――日番谷冬華!
瀞霊廷の訓練場に、鋭い声が響いた。
「中央四十六室の命令に背くというのだな?」
「……はい!」
日番谷冬華は、はっきりと頷いた。
「私は、草冠さんを殺しません!」
その言葉に、周囲の死神たちがざわめく。
しかし、指揮官らしき男は表情を変えなかった。
「……そうか」
そして、静かに片手を上げる。
「草冠宗次郎を処分しろ」
「……!」
次の瞬間。
――シュンッ!
周囲に配置されていた隠密機動の隊士たちが、一斉に姿を消した。
(……来る!)
冬華は即座に反応した。
「――霜天に坐せ、氷輪丸!」
――ゴオオオオオッ!!
凄まじい冷気が噴き上がる。
巨大な氷の竜が現れ、冬華と草冠を取り囲むように旋回した。
――ガキィンッ!!
氷の壁に、複数の刃が突き刺さる。
「……っ!」
冬華は刀を振るい、氷の竜を旋回させた。
隠密機動の隊士たちが素早く後退する。
「冬華!」
「草冠さん! 下がっていてください!」
「だが……!」
「大丈夫です!」
冬華は振り返らずに答えた。
「私が、守りますから!」
草冠は言葉を失った。
目の前の少女は、自分を守るために中央四十六室の命令へ逆らっている。
それが、どれほど重大なことなのか。
草冠にも分かっていた。
◇◆◇
――キィンッ!
「……っ!」
冬華は迫る刃を受け流した。
続けて短い瞬歩で距離を取り、氷輪丸を振るう。
「はあっ!」
――ゴオオッ!!
氷の竜が地面を這うように突進した。
隠密機動の隊士たちが散開する。
しかし。
「……速い!」
背後に気配。
振り返るより早く、鋭い斬撃が迫った。
――ガキンッ!
冬華は咄嗟に刀を返し、どうにか受け止める。
「……くっ!」
相手はすぐに離脱した。
別方向から、さらに二人。
(……連携が上手い!)
冬華は歯を食いしばった。
霊圧なら負けていない。
むしろ、自分の方が上だろう。
けれど、相手は実戦経験を積んだ死神たちだ。
瞬歩の精度。
攻撃のタイミング。
複数人による連携。
そのどれもが、霊術院の生徒とは違っていた。
しかも。
(……草冠さんを守りながらでは……!)
冬華は氷の壁を作り、背後への攻撃を防いだ。
その隙に、別の隊士が草冠へ接近する。
「……!」
「草冠さん!」
冬華は瞬歩で割り込んだ。
――キィンッ!!
刃を受け止める。
しかし、直後に別方向から衝撃が走った。
「……きゃっ!」
冬華の身体が地面を滑る。
「冬華!」
「……大丈夫、です!」
すぐに立ち上がる。
けれど、息が荒い。
氷輪丸の始解を維持しながら、複数の相手を同時に警戒する。
その負担は、想像以上だった。
「……抵抗をやめろ、日番谷冬華」
指揮官が告げる。
「貴様に勝ち目はない」
「……っ!」
「草冠宗次郎の処分は、中央四十六室の決定だ」
冬華は刀を握り直した。
「……だから、何ですか」
「……何?」
「私は……!」
翡翠色の瞳が、強く輝く。
「そんな命令、認めません!」
再び、冷気が吹き荒れた。
◇◆◇
どれほど戦っただろう。
訓練場の地面は、すっかり氷に覆われていた。
冬華の肩が上下する。
「……はあっ……はあっ……!」
それでも、刀は下ろさない。
草冠を守る。
その一心だった。
しかし。
「……今だ!」
隠密機動の隊士が、冬華の背後へ回り込んだ。
「……!」
冬華は振り返る。
だが、それは陽動だった。
別の隊士が、草冠へ向かっていた。
「……草冠さん!」
間に合わない。
そう思った瞬間。
『……冬華』
「……!」
胸の奥に、低い声が響いた。
『お前は、何を望む』
(……氷輪丸?)
冬華は息を呑んだ。
視界が、一瞬だけ白く染まる。
果てしない氷原。
灰色の空。
そして、巨大な氷の竜。
『……答えよ』
氷輪丸が、静かに問いかけた。
『お前は、何のために力を求める』
冬華は顔を上げた。
(……決まっています)
強くなりたかった。
前世で知った悲劇を変えるために。
大切な人たちを守るために。
そして、何より。
(……友達を、失いたくない!)
冬華は叫んだ。
「草冠さんを……守りたいんです!」
巨大な氷竜が、その瞳を細めた。
『……ならば、示してみせよ』
「……!」
『その覚悟に、我が力がどこまで応えられるか』
次の瞬間。
冬華の意識は、現実へ戻った。
草冠へ迫る刃。
それを見つめながら、冬華は刀を握りしめた。
「……氷輪丸!」
刀身から、青白い光が溢れ出す。
そして。
「――卍解!!」
――ドオオオオオオオオンッ!!
