流星は還らない   作:lourou

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第1章 天の口(1)

 鉄が鳴いていた。

 

 墜ちた宇宙船の腹の中は、昼でも夜みたいに暗い。裂けた外壁の隙間から、細い光が何本も差しこんでいる。光の中を、錆の粉がゆっくり泳いでいく。

 

 ヒバリは、その光の一本に指をかざした。

 

 指の先が、ほんのかすかに、緑と薄紫に揺れて見えた。

 

 帳(とばり)の光だ。昼の空に溶けて、ふだんは目に見えない光。それがこうして暗がりに差しこむと、ときどき色を帯びる。この船の外壁を百年かけて食い破ったのも、たぶんこの光だ。

 

「ヒバリ、手が止まってる」

 

 頭の上から、モズの声が降ってきた。

 

 見上げると、ひょろ長い影が鉄骨にまたがっている。額に古いゴーグルを押し上げて、腰の投石紐をぶらぶらさせていた。

 

「止まってない。見てただけ」

 

「それを止まってるって言うんだよ」

 

 モズは鼻を鳴らして、また上の階へ消えた。あっちのほうが、星鉄の良いのが残っている。そのかわり、床が抜ける。

 

 ヒバリは足もとの壁に向き直った。

 

 壁一面に、乾いた膜が貼りついていた。昔この船の中で死んだ、どこかの艇の膜だ。昆虫の翅みたいな細い脈が網の目に走っていて、触るとかさかさ鳴る。脈の走り方は、艇ごとに一つずつ違う。

 

 ヒバリは小刀を差しこんで、膜の端をそっと剥がした。

 

 破れないように。ゆっくり。

 

 ひと晩かけて煮て、油を染ませれば、また柔らかくなる。継ぎ合わせて外套にすれば、墜星原(ついせいげん)の夜風を通さない。

 

 いまヒバリが着ている外套も、そうやってできている。何艇分の膜を継いだのか、もう数えていない。継ぎ目ごとに脈の模様が違う。ひとつひとつが、誰かが見送った艇だった。

 

「ほら。直ったよ」

 

 横から、手が伸びてきた。

 

 ツグミだ。そばかすの浮いた頬を煤で汚して、二つに結んだ髪の片方がほどけかけている。手のひらに、小さな巻貝のようなものを乗せていた。

 

 囮殻(おとりがら)。

 

 歌うだけの、小さな殻。

 

 ヒバリが首から下げているものだ。昨日、残骸の角に引っかけて、紐が切れてしまった。

 

「紐、替えといた。前のより丈夫なやつ」

 

「ありがと」

 

「ありがと、じゃなくてさ」

 

 ツグミは囮殻をヒバリの首にかけ、紐の結び目を確かめるように引っぱった。指に、殻を削った小さな傷がいくつもある。墜星原の拾い子の中で、ツグミほど囮殻をうまく作れる者はいなかった。

 

「これ、ちゃんと使ってよ。いざってときに投げるの、ヒバリ、いっつも忘れるんだから」

 

「忘れない」

 

「この前も忘れた」

 

「この前は、投げなくても逃げられた」

 

「それは運が良かっただけ」

 

 ツグミは笑って、ヒバリの額を指で弾いた。ひとつ年上なだけなのに、ツグミはいつも姉のような顔をする。

 

「ねえ、ツグミ」

 

「なに」

 

「ここ、天井が抜けてる」

 

 ヒバリは上を指さした。

 

 船の天井の、ずっと上。裂け目の向こうに、空が見えていた。

 

 昼の、色の薄い青空。その高いところに、目をこらさないとわからないくらいの、淡い光の筋がかかっている。ゆっくりうねって、ほどけて、また重なる。夜になれば、あれが空いっぱいの光の幕になる。

 

「抜けてるね。それが?」

 

「あの向こうにも、星があるんでしょ」

 

「帳の向こう?」

 

「うん。本物の星。この船は、そこから来たんでしょ」

 

 ツグミは少し黙ってから、肩をすくめた。

 

「来たんじゃなくて、落ちてきたんだよ」

 

「同じだよ」

 

「同じじゃないって」

 

 ヒバリは膜を剥がす手を止めずに、裂け目の空を見上げつづけた。

 

 いつか、あの向こうへ行く。

 

 誰も行けない場所。誰も見たことのない星。そこへいちばんに飛んでいって、いちばんに見る。

 

 ずっと前から、そう決めていた。誰にも言っていないけれど。

 

 ツグミは、たぶん知っている。知っていて、何も言わない。

 

