日番谷に転生した   作:使い手なない

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第29話「天に立つ」

 

 ――バキバキバキッ!!

 

 幾重にも重ねられた霊圧の膜が、次々と砕け散っていく。

 

「……くっ!」

 

 中央四十六室。

 

 日番谷冬華は、雛森桃を抱きしめたまま歯を食いしばっていた。

 

 目の前には、鏡花水月を振り下ろす藍染惣右介。

 

 その刃に込められた霊圧が、冬華の防御を容赦なく削り取っていく。

 

(……まだ!)

 

 冬華は全身の霊圧を集中させた。

 

 砕かれた膜を補うように、新たな層を形成する。

 

 しかし。

 

 ――パキィンッ!

 

 最後の一層が、砕け散った。

 

「……っ!」

 

 迫る刃。

 

 桃を抱えたままでは、回避が間に合わない。

 

 その瞬間。

 

 ――キィィンッ!!

 

「……!」

 

 鋭い金属音が響いた。

 

 冬華の眼前で、藍染の刀が止まっている。

 

 その刃を受け止めていたのは、一振りの斬魄刀。

 

「……卯ノ花さん!」

 

「日番谷隊長」

 

 卯ノ花烈は、いつもと変わらない穏やかな表情を浮かべていた。

 

「今のうちに、雛森副隊長を」

 

「……はい!」

 

 冬華は即座に床を蹴った。

 

 ――ドンッ!

 

 桃を抱えたまま瞬歩で後退する。

 

 その直後。

 

 ――ギィンッ!

 

 卯ノ花と藍染の刀が離れた。

 

「……おや」

 

 藍染は小さく微笑んだ。

 

「卯ノ花隊長まで、私の相手をしてくださるのですか?」

 

「いいえ」

 

 卯ノ花は静かに答えた。

 

「私は、これ以上の犠牲を出したくないだけです」

 

「……なるほど」

 

 藍染は鏡花水月を下ろした。

 

「相変わらず、お優しい方だ」

 

 卯ノ花は答えなかった。

 

 ただ、その瞳は藍染から離れない。

 

     ◇

 

「……勇音さん!」

 

「は、はい!」

 

 冬華は少し離れた場所へ着地すると、桃をそっと床へ下ろした。

 

「桃ちゃんをお願いします!」

 

「分かりました!」

 

 勇音が駆け寄る。

 

 しかし。

 

「……桃ちゃん?」

 

 冬華は思わず、その顔を覗き込んだ。

 

「…………」

 

 返事はない。

 

 桃は虚ろな瞳で、ただ前方を見つめていた。

 

 まるで、周囲の音が何も聞こえていないかのようだった。

 

「……桃ちゃん」

 

 冬華は小さく呼びかける。

 

 それでも、反応はなかった。

 

(……藍染……!)

 

 胸の奥に、怒りが込み上げる。

 

 けれど。

 

 冬華はその感情を押し殺した。

 

 今、感情に任せて動けば、藍染の思うつぼだ。

 

「……勇音さん」

 

「はい」

 

「桃ちゃんを、安全な場所へ連れていってください」

 

「……日番谷隊長は?」

 

 冬華は立ち上がった。

 

 そして、振り返る。

 

「……まだ、やることがありますから」

 

 その翡翠色の瞳には、静かな決意が宿っていた。

 

「……お気をつけて」

 

「はい!」

 

 冬華は小さく微笑んだ。

 

 それから、床に置いていた二本の氷輪丸へ手を伸ばす。

 

 右手に、自分自身の氷輪丸。

 

 左手に、草冠宗次郎から託された氷輪丸。

 

 二本の刀を握り直す。

 

 ――ヒュウウッ。

 

 冷たい風が、足元を吹き抜けた。

 

「……さて」

 

 冬華はゆっくりと歩き出した。

 

「お待たせしました、藍染隊長」

 

 藍染が振り返る。

 

「……もういいのかい?」

 

「はい」

 

 冬華は二本の氷輪丸を構えた。

 

「桃ちゃんは、もう傷つけさせません」

 

「……そうか」

 

 藍染は穏やかに微笑んだ。

 

「では、続きを始めようか」

 

「……望むところです!」

 

 ――ドンッ!!

 

 二人の姿が、同時に掻き消えた。

 

     ◇

 

 ――キィンッ!!

