九林寺でガオがフヨウに引き取られてから3年が経った。
「そこまで!」
今日も他流の道場に乗り込んでは片っ端から蹴散らしていく。普通であれば疲労とダメージが蓄積し、いつかは負けるものだ。ましてや乗り込んだのが九林寺最強と名高いホウテイ流の道場であればなおさら。
しかし、幸か不幸かその場に居合わせた者の中で一番強い門弟真っ先に倒し、負けることなくその場が解散となってしまった。
たまたまその場にいた選手層が薄かったのに加えて、その中で一番強い門弟が万全のガオと手合わせをしたいと一番に名乗りを上げたのも原因だろう。
ともかくいつもより時間が余ったガオ。自分たちの道場に戻る道すがら、フヨウの背中をじっと見つめていた。
(はぁぁああぁぁ! 怪我しなかった! 今日怪我しなかった! うちの子、いや! 私の子怪我しなかった! 良かったよぉおお! いっつもボロボロでホント心配だし何なら途中で私の手が出そうになるしマジいつも危ない 痛いの好きなのは知ってるけど心配なものは心配で)
内心メロついていたフヨウだが後ろから感じた気配に思わず裏拳を繰り出す。まさに攻撃を仕掛けようと前のめりのガオは避けきれず、もろに顔面で裏拳を受ける。
しかし、体勢を崩しながらも自分を殴った腕を掴み、スキルを発動させながら今受けたダメージを乗せてフヨウの腹を殴った。
手ごたえは大鐘。境内に飾っている大鐘を想起するような腹筋の硬さと体幹の強さ。ビリビリと腕がしびれて次の行動に移れない間に、フヨウがガオの喉元に肘を突き付けていた。
「……まいり、ました」
「うん、実践なら今の仕掛けは良いと思う。私クラスじゃないと先手を取られてたかな。それとは別にね、私に勝って対等になりたいなら不意打ちじゃなくてよーいドンでやろう。これじゃ勝ってもきっと消化不良だよ」
フヨウはガオが怖がらないようにしゃがんで目線を合わせたが、顔は真剣。ガオはしゅんと目を伏せた。
(ほわぁあぁああぁあ! ごめんね! 殴ってごめんね! 職業柄つい手が出ちゃって! 家庭内暴力! DV! それに怒ってごめんね! 嫌わないで! でも注意はしないといけないの! でも嫌われたくない! 人格別れる! 母性と教育者の人格にわかれちゃうのぉおおおおん!!)
客観的に見れば厳しくも優しい目つきで子供の頭を撫でる外面の中で、人格分裂の危機に陥っているフヨウ。彼女はガオを先に道場へ帰らせた。そして視界からガオが消えたのを確認してからその場に蹲る。
(ほぉ”ぉお”お”ぉお”……! 効いたぁ”あ”……、さっきの一撃……! でもあの子の前で醜態晒せないし? 私っていつでもクールなかっこいいお姉さんじゃないといけないし? 余裕ぶっこいて師匠面したけど、その実効いたぁ”あ”あ”! 芯に響く! 膝折れる! んもぉお帰れない! 私道場まで歩いて帰れない! でもあの子の成長感じる! 痛みの大きさだけ成長感じる! 良い拳持ってるぅ”うう! はぁっ、はぁっ! これが成長痛!? 体で感じるあの子の成長痛! 実質これ陣痛! お腹痛めて育てました! 私があの子を!)
気持ち悪い思考を脳内で巡らせながら地面をのたうつフヨウ。しかし近寄ってくる気配にその動きをぴたりと止めた。
「何の用?」
「……いや、それで格好つけるの無理があるだろ」
至極まっとうな指摘をしたのはホウテイ流の師範代。ガオが門弟を破った後に帰ってきた彼は事情を聞いて二人の後を追いかけてきた。
取り巻きの6人がフヨウの周りを囲う。
「他流試合で挑んできたやつを無事で返すとうちの評判が下がる。お前も師範代なら分かるだろ?」
「……まぁね」
嘘である。彼女の所にはガオが来るまで門弟はおろか試合の申し込みすらなかった。評判以前の問題である。
「悪く思うな、こっちもメンツがかかってるんでな」
そう言う割には性根の悪い顔を浮かべる師範代。フヨウはどてっ腹に抱えている痛みをまるで感じさせない様子で立ち上がる。
「体裁を気にするだけなら私で十分でしょう。あの子に手を出したらお前の道場に放火してやるから」
「怖い怖い……別にどっちだって良いんだよ、抵抗しない肉袋が1つでもありゃあな」
♢
先に道場へ帰ったガオ。部屋の真ん中でちょこんと座り、先ほどフヨウに殴られた頬を擦っていた。しかし、フヨウがいつまでも帰ってこないことを心配に思い玄関に向かったその時。
「あ”ぁ”~、ただいま……」
ズタボロのフヨウが這いながら玄関の扉を開けた。
