「貴様ァ……海軍を愚弄する気か!!」
怒号とともに、赤犬の身体から灼熱のマグマが噴き上がった。足元の石畳が赤く溶け、立ち込める熱気が周囲の空気を歪ませる。黄猿が倒されたという事実を前にしても、サカズキの闘志は衰えていなかった。むしろ、海軍の威信を傷つけた目の前の男を、この手で始末しなければならないという怒りが、彼の身体をさらに激しく燃え上がらせていた。
対するエスカノールは、そんな赤犬を前にしても微塵も動じなかった。神器リッタを肩に担ぎ、朝日を背負いながら、まるで退屈な芝居でも眺めているかのような表情を浮かべている。
「海軍を愚弄、ですか?」
エスカノールはゆっくりと首を傾げた。
「私はただ、あなた方の実力に見合った評価をしているだけですが。事実を述べることまで禁止されているとは、海軍という組織も随分と窮屈なのですね」
「黙れェ!!」
赤犬の右腕が巨大なマグマへと変貌した。
「流星火山!!」
拳が振り上げられた瞬間、空へと無数のマグマの拳が打ち上げられた。灼熱の塊は弧を描いて降り注ぎ、マリンフォード全域を赤く染め上げる。着弾するたびに爆発が起こり、地面が砕け、建物の一部が崩れ落ちた。
「全員、退避しろォ!!」
海兵たちが叫びながら逃げ惑う。白ひげ海賊団の隊員たちも、仲間をかばいながら降り注ぐマグマを避けていた。あれほどの攻撃をまともに受ければ、どれほど屈強な海賊であろうと無事では済まない。
だが、エスカノールは空を見上げただけだった。
「なるほど。空から降らせるというわけですか」
彼は右手を軽く持ち上げた。
「しかし、少々熱量が足りませんね」
黄金の光が膨れ上がる。
エスカノールの周囲に漂っていた陽炎が一気に濃くなり、降り注ぐマグマの拳が彼の頭上へ到達する直前、凄まじい熱風が巻き起こった。マグマはその熱に煽られ、軌道を乱し、地面へ到達する前に次々と弾き飛ばされていく。
赤犬の目が見開かれた。
「何ィ……!?」
「私の太陽を相手に、熱で勝負を挑むとは」
エスカノールは呆れたように息を吐いた。
「勇敢なのか、無謀なのか……判断に困りますね」
次の瞬間、彼は地面を蹴った。
轟音とともに石畳が陥没する。巨体からは想像もできない速度で赤犬へ迫り、黄金の斧を振り上げた。
赤犬も即座に腕をマグマへ変え、迎撃する。
「冥狗!!」
灼熱の拳と黄金の斧が激突した。
衝撃波が広場を駆け抜け、周囲の瓦礫が一斉に吹き飛ぶ。赤黒いマグマと黄金の光がぶつかり合い、地面には無数の亀裂が走った。海兵たちは思わず腕で顔を覆い、あまりの圧力に足を踏ん張ることすらできなかった。
しかし、押されていたのは赤犬だった。
リッタの刃には、黒々とした武装色の覇気が纏わりついている。その上を覇王色の黒い稲妻が駆け巡り、ぶつかり合うたびにバリバリと耳障りな音を響かせていた。赤犬のマグマがどれほど激しく燃え上がろうとも、斧の勢いは少しも衰えない。
「馬鹿な……!」
赤犬は歯を食いしばった。
海軍大将として、数え切れないほどの強敵と戦ってきた。悪魔の実の能力も、覇気も、鍛え上げた肉体も、すべてを武器にして敵を打ち倒してきた。その自分が、真正面から押し負けている。
しかも相手は、まだ余裕の笑みを浮かべていた。
「どうしました?」
エスカノールが問いかける。
