ヒバリは本当に翌朝には厩舎にいた。
ミオが様子を見にいくと、ヨダカの首に額をつけて、何かを小声で話しかけていた。ヨダカは骨ばった首をヒバリの肩にこすりつけて、喉の奥で、かすれた低い音を鳴らしていた。
継ぎはぎの膜の一部が、落ちてきた夜と同じ、淡い緑と薄紫の色に光っている。
「本当に行くの」
ミオが訊くと、ヒバリは振り返らずに答えた。
「行く」
「トキ先生に怒られるよ」
「怒られるのは、慣れてる」
ヒバリはヨダカの背に乗った。
「……わたしも行く」
ミオは言った。
ヒバリが初めて振り返った。
「なんで」
「なんでって」
また、なんでだ。
この子は本当に不思議そうに「なんで」と訊く。責めているのでもからかっているのでもない。ただ、本当に、わからないように見えた。
「あなた、まだふらふらでしょう。途中で落ちたら困るし。それに」
ミオは厩舎の奥の自分の艇のほうを見た。
トモシ。
どっしりとした、
「拾った人の責任だから。ちゃんと送り届けるまでが」
「ついてこなくていい」
「ついていく」
ヒバリはしばらくミオを見ていた。
それから、ふいと前を向いた。
「……遅かったら、置いてくから」
置いていかれるのは、慣れていない。
ミオはトモシの背によじのぼった。
丘を越えると、
空は青かった。
春先のまだ少し色の薄い青空。真上に、白い雲がひとつ浮かんでいる。目をこらすと、雲よりもっと高いところに、帳の光の筋が、髪の毛よりも細く、かすかにかかっているのがわかる。
ふだんの見慣れた空だ。
なのに、ミオの目は、つい地面のほうへ吸い寄せられた。
あちこちに。大きいもの、小さいもの。地面に穿たれた、完全な円。その底で、溶けた砂のガラスが、光の加減で緑や薄紫に移ろっている。教本の挿絵では見たことがあった。けれど、これほどたくさんあるとは思わなかった。
墜星原は空が落ちてくる場所なのだ。
何度も、何度も。
前を飛ぶヨダカは、帳痕のひとつも避けなかった。まっすぐ、その上を越えていく。ヒバリの外套の裾が、ちぎれた旗のように風にはためいていた。
ミオはトモシの心核に手を当てた。
――ついていって。離されないで。
トモシは低く、温かく、喉を鳴らした。
◇
拾い子の隠れ家は、墜ちた宇宙船の翼の付け根の中にあった。
外からはただの錆びた残骸にしか見えない。裂け目をくぐると、中は意外なほど広かった。乾いた膜を何枚も吊るして、部屋を仕切ってある。床には古い毛布と、煤けた鍋と、壊れかけたランプ。
ヒバリがヨダカから飛び降りるなり、小さな影が飛びついてきた。
「ヒバリ!」
九つくらいの女の子だった。ヒバリの腰にしがみついて、わんわん泣いた。
「メジロ、苦しい」
「ヒバリ、生きてた、ヒバリ、生きてたぁ」
奥から、もう一人。ずんぐりした、日に焼けた女の子が出てきて、ヒバリの顔を見るなり、その場にへたりこんだ。
「チドリも」
ヒバリが呼ぶと、チドリと呼ばれた子は、声も出さずに泣き出した。
最後に、ひょろりと背の高い子が、膜の仕切りをくぐって出てきた。
額に、古いゴーグルを押し上げている。腰に、投石紐。
その子は泣かなかった。
ヒバリの前に立って、しばらく黙って見下ろしていた。それからヒバリの左目に気づいて息をのんだ。
「……目」
「ん?」
「おまえ、目が」
「ああ。なんか、変わったらしい」
ヒバリは他人事のように言った。
「あたし、
背の高い子は何か言おうとして、口を閉じた。顔がひどく白かった。
チドリが小さく「置き星」とつぶやいた。
メジロが、きょとんとして、チドリの袖を引いた。
「おきぼしって、なに?」
「……墜星原じゃ、留星のこと、そう呼ぶの」
チドリは、言ってしまってから、しまったという顔をした。
「仲間を、置いていく星。……仲間に、置いていかれる星」
誰も何も言わなかった。
ミオは町で聞く呼び名とはずいぶん違うと思った。
「なにそれ」
ヒバリだけが笑った。
「置いてかないよ。あたし、ここにいるじゃん」
背の高い子は笑わなかった。
「モズ」
ヒバリが言った。
「ツグミは?」
ミオは隠れ家の中を見回していた。
毛布が五つ並んでいた。
ひとつは小さい。メジロのものだろう。ひとつは端が擦り切れている。ひとつはきちんと畳まれている。ひとつは丸めて放りだしてある。
そして、ひとつだけ、誰も寝た跡がない毛布があった。
その枕もとに、小さな木箱が置いてあった。蓋が開いていて、中に、小刀と、削りかけの巻貝のような殻がいくつも入っていた。
殻の一つはほとんどできあがっていた。
ヒバリが首から下げているものと、同じ形をしていた。
「ツグミは」
モズと呼ばれた子が言った。
声が少しだけかすれていた。
「ツグミは、別の町へ行った」
「別の町」
「あの夜のあと。……ここにいたら、また空が落ちてくるって。だから、もっと井戸に近い町へ、働き口を探しに」
「ふうん」
ヒバリはそれだけ言った。
疑っている様子は、まったくなかった。
「ツグミらしいな。いっつも、心配ばっかりしてたから」
ヒバリは笑った。
ミオは木箱の中の作りかけの殻を見ていた。
どうして、この道具を置いていったのだろう。
ミオはモズを見た。
モズは、ミオの視線に気づいて、すっと目をそらした。
メジロとチドリは、何も言わなかった。二人とも、うつむいて、ヒバリの外套の裾を握っていた。
隠れ家の入り口の陰には、艇が一艇だけうずくまっていた。チドリの艇だと、あとで聞いた。
「モズ、艇は?」
ヒバリが訊くと、モズは短く答えた。
「……あの夜、壊れた」
それ以上、モズは何も言わなかった。
それから、拾い子たちは、ミオに気づいた。
「……誰」
モズが警戒した声で訊いた。
「あたしを拾った子。ミオ」
ヒバリが言った。
「ミオ?」
メジロが首をかしげた。
「変な名前。鳥じゃない」
「鳥?」
「あたしたち、鳥の名前で呼び合うの」
チドリが鼻をすすりながら教えてくれた。
「町の名前がないから。だから、鳥。ヒバリも、モズも、あたしも、メジロも。……ツグミも」
鳥の名前。
ミオはヒバリを見た。ヒバリはメジロの頭をぐしゃぐしゃに撫でながら、何でもないような顔をしていた。
空を飛ぶ鳥の名前で、空を飛べない子どもたちが、互いを呼び合っている。
その日の夕方、隠れ家に、拾い子の知り合いの老人が顔を出した。墜星原で鉄くずを集めて暮らしている、片目の男だった。
「おまえら、気をつけろ」
老人は声をひそめた。
「盗賊どもが、拾い子を探し回ってる。空から戻った娘がいるって噂が、もう流れてる。留星ってのは、天井戸の町に売れば、とんでもない値がつくらしいからな」
モズの手が腰の投石紐を握りしめた。