魔王を倒した。
そう、魔王だ。
あの、世界を恐怖に陥れ、人類の敵として君臨していた魔王を、この俺、佐藤和真が倒したのである。
いやあ、我ながらよくやったと思う。
思い返せば長い道のりだった。
最初は異世界に転生しただけで浮かれていた俺も、今や立派な魔王討伐の功労者。
もう誰にも文句は言わせない。
俺は働いた。
十分すぎるほど働いた。
だからこそ、これからは悠々自適な生活を送る権利があると思うのだ。
「……というわけで、俺は今後一切、危険な冒険には出ないことをここに宣言する!」
アクセルの街。
俺たちの屋敷のリビングで、俺は高らかに宣言した。
しかし。
「カズマさん! そんなことより聞いてちょうだい! 今日こそ私、カジノで大儲けしてみせるわ!」
「おい待て駄女神。お前、昨日も同じこと言って俺の金を溶かしたよな?」
「昨日のは運が悪かっただけよ! 今日は絶対勝てる気がするの!」
「お前のその根拠のない自信、どこから湧いてくるんだよ!」
アクアが胸を張って言い放つ。まったく、この女神は。
魔王を倒したというのに、少しも成長していない。
「カズマカズマ! 今日は爆裂魔法の新しい運用方法を考えたのです! ぜひ実験に付き合ってください!」
「嫌だよ! どうせ最後は俺が背負って帰るんだろ!」
「何を言うのです! 今回は一味違いますよ!」
「毎回そう言ってるだろうが!」
今度はめぐみんが杖を掲げて騒ぎ始めた。
その横では、ダクネスが妙に期待した目を向けてくる。
「カズマ……もし暇なら、私の訓練に付き合ってくれないか? 最近、少々刺激が足りなくてな……」
「お前の言う訓練って、俺に罵倒されながら殴られることだろ!? 絶対嫌だからな!」
「そ、そんなことは……!」
「顔赤くして言うな!」
……ああ。
いつもどおりだ。
魔王を倒そうが、世界が平和になろうが、こいつらは何も変わらない。
まあ、悪くはない、悪くはないのだが。
「……俺、ちょっと散歩してくる」
「えー! カズマ、私のお金は!?」
「お前の金なんか知らねえよ!」
俺は屋敷を飛び出した。
これからは平和な日々を過ごす。
そう決めたのだ。
もう異世界転生も、魔王討伐も、理不尽な冒険も御免である。
そう。
このときの俺は、まだ知らなかった。
世の中には、絶対に口にしてはいけない決意というものが存在することを。
◇
「……ん?」
街外れの道を歩いていたときだった。
突然、足元に見慣れない魔法陣が浮かび上がった。
「…………」
俺は足を止めた。
いや、待て。
なんだこれ。
嫌な予感しかしないんだが。
「お、おい……?」
魔法陣が輝きを増す。
俺は即座に後ろへ飛び退こうとした。
だが、遅かった。
「ちょっ、待っ……!」
視界が真っ白に染まる。
「おおおおおい! 俺はもう異世界転生なんかしたくねえぞおおおお!!」
俺の悲鳴が、誰もいない街外れに響き渡った。
◇
「…………」
目を開ける。
そこには、見知らぬ天井があった。
……いや。
天井じゃない。
青空だ。
「……は?」
俺はゆっくりと身体を起こした。
石畳の道。
見知らぬ建物。
行き交う人々。
そして――。
「……なんだ、あれ」
街の中央に、途方もなく巨大な塔がそびえ立っていた。
雲を突き抜けるような、馬鹿げた高さの塔だ。
「…………」
俺はしばらくそれを見上げた。
そして。
「……おい」
誰にともなく呟く。
「ふざけんなよ」
周囲を見渡す。
獣の耳を生やした人間。
エルフ。
ドワーフ。
見慣れた種族もいるが、建物の雰囲気も、街並みも、何もかもが違う。
どう考えてもアクセルではない。
「……いやいやいや」
落ち着け、佐藤和真。
こういうときこそ冷静になるんだ。
もしかしたら、知らない街に飛ばされただけかもしれない。
そうだ。
テレポート系の魔法か何かで、遠くの街に飛ばされた可能性だって――。
「すみません、ちょっといいですか?」
通りかかった冒険者らしき男に声をかける。
「ん? どうした?」
「ここって、何て街ですかね?」
「はあ? オラリオに決まってるだろ」
「…………」
オラリオ。
聞いたことがない。
「……ちなみに、アクセルって街をご存じで?」
「アクセル? いや、知らねえな」
「……そうですか」
俺は笑顔で頭を下げた。
男が去っていく。
そして。
「……終わった」
俺はその場に膝をついた。
「終わったああああ!!」
通行人たちが驚いて振り返る。
知ったことか!
