
冬華は二本の氷輪丸を構え直した。
藍染も、鏡花水月をゆっくりと持ち上げる。
再び、二人が動こうとした。
そのときだった。
「――冬華ちゃん!?」
「……っ!?」
聞き覚えのある声。
冬華は思わず振り返った。
中央四十六室の入口。
そこに、一人の少女が立っていた。
五番隊副隊長。
雛森桃。
「……桃ちゃん!?」
冬華の表情が変わった。
(……どうして、ここに!?)
桃は荒い息を整えながら、室内を見渡していた。
凍りついた床。
破壊された壁。
そして、二本の氷輪丸を構える冬華。
「……冬華、ちゃん……?」
桃の声が震える。
だが。
その視線が、冬華の向こう側へ向けられた瞬間。
「…………え?」
桃の動きが止まった。
そこに立っていたのは。
死んだはずの、五番隊隊長。
「……藍染、隊長……?」
藍染惣右介だった。
「やあ、雛森君」
いつもと変わらない、穏やかな声。
桃の瞳が、大きく見開かれる。
「……あ……」
唇が震えた。
「……生きて……?」
「ああ」
藍染は微笑んだ。
「久しぶりだね」
「……っ!」
桃の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……よかった……!」
震える声。
「よかった……! 藍染隊長……!」
桃は両手で口元を押さえた。
「私……私、本当に……!」
言葉にならない。
死んだと思っていた人が、生きている。
それだけで、胸がいっぱいだった。
「……藍染隊長!」
桃が駆け出そうとする。
しかし。
「――桃ちゃん!」
冬華が、その前に立ちはだかった。
「……え?」
「近づいちゃ駄目!」
「ど、どうして……!?」
桃は信じられないという顔で冬華を見つめた。
「藍染隊長が……生きていらっしゃるんだよ!?」
「……分かっています!」
「だったら、どうして邪魔するの!?」
冬華は唇を噛んだ。
桃の瞳には、まだ疑惑が残っている。
三日前。
自分を襲い、拒絶したときと同じ目だった。
それでも、冬華は退かなかった。
「……桃ちゃん。お願いです。今は、私の話を聞いてください」
「……嫌……!」
桃が首を振る。
「また……また邪魔するの……!?」
「……っ」
「冬華ちゃんは、どうして……!」
「――雛森君」
穏やかな声が、二人の間に割って入った。
「……!」
桃が顔を上げる。
藍染は、いつものように微笑んでいた。
「少し、話をしようか」
「……藍染、隊長……?」
「君を五番隊の副隊長に選んだ理由を、話したことがあったかな?」
「……え?」
唐突な問いかけ。
桃は戸惑いながら首を横に振った。
「い、いえ……」
「そうか」
藍染は静かに頷いた。
「では、いい機会だ。教えてあげよう」
その声は、どこまでも優しかった。
「君は昔から、私をよく慕ってくれていたね」
「……は、はい……!」
桃は小さく頷いた。
「私……藍染隊長のような死神になりたくて……!」
「知っているよ」
藍染は微笑んだ。
「だからこそ、君を副隊長に選んだんだ」
「……!」
桃の表情が、わずかに明るくなる。
しかし。
「君は、私の言葉を疑わない」
「……え?」
「私が何を言っても信じてくれる。何を命じても、素直に従ってくれる」
「…………」
「実に扱いやすい子だったよ」
桃の笑顔が、固まった。
「……あい、ぜん……隊長……?」
「能力や実績だけで選んだわけではない」
藍染は、淡々と続けた。
「私にとって都合のいい存在だった。それが、君を副隊長に選んだ一番の理由だよ」
「…………え?」
桃の唇が震えた。
「……そんな……」
藍染は微笑んだままだった。
「君は私を信頼していた。だから、あの手紙も疑わなかったんだろう?」
「……手紙……?」
「ああ。日番谷隊長が私を殺したと疑わせるために、君へ残した手紙だよ」
