流星は還らない   作:lourou

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第2章 汀原のヒバリ(2)

 ヒバリは本当に翌朝には厩舎にいた。

 

 ミオが様子を見にいくと、ヨダカの首に額をつけて、何かを小声で話しかけていた。ヨダカは骨ばった首をヒバリの肩にこすりつけて、喉の奥で、かすれた低い音を鳴らしていた。

 

 継ぎはぎの膜の一部が、落ちてきた夜と同じ、淡い緑と薄紫の色に光っている。

 

「本当に行くの」

 

 ミオが訊くと、ヒバリは振り返らずに答えた。

 

「行く」

 

「トキ先生に怒られるよ」

 

「怒られるのは、慣れてる」

 

 ヒバリはヨダカの背に乗った。胚室(はいしつ)に体を沈め、心核(しんかく)に両手を当てる。ヨダカが首をもたげ、膜をふるりと震わせた。

 

「……わたしも行く」

 

 ミオは言った。

 

 ヒバリが初めて振り返った。

 

「なんで」

 

「なんでって」

 

 また、なんでだ。

 

 この子は本当に不思議そうに「なんで」と訊く。責めているのでもからかっているのでもない。ただ、本当に、わからないように見えた。

 

「あなた、まだふらふらでしょう。途中で落ちたら困るし。それに」

 

 ミオは厩舎の奥の自分の艇のほうを見た。

 

 トモシ。

 

 どっしりとした、曳航(えいこう)型の艇だ。鯨の骨のような太い背骨に、厚い膜。去年卒業した先輩から譲り受けた。前の乗り手がつけた「トモシ」という名前を、ミオは変えなかった。

 

「拾った人の責任だから。ちゃんと送り届けるまでが」

 

「ついてこなくていい」

 

「ついていく」

 

 ヒバリはしばらくミオを見ていた。帳(とばり)の色の左目がまばたきのたびにかすかに揺れた。

 

 それから、ふいと前を向いた。

 

「……遅かったら、置いてくから」

 

 置いていかれるのは、慣れていない。

 

 ミオはトモシの背によじのぼった。

 

 丘を越えると、墜星原(ついせいげん)が広がっていた。

 

 星殻艇(せいかくてい)は天井戸(てんせい)の近く以外では高く飛べない。だから二艇は、地面から背丈の三倍ほどの高さを、滑るように飛んでいった。

 

 空は青かった。

 

 春先のまだ少し色の薄い青空。真上に、白い雲がひとつ浮かんでいる。目をこらすと、雲よりもっと高いところに、帳の光の筋が、髪の毛よりも細く、かすかにかかっているのがわかる。

 

 ふだんの見慣れた空だ。

 

 なのに、ミオの目は、つい地面のほうへ吸い寄せられた。

 

 帳痕(ちょうこん)があった。

 

 あちこちに。大きいもの、小さいもの。地面に穿たれた、完全な円。その底で、溶けた砂のガラスが、光の加減で緑や薄紫に移ろっている。教本の挿絵では見たことがあった。けれど、これほどたくさんあるとは思わなかった。

 

 墜星原は空が落ちてくる場所なのだ。

 

 何度も、何度も。

 

 前を飛ぶヨダカは、帳痕のひとつも避けなかった。まっすぐ、その上を越えていく。ヒバリの外套の裾が、ちぎれた旗のように風にはためいていた。

 

 ミオはトモシの心核に手を当てた。

 

 ――ついていって。離されないで。

 

 トモシは低く、温かく、喉を鳴らした。

 

◇

 

 拾い子の隠れ家は、墜ちた宇宙船の翼の付け根の中にあった。

 

 外からはただの錆びた残骸にしか見えない。裂け目をくぐると、中は意外なほど広かった。乾いた膜を何枚も吊るして、部屋を仕切ってある。床には古い毛布と、煤けた鍋と、壊れかけたランプ。

 

 ヒバリがヨダカから飛び降りるなり、小さな影が飛びついてきた。

 

「ヒバリ!」

 

 九つくらいの女の子だった。ヒバリの腰にしがみついて、わんわん泣いた。

 

「メジロ、苦しい」

 

「ヒバリ、生きてた、ヒバリ、生きてたぁ」

 

 奥から、もう一人。ずんぐりした、日に焼けた女の子が出てきて、ヒバリの顔を見るなり、その場にへたりこんだ。

 

「チドリも」

 

 ヒバリが呼ぶと、チドリと呼ばれた子は、声も出さずに泣き出した。

 

 最後に、ひょろりと背の高い子が、膜の仕切りをくぐって出てきた。

 

 額に、古いゴーグルを押し上げている。腰に、投石紐。

 