「先ほどまでの威勢はどこへ行ったのですか? あなたは正義を語るとき、随分と声が大きかったようですが」
「貴様ァァァ!!」
赤犬が全身のマグマを膨張させた。巨大な拳がリッタを押し返そうとする。
その瞬間、エスカノールの目から笑みが消えた。
「もう結構です」
リッタが、赤犬の拳を力任せに弾き飛ばした。
体勢を崩した赤犬の懐へ、エスカノールが踏み込む。彼はリッタを片手で握り直すと、武装色と覇王色を纏った斧を横薙ぎに振り抜いた。
「ぐおおおおッ!!」
赤犬の身体が吹き飛んだ。
地面を削りながら広場の端まで飛ばされ、巨大な瓦礫の山に叩きつけられる。それでも赤犬は、執念だけで立ち上がろうとした。
「まだ……終わっては……おらん……!」
「ほう」
エスカノールは感心したように頷いた。
「そのしぶとさだけは見事です。しかし、立ち上がることと勝利することを混同してはいけませんね」
彼はリッタを持ち上げた。刃に黒い稲妻が集まり、覇王色の圧力がさらに膨れ上がる。空気が震え、足元の石畳が音を立てて砕けた。
赤犬が顔を上げた瞬間、エスカノールは斧を振り下ろした。
轟音。
赤犬の身体が地面へ叩きつけられ、広場に巨大な陥没が生まれた。黒い稲妻が亀裂の中を走り、粉砕された石片が高く舞い上がる。
土煙が晴れたとき、赤犬は陥没した地面の中心に倒れていた。
動かない。
海軍本部の兵士たちは、言葉を失った。
黄猿に続き、赤犬までもが倒された。
「赤犬大将……?」
誰かが、かすれた声で呟いた。
「嘘だろ……あの赤犬大将が……」
「海軍大将が二人も……たった一人の男に……!」
恐怖が波のように広がっていく。兵士たちの手は震え、銃を構えることさえできない。海軍の最高戦力が次々と倒されていく光景は、彼らが信じてきた海軍の強さそのものを揺るがしていた。
しかし、エスカノールは彼らの反応など気にも留めなかった。
「さて……」
彼はリッタを肩に担ぎ直し、残る一人へと視線を向けた。
「まだ、私の相手をしてくださる方がいるようですね」
青雉ことクザンは、倒れた赤犬を見つめていた。
「……参ったねェ。サカズキまで、あんなふうにやられちまうとは」
いつもの気だるげな口調。しかし、その目には明らかな警戒が浮かんでいた。
黄猿の速度は通じず、赤犬のマグマも押し負けた。相手の力は、通常の能力者の枠を大きく超えている。
それでも青雉は、同僚を見捨てるつもりはなかった。
「これ以上、好き勝手させるわけにはいかないよ」
青雉が地面に手をついた。
「アイスエイジ!」
凄まじい冷気が広がり、砕けた石畳を白い氷が覆っていく。凍結は瞬く間にエスカノールの足元へと迫り、彼の脚を包み込むと、さらに腰、胸、肩へと這い上がった。
氷は何層にも重なり、巨大な氷塊となってエスカノールを閉じ込めた。
「今度こそ……!」
海兵たちが期待を込めた声を上げる。
「青雉大将なら、あの男を止められるかもしれない!」
青雉は油断せず、さらに冷気を送り込んだ。
「悪いけど、少し眠っていてもらうよ」
だが、その直後だった。
パキ……。
小さな音が響いた。
青雉が眉をひそめる。
氷の表面に、細かな亀裂が走っていた。亀裂は次第に広がり、氷の内側から白い蒸気が噴き出し始める。
「……おいおい」
パキパキパキッ!
