「さて……どちらが私を楽しませてくださるのでしょうか?」
黄金の陽光を背に、エスカノールは神器リッタを肩に担いだ。巨大な斧の刃からは陽炎が立ち上り、周囲の空気が揺らいでいる。彼の足元では、先ほど放たれた覇王色の覇気によって地面に亀裂が走り、意識を失った海兵たちが次々と倒れていた。
その光景を前にしても、黄猿ことボルサリーノは、いつもの気だるげな表情を崩してはいなかった。
「いやァ〜、恐ろしいねェ。朝っぱらから、ずいぶんと元気なおじさんだねェ」
「おじさん……?」
エスカノールの眉が、ぴくりと動いた。
「なるほど。自分の立場も理解できぬ者というのは、口だけは達者なようですね」
「おやおや。ずいぶん偉そうだねェ。ここは海軍本部マリンフォード。君ひとりが好き勝手できる場所じゃないんだよォ」
黄猿の姿が、まばゆい光に包まれた。
次の瞬間、彼の身体は光そのものとなって消え失せる。
「光の速さで蹴られたことはあるかい?」
声が聞こえたときには、すでに黄猿はエスカノールの頭上にいた。光を纏った脚が振り下ろされ、凄まじい衝撃が戦場を揺らす。周囲の海兵たちは思わず目を覆い、砕け散った瓦礫が四方へと飛び散った。
「大将の攻撃が直撃したぞ!」
「いくらあの男が強くても、黄猿大将の速度には対応できないはずだ!」
海兵たちが声を上げた。
しかし、次の瞬間。
「……ふむ」
瓦礫の向こうから、あまりにも場違いなほど落ち着いた声が響いた。
煙が晴れる。
そこには、片手でリッタを支えながら、微動だにせず立っているエスカノールの姿があった。黄猿の蹴りは確かに直撃していた。だが、彼の身体には傷ひとつ見当たらない。
それどころか、エスカノールは退屈そうに自分の肩を払っていた。
「今のが、あなたの全力ですか?」
「……あらァ?」
黄猿の口元から、初めて笑みが薄れた。
エスカノールはゆっくりと顔を上げ、空中にいる黄猿を見据える。
「光の速さ。なるほど、確かに素晴らしい能力なのでしょう。しかし、速く動けることと、相手を倒せることは別の話です」
「ずいぶん自信があるねェ。それじゃあ、これはどうかなァ?」
黄猿の両手から、無数の光弾が放たれた。
八尺瓊勾玉。
光の粒が雨のように降り注ぎ、マリンフォードの広場を白く染め上げる。着弾するたびに爆発が起こり、地面が砕け、建物の壁が吹き飛んだ。
海兵たちは慌てて身を伏せた。
「逃げろォ! 巻き込まれるぞ!」
「大将の攻撃範囲が広すぎる!」
光の奔流が収まったとき、そこには巨大な煙の柱が立ち上っていた。
黄猿は空中で腕を組み、下を見下ろす。
「これで少しは――」
「ずいぶんと騒がしいですね」
声は、黄猿のすぐ後ろから聞こえた。
「……え?」
黄猿が振り返る。
そこには、黄金の斧を肩に担いだエスカノールが立っていた。光弾の嵐を抜けてきたというのに、彼の身体には焦げ跡ひとつない。肌を包む熱が周囲の光を揺らめかせ、まるで彼自身が小さな太陽であるかのようだった。
エスカノールは黄猿を一瞥し、深いため息をついた。
「あなたは先ほどから、光だの速さだのと、ずいぶんとご自分の能力を誇っておられる」
「そりゃあ、自慢の能力だからねェ」
「ですが……」
エスカノールの表情から、笑みが消えた。
その瞬間、戦場の空気が変わった。
彼が右手で握る神器リッタ。その黄金の柄に、黒い光沢がゆっくりと広がっていく。武装色の覇気が斧全体を覆い、刃は鋼鉄をも容易に砕く漆黒へと染まった。
次いで、凄まじい音が鳴り響いた。
バリバリバリッ!!
黒い稲妻がリッタの刃を這い、柄を伝い、エスカノールの腕から天へと駆け上がる。覇王色の覇気が武装色と重なり合い、黄金の陽光さえも一瞬かすんで見えるほどの圧力を生み出した。
空気が震える。
地面が割れる。
遠くで戦っていた海兵たちまでもが、突然押し潰されるような圧迫感に襲われた。
「な、なんだ……この覇気は……!」
「嘘だろ……! 覇王色の覇気を、武器に纏わせているのか!?」
「しかも、あの黒い稲妻……! あんなもの、見たことがない!」
ある海兵は腰を抜かし、ある者は持っていた銃を取り落とした。精鋭として鍛え上げられた兵士たちでさえ、目の前にいる男の存在を本能的に恐れていた。
それは、単に強い敵を前にした恐怖ではない。
自分たちが決して逆らってはならない、圧倒的な王者を前にしたときの畏怖だった。
黄猿もまた、エスカノールの斧に纏わりつく黒い稲妻を見つめていた。
「これは……ちょっと、まずいかねェ……」
彼は光となって距離を取ろうとする。
だが、その直前。
エスカノールの眼差しが、黄猿を射抜いた。
「どこへ行くおつもりです?」
黄猿の身体が光へと変わる。
しかし、エスカノールは追いかけようともしなかった。ただリッタを握り直し、王が無礼者を裁くかのように、静かに告げた。
「私がまだ話しているというのに、勝手に立ち去ろうとは……」
そして、その声がマリンフォード全域に響き渡った。
「頭が高い!!」
轟音。
エスカノールがリッタを振り下ろした。
漆黒の覇気と黒い稲妻を纏った巨大な斧が、空間を引き裂くように黄猿へと迫る。黄猿は即座に光速で回避しようとしたが、斧が放つ圧倒的な衝撃と覇気が、その動きを許さなかった。
「なっ――!」
黄猿の表情が、初めて明確な驚愕に染まった。
次の瞬間、黄金と漆黒が爆発した。
ドゴォォォォォンッ!!