 

 凄まじい金属音が響く。

 

 冬華の右手の氷輪丸と、藍染の鏡花水月が激突した。

 

 続けて左手。

 

 ――ギィンッ!

 

 藍染は身体をひねってかわす。

 

 しかし、冬華は止まらない。

 

「……はあっ!」

 

 ――ゴオオオッ!!

 

 左手の氷輪丸から、巨大な氷竜が飛び出した。

 

 藍染が瞬歩で回避する。

 

 その着地点。

 

 ――バキバキバキッ!

 

 床から無数の氷柱が突き出した。

 

「……!」

 

 藍染は即座に跳躍する。

 

 しかし。

 

 すでに冬華は、その頭上へ回り込んでいた。

 

 ――キィィンッ!!

 

 二本の氷輪丸が、交差するように振り下ろされる。

 

 藍染は鏡花水月を横に構え、その一撃を受け止めた。

 

 ――ドォンッ!

 

 凄まじい衝撃。

 

 藍染の足元に亀裂が走る。

 

「……なるほど」

 

 藍染が小さく呟いた。

 

「先ほどより、動きが鋭くなっているね」

 

「……そうですか?」

 

「ああ」

 

 藍染は薄く微笑む。

 

「怒りに任せて攻撃してくるかと思ったが、むしろ冷静になっている」

 

「……当然です」

 

 冬華は刀を押し込みながら答えた。

 

「怒ったところで、あなたに勝てるわけではありませんから!」

 

 ――ギィンッ!

 

 二人の刀が弾かれる。

 

 冬華は即座に後退した。

 

 その直後。

 

 ――ゴオオオッ!!

 

 二匹の氷竜が、左右から藍染へ襲いかかる。

 

 藍染は瞬歩で距離を取った。

 

 しかし。

 

(……そこです!)

 

 冬華の翡翠色の瞳が、鋭く輝いた。

 

 藍染の足元。

 

 そこには、先ほどから広がり続けていた氷がある。

 

 冬華は二本の氷輪丸を左右へ広げた。

 

「……藍染隊長」

 

「……?」

 

「私の氷輪丸は、二本あります」

 

「知っているよ」

 

 藍染は微笑んだ。

 

「実に興味深いことだ」

 

「……では」

 

 冬華は小さく息を吸った。

 

「二本だからこそできることも、お見せしましょう!」

 

 ――ゴオオオオオッ!!

 

 凄まじい冷気が、中央四十六室を満たした。

 

 床を覆っていた氷が、一斉に隆起する。

 

「……!」

 

 藍染の周囲。

 

 前後左右。

 

 そして、頭上。

 

 無数の巨大な氷柱が、次々と突き出した。

 

 ――バキバキバキバキッ!!

 

 床。

 

 壁。

 

 天井。

 

 あらゆる方向から氷が伸び、藍染の退路を塞いでいく。

 

「……ほう」

 

 藍染が目を細めた。

 

 その瞬間。

 

 冬華の右手の氷輪丸から、一匹の巨大な氷竜が姿を現した。

 

 続けて左手。

 

 もう一匹の氷竜が、咆哮を上げる。

 

 ――ゴオオオオッ!!

 

 二匹の氷竜が、冬華の周囲を旋回する。

 

 その巨体は、先ほどまでのものとは比較にならないほど巨大だった。

 

 氷の鱗が光を反射し、鋭い牙が冷気を纏う。

 

 冬華は二本の氷輪丸を交差させた。

 

「――双竜氷獄!!」

 

 ――ドォォォォンッ!!

 

 二匹の巨大な氷竜が、左右から藍染へ殺到した。

 

 藍染が瞬歩で回避しようとする。

 

 しかし。

 

 ――バキィンッ!

 

 進路を塞ぐ氷柱。

 

 上空へ逃れようにも、天井から無数の氷槍が突き出している。

 

 藍染は鏡花水月を振るい、迫る氷を斬り裂いた。

 

 だが。

 

 その瞬間には、二匹の氷竜が目前へ迫っていた。

 

「……!」

 

 ――ドゴォォォォンッ!!

 

 凄まじい轟音。

 

 二匹の氷竜が、藍染を挟み込むように激突した。

 

 同時に、周囲の氷柱が一斉に収束する。

 

 ――バキバキバキバキッ!!