「…………」
「君なら、きっと信じてくれると思っていた」
桃の顔から、血の気が引いていく。
「……うそ……」
「嘘ではないよ」
藍染は穏やかに答えた。
「私が書いたものだからね」
「……そんな……そんなこと……!」
桃は首を振った。
「だって……藍染隊長は……!」
その声は、今にも消え入りそうだった。
「私のことを……認めてくださって……!」
「……桃ちゃん」
冬華が、小さく呼びかける。
しかし、桃には届かない。
その瞳は、藍染だけを見つめていた。
「……藍染隊長……」
桃は震える声で尋ねた。
「……私のこと……本当に……?」
藍染は、静かに微笑んだ。
「君は、私に憧れていたね」
「…………」
「だが、雛森君」
そして。
「憧れは理解から最も遠い感情だよ」
「…………あ」
桃の瞳から、光が消えた。
何かが、音もなく崩れていく。
信じていた人。
尊敬していた人。
その背中を追いかけてきた、長い年月。
五番隊に入隊した日の喜び。
副隊長に任命された日の誇らしさ。
優しく微笑んでくれた、あの人。
そのすべてが。
ただ、自分を利用するためのものだった。
「…………」
桃の唇が、かすかに動いた。
けれど、声は出なかった。
涙も、もう流れていない。
ただ、呆然と藍染を見つめていた。
――がくん。
膝から、力が抜ける。
「……あ……」
そのまま、桃は床へ崩れ落ちた。
「……ぁ……」
何かを言おうとしている。
けれど、言葉にならない。
泣くことさえ、できなかった。
「……桃ちゃん!」
冬華は即座に駆け寄った。
二本の氷輪丸を手放すことなく、片膝をついて桃の身体を支える。
「桃ちゃん……!」
返事はない。
翡翠色の瞳に映るのは、虚ろな表情を浮かべた幼なじみ。
三日前。
自分に向けられた、あの言葉。
――冬華ちゃんなんて、大嫌い。
そんなことは、どうでもよかった。
冬華は二本の氷輪丸を床へ置き、桃を強く抱きしめた。
「……大丈夫です」
震える身体を、そっと包み込む。
「私がいますから……」
「…………」
「桃ちゃん……」
桃は、何も答えなかった。
ただ、冬華の腕の中で、虚ろな瞳を開いている。
冬華は唇を噛んだ。
(……藍染……!)
怒りが、胸の奥で燃え上がる。
けれど、今は桃を離せない。
この子を、一人にはできない。
その様子を、藍染は静かに眺めていた。
「……なるほど」
穏やかな声。
「君は本当に、彼女を大切にしているんだね」
「…………」
冬華は答えなかった。
桃を抱きしめたまま、藍染を睨みつける。
「……ですが」
藍染は、ゆっくりと鏡花水月を持ち上げた。
「戦いの最中に、敵から目を離すのは感心しないね」
「――っ!」
冬華の瞳が見開かれる。
藍染の姿が、消えた。
(……来る!)
冬華は咄嗟に桃を抱き寄せ、全身へ霊圧を集中させた。
幾重もの霊圧の膜が、二人を包み込む。
その直後。
――ドンッ!!
凄まじい衝撃が、冬華を襲った。
「……くっ!」
床に亀裂が走る。
霊圧の膜が、次々と砕け散った。
そして。
「……さて」
すぐ目の前から、穏やかな声が聞こえた。
「今度は、どこまで耐えられるかな?」
冬華の翡翠色の瞳が、鋭く藍染を捉える。
その腕の中には、絶望に沈んだ幼なじみ。
そして眼前には、鏡花水月を振り下ろす藍染惣右介。
冬華は、桃を抱きしめる腕に力を込めた。
(……絶対に)
砕け散る霊圧の膜。
迫る刃。
(……桃ちゃんは、私が守ります!)
――第28話『双氷と鏡花水月』・完。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
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