(ガオ視点)
私から強さを取ったら何が残るだろうか。感情的で周りに迷惑をかけるごくつぶし。
その事実は道場に放火して師匠に消えない傷を残した時から確定した。
あれから私は放火の件について問い詰められ、九林寺を放逐された。放火の時に負った怪我が治るまでは居て良いとは言われたが、無視してボロボロの体で私は寺を飛び出した。
師匠が目を覚まして、何か言われるのが怖かったからだ。寺を飛び出した時はどこかでのたれ死んでも良いと思っていた。
けど、いざ腹が減って倒れそうになれば木の根っこをかじってでも生き残ったし、獣や野党に襲われれば死に物狂いで戦った。当然だ、私にそんな潔さと勇気はない。
数か月、数年、流れに流れていつの間にか竜人の生活圏の外に出ていた。その頃にはすっかり野良生活も慣れたもので、たまに街に行っては狩った獣や倒した野党の物を売り払ったり、賞金を得たりしていた。
種族を跨いで使われる共用語も少しだが覚えた。発音は慣れてなくて、間延びした喋り方になっていたが。
ある時、狼の群れに襲われている馬車を助けた。中に乗っていたのは町の領主とその娘だったらしい。えらく感謝されて、お礼に娘の誕生日パーティーに参加してほしいとまで言われた。街に滞在している時に聞いた特権階級の煌びやかな一面を見れる。興味の湧いた私は2つ返事で申し出を受けた。
柄にもなくドレスを着せてもらって浮かれたままパーティに参加。食事は見慣れないものばかりで、何を食べても頬袋が溶けるぐらい美味しかった。会場には音楽が流れていて、中央の空間で男女のペアが踊りを踊っている。食事のついでに眺めていたら女性側のダンスを覚えたので、私もやってみたいと思った。
会場にいた背丈が同じぐらいの男の子を見つけて声をかける。
「お、踊りぃ、アタシとぉ、して欲しぃ」
拙い共通語だが意味は伝わったらしい。男の子は笑顔で頷いてくれた。彼が手を差し伸べてきて、その手を取ろうとした時、男の子の表情が凍り付いた。
しかしすぐに表情を取り繕って私の手を取ってくれたが、恐る恐るといった様子。なんとなく私と踊るのが嫌なのだろうと察して、その場を去った。
なぜ嫌がられたのか理由を考えたが、分からない。また男の子を探して声をかけた。やはり最初こそ好感触だったが、彼の手を取ろうとした瞬間に表情が嫌悪に代わる。
私の手、だろうか。周りの女の子を見渡せば、一様に拳ダコの1つもない柔らかそうな手だった。私のような硬い歪な手は好まれないのだろうか。
そう認識した瞬間、ひどく寂しくなった。お前はこの会場に居るべきではないのだ、と突き付けられたような疎外感に襲われる。それは道場を追われた時に似ていた。
昔を思い出しただけで心臓が氷点下に置かれたような苦しさがこみあげてくる。逃げるように会場を後に飛び出した先はバルコニーだった。
新鮮な空気を吸っても臓腑にこびりついた気持ち悪さは変わらないまま。膝を付いてその場にしゃがんでいると月明かりが遮られて目の前に誰か立っていることに気づく。
「大丈夫ですか?」
顔を上げると人間離れした体躯の人間がいた。彼は私の前に手を差し伸べている。その手は部位鍛錬をした人特有の歪んだ骨子をしている。それも達人レベルに。大きさこそ違うが師匠の手に良く似ていた。
「だ、だいじょぉぶぅ……」
その手を取って立ち上がろうとする。しかし私の手と彼の手が同時に視界へと収まった時、その比較に心が冷えた。
部位鍛錬を極めた手と、道場を離れてろくに稽古もしていない半人前の手。武闘家としてはあまりに綺麗で、社交界の場にはあまりに汚い中途半端な手。
「な、泣かないでください。何か嫌なことでもあったんですか?」
いつの間にか私は泣いていた。道場も去り、ここでも爪はじきにされたという思いが一気にこみあげてきた。私がいられる場所はどこにもない。
「わ、わたし、1人で……!! 何の価値もない竜人で……!!」