 

 巨大な氷の牢獄が形成されていく。

 

 床から天井まで。

 

 中央四十六室の一角が、完全に氷に覆われた。

 

 やがて。

 

 ――ゴゴゴゴ……。

 

 激しい振動が収まった。

 

「…………」

 

 冬華は二本の氷輪丸を構えたまま、静かに息を吐いた。

 

「……ふう」

 

 目の前には、巨大な氷塊。

 

 藍染の姿は、完全にその内部へ閉じ込められている。

 

(……どうですか?)

 

 冬華は警戒を解かなかった。

 

 あの藍染が、これだけで倒れるとは思えない。

 

 それでも。

 

 少なくとも、確実に捉えた。

 

「……すごい……」

 

 離れた場所で、勇音が呆然と呟いた。

 

「これが……日番谷隊長の……」

 

 卯ノ花も、静かに氷塊を見つめていた。

 

「……見事な技ですね」

 

 しかし。

 

 その表情が、わずかに険しくなる。

 

「……ですが」

 

 ――ピシッ。

 

 小さな音が響いた。

 

「……!」

 

 冬華の瞳が鋭くなる。

 

 巨大な氷塊の表面。

 

 そこに、一本の亀裂が走っていた。

 

 ――ピシピシッ!

 

 亀裂が広がる。

 

 さらに。

 

 ――ゴゴゴゴゴ……!

 

 氷塊の内部から、凄まじい霊圧が溢れ始めた。

 

(……やっぱり!)

 

 冬華は二本の氷輪丸を構え直した。

 

 次の瞬間。

 

 ――ドォォォォンッ!!

 

 巨大な氷の牢獄が、内側から吹き飛んだ。

 

 無数の氷片が、室内へ飛び散る。

 

 冬華は咄嗟に刀を振るい、こちらへ飛んできた氷片を砕いた。

 

 そして。

 

 白い冷気の向こう。

 

 一人の男が、悠然と立っていた。

 

「……実に素晴らしい」

 

 藍染惣右介。

 

 その身体には、目立った傷一つない。

 

 ただ、眼鏡の奥の瞳が、わずかに楽しげに細められていた。

 

「始解だけで、これほどの氷雪を操るとはね」

 

「……っ!」

 

 冬華は小さく息を呑んだ。

 

(……やっぱり、化け物ですね)

 

 あれだけの攻撃を受けて、ほとんど無傷。

 

 しかも、卍解すら使用していない。

 

 改めて思い知らされる。

 

 藍染惣右介という男の、底知れない実力を。

 

「……双竜氷獄、か」

 

 藍染は静かに呟いた。

 

「二本の氷輪丸を持つ君だからこそ、成立する技なのだろうね」

 

「……そうですね」

 

 冬華は呼吸を整えた。

 

「ですが、まだ終わっていませんよ!」

 

「……そうだね」

 

 藍染は穏やかに微笑んだ。

 

「私としても、もう少し君の力を見てみたいところだが……」

 

 そこで。

 

 藍染は、ふと視線を動かした。

 

「……残念ながら、時間切れのようだ」

 

「……時間切れ?」

 

 冬華が眉をひそめる。

 

 藍染は鏡花水月をゆっくりと下ろした。

 

「私には、まだ果たすべき目的があるのでね」

 

「……!」

 

 冬華の脳裏に、一人の少女の姿が浮かんだ。

 

(……ルキアさん!)

 

 崩玉。

 

 藍染が本当に求めているもの。

 

 それは、朽木ルキアの魂魄の中に隠されている。

 

「……行かせません!」

 

 冬華が床を蹴る。

 

 しかし。

 

 ――ヒュッ!

 

 藍染の姿が、瞬歩によって掻き消えた。

 

「……っ!」

 

 冬華は即座に周囲を見渡す。

 

 そのとき。

 

「……いやぁ、えらい派手な戦いやったなぁ」

 

 聞き覚えのある声が響いた。

 

「……市丸隊長!」

 

 崩れた壁の向こう。

 

 そこに、市丸ギンが立っていた。

 

 いつものように、細い目をさらに細めて笑っている。

 

「いやぁ、驚いたわぁ。まさか藍染隊長を氷漬けにしてまうとはなぁ」

 

「……市丸隊長」

 

「ほんま、恐ろしいお人やねぇ。日番谷隊長は」

 

 ギンは楽しそうに笑った。

 

 しかし、その視線は冬華の二本の氷輪丸へ向けられている。

 

「……市丸隊長」

 

