真央霊術院。
入学から数か月が経過した。
「――やあっ!」
――ヒュッ!
訓練場に、木刀が風を切る音が響いた。
「……っと!」
日番谷冬華は、振り下ろされた木刀を受け流し、素早く横へ踏み込んだ。
そのまま相手の脇腹へ木刀を向ける。
しかし。
「甘い!」
「……わっ!?」
草冠宗次郎が身体をひねり、冬華の一撃をかわした。
続けて、鋭い踏み込み。
「……!」
冬華は咄嗟に木刀を構え直した。
――カンッ!
二本の木刀がぶつかる。
「むむむ……!」
「ははっ! どうした、冬華!」
「まだまだです!」
冬華が一歩引いた。
そして、再び踏み込もうとした、その時。
「そこまで!」
教官の声が響いた。
「二人とも、見事だった!」
「……ふう!」
冬華は木刀を下ろし、小さく息を吐いた。
「また勝てませんでした……!」
「いや、今日は危なかったぞ」
草冠も木刀を下ろして笑った。
「前よりずっと動きがよくなってる」
「本当ですか!?」
「ああ。特に足運びがな」
「えへへ……!」
冬華は嬉しそうに微笑んだ。
数か月前までは、独学の癖が目立っていた斬術。
しかし、教官の指導と草冠との稽古によって、その技術は着実に向上していた。
歩法も同様だ。
短距離の瞬歩なら、以前より安定して使用できる。
鬼道についても、初歩的な術をいくつか習得していた。
(……うん! 順調ですね!)
もっとも、まだまだ学ぶことは多い。
だからこそ、毎日の授業が楽しかった。
「そういえば、冬華」
「はい?」
「今日の午後、斬魄刀についての授業があるらしいぞ」
「……!」
冬華の翡翠色の瞳が輝いた。
「本当ですか!?」
「ああ。ようやく本格的に教わるみたいだな」
「……ふふっ!」
「……冬華?」
「楽しみです!」
冬華は満面の笑みを浮かべた。
「ずっと待っていたんですから!」
◇◆◇
「斬魄刀とは、死神自身の魂を写し取る刀である」
午後の授業。
教官は生徒たちを前に、斬魄刀について説明していた。
「諸君らが扱うことになる浅打は、持ち主の魂を写し取り、やがてその者だけの斬魄刀へと変化していく」
教官は一本の刀を掲げた。
「そして、本日から諸君らにも浅打を支給する!」
「「「おおおっ!」」」
教室が一気に騒がしくなった。
(……来ました!)
冬華の翡翠色の瞳が輝く。
ついに、自分の斬魄刀を手にする日が来たのだ。
「順番に受け取りに来い!」
生徒たちが次々と浅打を受け取っていく。
そして。
「日番谷冬華!」
「はい!」
冬華は元気よく返事をして、教官の前へ進んだ。
「これがお前の浅打だ。大切に扱うように」
「はい! ありがとうございます!」
差し出された刀を、両手で受け取る。
「……!」
その瞬間。
――ひやり。
指先に、かすかな冷たさが伝わった。
(……あれ?)
冬華は小さく首を傾げた。
けれど、その感覚はすぐに消えてしまう。
(……気のせいでしょうか?)
