「エェェェェェェス!!!!!」
ルフィの叫び声が、戦争の終わったマリンフォードに響き渡った。
海軍本部の三大将は倒れ、黒ひげ海賊団も正午の太陽に焼き払われた。あれほど激しかった戦場は、今では負傷者を運ぶ海兵たちの足音と、遠くで立ち上る煙の音だけが支配している。
その中心で、エスカノールは神器リッタを肩に担いでいた。
正午の太陽を浴びた彼の身体からは、いまだ凄まじい熱気が放たれている。周囲の空気は陽炎となって揺らぎ、近づこうとする海兵たちは、無意識のうちに足を止めていた。
しかし、エスカノールにとって、周囲の反応などどうでもよかった。
彼はすでに、白ひげへの恩返しを果たしたのだから。
「さて……これで本当に、私の用事は終わりですね」
満足そうに呟き、彼が踵を返そうとした、その時だった。
「待てェェェ!!」
少年の声が響いた。
エスカノールは足を止め、ゆっくりと振り返る。
そこには、麦わら帽子を被った少年が立っていた。モンキー・D・ルフィ。インペルダウンを脱獄し、兄を救うために命懸けでマリンフォードへ駆けつけた男である。
ルフィはエスカノールを見上げていた。
「お前、めちゃくちゃ強いんだな!」
「……ほう」
エスカノールは片眉を上げた。
「それで?」
「おれ、ルフィ! お前の名前は!?」
あまりにも真っ直ぐな問いだった。
周囲の海兵たちが、ぎょっとした顔でルフィを見た。つい先ほどまで、海軍三大将を一人で倒した男に向かって、何の警戒もなく話しかける者など普通はいない。
だが、ルフィはそんなことを気にしていなかった。
エスカノールは、しばらくルフィを見つめた後、堂々と胸を張った。
「私の名はエスカノール。太陽の下において、最も強き男です」
「へえー! そうなのか!」
ルフィは目を輝かせた。
「お前、仲間にならねェか!?」
「……は?」
エスカノールの笑みが止まった。
白ひげが、遠くで吹き出した。
「グララララララ!!」
マルコも思わず額を押さえた。
「おいおい……あいつ、今の状況を分かって言ってるのかよい……」
エスカノールは、ゆっくりとルフィへ歩み寄った。
その巨体が近づくたび、ルフィの視界は黄金の光で覆われていく。それでも少年は一歩も退かなかった。
「ルフィ、と仰いましたね」
「おう!」
「大変、勇敢なお申し出です。しかし――」
エスカノールは、心底不思議そうに首を傾げた。
「なぜ私が、あなたのような小さな海賊の下につかなければならないのでしょう?」
「え? だって、おれの仲間になったら楽しいぞ!」
「……なるほど」
エスカノールは目を閉じ、深く息を吐いた。
「どうやら、あなたは自分の立場というものを、まだ十分に理解なさっていないようですね」
「なんだよ!?」
「私は誰かの下につくために生まれてきたのではありません。ましてや、あなたの船で雑用をするなど、考えただけでも恐ろしい」
「雑用なんてさせねェよ!」
「それは結構。しかし、なおさらお断りです」
エスカノールは堂々と言い切った。
ルフィは頬を膨らませた。
「ちぇー! つまんねェの!」
「あなたを楽しませるために、私は存在しているわけではありませんからね」
そう言いながらも、エスカノールはルフィを観察していた。
この少年は、三大将を倒した自分を見ても、恐怖で立ちすくむことがない。力の差を理解していないのか、それとも理解したうえで気にしていないのか。
いずれにせよ、奇妙な男だった。
だが、ルフィが再び口を開いた時、その表情が変わった。
「なあ、エスカノール」
「今度は何です?」
「エースを知らねェか?」
その名を聞き、エスカノールの視線がわずかに動いた。
「エース……火拳のエース殿のことですか?」
「そうだ! おれの兄ちゃんなんだ!」
ルフィは拳を握りしめた。
「おれ、あいつを助けに来たんだ。ここまで来たのに、どこにいるか分かんねェんだよ!」
その声には、先ほどまでの無邪気さはなかった。
ルフィは走ってきたのだ。数々の敵を乗り越え、仲間たちと協力し、何度も死線をくぐり抜けて、この場所へたどり着いた。
その目的は、ただ一つ。
兄を救うこと。
エスカノールは、静かに白ひげへ視線を向けた。
白ひげは、ルフィの姿を見つめていた。
「……エースは、あそこだ」
白ひげが指し示した先には、処刑台があった。
その周辺では海兵たちが撤収作業を進めており、処刑のために用意されていた設備も、戦争の終結に伴って混乱の中に置かれている。
ルフィは、そこへ向かって走り出そうとした。
「エース!!」
しかし、その瞬間。
「待ちなさい」
エスカノールの声が響いた。
ルフィが振り返る。
「なんだよ! 早くエースを助けねェと!」
「あなたの兄上は、まだそこにいるのでしょう?」
「そうだ!」
「ならば、慌てる必要はありません」
エスカノールは、悠然とリッタを肩に担いだ。
「すでに海軍は敗北を宣言しています。三大将も戦闘不能。あなたを妨害できる者は、ほとんど残っていません」
彼はルフィを見下ろし、微笑んだ。
「ここまで来たのです。最後くらい、堂々となさい」
ルフィは一瞬、目を丸くした。
そして、にっと笑った。
「……おう!」
彼は再び走り出した。
ジンベエもその後を追う。
「ルフィ! 待て! わしも行くぞ!」
エスカノールは、その背中を見送った。
「……まったく。騒がしい少年ですね」
「グララララ! 気に入ったか?」
白ひげが笑いながら尋ねた。
「まさか」
エスカノールは即座に答えた。
「私にあのような騒がしい部下は必要ありません」
「グラララララ! そうかい!」
白ひげは笑い続けた。
その笑い声を聞きながら、エスカノールは空を見上げた。
太陽は、まだ高い位置にある。
しかし、正午を過ぎれば、彼の力は少しずつ衰えていく。
そして、夜が訪れれば――。
彼は、あの小柄で気弱な自分へと戻る。
その事実を、エスカノール自身が誰よりもよく知っていた。
「……さて」
彼はリッタを肩に担ぎ直した。
「私も、そろそろ退場するとしましょうか」
白ひげが眉を上げた。
「もう行くのか?」
「ええ。いつまでも、ここにいる理由はありませんからね」
「グララララ! また会うこともあるだろうよ!」
エスカノールは白ひげを振り返った。
「その時まで、どうかお元気で」
それは、昼の彼にしては珍しく、飾り気のない言葉だった。
「あなたには、まだ長生きしていただかなければ困ります。私を助けた恩人なのですから」
白ひげは、少しだけ目を細めた。
そして、豪快に笑った。
「グララララ! 分かったよ! おめェも、そう簡単にくたばるんじゃねェぞ!」
エスカノールは、満足そうに頷いた。
そのまま彼は、海軍本部の外へ向かって歩き始めた。
誰も止めなかった。
三大将を倒し、黒ひげ海賊団を壊滅させた男に、声をかけられる者などいなかったのだ。
彼の背中が遠ざかるにつれて、戦場の熱気も少しずつ収まっていった。
だが、エスカノールが去った後も、マリンフォードに残された者たちは、その名を忘れることはできなかった。
太陽の傲慢王。
誰にも従わず、誰にも頭を下げず、ただ己の誇りと約束のために戦う男。
その存在は、すでに世界の歴史へ深く刻み込まれていた。