凄まじい霊圧が、訓練場を震わせた。
「……なっ!?」
隠密機動の隊士たちが、思わず動きを止める。
冬華の背中から、巨大な氷の翼が広がった。
青白く輝く翼。
長く伸びる氷の尾。
そして、背後に浮かび上がる氷華。
その姿は、まるで氷雪を纏った小さな竜のようだった。
「……冬華……?」
草冠が呆然と呟く。
冬華自身も驚いていた。
(……これが、卍解……?)
けれど。
「……っ!」
全身に、激しい負担が走った。
霊力が凄まじい勢いで消費されていく。
氷の翼も、時折不安定に揺らいでいた。
(……違う)
冬華は直感した。
(……まだ、完成していない!)
本来の大紅蓮氷輪丸。
その力を、完全には引き出せていない。
不完全な卍解。
それでも。
「……十分です!」
冬華は顔を上げた。
「今は、これだけあれば!」
氷の翼が、大きく広がった。
――ゴオオオオオッ!!
冬華の身体が宙へ舞い上がる。
「……何だ、あの霊圧は!?」
「霊術院の生徒が、卍解だと……!?」
隊士たちが動揺する。
冬華は上空から刀を振り下ろした。
「……はあっ!」
――バキバキバキッ!!
地面から無数の氷柱が伸びた。
隊士たちの足元を凍らせ、動きを封じる。
「……くっ!」
「動けない……!」
冬華は次々と氷雪を操った。
相手を傷つけるためではない。
草冠へ近づけさせないために。
しかし。
「……っ!」
翼の一部が砕け散った。
背後の氷華が、不安定に揺れる。
(……もう、限界……!)
それでも、冬華は刀を下ろさなかった。
◇◆◇
「……日番谷冬華!」
指揮官の声が響いた。
「これ以上の抵抗は許されん!」
冬華は荒い息を吐きながら、振り返った。
「……私は、草冠さんを守るだけです!」
「貴様の行為は、中央四十六室への明確な反逆にあたる!」
「……!」
「これ以上抵抗するならば、草冠宗次郎だけでなく、貴様も処分対象となる!」
その言葉に、草冠が目を見開いた。
「……冬華まで?」
指揮官は冷たく告げる。
「命令に背き、処分を妨害したのだ。当然だろう」
「……そんな!」
草冠は拳を握りしめた。
しかし、冬華は迷わなかった。
「……それでも」
刀を構え直す。
「私は、草冠さんを見捨てません!」
その姿を見て。
草冠は、何も言えなくなった。
(……どうして、そこまで)
自分たちは、まだ霊術院の生徒だ。
出会ってから、それほど長い時間が経ったわけでもない。
それなのに。
冬華は、自分の未来を懸けて戦っている。
中央四十六室の命令に逆らってまで。
(……俺は)
草冠は、静かに目を伏せた。
死神になるなら、規律を守るべきだと思っていた。
命令には従う。
それが正しいことだと、信じていた。
だから、決闘にも応じた。
けれど。
『だって、私たちは友達でしょう?』
冬華の言葉が、胸に蘇る。
(……そうだな)
草冠は、小さく笑った。
(……俺たちは、友達なんだよな)
ならば。
自分にも、守りたいものがある。
◇◆◇
「……冬華」
「……草冠さん?」
草冠が、静かに歩み寄ってきた。
冬華は慌てて振り返る。
「危ないですよ! まだ――」
「……もういいんだ」
「……え?」
草冠は、穏やかに微笑んだ。
「十分だよ、冬華」
「……何を言ってるんですか?」
「お前は、俺のために戦ってくれた」
「……!」
「中央四十六室の命令に逆らってまで、俺を守ろうとしてくれた」
冬華は首を横に振った。
「そんなの、当たり前じゃないですか!」
「……ああ」
草冠は笑った。
「お前なら、そう言うと思ったよ」
そして、指揮官へ視線を向けた。
「……ひとつ、確認させてください」
「何だ?」
「俺が死ねば、二本の氷輪丸の問題は終わるんですよね?」
「……草冠さん?」
冬華の表情が変わった。
指揮官は、しばらく沈黙した。
「……氷輪丸の所有者が一人になれば、当初の決闘命令の目的は達成される」
「……では」
「日番谷冬華の処分については、改めて中央四十六室の判断を仰ぐことになる」
草冠は静かに頷いた。
「……分かりました」
「……草冠さん?」
冬華の声が震えた。
「何を……考えているんですか?」
草冠は、冬華へ向き直った。
「……冬華」
「……はい?」
「俺はずっと、死神になるなら規律を守るべきだと思ってた」
「……」
「でも、お前を見て……少し考えが変わったよ」
草冠は柔らかく笑った。
「俺も、お前を守りたい」
「……っ!」
冬華は息を呑んだ。
「……駄目です」
「……冬華」
「駄目です!」
冬華は必死に首を振った。
「そんなこと、考えないでください!」
草冠は何も答えなかった。
ただ、静かに冬華を見つめていた。
「……一緒に」
冬華の声が震える。
「一緒に死神になるって、約束したじゃないですか……!」
「……ああ」
草冠は小さく頷いた。
「約束したな」
「だったら……!」
冬華は草冠の腕を掴もうとした。
しかし、その瞬間。
「……っ!」
氷の翼が砕け散った。
――パキィンッ!!