冬華は刀を見つめた。
まだ何の変哲もない浅打。
しかし、これから長い時間を共にする、大切な刀だ。
「……よろしくお願いしますね!」
冬華は小さく微笑んだ。
続いて。
「草冠宗次郎!」
「はい!」
草冠も浅打を受け取った。
「……へえ」
鞘に収められた刀を眺め、嬉しそうに笑う。
「これが、俺の刀か」
「草冠さん!」
「ん?」
「お揃いですね!」
「……ははっ! まあ、今はみんな同じだけどな!」
「むぅ……! それはそうですけど!」
二人は楽しそうに笑い合った。
その後、教官が再び口を開く。
「斬魄刀には、それぞれ名前がある」
教室が静まり返った。
「斬魄刀の真の力を引き出すには、その名を知り、刀と心を通わせなければならない」
冬華は手元の浅打へ視線を落とした。
(……名前)
そして、あることを思い出していた。
――夢。
幼い頃から、何度も見てきた不思議な夢だ。
一面の銀世界。
吹き荒れる雪。
そして、遠くから響く低い声。
その声は、いつも何かを伝えようとしていた。
けれど。
(……名前だけは、聞き取れなかったんですよね)
夢の中で、何度も耳を澄ませた。
声のする方へ歩いてみたこともある。
しかし、決まって吹雪が強くなり、目が覚めてしまう。
前世の記憶を持つ冬華には、その声の主に心当たりがあった。
(……氷輪丸)
氷雪系最強の斬魄刀。
原作の日番谷冬獅郎が持つ刀。
自分がその日番谷として生まれた以上、いずれ手にすることになるのだろう。
そう考えていた。
「では、これから斬魄刀との対話について学んでもらう」
「「「はい!」」」
「ただし、焦る必要はない。斬魄刀との対話は容易なものではないからな」
教官は生徒たちを見渡した。
「まずは自身の内面へ意識を向けることから始める。刀の声を聞こうとするのではなく、刀の存在を感じ取るのだ」
(……なるほど)
冬華は小さく頷いた。
そして、そっと目を閉じる。
(……今度こそ)
あの声を、聞いてみたい。
◇◆◇
その日の夜。
冬華は自室の寝台に横になっていた。
「……ふう」
今日も充実した一日だった。
斬術の稽古。
鬼道の復習。
そして、斬魄刀についての授業。
(……明日も頑張りましょう!)
冬華は小さく微笑んだ。
それから、ゆっくりと目を閉じる。
やがて。
意識が、深い眠りへと沈んでいった。
◇◆◇
――ヒュオオオオオ……。
「……ん?」
冷たい風が頬を撫でた。
冬華が目を開ける。
そこには、見覚えのある景色が広がっていた。
「……あっ!」
一面の銀世界。
果てしなく続く氷原。
空を覆う灰色の雲。
そして、遠くにそびえる巨大な氷の山々。
「……また、この夢ですね」
冬華は周囲を見渡した。
幼い頃から何度も訪れている場所。
けれど、今日は少し様子が違っていた。
(……吹雪が弱い?)
いつもなら、前も見えないほど雪が吹き荒れている。
しかし、今夜は違う。
遠くの景色まで、はっきりと見渡すことができた。
その時。
『――ようやく、届いたか』
「……!」
低い声が響いた。
冬華は勢いよく振り返る。
「……誰ですか!?」
返事はない。
しかし、次の瞬間。
――ゴゴゴゴゴ……!
大地が震えた。
「……わわっ!?」
冬華は慌てて足を踏ん張った。
遠くの氷山が揺れる。
その向こうから、巨大な影が姿を現した。
「……!」
青白く輝く鱗。
鋭い爪。
長大な身体。
そして、氷雪を纏う巨大な竜。
その姿を見た瞬間、冬華は息を呑んだ。
(……やっぱり!)