感情的になって竜人の言葉でボロボロと心情を吐露する。彼は私の言葉の意味を理解していないが、私の隣に座って背中をさすってくれた。
私が落ち着いたころに彼が話しかけてくる。
「私は武闘会で優勝した名誉としてこのパーティに参加を許されたんです。とはいえ、私みたいな無骨者はこのような華やかな場にはふさわしくなかったようで。踊りに誘われたことは一度もありませんでした。やはりこの手は禍々しいですかね」
「ち、ちがぁう……! この手ぇ、すごい手……」
師匠と同じ手を卑下されて感情的になった。彼の手を取り、両手で包んで否定する。
短命の人間が長命である竜人の師匠と同じ手を持つ。どれほどの鍛錬をこの手に課してきたのか想像すら出来なかった。
「ありがとうございます」
彼はふっと笑って私の手を握り返した。
「良ければ私と踊りませんか?」
彼はそう言って立ち上がる。私も立ち上がるが、そこには歴然とした身長差が立ちはだかった。
「流石にこの身長差だと踊るのは難しそうですね」
苦笑している彼の腹に、私はゆっくりと拳を突き出していく。彼もその意図を汲みとってくれたのか、同じくゆっくりとした動作で私の拳を受け止める。
そこからは実践の攻防をスローモーションで模擬する。実践では常に読みの速さを求められるが、深みを持たせるためにあえてゆっくり攻防を広げる稽古。
自分と相手の関節の可動域。防御と攻撃で生まれる隙。盤上遊戯のように一手一手の合理性を求められ、体よりも先に頭が悲鳴を上げると言われている見た目以上に難しい稽古。
その攻防の中で彼という人間を知っていく。素直で定石通りの動きを迷いなく行ってくる。
対して私はどうだろうか。軸がない、芯がない。その心情を投影したように動きがちぐはぐ。それでも定石外れの動きで相手の対応を乱し、一連の攻防を投了まで持ち込んだ。
私の蹴りが彼の側頭部に当たる寸前、彼の手が加速して私の足を掴む。
「参りました」
想像以上に疲れたアタシは大きく息を吐いてバルコニーの柵に背中を預ける。
運動で火照った体と外の涼しい風。久しぶりの稽古の後で達成感に包まれていたのも束の間、どうしようもない孤独感が立ち込めてきた。
これから一体どうしようか。行く当ても、帰る当てもない。このまま一人で死なないだけの日々を送るのか。
僅かにかいた汗が蒸発して。冷えて凍り付きそうで。強く体を抱きしめて震えた。そうしていると彼が上着を私の肩にかけてくれる。
「寒いですか? 良ければ使ってください」
どうしようない私はその優しさを忘れられなくて。パーティが終わった後、彼の後を追って。彼の家の近くの廃教会で寝泊まりして。彼に付きまとって。
気づけば一緒に遺跡探索をする間柄になっていた。
♢
荒野での決闘で負けたあの後。私は腰が抜けたまま小水で濡らした服を脱がされ、代わりにシスイの服を着て運ばれている。
シスイは下着姿だ。今私たちがいるのは荒野ではない、もう街の中に入っている。シスイは周りの人間の注目を集めていた。
アカシの背中から胸を張って前を歩くシスイを見るが、その耳は真っ赤。しかし口元はだらしなく緩んでいた。
「あ、あの、シスイさん大丈夫ですか……? 顔が真っ赤ですよ……? やっぱり私が代わりにガオさんに服を貸しますので……」
フワワはすんなりと自分の服に手をかけて脱ごうとする。しかし、その手をシスイが止めた。
「ストップ! い、いけませんわ淑女がこんな場所でストリップだなんて!」
「し、シスイさんは良いんですか……?」
「これはガオさんの裸を公衆の面前に出さないため仕方なく! し、仕方なくですのよ!」
「なら私が脱ぐ方が……。服は風紀的に着ているだけで、元々獣人なんて裸の種族ですから……」
「いや、その、確かに、それは、そうかもしれませんが……」
さっきまでの堂々さはどこに行ったのかもにょもにょと押し黙るシスイ。そして小さい声で言う。
「露出するのは恥ずかしいけど……嫌いじゃない、なんて……」
