帰り道、ミオはずっと考えていた。
盗賊が来る。拾い子たちはここにはいられない。けれど、彼女たちには、行く場所がない。
ヒバリは
でも、天輪学院が、拾い子を四人まとめて受け入れるとは思えない。
ではどこなら。
共鳴を持つ少女は、数百人に一人しか生まれない。学園は、そういう子たちを集めて乗り手に育て、潮汲みに送り出す。学園が
だから、どの町も、自分の町の学園を誇りにしている。潮汲みの朝には、町じゅうの人が丘の下に集まって、乗り手たちを見送る。ミオも小さいころは、姉の艇が空へ昇っていくのを、父の肩車で見上げていた。
けれど、錆浜は
学園がなくなったら、錆浜は、ゆっくりと死んでいく。
町の誰もが口には出さずにそう思っている。ミオにはそう見えていた。
そして汀原学舎は貧しい。生徒は十人に満たない。教官はトキ先生ひとり。
ずっと人手が足りなかった。
学園に戻ると、ミオは厩舎へ艇を戻すより先に詰所へ走った。
詰所にはカスミ先輩がいた。
汀原学舎のキャプテン。三年生。すらりと背が高く、短めの髪を頭の高い位置で結んでいる。腕に、色の褪せたキャプテンの腕章。
カスミ先輩は机に向かって、一通の封書を読んでいた。
ミオが戸を開けると、先輩は顔を上げ、封書を手早く畳んで、上着の内ポケットにしまった。封蝋に、観測院の紋が見えた気がした。
「ミオ。どうした、そんな顔して」
「先輩。お願いがあります」
ミオは息を整えた。
「拾い子の子たちを、殻守見習いとして、学園に置いてもらえませんか」
カスミ先輩の眉が、ぴくりと動いた。
「拾い子?」
「ヒバリの……一昨日の夜に落ちてきた子の、仲間です。三人。盗賊に狙われてます。行く場所がないんです」
「ミオ。うちは、いま、自分の食いぶちだけで精一杯なんだよ」
「わかってます。でも、トキ先生ひとりじゃ、厩舎の仕事が回ってないのも、先輩はわかってますよね。拾い子の子たちは、艇の世話も、修理も、ずっと自分たちでやってきたんです。膜の煮かたも、鉱石の砕きかたも、たぶん、わたしたちより上手です」
カスミ先輩は黙ってミオを見た。
そのとき、ミオの後ろで戸がきしんだ。
ヒバリが立っていた。外套の裾を引きずって、詰所の中を見回している。
「あんたが、ここでいちばん偉い人?」
カスミ先輩は少し面食らったような顔をした。
「いちばん偉いのはトキさんだよ。わたしはキャプテン。カスミ」
「じゃあ、カスミ」
ヒバリはまっすぐカスミ先輩の前に立った。
「取引しよう」
「……取引?」
「天輪のとこは、あたしに来てほしいんでしょ。あたしが飛べば、なんか得になるんでしょ。だったら、ここで飛ぶ」
ヒバリはミオのほうを親指で指した。
「こいつの言ったとおりにして。あたしが飛ぶ。かわりに、あいつらに、仕事と飯をちょうだい」
詰所の中がしんとした。
カスミ先輩はしばらくヒバリを見つめていた。それから、ゆっくりと、上着の胸のあたりに手をやった。さっき封書をしまった、内ポケットのあたりに。
何かを、確かめるように。
「……
カスミ先輩は独り言のように言った。
それから、ゆっくりと息を吐いた。ミオは、先輩がそんなふうに息を吐くのを初めて見た気がした。何か、ずっと肩に乗せていたものを、ほんの少しだけ下ろしたような。
「留星が一人いれば、うちみたいな学園でも、潮汲みで上を狙える。錆浜に、水と灯を、もう一度増やせる。祭りだって、増やせるかもしれない」
カスミ先輩はヒバリを見た。
「わたしは、それが欲しい。だから、あんたを使う。……それでいい?」
「いい」
ヒバリは即答した。
「あたしも、あいつらのために、あんたたちを使う。おあいこ」
カスミ先輩は、初めて、少しだけ笑った。
「わかった。トキさんには、わたしから話す」
ヒバリはうなずいただけだった。
礼も言わず、喜びもせず。ただ、取引が成立した、という顔で。
ミオはヒバリの横顔を見ていた。
この子にとって、学園は、まだ「取引の相手」でしかないのだ。
――居場所、ではなくて。
◇
トキ先生は話を聞いても怒鳴らなかった。
ただ、長いこと黙っていた。それから、「使えなかったら叩き出す」とだけ言って、厩舎へ戻っていった。
次の日から、モズとチドリが、トキ先生のあとについて厩舎の仕事を始めた。メジロはまだ小さいので、コハルの手伝いで厨房に入った。
モズはトキ先生に口答えばかりしていた。
「ババア、その鉱石、砕きすぎだって」
「誰がババアだ」
「あんただよ。そんなに細かくしたら、艇の顎が弱る」
「……ふん」
トキ先生は鼻を鳴らしたが、次から、鉱石を砕く手を少しだけ緩めた。
三日目。ヨダカの膜の裂け目がようやくふさがり、ヒバリは厩舎でヨダカに餌をやっていた。
ミオもトモシの世話をしながら、それを横目で見ていた。
トキ先生が杖をついてヒバリの横に立った。
「その配合じゃ、だめだ」
ヒバリが振り返った。
「
「墜星原では、それしかなかったんだろう。だが、その艇は、
トキ先生は、腰の袋から、別の鉱石の粉を取り出した。白っぽい粉と、黒い粉。それを、手のひらの上で指先で混ぜ合わせる。
「これを、三分。いつもの餌に混ぜろ。氷を溶かした水で練って、人肌に温めてからやれ」
口調はいつものように乱暴だった。
けれど、ミオは見ていた。
トキ先生が、ヨダカの顎の下に手を差し入れて、膜の裂け目の縫い目をそっと確かめる手つきを。骨ばった、しわだらけの指が、まるで生まれたばかりの子どもに触れるように、やさしく動くのを。
ヨダカは、ぐるる、と喉を鳴らして、トキ先生の手に首をこすりつけた。
ヒバリが目を丸くした。
「……ヨダカが、懐いた」
「艇の機嫌は、乗り手の機嫌だ。おまえが警戒しなくなったから、こいつもしなくなった。それだけだ」
トキ先生はヨダカの首を軽く叩いた。
それから、ぽつりと言った。
「昔の船はな、腹の中で、艇を飼ってたんだ」
ミオはトモシにブラシをかける手を止めた。
「昔の船?」
ヒバリが訊いた。
「墜星原に転がってる、あのでかい鉄の船だ。あの腹の中で、こいつらの先祖を、何十艇も飼ってた。餌をやって、種を取って、代々育ててた」
「なんで」
「さあな」
トキ先生はそれ以上は言わなかった。杖をついて、厩舎の奥へ歩いていった。
ヒバリは、ヨダカの首を撫でながら、トキ先生の背中を見送っていた。
「……あたしたちが膜をはがしてた船の壁」
ヒバリがミオのほうも見ずにぽつりと言った。
「あれ、艇の家だったのかな」