次の瞬間、巨大な氷塊が内側から弾け飛んだ。
黄金の光が溢れ出す。
エスカノールは、何事もなかったかのように歩み出た。彼の身体からは熱気が立ち上り、周囲に残っていた氷は触れることさえなく溶けていく。
「氷で私を封じ込めようとは、なかなか大胆なことをなさいますね」
エスカノールは青雉を見つめた。
「ですが、残念ながら……あなたの能力では、私を止めることはできません」
「そうみたいだねェ……」
青雉は両手を構え、再び冷気を放とうとした。
その瞬間、エスカノールの手のひらに小さな黄金の球体が生まれた。
それは、太陽だった。
球体はゆっくりと膨張し、強烈な光を放ち始める。周囲の温度が急激に上昇し、地面に残っていた氷が一瞬で蒸発した。海面から白い蒸気が立ち上り、遠くの海兵たちでさえ、息苦しさを覚えて後ずさった。
「な、なんだ……あの熱は!?」
「氷が全部、消えていく……!」
「近づくな! あの男の周囲にいるだけで焼かれるぞ!」
エスカノールは太陽を掲げ、青雉を見下ろした。
「あなたは、私と赤犬殿の勝負に割り込んできましたね」
「……ああ。そうだよ」
「ならば、あなたにも相応の罰を受けていただきましょう」
黄金の球体が、さらに大きくなった。
「無慈悲な太陽(クルーエル・サン)」
その名が告げられた瞬間、マリンフォードの空が白く輝いた。
太陽から放たれる灼熱が戦場を覆い尽くす。氷は蒸発し、地面は熱せられ、空気そのものが陽炎となって揺らめいた。青雉は即座に巨大な氷の壁を作り出したが、壁は完成するそばから溶けていく。
「くっ……!」
「無駄ですよ」
エスカノールの声は穏やかだった。
「太陽の前で、氷がどれほどの時間を保てるというのです?」
青雉は歯を食いしばり、冷気を限界まで放出した。しかし、無慈悲な太陽の熱はそれを圧倒した。氷が砕け、蒸気が爆発的に噴き出す。
そして、エスカノールが片手を振り下ろした。
太陽の熱が、青雉を直撃した。
「ぐああああッ!!」
青雉の身体が吹き飛ばされた。彼は氷を作り出して衝撃を和らげようとしたが、その氷さえも瞬く間に蒸発してしまう。地面を転がった青雉は片膝をつき、再び立ち上がろうとした。
しかし、身体は言うことを聞かなかった。
戦闘を続けられる状態ではない。
エスカノールは彼の前まで歩み寄ると、静かに見下ろした。
「命までは奪いません。私は無意味な殺生を好みませんので」
そして、微笑んだ。
「ただし、次に私の邪魔をするのであれば……今度は、この程度では済みませんよ」
青雉は答えなかった。
黄猿、赤犬、そして青雉。
海軍本部が誇る三大将が、すべて戦闘不能となった。
マリンフォードに、深い静寂が落ちた。
海兵たちは誰も動けず、白ひげ海賊団の隊員たちも呆然と立ち尽くしていた。あまりにも圧倒的な光景だった。三大将がそれぞれの能力を駆使して挑みながら、最後には一人の男の前に倒れたのだ。
エスカノールはリッタを肩に担ぎ直すと、白ひげへと振り返った。
「白ひげ殿。これで、あなたへの恩返しになりましたでしょうか?」
白ひげはしばらく目を見開いていたが、やがて腹の底から笑い声を上げた。
「グララララララ!! 恩返しどころの話じゃねェぞ! おめェ、海軍の三大将をまとめてぶっ倒しちまったじゃねェか!」
「おや。まだ足りませんでしたか?」
「そういう意味じゃねェよ!」
白ひげは豪快に笑いながら、目の前の男を見つめた。
かつて夜の路地裏で海賊に絡まれ、震えながら助けを求めていた小柄な男。船の上で食事を与えられ、何度も頭を下げて礼を言っていた男。
その男が、今や海軍三大将を一人で倒している。
マルコも、ジョズも、ビスタも、誰もすぐには言葉を返せなかった。
「オヤジ……あいつ、いったい何者なんだよい……」
マルコが呟く。
白ひげは笑いながら答えた。
