マリンフォードの戦場に、異様な静寂が広がっていた。
つい先ほどまで怒号と砲撃が飛び交っていた広場。その中心に立つ一人の男から、黄金色の熱気と黒い稲妻が絶え間なく放たれている。
エスカノール。
朝日を浴びたその身体は、夜の姿からは想像もつかないほど巨大だった。筋骨隆々の肉体には圧倒的な威圧感が宿り、片手で担いだ神器リッタは、太陽の光を受けて黄金色に輝いている。
そして何より、彼の表情には一片の恐怖もなかった。
海軍本部の兵士たちは、誰一人として不用意に近づこうとしない。
「な、なんだ、あいつは……!」
「今の覇気……まさか、覇王色なのか!?」
「馬鹿な! あれほどの覇王色を放つ人間がいるのか!?」
黒い稲妻が、バチバチッと音を立てて地面を走る。
そのたびに周囲の兵士たちが息を呑み、足を止めた。
エスカノールは、そんな彼らを見回して鼻で笑った。
「おやおや。先ほどまでの威勢はどこへ行ったのです?」
「私が姿を変えただけで、もう戦う気を失ったのですか?」
返事はない。
「フッ……情けない」
エスカノールは肩に担いだリッタを軽く持ち上げた。
「安心なさい。あなた方全員を相手にするほど、私は暇ではありません」
その言葉を聞いた海兵の一人が、怒りに任せて銃を構えた。
「ふざけるなァ! 海軍を愚弄するな!」
銃声が響く。
弾丸は一直線にエスカノールの胸へと飛んでいった。
だが、彼は避けようともしなかった。
弾丸が身体に触れる寸前、凄まじい熱気が弾丸を包み込む。
ジュッ――。
弾丸は赤く焼け、形を失い、地面に落ちる頃には小さな金属の塊と化していた。
エスカノールは撃ってきた海兵を見下ろした。
「……今、何をなさったのです?」
「ひっ……!」
「まさか、その玩具で私を傷つけられるとでも?」
彼はゆっくりと一歩踏み出した。
「あなたは、自分の力を過信しているようですね」
黒い稲妻が足元で弾ける。
「ですが、勘違いしてはいけません」
エスカノールの口元に、傲慢な笑みが浮かんだ。
「あなた方が私に勝てないのは、武器が弱いからではありません」
「あなた方が、私より弱いからです。」
その言葉に、周囲の海兵たちは凍りついた。
少し離れた場所では、白ひげが腕を組み、エスカノールの姿を見つめていた。
「グララララ……! あの気弱だった野郎が、ずいぶんと変わったもんだな!」
白ひげの隣にいたマルコも、目を丸くしている。
「親父、あいつ……本当に知り合いなのかよい?」
「ああ。数年前、ちょっとした縁があってな」
「ちょっとした縁って……あんな化け物と、どうやって知り合ったんだよい!?」
白ひげは愉快そうに笑った。
「グララララ! 俺が聞きてェくらいだ!」
そのとき、戦場の向こうから一人の男が歩み出た。
赤い犬を思わせる帽子。険しい眼差し。身体から立ち上る、赤黒い熱気。
海軍大将、サカズキ。
「貴様ァ……」
彼の声が、戦場に響く。
「先ほどから好き勝手にほざきおって……! 海軍本部を愚弄した罪、万死に値するぞ!」
エスカノールは、ゆっくりとサカズキへ顔を向けた。
「ほう……」
その目に、わずかな興味が宿る。
「あなたが、海軍大将ですか」
「そうじゃ。貴様をここで処刑する!」
サカズキの拳が赤く染まり、煮えたぎるマグマへと変わっていく。
「海賊も、それに味方する者も、すべてこの世から消し去る!」
エスカノールは、しばらく黙っていた。
そして、突然笑い出した。
「フッ……フフフ……」
「何がおかしい!」
「いえ、失礼」
エスカノールは片手で額を押さえ、愉快そうに笑った。
「あなたがあまりにも自信満々におっしゃるものですから、つい」
彼はサカズキを見下ろした。
「海軍大将。なるほど、確かに肩書きは立派ですね」
「ですが……」
笑みが深くなる。
「それで、あなたは私より強いのですか?」
サカズキの顔が険しくなった。
「貴様……!」
「答えられないのですか?」
エスカノールは首を傾げた。
「それとも、自分が私より弱いと理解しているから、言葉に詰まっているのでしょうか?」
「黙れェ!!」
サカズキが地面を蹴った。
次の瞬間、マグマの拳がエスカノールへと襲いかかる。
「大噴火ァ!!」
灼熱の拳が空気を焼き、轟音とともに迫る。
だが、エスカノールは動かなかった。
ただ、右手を軽く持ち上げた。
ドォォォン!!