 その子は泣かなかった。

 

 ヒバリの前に立って、しばらく黙って見下ろしていた。それからヒバリの左目に気づいて息をのんだ。

 

「……目」

 

「ん?」

 

「おまえ、目が」

 

「ああ。なんか、変わったらしい」

 

 ヒバリは他人事のように言った。

 

「あたし、留星(とどめぼし)なんだって。もう年、取らないんだって」

 

 背の高い子は何か言おうとして、口を閉じた。顔がひどく白かった。

 

 チドリが小さく「置き星」とつぶやいた。

 

 メジロが、きょとんとして、チドリの袖を引いた。

 

「おきぼしって、なに?」

 

「……墜星原じゃ、留星のこと、そう呼ぶの」

 

 チドリは、言ってしまってから、しまったという顔をした。

 

「仲間を、置いていく星。……仲間に、置いていかれる星」

 

 誰も何も言わなかった。

 

 ミオは町で聞く呼び名とはずいぶん違うと思った。錆浜(さびはま)の大人たちは留星を「天に選ばれた人」と呼ぶ。けれど、墜星原の子どもたちは、もっと別のものを見てきたのかもしれない。

 

「なにそれ」

 

 ヒバリだけが笑った。

 

「置いてかないよ。あたし、ここにいるじゃん」

 

 背の高い子は笑わなかった。

 

「モズ」

 

 ヒバリが言った。

 

「ツグミは?」

 

 ミオは隠れ家の中を見回していた。

 

 毛布が五つ並んでいた。

 

 ひとつは小さい。メジロのものだろう。ひとつは端が擦り切れている。ひとつはきちんと畳まれている。ひとつは丸めて放りだしてある。

 

 そして、ひとつだけ、誰も寝た跡がない毛布があった。

 

 その枕もとに、小さな木箱が置いてあった。蓋が開いていて、中に、小刀と、削りかけの巻貝のような殻がいくつも入っていた。

 

 殻の一つはほとんどできあがっていた。

 

 ヒバリが首から下げているものと、同じ形をしていた。

 

「ツグミは」

 

 モズと呼ばれた子が言った。

 

 声が少しだけかすれていた。

 

「ツグミは、別の町へ行った」

 

「別の町」

 

「あの夜のあと。……ここにいたら、また空が落ちてくるって。だから、もっと井戸に近い町へ、働き口を探しに」

 

「ふうん」

 

 ヒバリはそれだけ言った。

 

 疑っている様子は、まったくなかった。

 

「ツグミらしいな。いっつも、心配ばっかりしてたから」

 

 ヒバリは笑った。

 

 ミオは木箱の中の作りかけの殻を見ていた。

 

 どうして、この道具を置いていったのだろう。囮殻(おとりがら)を作るのが得意な子なら、いちばん大事な道具のはずなのに。

 

 ミオはモズを見た。

 

 モズは、ミオの視線に気づいて、すっと目をそらした。

 

 メジロとチドリは、何も言わなかった。二人とも、うつむいて、ヒバリの外套の裾を握っていた。

 

 隠れ家の入り口の陰には、艇が一艇だけうずくまっていた。チドリの艇だと、あとで聞いた。

 

「モズ、艇は?」

 

 ヒバリが訊くと、モズは短く答えた。

 

「……あの夜、壊れた」

 

 それ以上、モズは何も言わなかった。

 

 それから、拾い子たちは、ミオに気づいた。

 

「……誰」

 

 モズが警戒した声で訊いた。

 

「あたしを拾った子。ミオ」

 

 ヒバリが言った。

 

「ミオ?」

 

 メジロが首をかしげた。

 

「変な名前。鳥じゃない」

 

「鳥?」

 

「あたしたち、鳥の名前で呼び合うの」

 

 チドリが鼻をすすりながら教えてくれた。

 

「町の名前がないから。だから、鳥。ヒバリも、モズも、あたしも、メジロも。……ツグミも」

 

 鳥の名前。

 

 ミオはヒバリを見た。ヒバリはメジロの頭をぐしゃぐしゃに撫でながら、何でもないような顔をしていた。

 

 空を飛ぶ鳥の名前で、空を飛べない子どもたちが、互いを呼び合っている。

 

 その日の夕方、隠れ家に、拾い子の知り合いの老人が顔を出した。墜星原で鉄くずを集めて暮らしている、片目の男だった。

 

「おまえら、気をつけろ」

 

 老人は声をひそめた。

 

「盗賊どもが、拾い子を探し回ってる。空から戻った娘がいるって噂が、もう流れてる。留星ってのは、天井戸の町に売れば、とんでもない値がつくらしいからな」

 

 モズの手が腰の投石紐を握りしめた。

 

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