リッタの一撃が黄猿を地面へと叩き落とした。
広場の石畳が一瞬で砕け散り、巨大な陥没が生まれる。衝撃波が円形に広がり、周囲にあった大砲が横倒しになり、海兵たちの身体が吹き飛ばされた。黒い稲妻が亀裂の中を走り、砕けた地面を這いながら周囲の瓦礫をさらに粉砕していく。
数秒間、誰ひとりとして声を発することができなかった。
やがて土煙がゆっくりと晴れ始める。
その中心に、巨大な斧を片手で握るエスカノールが立っていた。
そして、その足元。
黄猿が、陥没した地面の底に倒れていた。
「…………」
海兵たちは、目の前の光景を理解できなかった。
「……嘘だよな?」
誰かが震える声で呟いた。
「海軍大将の……黄猿大将、だよな……?」
「嘘だ……。大将が……たった一撃で……?」
「そんな馬鹿な! あの黄猿大将だぞ! 光の速さで動く、海軍最高戦力のひとりだぞ!」
否定する声はあった。しかし、誰もが自分の目で見てしまっていた。
あの黄猿が地面に叩き潰されたことを。
しかも、それを成し遂げた男は、息ひとつ乱していない。
エスカノールはリッタを肩に担ぎ直すと、倒れている黄猿を見下ろした。
「まったく……。海軍大将ともあろうお方が、随分と無作法な振る舞いをなさる」
声には怒りさえ感じられなかった。
まるで、道端に落ちていた小石を蹴飛ばした程度の出来事だと言わんばかりだった。
「少しは身の程をわきまえていただきたいものですね」
彼は悠然と踵を返した。
「光の速さを誇るのは結構。しかし――」
エスカノールは黄金の斧を軽く持ち上げ、朝日を背に微笑んだ。
「太陽の前では、光すら頭を垂れるものです。」
その言葉が、戦場に静かに落ちた。
そして、次の瞬間。
「うわああああああっ!!」
海兵たちの間で、恐怖が爆発した。
「撤退だ! あんな化け物と戦えるわけがない!」
「大将が倒されたんだぞ! 俺たちに何ができるっていうんだ!」
「近づくな! あいつの近くにいたら、覇気だけで意識を持っていかれるぞ!」
秩序を保っていたはずの海軍本部に、明らかな動揺が広がっていく。逃げる者、立ち尽くす者、武器を握りしめながら震える者。誰もが、目の前の男をどう扱えばいいのか分からなかった。
海軍大将が倒された。
それは、ただ一人の強者が勝利したという話ではない。海軍本部が誇る最高戦力でさえ、この男の前では絶対ではないという事実を、全兵士に突きつける出来事だった。
そして、その様子を少し離れた場所から眺めていた白ひげは、腹の底から笑い声を上げた。
「グララララララ!! やりやがったな、あの野郎!」
白ひげの口元には、隠しようのない笑みが浮かんでいた。
かつて夜の路地裏で海賊に絡まれ、震えながら助けを求めていたあの気弱な男。船の上で食事を与えられ、何度も頭を下げて礼を言っていた、あの小柄な男。
その男が今、海軍大将を地面に叩き潰している。
白ひげは思い出す。あの夜、港で別れる際に聞いた言葉を。
――この恩は、必ず返します。何があろうとも、必ずです!
「まさか、あのときの小僧が……こんなとんでもねェ男だったとはなァ!」
白ひげの笑い声に、周囲の白ひげ海賊団の隊長たちも呆然とした顔を向けた。
「信じられねェ……。あんな覇気、見たことがないぞ」
「黄猿を一撃で……。あいつ、いったい何者なんだ……?」
白ひげは答えず、ただ豪快に笑い続けた。
その一方、戦場では、赤犬ことサカズキが拳を強く握りしめていた。拳の周囲から、赤熱したマグマが滴り落ちる。
「……ボルサリーノを、あの一撃で」
彼の目は、エスカノールを捉えて離さなかった。
海軍の秩序を乱し、兵士たちを恐怖させ、大将を地に伏せさせた男。しかも、その男はまだ余裕を残している。
「貴様ァ……!」
赤犬の身体から、殺気が立ち上る。
しかし、エスカノールは赤犬の視線に気づくと、まるで待ちわびていた相手を見つけたかのように口元を吊り上げた。
「おや。次はあなたですか?」
リッタの刃から、再び黒い稲妻が弾けた。
「先ほどの方は、少々物足りませんでしたからね。あなたはもう少し、私を楽しませてくださるのでしょう?」
赤犬の額に、青筋が浮かんだ。
「貴様……海軍を愚弄する気か!」
「愚弄?」
エスカノールは、心底不思議そうに首を傾げた。
「私は事実を述べているだけですよ。私より弱い者に、わざわざ敬意を払う必要がどこにあるのです?」
その言葉とともに、彼の覇王色の覇気が再び膨れ上がった。
黒い稲妻が戦場を駆け、朝日がその背中を黄金に染める。
海兵たちは、もはや誰ひとりとして彼をただの敵とは呼べなかった。
そこに立っていたのは、海軍大将を一撃で沈めた男。
白ひげへの恩を返すためだけに戦場へ現れた、どこの海賊団にも属さぬ謎の男。
そして、己こそが頂点であると疑いもしない、太陽の傲慢王だった。
エスカノールはリッタを構え、赤犬を見据える。
「さあ、始めましょうか」
黄金の陽光が、さらに強くマリンフォードを照らし始めていた。