「なんでだよ! 魔王倒しただろ俺! もう十分働いたじゃねえか! なんでまた知らねえ世界に放り出されてんだよ!」
理不尽だ。
あまりにも理不尽すぎる。
俺が何をしたというのか。
……いや、まあ。
いろいろしたけど。
それはそれとして!
「アクアぁぁぁ! お前、また何かやらかしたんじゃないだろうなぁぁぁ!!」
当然、返事はなかった。
◇
それから数時間。
俺は街を歩き回り、この世界について情報を集めた。
どうやら、ここは迷宮都市オラリオというらしい。
街の地下には巨大なダンジョンが存在し、冒険者たちはそこで魔物と戦っている。
そして、驚くべきことに。
この世界には、神々が普通に暮らしているという。
「……マジかよ」
酒場の片隅。
俺は情報を整理しながら頭を抱えた。
神様が地上に降りてきて、人間に恩恵を与える。
その恩恵によって、冒険者は強くなれる。
そして、神様を中心とした集団をファミリアと呼ぶらしい。
「……なんだよ、そのシステム」
神様、神様ねぇ…?
俺の知っている神様といえば、借金を作り、酒を飲み、泣き喚き、宴会芸で周囲を盛り上げることだけは得意な、あの青いのだ。
……大丈夫か、この世界。
いや、むしろ。
あいつよりまともな神様なら、かなり期待できるんじゃないか?
神様の恩恵を受ければ強くなれる。
冒険者として稼ぐこともできる。
そして、ファミリアによっては住居や食事も提供されるという。
「……ほう」
俺は顎に手を当てた。
つまり。
金持ちの神様のところに入れば、衣食住を保証してもらえる可能性がある。
しかも、神様が美人だったら?
「…………」
悪くない。
いや、かなりいい。
考えてもみろ。
この俺は、魔王を討伐した男だ。
この世界の冒険者がどれほど強いのかは知らないが、経験だけなら相当なものだろう。
それに、俺にはスティールやドレインタッチといった便利な技能もある。
上手く立ち回れば、案外楽に生活できるかもしれない。
「……よし」
俺は立ち上がった。
「とりあえず、美人で金持ちで優しい女神様を探すか!」
完璧な計画だ。
さすが俺。
異世界生活二周目ともなれば、考えることが違う。
……なお、この時点で俺は、この街で最も入ってはいけないかもしれないファミリアに目をつけられていることを知らなかった。
◇
その頃。
オラリオの中央にそびえる巨塔、バベル。
その上層に、一人の女神がいた。
長い銀髪。
美しい紫銀の瞳。
人の心を奪うような、圧倒的な美貌。
美の女神、フレイヤ。
彼女は窓辺に立ち、街を見下ろしていた。
「……あら?」
ふと、その瞳が一人の少年を捉える。
茶色い髪。
平凡な顔立ち。
どこにでもいそうな少年。
その少年は、酒場から出てきたかと思えば、何やら得意げな顔で歩き始めた。
そして、道端の小石につまずいた。
「……っ!」
盛大に転びかける少年。
慌てて周囲を確認し、誰にも見られていないと判断したのか、何事もなかったように歩き出す。
「…………」
フレイヤは目を瞬かせた。
そして。
「……ふふっ」
小さく笑った。
しかし、彼女が興味を持ったのは、その滑稽な行動だけではない。
少年の魂。
それが、奇妙だった。
輝きそのものは、圧倒的な英雄のそれとは違う。
けれど。
何かがおかしい。
不思議な色合い。
いくつもの経験を重ね、磨かれ、傷つき、それでもどこか俗っぽい輝きを失っていない魂。
美しい、と単純に表現するのも違う。
だが、妙に目が離せない。
「……面白い子」
フレイヤは口元に手を添えた。
すると、背後から低い声が響いた。
「フレイヤ様」
振り返ると、そこには巨躯の猪人が立っていた。
オッタル。
フレイヤ・ファミリアの団長であり、オラリオ最強の冒険者の一人。
「どうかなさいましたか」
「ええ。少し気になる子を見つけたの」
「……冒険者ですか」
「どうかしら。まだわからないわ」
フレイヤは再び窓の外を見る。
少年は今度、通りかかった女性冒険者に何やら声をかけていた。
女性は露骨に嫌そうな顔をして、足早に去っていく。
少年はがっくりと肩を落とした。
「……ふっ」
「……フレイヤ様?」
「いえ、何でもないわ」
フレイヤは笑いを堪えながら告げた。
「オッタル。あの子を連れてきてくれる?」
「承知しました」