「恩を返しに来た男さ。それ以上でも、それ以下でもねェ」
その言葉を聞き、隊長たちは再びエスカノールを見た。
彼は世界を支配するために来たわけではない。名声を得るためでも、海軍に挑戦するためでもない。ただ、かつて受けた恩を返すために戦場へ現れたのだ。
それだけの理由で、世界の均衡を揺るがす力を振るったのである。
その頃、海軍本部の要塞上部では、元帥センゴクが戦場を見下ろしていた。
黄猿が倒れた時点で、戦況は異常だった。赤犬が倒れた時点で、海軍の勝利は極めて困難になっていた。そして今、青雉までが戦闘不能となった。
三大将が全滅した。
センゴクは拳を握りしめた。
「……馬鹿な」
彼の視線の先では、エスカノールが白ひげと会話していた。まるで戦争の最中であることなど忘れているかのように、悠然とした態度を崩していない。
センゴクは理解していた。このまま戦闘を継続すれば、海軍はさらに甚大な損害を受ける。兵士たちの士気は崩壊しかけており、最高戦力は失われた。あの男が白ひげを守ると決めている以上、白ひげを討ち取ろうとすれば、再びあの圧倒的な力と対峙しなければならない。
そして今の海軍には、あの男を止められる保証がなかった。
センゴクは歯を食いしばり、伝達装置へと手を伸ばした。
「……総員、戦闘を停止しろ」
近くにいた海兵が、驚愕の表情で振り返る。
「げ、元帥!?」
「聞こえなかったのか! 全軍、戦闘を停止しろ! 負傷者の救護を最優先とする! これ以上の交戦は許可しない!」
命令が伝わり、海兵たちは戸惑いながらも武器を下ろし始めた。
センゴクは目を閉じ、深く息を吐いた。
そして、全世界へ向けて告げた。
「海軍本部元帥、センゴクだ。全世界に告げる」
マリンフォードに設置された伝達装置を通じて、その声が世界中へと広がっていく。
「本日、マリンフォードにおける戦闘は……海軍本部の敗北をもって終了する」
世界が、凍りついた。
「敗北……?」
「今、元帥は何と言った……?」
「海軍本部が敗北しただと!?」
センゴクは、さらに言葉を続けた。
「海軍本部大将、黄猿、赤犬、青雉の三名は、同一人物との交戦によって戦闘不能となった。海軍はこれ以上の戦闘継続を断念する。全軍、撤退準備に入れ!」
三大将が、一人の男に敗れた。
その事実が、世界中へと伝えられた。
マリンフォードにいた海兵たちは、力なく武器を下ろした。ある者は呆然と立ち尽くし、ある者は負傷した仲間のもとへ駆け寄った。海軍本部の最高戦力が倒されたという事実は、彼らが信じてきた組織の強さを根底から揺るがしていた。
センゴクは、戦場の中心に立つエスカノールを見つめた。
「……この戦争は、終わりだ」
エスカノールはその宣言を聞くと、満足そうに頷いた。
「賢明な判断ですね。これ以上続けても、あなた方が傷つくだけですから」
海兵たちは、誰も反論できなかった。
三大将を倒した男が、当然のことを述べるように言っているのだ。彼らはただ、その圧倒的な存在を見つめることしかできなかった。
その光景を見ていた七武海たちも、それぞれの反応を見せていた。
ジュラキュール・ミホークは、黒刀・夜を肩に担ぎ、エスカノールを鋭く見つめていた。
「……三大将を、すべて一人で倒したか」
彼の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「剣士ではないようだが、その力……底が知れんな」
ミホークはエスカノールの覇気を感じ取っていた。あの男が放つ圧力は、単なる肉体の強さだけではない。王者として生まれた者が持つ、圧倒的な支配力そのものだった。
「いつか刃を交える機会があれば、面白いことになりそうだ」
その隣では、ドンキホーテ・ドフラミンゴが肩を震わせながら大笑いしていた。