「師匠! それ……どうして……!」
「大丈夫……ちょっと野生の熊に襲われただけだから……」
「嘘だ! 熊なんかにそんな重傷負うはずない!」
ともかくフヨウは何があったかを頑なに話さなかった。しかし閉鎖空間での噂を隠しきることは不可能に近い。ガオは報復としてフヨウが怪我を負わされたことを早々に知る。
「ごめんね、色々身の回りの世話させて。あぃつつ……」
ガオは献身的に介護を続ける裏で、ある準備を進める。
新月の夜。ガオは大量の油を壺に入れてホウテイ流の道場に向かう。油をたっぷりと外壁に染み込ませて、月の出ていない夜に煌々と輝く火柱が上がり、無数の蛾が犠牲となった。
走光性の虫が炎に向かう一方、火事に巻き込まれた竜人たちは火竜のルーツを引き継ぐ者以外はパニックになって逃げる。火竜祖先の者も煙を吸い込んで意識を失わないように這って避難をしていた。
ホウテイ流師範代も這って避難する者の一人。竜というよりはトカゲみたいに四足でペタペタ歩いているところにガオが奇襲を仕掛けた。呼吸が尽きるまで這いつくばる師範代を滅多打ちにする。
身の安全よりも憎しみが勝ったガオは限界を超えて師範代を殴り続け、思わず顔を上げたまま息を吸った。そのまま意識を失い、同じく意識を失っている師範代の上に倒れこんだ。
フヨウが助けに来なければ、2人とも焼けた道場を墓標として生き埋めになっていただろう。
その救助活動の中で、水竜をルーツに持つフヨウは二度と消えない火傷を背中に負った。
ガオの放火、軽傷者7名、重傷者3名、死者が出なかったのは幸いという他ない。
負傷者が集められた部屋で目を覚ましたガオ。隣で気絶しているフヨウが包帯を変える様子を見て、自分の癇癪のせいで彼女が傷ついたことを嫌でも理解する。
ガオに生涯拭うことのできない無能感が植え付けられたのはこの時だった。
♢
過去というのはふとした時に記憶の底から這い出てきて心を侵す。小学校高学年にもなって漏らしたおねしょ。痛いポエムを書き綴った日記帳。マゾを主役にした創作の親バレ。
それらと同様に、ガオは自分がいかに惨めで愚かな者かという回想を何度もしていた。そして稽古場で大男に腹を殴ってもらうこともせずに、他の3人から離れたところで膝を抱えて寝転がっていた。
心にあるのはシスイとフワワが仲良く過ごしていた光景。愛されるような人間像をしていない自分を置いて、あの2人だけで仲良く。その果ては3人だけで。
ガオは強く胸を押さえる。痛い。大男に殴られた時よりも強く、鋭く。そしてなによりも気持ち悪い。勝負とは呼べない、勝てる見込みのない一方的な虐待を受けた時のあの痛みと同じ。
「ガオ様、大丈夫ですか?」
ガオの肩を叩くのはシスイ。その後ろにはフワワと大男もいる。
「どこか苦しそうですが。怪我ならともかく病気は私の専門外なので、医者に診てもらった方が……」
3人の表情はガオの身を心配するようなもの。しかし、それが逆にガオの導火線に火をつける。彼女からすれば手間のかかる自分と心配する側の3人、その間に大きな溝を感じた。
「け、決闘……」
「は、はい……?」
「決闘だ……!」
「わ、私とガオさんが、ですか?」
「違う! アカシと、アタシで!」
安定している時は良いが一度崩れると平静を取り戻すのに時間のかかる、大型シングルターボみたいにピーキーな精神構造をしているガオ。彼女が選んだのは暴力で己を誇示することで3人が自分を無視できないようにする、という幼稚な征服欲と過剰な防衛反応だった。
「分かりました。決闘をしましょう」
明らかに不安定なガオの様子にシスイとフワワはどう対応するべきかと考えるが、大男は素直に受け取った。
ガオと大男は10歩の距離で向かいあう。開始の合図はなく、お互いが構えてジリジリと間合いを詰め始めた。
武闘家ならば誰もが持つ必殺の間合い。大男のそれは自分を中心に半径2mであり、ガオにとっては半径3m。踏み込みを含めた範囲こそガオの方が広いが、密度という意味では比べるまでもなく大男の方が濃い。
ガオのそれは常人が一瞬で半殺しの目にあうだろうが、大男のそれは常人の命が10あってようやくお釣りがくる。
気の張った大男の間合いに気安く踏み込めるのはドの付く素人か、相当に自信がある人間か。それとも、もっと大きな脅威に駆り立てられている獣か。