不完全な卍解が、限界を迎えたのだ。
冬華の身体から力が抜ける。
「……あっ……!」
膝が崩れ落ちた。
草冠が、咄嗟にその身体を支える。
「……冬華!」
「……大丈夫、です……!」
冬華は立ち上がろうとした。
けれど、身体が言うことを聞かない。
霊力を使い果たしかけていた。
草冠は、そんな冬華を静かに見つめた。
「……本当に、頑張ったな」
「……草冠、さん……?」
「ありがとう」
その言葉に、冬華の胸が締めつけられた。
「……嫌です」
冬華は、かすれた声で呟いた。
「……そんな言い方、しないでください……」
草冠は、腰の氷輪丸へ手を添えた。
「……冬華」
「……はい……?」
「ひとつ、頼みがあるんだ」
「……頼み?」
草冠は、自分の刀へ視線を落とした。
「……俺の氷輪丸を、お前に託したい」
「……え?」
「お前なら、きっと大切にしてくれる」
冬華は、目を見開いた。
「……何を、言ってるんですか……?」
草冠は静かに笑った。
「俺たちの氷輪丸は、お揃いだろ?」
「……っ!」
冬華の脳裏に、あの日の光景が蘇る。
『私たち、斬魄刀までお揃いになっちゃいました!』
自分が笑って。
草冠も笑って。
これからも、一緒に頑張ろうと約束した。
「だからさ……」
草冠は、氷輪丸の柄を握りしめた。
「俺の氷輪丸も、一緒に連れていってくれ」
「……嫌です……!」
冬華は首を横に振った。
「そんなの……嫌です……!」
「……冬華」
「草冠さんが、自分で持っていてください……!」
涙が、頬を伝った。
「私……草冠さんと一緒に、死神になりたいんです……!」
草冠は、少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「……ごめんな」
そして、冬華をそっと地面へ座らせた。
自分の氷輪丸を抜く。
「……草冠さん……?」
冬華の声が震えた。
「……やめて、ください……」
草冠は、刀を握ったまま冬華を見つめた。
「……お前と出会えて、よかった」
「……っ!」
「俺の氷輪丸を……頼んだぞ」
「……草冠さん!!」
冬華が必死に手を伸ばした。
けれど、身体は動かなかった。
そして。
草冠は、自らの氷輪丸を己の身体へ突き立てた。
「…………!」
冬華の瞳が、大きく見開かれた。
草冠の身体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
「……草冠、さん……?」
冬華は震える腕を伸ばした。
倒れ込む草冠の身体を、どうにか抱きとめる。
「……嘘、ですよね……?」
返事はなかった。
「……草冠さん……?」
草冠の手から、氷輪丸が滑り落ちた。
――カランッ。
乾いた音が、訓練場に響いた。
「……どうして……」
冬華の頬を、涙が伝った。
「……どうして、ですか……!」
草冠の身体を、ぎゅっと抱きしめる。
「……私、守るって……!」
声が震えた。
「守るって、言ったじゃないですか……!」
何度も一緒に稽古した。
剣術を教えてもらった。
鬼道を教えた。
笑い合った。
競い合った。
一緒に死神になると約束した。
それなのに。
「……うっ……!」
冬華は唇を噛んだ。
「……草冠さん……!」
訓練場に、少女の泣き声が響いた。
◇◆◇
どれほどの時間が経ったのだろう。
冬華は、草冠のそばに座り込んでいた。
隠密機動の隊士たちは、誰も近づいてこなかった。
指揮官も、ただ静かにその光景を見つめていた。
やがて。
「……日番谷冬華」
指揮官が口を開いた。
「草冠宗次郎の死亡を確認した」
「…………」
「二本の氷輪丸に関する決闘命令は、これをもって終了とする」
冬華は何も答えなかった。
「貴様の命令違反については、中央四十六室の判断を待つ」
その言葉にも、反応しなかった。
ただ。
草冠が残した氷輪丸へ、そっと手を伸ばす。
「…………」
冷たい刀だった。
けれど。
確かに、草冠が握っていた刀だった。
冬華は、その氷輪丸を胸に抱きしめた。
「……草冠さん……」
小さな声が漏れる。
「……約束、したじゃないですか……」
涙が、刀身に落ちた。
「一緒に……死神になるって……」
自分の氷輪丸。
そして、草冠の氷輪丸。
二本の刀が、冬華のそばにあった。
けれど。
その持ち主の一人は、もういない。
「……私……」
冬華は、震える声で呟いた。
「……もっと、強くなります……」
涙を拭うこともできないまま。
ただ、二本の氷輪丸を抱きしめる。
「……だから……」
その先の言葉は、声にならなかった。
冬華が欲しかったのは、もう一本の氷輪丸ではない。
草冠宗次郎と、共に歩む未来だった。
その願いは、もう叶わない。
白く凍りついた訓練場に、静かな風が吹いた。
二本の氷輪丸。
一人の少女。
そして、失われた友との約束。
日番谷冬華は、この日。
守りたかった友達を、失った。
――第8話「託された氷輪丸」・完。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
引き続きよろしくお願いします!