 冬華は静かに問いかけた。

 

「あなたも、藍染隊長についていくんですか?」

 

「……さあ?」

 

 ギンは肩をすくめた。

 

「どないやろなぁ」

 

「…………」

 

「ほな、またな。日番谷隊長」

 

 その言葉を残し、ギンの姿も掻き消えた。

 

「……っ!」

 

 冬華は追おうとした。

 

 だが、その足が止まる。

 

「…………」

 

 振り返った先には、勇音に支えられている桃の姿があった。

 

 虚ろな瞳。

 

 青ざめた顔。

 

 そして、何も映していないかのような表情。

 

「……桃ちゃん」

 

 冬華は二本の氷輪丸を下ろした。

 

 藍染を追わなければならない。

 

 それは分かっている。

 

 けれど。

 

 今、この子を置いていっていいのだろうか。

 

 冬華は迷わず、桃のもとへ駆け寄った。

 

「……勇音さん!」

 

「日番谷隊長!」

 

「桃ちゃんは……大丈夫ですか?」

 

 勇音は困ったように眉を寄せた。

 

「外傷はありません。ですが……」

 

「……はい」

 

 冬華は小さく頷いた。

 

 身体に傷がなくても、心が無事とは限らない。

 

 むしろ。

 

 今の桃にとっては、身体の傷よりも深いものが残されている。

 

「……桃ちゃん」

 

 冬華は片膝をついた。

 

 そして、そっと桃の手を握った。

 

「…………」

 

 反応はない。

 

「……私ですよ」

 

 冬華は、できるだけ優しく声をかけた。

 

「冬華です」

 

「…………」

 

「……もう、大丈夫ですからね」

 

 それでも、桃は何も答えなかった。

 

 冬華は唇を噛んだ。

 

 そのとき。

 

「――日番谷隊長」

 

 卯ノ花の声が響いた。

 

「……卯ノ花さん」

 

 冬華が顔を上げる。

 

 卯ノ花は静かに微笑んだ。

 

「雛森副隊長のことは、私たちに任せてください」

 

「……ですが」

 

「今の彼女には、静かに休める場所が必要です」

 

「…………」

 

「私たちが、責任を持って保護します」

 

 冬華は桃を見つめた。

 

 幼い頃から、ずっと一緒だった友人。

 

 笑い合った日々。

 

 共に死神を目指した日々。

 

 そして、三日前に向けられた言葉。

 

 ――冬華ちゃんなんて、大嫌い。

 

 冬華は小さく首を振った。

 

 そんなことは、もうどうでもいい。

 

 今はただ。

 

 桃に、元気になってほしかった。

 

「……卯ノ花さん」

 

「はい」

 

「桃ちゃんを……お願いします」

 

「ええ」

 

 卯ノ花は穏やかに頷いた。

 

「安心してください」

 

 冬華は、もう一度桃の手を握った。

 

「……桃ちゃん」

 

 小さく微笑む。

 

「また、会いに来ますからね」

 

「…………」

 

 返事はなかった。

 

 けれど。

 

 冬華はそっと手を離した。

 

 そして、立ち上がる。

 

「……行ってきます!」

 

 卯ノ花が静かに頷く。

 

「お気をつけて」

 

「はい!」

 

 冬華は二本の氷輪丸を背中へ納めた。

 

 そして。

 

 ――ドンッ!

 

 瞬歩で中央四十六室を飛び出した。

 

     ◇

 

 瀞霊廷。

 

 双殛の丘。

 

 冬華は、凄まじい速度で屋根の上を駆け抜けていた。

 

(……急がないと!)

 

 藍染の目的は、崩玉。

 

 そして、その崩玉は朽木ルキアの魂魄の中に隠されている。

 

 冬華は歯を食いしばった。

 

 桃のことが心配で、追跡が遅れてしまった。

 

 だが、後悔はしていない。

 

 あの状態の桃を、何も言わずに置いていくことなどできなかった。

 

(……お願いです!)

 

 冬華はさらに速度を上げた。

 

(……まだ、間に合ってください!)

 

 ――ドンッ!