「……ヒバリはさ」

 

「ん」

 

「行ったら、帰ってくる?」

 

 ヒバリは首をかしげた。

 

「なんで」

 

「なんでって」

 

「行ったら、行きっぱなしでいいでしょ。帰る用なんか、ないし」

 

 ツグミは何か言いかけて、やめた。

 

 そのとき、下の階から、メジロの甲高い声がした。

 

「ヒバリー! ツグミー! チドリがお芋、焦がしたー!」

 

「焦がしてない! ちょっと香ばしいだけ!」

 

 チドリの怒鳴り声が続く。ツグミは吹き出して、ヒバリの背中を押した。

 

「ほら。お昼にしよ。日が落ちる前に、隠れ家まで戻らなきゃ」

 

◇

 

 拾い子は、五人いた。

 

 いちばん上がツグミで、十七。ヒバリとチドリが十六。モズが十五。メジロは九つで、まだ共鳴が目覚めていない。

 

 誰にも、町の名前はない。

 

 町に生まれた子は、「錆浜(さびはま)のなにがし」とか「霞野のなにがし」とか、生まれた町の名前を頭につけて名乗る。墜星原で拾われた子には、それがない。だから拾い子たちは、お互いを鳥の名前で呼ぶ。最初に誰がそう決めたのかは、誰も知らない。

 

 飛べるようになりたいから、なのかもしれない。

 

 あるいは、墜星原でほかに満足に生きのびている生き物が、鳥くらいしかいないからかもしれない。

 

 五人は船の外へ出て、焦げた芋を分け合った。

 

 午後の墜星原は、静かだった。

 

 見わたすかぎり、墜ちた宇宙船の残骸が転がっている。山のように大きなものも、家くらいのものも、手のひらほどの破片も。そのあいだに、ガラスの円い窪みが、あばたのように散らばっていた。

 

 帳痕(ちょうこん)。

 

 空が落ちてきた跡だ。

 

 底の砂が溶けて、帳と同じ色に淡く光るガラスになっている。ヒバリは小さいころ、あれを宝物だと思って拾い集めていた。触ると、知らない誰かの夢を見ることがある。

 

 ずっと遠く、地平線のあたりに、一本の白い塔が立っていた。

 

 天井戸(てんせい)。

 

 空へ向かって伸びる、巨大な螺旋の殻。てっぺんは帳の膜に溶けて見えない。あのまわりには町がたくさんあって、帳が落ちてこない。だから、町の人たちはあそこから離れない。

 

 墜星原は、あそこから遠い。

 

 だから空が、よく落ちてくる。

 

「ヒバリ、ヨダカの餌」

 

 モズが、鉱石のかけらを詰めた袋を放ってよこした。

 

 ヒバリは受け取って、残骸の陰へ歩いていった。

 

 そこに、ヒバリの艇がうずくまっていた。

 

 細い。骨ばっている。鳥の骨格を引き伸ばしたような背骨に、継ぎはぎだらけの膜が張ってある。拾い子のほかの艇と比べても、一回り小さい。

 

 ヨダカ。

 

 三年前、墜星原の帳痕のそばで、半分死んでいた種を拾った。誰も見向きもしない、ひびだらけの種だった。ヒバリは毎日それに水をやり、鉱石を砕いて食べさせ、夜は自分の外套でくるんで寝た。

 

 育ってみると、みっともない艇だった。膜はでこぼこで、骨の伸び方もいびつだった。チドリは笑った。モズは「よく飛ぶな、あれで」と言った。

 

 だから、ヒバリはこの艇にヨダカと名前をつけた。

 

 昔ツグミが話してくれた、古い話に出てくる鳥の名前だ。みんなに醜いと言われた鳥が、空を昇って、昇って、とうとう星になる話。

 

 ヒバリが近づくと、ヨダカは首をもたげた。膜がふるりと震え、喉の奥で、かすれた低い音を鳴らす。

 

 ヒバリは袋から鉱石をつかみ出して、ヨダカの口もとに差し出した。

 

 ばりばりと、骨の顎が鉱石を噛みくだく。

 

 ヒバリはヨダカの首に額をつけた。

 

 殻の奥の、心核(しんかく)に手のひらを当てる。

 

 とたんに、ヨダカの感覚が流れこんでくる。乾いた風。膜を撫でる錆の粉。空から降ってくる、帳の、かすかなざわめき。

 

 いつもの、空の音。

 

 ――いつもより、少しだけ、うるさい。

 

 ヒバリは顔を上げた。

 

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