ガオは大男の懐に飛び込んだ。その動きを読んでいた大男は拳を振るうが、その前に2撃打ち込まれる。鉄よりも堅い拳で打撃面積を出来るだけ小さくした1本拳。ガオと大男の体格差ものともせずに大男にダメージを与えた。
大男が怯んだ隙にガオは大男との距離をゼロにする。武術家の持つ必殺の間合い、それは拳に勢いを付けられない密着の間合いにおいては効果を発揮しない。まさに台風の目にたどり着いたガオは大男に肘を押し付け、密着した状態から振り抜く。部位鍛錬で異常に発達した肘は大男の肉を切り裂き、鮮血が散る。
浅くはない怪我を負った大男だが一向に怯まず、ガオの腕を掴みにかかった。次の瞬間、大男の顎が跳ねる。ガオが尻尾と左足で体を支えながら右足をその場で振り上げたのだ。綺麗なI字バランスの体勢で巨躯を怯ませる一撃を繰り出せたのは彼女の体幹の強さを物語っているだろう。
1歩よろめく大男に対して、1歩踏み込むガオ。その足元には小さな亀裂が入る。
2歩目のたたらを踏む大男に対して、2歩目を踏み込むガオ。離れたところにいるフワワやシスイも地面が揺れるのを感じ取った。
3歩目でようやく立ち止まる大男に対して、3歩の助走を終えたガオ。はるか遠くの木で休んでいた鳥が一斉に飛び立った。
三歩必殺。この技を知る者は少ない。少なくとも技を受けた者は名前通り必ず死ぬからだ。
ガオは技の最後、腰から腕にかけての力の伝達で手を抜いた。相手を殺さないように。
(勝った)
ガオは3歩目を踏み出した時点で勝ちを確信していた。その途端に膨らむ妄想。
このパーティで自分が一番強い。自分がこのパーティのリーダーだ。もう誰も自分を無視できない。
絵にかいた餅、取らぬ狸の皮算用。勝負の最中よぎった邪な心に罰が下る。
確かにガオの攻撃は大男に直撃した。しかし、大男は倒れない。次があると考えていなかったガオの動きが止まったところで、大男はガオの腕を左腕で掴んだ。
そして右腕を振りかぶり、大きくタメを作った後、ガオの足を踏み抜きながら右拳を彼女の腹に叩きこんだ。
足と腕を固定されたまま殴られ、ボクシングジムにある天井と地面に紐で繋がったパンチングボールみたいになったガオ。
血で滑ったため拘束から抜けてふわりと宙に浮き、着地するときには大男と5mの距離を築く。逆に言えばその運動量以外は全て彼女の体で受け止めたという事。
腹は目に見えて陥没し、右腕は肩、肘、手首まで脱臼。踏まれた右足の甲はどす黒く内出血している。
勝ちを確信していた状態から一転直下。その身へ受けたダメージに悦ぶ暇もなく、玉のような冷や汗を全身に浮かべるガオ。それでも武闘家しての本能か、スキルを発動させる。
彼女の白髪が金色に染まり、受けたダメージ分の衝撃をそのまま左拳に乗せて大男に放つ。ダメージのせいで踏み込みもなく、腰も入っていない手打ち。しかし大男の右こぶしの威力をそのまま返す衝撃波。
直撃とまでいかずともガードの上から食らえば今のダメージを食らった大男では耐えられなかっただろう。
大男は迫りくる竜の形をした衝撃波を前に、左腕を振りかぶった。ガオを殴った時よりもタメは短い。それでも左拳を放てば竜の衝撃波がシャボン玉のようにかき消された。
拳圧の余波でガオのツインテールを結んでいた髪留めが吹き飛んだ。踏ん張りの効かないガオはその場で尻もちをつく。
「……え?」
ガオの疑問。どうして左腕の威力が、右腕の威力と同じ衝撃波を上回ったのか。
単純にガオが大男の利き腕を勘違いしていただけだ。ガオが大男の拳を受けて悶絶するとき、大男はいつも右腕で殴っていた。その身で良く知っているあの威力は利き腕のはずだと言う勘違い。
ガオの思考がフリーズしていたのは数秒。その間に大男は足を引きずりながら地面に座り込むガオの目の前に移動していた。そのまま左腕を振りかぶる。
「……ま、待っ……!」
ガオは逃げようとするが、体が動かない。痛みは無視できてもダメージで体は限界に達していた。
しかし逃げなければ大男の左拳が顔面にめり込む。それは100mの崖から転落する事と同義、すなわち確実な死を彼女に意識させる。
「負我服了!!」
咄嗟にでた母国語。意味は「私の完全敗北です」。
拳の勢いこそ途中で止まらなかったものの、ガオの顔目掛けて放たれた拳はギリギリで軌道を変えて彼女の顔の横をかすめた。
油圧プレス機が顔のすぐ横でかぼちゃをぶっ潰す瞬間。その想像をすれば、今の彼女の心境の10分の1を味わえることだろう。
当然のごとくガオは腰が抜けて立てなかったし、失禁もした。