知っている。
前世で、何度も見た姿だ。
「……氷輪丸?」
冬華が小さく呟く。
巨大な竜が、その瞳を向けた。
『……ほう』
低い声が響く。
『我が名を知っているのか』
「……はい!」
冬華は嬉しそうに頷いた。
「ずっと、あなたに会いたかったんです!」
『……そうか』
氷輪丸は静かに冬華を見つめた。
『我もまた、長くお前を呼び続けていた』
「……!」
『だが、これまでは声が届かなかった』
冬華は少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんなさい……。何度も声は聞こえていたんですけど、ちゃんと聞き取れなくて……」
『謝る必要はない』
氷輪丸の声は、落ち着いていた。
『お前はまだ幼かった。それでも、我が声を聞こうとし続けていた』
「……えへへ」
冬華は照れくさそうに笑った。
「だって、気になっていたんです!」
『……ふむ』
氷輪丸は小さく唸った。
『随分と変わった娘だな』
「むっ……! そうでしょうか?」
『普通、これほど巨大な竜を前にして、嬉しそうに笑う者は少ない』
「……あっ」
冬華は改めて氷輪丸を見上げた。
確かに、大きい。
ものすごく大きい。
けれど。
「……怖くありませんよ?」
『……何?』
「だって、ずっと私を呼んでくれていたんですよね?」
冬華は柔らかく微笑んだ。
「それなら、怖がる理由なんてありません!」
しばしの沈黙。
やがて。
『……ふっ』
氷輪丸が、わずかに笑ったような気がした。
『なるほど。面白い娘だ』
◇◆◇
『……冬華』
「はい!」
『お前は、何のために力を求める』
氷輪丸の問いかけに、冬華は瞬きをした。
「……力、ですか?」
『そうだ』
巨大な竜が静かに告げる。
『我が力は、氷雪を統べる力。容易に扱えるものではない』
冷たい風が吹き抜けた。
『それでも、お前は我が力を望むか』
冬華は少しだけ考えた。
強くなりたい。
その気持ちは、幼い頃から変わっていない。
前世で知っている未来。
藍染惣右介。
雛森桃に降りかかる悲劇。
市丸ギンの最期。
そして、数えきれないほどの戦い。
それらを変えるためには、力が必要だ。
けれど。
「……私は」
冬華は顔を上げた。
「大切な人たちを守りたいんです」
『……』
「おばあちゃんも、桃ちゃんも……草冠さんも」
自然と、笑顔が浮かんだ。
「みんなと、これからも笑っていたいんです!」
氷輪丸は黙って聞いていた。
「もちろん、強くなること自体も楽しいですよ?」
冬華は少し照れくさそうに笑った。
「昨日できなかったことが、今日できるようになると、すごく嬉しいですから!」
『……ふむ』
「でも、それだけじゃありません」
冬華はまっすぐに氷輪丸を見上げた。
「誰かが困っていたら、助けられるようになりたい」
そして。
「大切な人が傷つく未来を、変えられるようになりたいんです」
氷原に、静寂が訪れた。
やがて、氷輪丸が口を開く。
『……その覚悟、確かに聞いた』
「……!」
『ならば、我が力を託そう』
巨大な竜が、ゆっくりと身体を起こした。
周囲の氷雪が舞い上がる。
『我が名は――氷輪丸』
その瞬間。
冬華の胸の奥に、何かが流れ込んできた。
「……っ!」
冷たい。
けれど、不思議と心地よい。
まるで、ずっと失くしていたものが戻ってきたような感覚。
『我が名を呼べ、冬華』
「……はい!」
冬華は満面の笑みを浮かべた。
「よろしくお願いします、氷輪丸!」
巨大な竜が、静かに頷く。
そして。
世界が、白く染まった。
◇◆◇
「……っ!」
冬華は勢いよく目を開けた。
見慣れた天井。
自分の部屋。
窓の外には、朝日が差し込んでいた。
「……夢?」
冬華はゆっくりと身体を起こした。
けれど。
「……違います」
胸の奥に、確かな感覚が残っている。
冷たく、澄んだ霊力。
そして、はっきりと聞こえた名前。
「……氷輪丸」
冬華は小さく呟いた。
すると。
――ふわっ。
「……!」
指先に、淡い冷気が生まれた。
小さな氷の結晶が、空中で輝く。
「……わあ!」
冬華の顔が、ぱっと明るくなった。
「……できました!」
思わず両手を握りしめる。
「氷輪丸と、お話しできました!」
嬉しさのあまり、寝台の上で小さく跳ねた。
「……ふふっ!」
そして、ふと思い出す。
(……あっ! 草冠さんにも教えないと!)