マグマの拳とエスカノールの手が衝突し、凄まじい衝撃波が周囲に広がった。地面が砕け、海兵たちが吹き飛ばされる。
しかし――。
エスカノールは、その場から一歩も動いていなかった。
片手で、サカズキの攻撃を受け止めていたのだ。
「……なっ!?」
サカズキの目が見開かれる。
エスカノールは自分の手元を眺め、退屈そうにため息をついた。
「何ですか、これは?」
「マグマ……でしたか?」
彼はサカズキの拳を押し返した。
「なるほど。確かに熱い」
そして、堂々と笑う。
「ですが、私の太陽には遠く及びませんね」
サカズキが後方へ跳び退く。
「貴様ァ……!」
エスカノールはリッタを握り直した。
「さて、今度はこちらから参りましょう」
彼が一歩踏み込んだ瞬間、黒い稲妻が地面を駆け抜けた。
ドンッ!!
圧倒的な覇王色の覇気が、再び戦場を覆い尽くす。
空気が震え、海面にさざ波が広がる。遠くの海兵たちまでもが膝をつき、意識を失っていった。
サカズキは歯を食いしばり、その場に踏みとどまった。
エスカノールは彼を見下ろし、笑った。
「おや。まだ立っていらっしゃるのですか」
「さすがは海軍大将。少しは楽しめそうですね」
その言葉は、称賛というよりも、強者が退屈しのぎを見つけたときのような響きだった。
サカズキの拳が、再びマグマに包まれる。
「貴様を必ず仕留める……!」
「ええ、どうぞ」
エスカノールは、まるで相手を招くかのように片手を広げた。
「お好きなだけ挑んできなさい」
そして、誰もが耳を疑う言葉を口にした。
「この私を倒せるというのなら、ですが。」
サカズキが再び飛び出そうとした、そのときだった。
「そこまでだ」
低い声が戦場に響いた。
サカズキの動きが止まる。
エスカノールが視線を向けると、そこには黄色い光をまとった男が立っていた。
海軍大将、ボルサリーノ。
「いやァ〜、ずいぶん派手な人が現れたねェ」
ボルサリーノは、わざとらしく肩をすくめた。
「赤犬、少し落ち着いたらどうだい? あんまり熱くなると、溶けちゃうよォ?」
「黙れ、黄猿!」
「怖いねェ〜」
ボルサリーノはエスカノールへ視線を移した。
「それにしても……君、何者なんだい? そんなに強い覇気を持っているなんて、聞いていないんだけどねェ」
エスカノールは、興味なさげに彼を見た。
「あなたも海軍大将ですか?」
「そうだよォ」
「なるほど」
エスカノールは、わずかに笑った。
「では、あなたも同じですね」
「同じ?」
「ええ。私より弱いという点で」
一瞬、ボルサリーノの笑顔が止まった。
その直後、彼の身体が黄金色の光へと変わる。
「……それは、ずいぶんと大きく出たねェ」
光が集まり、ボルサリーノはエスカノールの上空へ移動した。
「八尺瓊勾玉」
無数の光弾が、雨のように降り注ぐ。
海兵たちが悲鳴を上げた。
しかし、エスカノールは頭上を見上げただけだった。
「おやおや……」
彼はリッタを片手で振り上げた。
「随分とせっかちな方ですね」
黄金色の熱気が膨れ上がり、光弾が彼に届く寸前、次々と弾け飛ぶ。
その爆発の中から、エスカノールは平然と姿を現した。
「光の速さ、でしたか?」
彼はボルサリーノを見上げた。
「確かに、速いのでしょう」
そして、傲慢な笑みを浮かべる。
「ですが、速く動けることと、私に勝てることは別の話でしょう?」
ボルサリーノの目が細くなる。
その場にいた海軍兵士たちは、もはや言葉を失っていた。
海軍大将二人を前にして、この男はまったく怯えていない。
それどころか、二人を相手にしてもなお、退屈そうに笑っている。
白ひげは、その光景を遠くから眺めていた。
「グララララ……!」
彼は巨大な薙刀を肩に担ぎ、豪快に笑った。
「いいじゃねェか! エスカノール!」
その声が届いたのか、エスカノールは振り返った。
「白ひげさん、ご安心ください」
そして、再び海軍大将たちへと向き直る。
「この程度の相手、あなたが心配する必要などありません」
彼はリッタを肩に担ぎ、胸を張った。
「あなたには、以前、大変お世話になりましたからね」
「その恩返しをするまで、私は倒れるつもりなどありません」
黒い稲妻が、彼の身体から再び迸った。
「さあ、海軍大将のお二方」
エスカノールは、まるで王が臣下に命じるように告げた。
「次は、どちらが私を楽しませてくださるのですか?」
朝日が高く昇り始める。
黄金色の光を浴びた太陽の傲慢王は、なおも力を増していた。
そしてマリンフォードの戦場では、誰もが理解し始めていた。
この男は、ただの援軍ではない。
四皇の戦場に現れた、もう一つの災厄なのだと。