「フッフッフッフッフッ!! こいつは傑作だ!! 海軍本部が敗北宣言だと!? 三大将が、たった一人の男にやられただと!?」
彼は両手を広げ、狂喜するように笑った。
「世界がひっくり返るぞ! 政府の威信も、海軍の正義も、全部まとめて吹き飛んじまった!!」
ドフラミンゴにとって、これは単なる戦争の勝敗ではなかった。世界を支えている秩序そのものが、目の前で崩れ始めた瞬間だった。
「フッフッフッ……太陽の王、か。いいねェ。実にいい!」
彼はエスカノールの姿を目に焼き付けた。
「お前が世界に何をもたらすのか、見せてもらおうじゃねェか」
一方、ゲッコー・モリアは顔を青ざめさせていた。
「ふざけるな……! 三大将だぞ……! あいつらが全員倒されるなんて、あり得るわけがねェ!」
普段の尊大な態度はすっかり消え失せていた。彼は海軍の戦力を知っている。三大将がどれほどの存在なのかも理解している。だからこそ、目の前の結果を受け入れられなかった。
「こんな化け物が海にいるなんて……!」
彼はエスカノールと目を合わせないように、そっと視線を逸らした。
バーソロミュー・くまは何も語らなかった。ただ、エスカノールの姿をじっと見つめていた。その表情から感情を読み取ることはできない。しかし、三大将を倒した男の存在が、これからの世界にどれほど大きな影響を及ぼすのかを、静かに見極めようとしているかのようだった。
ボア・ハンコックは、戦場の別の場所にいるルフィのことを考えていた。
「ルフィ……どうか、ご無事で……」
彼女にとって、海軍の敗北そのものよりも、ルフィが無事であることの方が重要だった。
クロコダイルは葉巻をくわえたまま、エスカノールを鋭く見つめていた。
「……気に食わねェな」
彼は白ひげを倒すことに執着していた。しかし、今の戦場では、その目的を果たすどころではない。あの男がいる限り、白ひげに手を出すことさえ危険だった。
「チッ……。とんでもねェ化け物が現れたもんだ」
マリンフォードでは、戦闘が停止した戦場を、海兵たちが慌ただしく駆け回っていた。負傷者を運び、倒れた大将たちの救護に走る者たちの姿が見える。
エスカノールは、そんな光景を気に留めることもなく、白ひげの前へ歩み寄った。
「白ひげ殿」
「おう」
白ひげは、豪快な笑みを浮かべて彼を迎えた。
「本当に、とんでもねェ奴を助けちまったもんだな。あの夜、路地裏で震えていたおめェが、まさかこんな化け物だったとはよォ」
エスカノールは少しだけ目を細めた。
「あの時の私は、確かに弱かったのでしょう。しかし、あなたが私を助けてくださったことに変わりはありません」
彼は胸を張り、白ひげを真っ直ぐに見つめた。
「あの夜、あなたは見返りを求めず、私に食事を与えてくださった。私は約束しました。この恩は、必ず返すと」
白ひげは、しばらく彼を見つめていた。
そして、再び豪快に笑った。
「グララララ! 十分すぎるほど返してもらったぜ! おめェのおかげで、海軍の戦争は終わりだ!」
「それならば、何よりです」
エスカノールは満足そうに頷いた。
「これで、私の約束は果たされました」
彼は空を見上げた。朝日はすでに高く昇り、マリンフォードを黄金色に染め上げている。
「さて……私は、そろそろ失礼しましょうか」
白ひげが目を丸くした。
「おいおい、もう行くのか?」
「ええ。私はあなた方の仲間ではありませんからね」
エスカノールは傲慢な笑みを浮かべた。
「それに、私より弱い者たちの争いに、いつまでも付き合っている趣味はありません」
「グララララ! 相変わらず、とんでもねェ言い草だ!」
白ひげの笑い声が戦場に響いた。
エスカノールが背を向けようとした、そのときだった。
「――おい! あそこだ!!」
海兵の叫び声が響いた。
マリンフォードの湾内に、巨大な波が押し寄せてくる。凍りついた海面の向こうから、一隻の船が姿を現した。
