「顔60点、体100点」と評価されている幼馴染と同棲することになった俺。彼女は無防備なうえに甘やかしてくるので、毎日が刺激的すぎるんだが…! 作:白井ムク
「別れよ、私たち」
一度目は、聞き間違いだと思った。正確には、聞き間違いであってほしかった。
もうすぐ夏休みという、ある日の放課後。
律と陽依は、駅へ続くいつもの道を並んで歩いていた。駅前に新しいカフェができたとか、イツメンで夏休みの計画を立てたとか、期末テストの結果が危ないとか、友達のバイト先の制服が可愛いとか。そんな他愛もない話なら、いくらでも聞いていたかった。
けれど、陽依が二度目に告げた言葉は、正確に、刺さるように、蝉の声に紛れることなく律の耳へ届いた。
「……なんで?」
ようやく出た声は、律自身でも驚くほどかすれていた。笑顔も引きつる。
「んー……」
陽依は少し困ったように笑う。いつもと同じ可愛らしい笑顔だった。
校内の誰もが憧れる、明るくて華やかな上原陽依。
その笑顔を崩さないまま彼女は言う。
「律くんって、すっごくいい人なんだけど……なんか違うなって思って」
その瞬間、律の胸の奥へ冷たいものが一気に流れ込んだ。
「なんか、違う?」
「うん」
「俺、なにかした?」
「そうじゃないの。嫌なことをされたとか、そういうんじゃなくて」
陽依は一度、律から目を逸らした。鞄の持ち手を握り直す指先にわずかに力が入っている。それでも顔を上げたときにはいつもの笑顔へ戻っていた。
「律くんは、私と付き合ってて楽しい?」
「え……」
すぐに答えるべきだった。楽しいに決まっている、と。
学校で一番可愛いと評判の女子と付き合っているのだ。友人たちからは羨ましがられ、男子からは「どうやって落としたんだ」と何度も訊かれた。
放課後に一緒に帰り、休日には人気のカフェへ行き、ラブラブなツーショットを撮る。それは律がずっと夢見ていた高校生活のはずだった。
だから楽しくないはずがない。
「そりゃ、楽しいよ」
ほんの一瞬の迷いを塗り潰すように、律は笑ってみせた。
「陽依と付き合えて、楽しくないわけないだろ」
陽依は「そっか」と小さく呟いた。
「私も楽しかったよ」
「だったら——」
「でもね」
律の言葉を遮り、陽依は続ける。
「なんか、恋人って感じがしなかった」
「え?」
「友達の延長っていうのかな。律くんは優しいし、一緒にいて安心するんだけど……ずっと、私に合わせてくれてるだけみたいで」
「そんなこと——」
「どこへ行きたいって訊いても、私の好きなところでいいって言うでしょ?」
「それは、陽依に楽しんでほしいから」
「食べたいものを訊いても、私が食べたいものでいいって言う」
「それも、陽依が喜ぶなら——」
「じゃあ、律くんはなにがしたかったの?」
律は言葉を失った。
陽依が行きたい場所。陽依が食べたいもの。陽依が喜びそうな話題。そういうものなら、いくらでも思い出せる。けれど、自分がどこへ行き、なにをしたかったのか——訊かれてもすぐには答えられない。それはまるで自分という存在がいないかのようだった。
「ごめんね」
陽依は先に謝った。
「私も上手く言えないんだけど、このまま付き合ってても、ずっとお互いに無理する気がするの」
「俺は無理なんてしてないよ、ぜんぜん……」
笑顔をつくりながら反射的に否定すると、陽依は少し寂しそうに笑う。
「律くんなら、そう言うと思った」
「……陽依」
「やっぱりさ……前みたいに、友達でいるほうが自然なんじゃないかな」
その一言でようやく理解した。
これは説得するための話し合いではない。陽依の中ではすでに決まっていたのだ。律がなにを言っても、今日でこの関係は終わりなのだと。
「……そっか」
落ち込みながら口から出たのは、それだけだった。
本当は「別れたくない」と言いたかった。どこが悪かったのか、どうすれば直せるのか、そういうことをもっと訊きたかった。けれど陽依を困らせたくなかった。別れたいと言っている相手へすがりつき、嫌な思いをさせたくなかった。
そんな風に、最後まで物わかりのいい人でいたかった律は——
「……わかったよ」
寂しそうな笑顔をつくりながら言った。
「じゃあ、今までありがとな」
「うん。こちらこそ、ありがとう」
二人は笑顔を浮かべたまま、別々の方向へ歩き出した。
去り際まで美しく——そんな風に、お互いに途中で振り返ることはなかった。