冬華は慌てて寝台から降りた。
「今日も頑張りましょう!」
◇◆◇
それから、数か月が経過した。
真央霊術院の訓練場。
「……本当に、もう名前が分かったのか?」
「はい!」
冬華は嬉しそうに頷いた。
隣では、草冠が驚いたように目を丸くしている。
「すごいな……。俺はまだ、はっきり声を聞けてないのに」
「えへへ……!」
「……でも、悔しいな」
草冠は小さく笑った。
「また先を越された」
「ふふっ! 草冠さんも、きっとすぐですよ!」
「……そうだといいけどな」
冬華は腰に差した浅打へ手を添えた。
氷輪丸の名前を知ってから、何度も練習してきた。
最初は冷気が漏れるだけ。
次は刀身に薄い霜が降りる程度。
しかし、少しずつ。
確かに、力を引き出せるようになっていた。
(……今日は、きっと!)
冬華は一歩前へ出た。
訓練場の端では、教官が様子を見守っている。
「日番谷。準備はいいか?」
「はい!」
冬華は刀を抜いた。
そして、ゆっくりと構える。
胸の奥にある、冷たい霊力。
その流れを感じ取る。
(……氷輪丸)
心の中で呼びかける。
(力を貸してください!)
すると。
『……応えよう』
低い声が、確かに響いた。
「……!」
冬華は嬉しそうに微笑んだ。
そして。
「――霜天に坐せ」
刀身から、白い冷気が溢れ出す。
「氷輪丸!」
――ゴオオオオオッ!!
「……っ!?」
凄まじい冷気が、訓練場を駆け抜けた。
刀身から氷雪が噴き上がる。
そして、青白く輝く巨大な氷の竜が姿を現した。
「「「……なっ!?」」」
周囲の生徒たちが息を呑む。
氷の竜は空へ向かって大きく身体を伸ばし、訓練場の上空を旋回した。
――ゴオオオオオッ!!
冷たい風が吹き荒れる。
「……すごい」
草冠が呟いた。
教官も、目を見開いていた。
「……これが、日番谷の斬魄刀……!」
やがて、冬華はゆっくりと刀を下ろした。
氷の竜が霧散し、冷気が静かに消えていく。
「……ふう!」
冬華は小さく息を吐いた。
思っていた以上に、霊力を消費した。
まだ、氷雪を自在に操れるわけではない。
それでも。
(……できました!)
冬華は嬉しそうに笑った。
「……氷輪丸!」
その名を呼ぶ。
胸の奥で、かすかに冷たい気配が揺れた。
まるで、返事をするように。
「……ふふっ!」
冬華は刀を見つめた。
ようやく出会えた。
ずっと夢の中で、自分を呼んでくれていた存在に。
「……冬華!」
「……あっ!」
振り返ると、草冠が駆け寄ってきていた。
「すごかったぞ!」
「えへへ……! ありがとうございます!」
「まさか、あんな巨大な氷の竜が出てくるなんてな!」
「私もびっくりしました!」
「……ははっ!」
草冠は楽しそうに笑った。
「これは、俺も負けてられないな!」
「はい!」
冬華も笑顔で頷いた。
「一緒に頑張りましょう、草冠さん!」
「ああ!」
二人は顔を見合わせて笑った。
その時。
草冠の腰に差された浅打が、かすかに震えた。
「……ん?」
「どうしました?」
「……いや」
草冠は自分の刀へ目を向けた。
「今、何か……」
しかし、その感覚はすぐに消えてしまった。
「……気のせいか」
「……?」
「何でもない。さあ、次は俺の番だな!」
「はい! 応援しています!」
冬華は嬉しそうに笑った。
まだ、二人は知らない。
その刀に宿る、奇妙な運命を。
そして、やがて訪れる出来事を。
ただ今は。
互いに競い合い、笑い合いながら。
二人は、同じ未来を目指していた。
――第6話「霜天に坐せ」・完。
【あとがき】
第6話をお読みいただき、ありがとうございます!
引き続きよろしくお願いします!