「ふふっ、できるだけ丁重にね」
「はっ」
オッタルが静かに部屋を出ていく。
フレイヤは窓辺に残り、少年の姿を見つめていた。
「……さて」
その唇に、楽しげな笑みが浮かぶ。
「あなたは、どんな子なのかしら?」
◇
「……おかしい」
俺は頭を抱えていた。
美人の神様を探す。
その計画は、早くも暗礁に乗り上げていた。
というのも。
「ファミリアって、そんな簡単に入れるもんじゃないのかよ……」
どうやら、人気のあるファミリアには入団希望者が殺到するらしい。
しかも、実力を見せろだの、適性を調べるだの、いろいろ面倒な条件がある。
俺は楽をしたいのであって、就職活動をしたいわけではない。
「……はあ」
腹も減った。
金もない。
宿も決まっていない。
……まずい。
このままでは、魔王を倒した英雄が異世界で野宿するという、あまりにも情けない事態になってしまう。
「……仕方ない。最悪、冒険者ギルドで仕事でも――」
「お前が、佐藤和真か」
「……ん?」
背後から声をかけられた。
振り返る。
そこには。
「…………」
とんでもなくデカい男が立っていた。
いや、デカい。
何食ったらそんな身体になるんだよ。
筋肉の塊みたいな男が、こちらを見下ろしている。
……怖っ。
「……えーっと」
「佐藤和真で間違いないか」
「あ、はい。そうですけど……」
「我が主がお前に興味を持たれた」
「……はい?」
「同行してもらう」
「…………」
俺は男を見上げた。
そして、少し考える。
我が主。
興味を持たれた。
同行。
……なるほど。
「……ちなみに、その主ってのは?」
「女神フレイヤ様だ」
「女神?」
「ああ」
「……女性?」
「当然だ」
「……美人?」
男の目が、わずかに細くなった。
「……何が言いたい」
「いや、ちょっと確認をですね」
俺は咳払いした。
「ちなみに、お金持ちだったりします?」
「…………」
「いや、変な意味じゃなくて! ちょっと生活環境を確認しておきたいなー、なんて!」
男はしばらく黙っていた。
そして。
「……不自由はない」
「…………」
不自由はない。
女神。
美人。
金持ち。
……おいおい。
もしかして。
これ、来たんじゃないか?
俺の第二の異世界生活。
いきなり勝ち組ルートに入ったんじゃないか!?
「いやあ! そういうことなら話は早い!」
俺は満面の笑みで男の肩を叩こうとした。
……届かなかった。
仕方ないので、腕を叩く。
「よろしく頼むぜ! えーっと……」
「オッタルだ」
「オッタルさんね! いやあ、いい人そうだと思ってたんですよ!」
「…………」
「ところで、そのフレイヤさんって人、優しい?」
「……フレイヤ様は、我らが敬愛する主神だ」
「おお、なるほど! そりゃ期待できそうだ!」
オッタルは何も言わなかった。
ただ、俺をじっと見つめていた。
……なんだろう。
若干、呆れられている気がする。
まあいい。
そんなことより。
俺の目の前には、夢のような生活が待っているのだ。
金持ちの美人女神。
立派な屋敷。
美味い食事。
そして、危険な冒険とは無縁の平穏な毎日。
「……ふふっ」
思わず笑みが漏れる。
やはり、俺は幸運の女神に愛されているらしい。
……いや。
待てよ。
前の世界でも似たようなことを考えて、散々な目に遭った気がするんだが。
「……まあ、今度こそ大丈夫だろ」
俺は自分に言い聞かせた。
そう。
今度こそ。
今度こそ、平和な異世界生活を送ってみせる。
――このときの俺は、まだ知らなかった。
これから入るファミリアが、オラリオでも指折りの戦闘集団であることを。
その幹部たちが、揃いも揃ってとんでもない連中であることを。
そして何より。
俺の教育係になるエルフが、魔王よりも恐ろしい存在であることを。
「……あ、そうだ。オッタルさん」
「なんだ」
「そのファミリアって、休暇制度とかある?」
「…………」
オッタルは答えなかった。
……あれ?
なんで黙るの?
「……なあ、オッタルさん?」
「……行くぞ」
「おい、ちょっと待て! なんで今、目を逸らした!?」
俺の声が、迷宮都市の大通りに響き渡った。
こうして。
魔王を討伐した男、佐藤和真の二度目の異世界生活が始まった。
本人の望みとは、まったく違う形で。