 

 最後の屋根を蹴る。

 

 視界が開けた。

 

 双殛の丘。

 

 そこには、すでに多くの死神たちが集まっていた。

 

「……っ!」

 

 冬華は瞬歩で丘へ降り立った。

 

 そして。

 

 目に飛び込んできたのは、朽木ルキアの姿。

 

 その傍らには、黒崎一護と阿散井恋次。

 

 さらに、護廷十三隊の隊長たち。

 

 そして。

 

 少し離れた場所に、藍染惣右介が立っていた。

 

 その手には、小さな球体。

 

 崩玉。

 

 すでに、取り出されていた。

 

 けれど、冬華の目はその球体には向かなかった。

 

 見つめているのは、ただ一人。

 

 藍染惣右介。

 

 桃が、誰よりも信じていた男だった。

 

「……藍染隊長!」

 

 冬華は背中から二本の氷輪丸を抜き放った。

 

 その翡翠色の瞳には、明確な怒りが宿っていた。

 

「……桃ちゃんは、あなたのことを本当に信じていたんですよ」

 

 藍染は静かに冬華を見下ろした。

 

「……そうだね」

 

「それなのに……!」

 

 冬華は二本の氷輪丸を強く握りしめた。

 

「……絶対に、許しません!」

 

 藍染は、その言葉を聞いても表情を変えなかった。

 

「……君は随分と、雛森君を大切にしているようだね」

 

「……当たり前です!」

 

 冬華は即座に答えた。

 

「私の、大切な友達なんですから!」

 

 その瞬間だった。

 

 ――ゴオオオオオッ!!

 

「……!?」

 

 空が、裂けた。

 

 冬華は思わず顔を上げた。

 

 青空の向こう。

 

 巨大な亀裂が生まれている。

 

 その奥から現れたのは、無数の巨大な虚。

 

「……大虚!?」

 

 誰かが叫んだ。

 

 そして。

 

 ――カッ!!

 

 空から、黄金色の光が降り注いだ。

 

「……っ!」

 

 冬華は咄嗟に目を細める。

 

 光は藍染を包み込んだ。

 

 さらに、少し離れた場所にいた市丸ギンと東仙要も、同じ光に包まれる。

 

「……反膜!」

 

 冬華は小さく呟いた。

 

 大虚が仲間を救出する際に使用する光。

 

 その内部は、外界から完全に隔絶される。

 

 原作知識として知っていた。

 

 しかし、実際に目の前で見ると、その異様さは想像以上だった。

 

「……くっ!」

 

 冬華は氷輪丸を構え直した。

 

 だが。

 

 藍染は、すでにゆっくりと空へ昇り始めていた。

 

「……おや」

 

 藍染が冬華へ視線を向ける。

 

「次に会うときは、君の卍解も見せてもらいたいものだね」

 

「……!」

 

「もっとも、その機会があるかどうかは分からないが」

 

 冬華は二本の氷輪丸を握りしめた。

 

「……次に会ったときは」

 

 翡翠色の瞳が、鋭く藍染を捉える。

 

「絶対に、逃がしません!」

 

「……そうか」

 

 藍染は穏やかに微笑んだ。

 

「楽しみにしているよ」

 

     ◇

 

「……市丸隊長!」

 

 冬華は、もう一つの光へ視線を向けた。

 

 そこには、市丸ギンがいた。

 

 いつもの笑みを浮かべたまま、ゆっくりと空へ昇っていく。

 

「……日番谷隊長」

 

 ギンは少しだけ目を開いた。

 

「なんや、まだボクに用でもあるん?」

 

「……!」

 

 冬華は一瞬、言葉に詰まった。

 

 彼が何を考えているのか。

 

 なぜ藍染に従っているのか。

 

 冬華は、その理由をある程度知っている。

 

 だからこそ。

 

「……市丸隊長!」

 

 冬華は声を張り上げた。

 

「松本さんが、悲しみますよ!」

 

「…………」

 

 ギンの笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。

 

 しかし。

 

 すぐに、いつもの表情へ戻る。

 

「……そうかもしれへんなぁ」

 

 それだけだった。

 

 冬華は唇を噛んだ。

 

 今の自分には、彼を引き止めることができない。

 

 それでも。

 

(……いつか)

 

 冬華は、空へ昇っていくギンを見つめた。

 

(……必ず!)