そして、その船の先頭に立っていたのは、麦わら帽子をかぶった少年だった。
「エェェェェェェス!!!!!」
その叫び声は、戦場の静寂を突き破った。
「エースはどこだァァァ!!」
モンキー・D・ルフィ。
インペルダウンを脱獄し、数々の死線を越えてマリンフォードへたどり着いた少年は、船から飛び出すと周囲を見渡した。
彼の後ろには、ジンベエ、クロコダイル、イワンコフ、バギー、そして脱獄囚たちの姿があった。
彼らは、エースを救うためにここまで来たのだ。
しかし、ルフィの目に飛び込んできた光景は、予想していたものとはまるで違っていた。
海兵たちは武器を下ろし、負傷者の救護に追われている。広場には巨大な陥没がいくつも生まれ、地面には無数の亀裂が刻まれていた。そして、遠くには倒れた三人の海軍大将の姿があった。
「……え?」
ルフィは目を丸くした。
「なんだ、これ……?」
ジンベエもまた、異様な戦場の様子に息を呑んだ。
「まさか……海軍本部が敗北したというのか……?」
彼の視線が白ひげへと向かう。
白ひげは、まだ立っていた。
「白ひげ殿……! ご無事だったのですか!」
「おう、ジンベエ! グララララ! ずいぶんと遅かったじゃねェか!」
白ひげは豪快に笑った。
「ちょっと待ってくれ! 何がどうなってんだ!?」
ルフィは頭を抱えた。
「おれ、エースを助けに来たんだぞ!? なのに、なんで海軍が戦うのをやめてんだ!?」
ジンベエは周囲の破壊の跡を見渡した。
「先ほど、海軍本部元帥が敗北を宣言したようじゃ。しかも、海軍大将三人が……同じ男に敗れたと聞こえてきた」
「三人!?」
ルフィの声が裏返った。
「海軍大将って、あの大将だろ!? 三人とも!?」
「そうじゃ」
「なんだそりゃああああ!?」
ルフィが叫んだ、そのときだった。
彼の視線が、戦場を歩く巨大な男に止まった。
黄金の斧を肩に担ぎ、太陽を背負って歩く、筋骨隆々の男。
エスカノールだった。
「……あいつ、誰だ?」
ルフィが呟く。
ジンベエはエスカノールを見つめ、表情を引き締めた。
「おそらく、三大将を倒した男じゃ」
「えええええええっ!?」
ルフィは目を見開いた。
その声を聞いたエスカノールが、ゆっくりと振り返る。
「ほう……新しいお客様ですか」
彼はルフィを見つめ、口元に傲慢な笑みを浮かべた。
「随分と騒がしい方ですね。もう少し落ち着いて行動なさってはいかがです?」
「なんだとォ!?」
ルフィが反射的に怒鳴る。
しかし、エスカノールはまったく気に留めなかった。
「おや。私の言葉が聞こえませんでしたか?」
彼はリッタを肩に担ぎ直した。
「まあ、構いません。あなたのような小さな方に、いちいち私の言葉を理解していただこうとは思いませんから」
「誰が小さいだァ!!」
ルフィが食ってかかろうとした瞬間、ジンベエが慌てて彼の肩を掴んだ。
「ルフィ! 今はやめておけ!」
「なんでだよ!?」
「三大将を倒した男じゃぞ!」
「……あ」
ルフィはエスカノールを見上げた。
しかし、彼の頭にあるのは、やはり一つだけだった。
「……エース」
ルフィは顔を上げ、白ひげの方を見た。
「エースはどこだ!?」
その声には、先ほどまでの怒りとは違う、切実な響きがあった。
エスカノールは、初めてルフィを注意深く見つめた。
この少年は、名声を求めてここへ来たわけではない。海軍を倒すためでもない。ただ、誰かを救うために、この戦場へ飛び込んできたのだ。
そのことだけは、エスカノールにも理解できた。
だが、白ひげが答えるよりも早く、海上から別の声が響いた。
「ゼハハハハハハ!!」
場違いなほど大きな笑い声だった。
海兵たちが一斉に振り返る。
湾内に現れた船。その黒い旗。そして、船首に立つ大男。
マーシャル・D・ティーチ。