 

 そのとき。

 

「――ギン!!」

 

 聞き覚えのある声が響いた。

 

「……!」

 

 冬華が振り返る。

 

 そこには、松本乱菊が立っていた。

 

 乱菊は空を見上げていた。

 

 その瞳に映るのは、遠ざかっていく銀髪の男。

 

「……ギン……!」

 

 乱菊の声が震える。

 

 ギンは、そんな彼女を見下ろした。

 

「……乱菊」

 

 小さく呟く。

 

 その声は、地上までは届かなかった。

 

 ただ。

 

 ほんの一瞬。

 

 彼の笑みが、寂しげに見えた。

 

「……松本さん」

 

 冬華は、そっと乱菊の隣へ立った。

 

 乱菊は何も答えない。

 

 ただ、空を見つめ続けていた。

 

     ◇

 

 藍染惣右介。

 

 市丸ギン。

 

 東仙要。

 

 三人の死神が、黄金色の光に包まれながら空へ昇っていく。

 

 その姿を、護廷十三隊の隊長たちが見上げていた。

 

 やがて。

 

 藍染が、ゆっくりと口を開いた。

 

「……諸君」

 

 その声は、不思議なほど穏やかだった。

 

「君たちには、感謝しているよ」

 

「……!」

 

「長い間、実に有意義な時間を過ごさせてもらった」

 

 藍染は、眼鏡へ手を伸ばした。

 

 そして。

 

 ――パキッ。

 

 眼鏡を外し、握り潰した。

 

 整えられていた髪を、ゆっくりとかき上げる。

 

 そこにいたのは、もはや温厚な五番隊隊長ではなかった。

 

 圧倒的な自信。

 

 揺るぎない傲慢さ。

 

 そして、底知れない野心。

 

 藍染惣右介は、地上の死神たちを見下ろした。

 

「……最初から、誰も天に立ってなどいない」

 

 静かな声。

 

「君も、私も、神すらも」

 

 冬華は、その姿を見つめていた。

 

 前世で知っていた光景。

 

 けれど。

 

 実際に目の当たりにすると、その存在感はまるで違った。

 

 藍染は、ゆっくりと微笑んだ。

 

「だが、その天の王座の耐え難い空白も終わる」

 

 そして。

 

「――これからは、私が天に立つ」

 

 その言葉とともに。

 

 三人の姿は、空の亀裂の向こうへ消えていった。

 

 ――ゴゴゴゴ……。

 

 巨大な亀裂が、ゆっくりと閉じていく。

 

 やがて。

 

 空には、何事もなかったかのような青空だけが残された。

 

「…………」

 

 誰も、すぐには言葉を発しなかった。

 

 護廷十三隊の隊長たち。

 

 旅禍として瀞霊廷へ侵入した少年たち。

 

 そして、日番谷冬華。

 

 全員が、同じ空を見上げていた。

 

     ◇

 

「……行っちゃいましたね」

 

 冬華が、小さく呟いた。

 

 その隣では、乱菊が俯いていた。

 

「……ええ」

 

 短い返事。

 

 いつもの明るさは、そこにはなかった。

 

 冬華は少しだけ迷った。

 

 けれど。

 

 そっと、乱菊の手を握った。

 

「……松本さん」

 

「……冬華ちゃん?」

 

 乱菊が顔を上げる。

 

 冬華は、静かに微笑んだ。

 

「……帰りましょう」

 

「…………」

 

「十番隊に」

 

 乱菊は、しばらく冬華を見つめていた。

 

 そして。

 

「……そうね」

 

 小さく頷いた。

 

 冬華は、もう一度空を見上げた。

 

 藍染惣右介。

 

 市丸ギン。

 

 東仙要。

 

 三人は、虚圏へ去った。

 

 崩玉も奪われた。

 

 護廷十三隊にとって、あまりにも大きな敗北だった。

 

 けれど。

 

 すべてが終わったわけではない。

 

 冬華は、背中へ二本の氷輪丸を納めた。

 

 まだ、自分には力が足りない。

 

 あの藍染を相手に、戦い抜くことはできた。

 

 しかし、倒すことはできなかった。

 

 それでも。

 

 冬華は、静かに拳を握った。

 

(……次は)

 

 翡翠色の瞳が、まっすぐ前を向く。

 

(……必ず、止めてみせます)

 

 そして。

 

 冬華は乱菊とともに、双殛の丘を後にした。

 

 青空の下。

 

 瀞霊廷には、ようやく静寂が戻り始めていた。

 

 だが、それは決して、すべての戦いが終わったことを意味しない。

 

 むしろ。

 

 これから始まる、さらに大きな戦いの前触れだった。

 

 ――第29話『天に立つ』・完。




ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
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