黒ひげだった。
「おいおい、どうなってやがる?」
黒ひげはマリンフォードの様子を見て、首を傾げていた。
彼はまだ知らなかった。
自分が到着するまでに何が起きたのかを。
黄猿が倒され、赤犬が倒され、青雉まで戦闘不能になったことを。
そして、海軍本部が公式に敗北を宣言したことを。
「ゼハハハハ! まさか、もう戦争が終わっちまったのか!?」
黒ひげは豪快に笑いながら、戦場を見渡した。
「おい、どういうことだ!? 海軍は何をやってやがる! 白ひげはまだ生きてるじゃねェか!」
彼の目が白ひげを捉えた。
「親父ィ! まだ生きてやがったか!」
白ひげは黒ひげを見つめ、目を細めた。
「……ティーチ」
その声からは、いつもの豪快さが消えていた。
黒ひげは白ひげの様子に気づくことなく、笑い続けた。
「ゼハハハハ! こいつは妙なことになったなァ! だが、まあいい! 俺の計画はこれからだ!」
彼はそこで初めて、戦場の中心に立つエスカノールの存在に気づいた。
黄金の斧。
圧倒的な体格。
そして、周囲に残る破壊の痕跡。
黒ひげは眉をひそめた。
「……なんだ、あの野郎?」
エスカノールは、黒ひげをじっと見つめた。
そして、ゆっくりと微笑んだ。
「おや……また一人、騒がしい方がいらっしゃいましたね」
彼はリッタを肩に担ぎ直す。
「あなたも、私に何かご用ですか?」
黒ひげは一瞬、言葉に詰まった。
だが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。
「ゼハハハ! いやいや、妙なことを言う男だなァ! 俺はマーシャル・D・ティーチ! これから世界をひっくり返す男だ!」
その言葉に、エスカノールは目を細めた。
「世界をひっくり返す?」
彼は、心底おかしそうに笑った。
「それはそれは。ずいぶんと大きな夢をお持ちなのですね」
エスカノールは黒ひげを見下ろした。
「ですが、夢を語る前に、まずはご自身の身の程を知ることをお勧めします」
「……あァ?」
黒ひげの笑みが、わずかに引きつった。
「ゼハハハ……! てめェ、俺を誰だと思ってやがる?」
「さあ?」
エスカノールは、あっさりと言い放った。
「少なくとも、私が頭を下げる必要のある相手ではないようですね」
その瞬間、黒ひげの顔から笑みが消えた。
彼はまだ知らない。
目の前の男が、海軍三大将を一人で倒した存在であることを。
自分が利用しようとしていた戦争が、すでに終わってしまったことを。
そして、自分の計画の前に、想定外の障害が立ちはだかっていることを。
ルフィはエスカノールと黒ひげを交互に見つめ、首を傾げていた。
「……なあ、ジンベエ。あいつら、何やってんだ?」
「……わしにも分からん」
ジンベエは額を押さえた。
「じゃが、一つだけ確かなことがある」
「なんだ?」
「今、あの二人を刺激するのは……絶対に避けた方がよい」
その言葉を聞いた白ひげが、再び豪快に笑った。
「グララララララ!! こいつは面白くなってきやがった!」
マリンフォードの空には、太陽が燦然と輝いていた。
海軍本部は敗北を宣言し、三大将は倒れ、世界は一人の男の名を知ろうとしている。
そして今、ルフィたちと黒ひげが戦場へ到着した。
エスカノールは、黄金の光を浴びながら、リッタを軽く持ち上げた。
「さて……」
その瞳が、黒ひげを捉える。
「今度は、どなたが私の時間を無駄にしてくださるのでしょうか?」
黒ひげは笑おうとした。
しかし、なぜか喉の奥が、ほんのわずかに詰まった。
自分の計画が狂っていることを、彼はまだ理解していない。
だが、世界をひっくり返すつもりで現れた男の前に、世界を揺るがすほどの力を持つ太陽の王が立っている。
この日、マリンフォードで終わったはずの戦争は、新たな嵐の予感とともに、再び動き始めようとしていた。