シスイの今の顔に人間が頬を染められる赤色の限界を見た。
「それで脱いだんですね……。でしたらお譲りいたします……」
フワワはあっけらかんと言って服を脱ごうとしていた手を止めた。シスイは目を伏せてゆっくりとフワワの方に近づき、彼女の体を抱きしめる。
「ど、どうしましたか……?」
「ありがとうございます」
「え、えぇ……?」
フワワは急に抱きしめられて戸惑っていたが、少ししてシスイの背中に手を回して抱き合う。
「何の騒ぎだ!」
しかし運悪く憲兵が通りがかったようで二人の前に近寄ってくる。
「あ」
何の因果かその憲兵はシスイが3人組ともめた時にシスイを捕まえた憲兵だった。
「またお前か……。2度目は石畳1週間コースだぞ」
「いや、これは……その……!」
「え、えっとぉ……!」
「待ってください」
慌てる二人に代わり、私を背負ったアカシが割って入って事情を説明する。
「シスイさんが裸なのは服を貸したからです。私の背中のガオさんが、色々あって服がダメになってしまったので」
憲兵が私の方を見る。それから私の肘でズタズタにされたアカシの服を見る。
「まぁ、そういうことなら……。男のお前の服も使い物にならないみたいだしな。ならさっさと行け! 公衆の面前に下着姿を晒すな! 風紀が乱れる!」
憲兵の声に押されるように3人はその場から離れようとする。
「……待て!」
憲兵に後ろから呼び止められ、肩をすくめるシスイ。しかし憲兵はそれ以上声を荒げず、自分が着ていた外套をシスイの方に放る。
「後で返せよ」
憲兵はそれだけ言って巡回に戻る。
「あ、ありがとう……ございます……」
シスイは何とも言えない表情で憲兵の背中にお礼を言い、肩を落としながら借りた外套に身を包んでいた。
私はその最中、何もしていなかった。
あぁ。アタシが居なくても。4人じゃなくて3人でも何も問題ないんだ。
そう思った瞬間、ここまでの帰り道でも抱えていた感情が言葉を伴って頭の中を駆け巡る。
シスイみたいに博識で治療の魔法が使えるわけでもない。フワワのように魔法が使えるわけでもない。アカシのように優しくて人を引き付ける魅力があるわけでもない。
強さだ。アタシには強さしかない。強さしかなかった。今は何もない。
アタシはあの集まりの中に、……いらない?
「いらない……いらない 、いらない 、いらない ……」
そうだ。私みたいな癇癪持ちで。中途半端で。考えなしで。大切な人を傷つけるようなクズで。そのくせ弱い。
どう考えてもいらない。いらないんだ。
「……さん。ガオさん?」
肩を強く揺さぶられて意識が思考の沼から現実に浮上する。私は石畳の上に立っていた。
辺りを見れば、ここは私が住居にしている廃教会。いつの間にかここまで運ばれたようだ。
「ガオさん、大丈夫ですか?」
「……大丈夫」
心配してくれる彼の目を直視できなくて、俯きながら簡潔に返事をする。
「本当に大丈夫ですの? 道すがらずっと何かしら呟いておられましたし、顔色も悪いようですし……」
「そ、その……漏らしたことならあまり気にしなくても良いと思いますよ……。誰にでもはずみはありますし……」
シスイの声もフワワの声も、遠く聞こえる。
「本当に、大丈夫……」
そう言えばそれ以上追及はされなかった。3人との距離がさらに広がった気がする。
「ともかく今日の所はゆっくり休まれた方が良いと思いますわ」
シスイに背中を押されて一緒に廃教会の中に入る。外観こそツタやコケで人の手が入っていないように見えるが、内装はそれなり綺麗にしている。長椅子の端に腰かけて、漠然と自分にまとわりついている無力感に打ちひしがれる。
「……その、急かすようで申し訳ないのですが、服を返していただけないでしょうか」
「えっ……? あ、あぁ……!」
言われてから服を借りていた事実を思い出す。私は弾かれたように椅子から立ち上がって、自分の服を収納している木箱の方に向かう。その途中、サイズの大きすぎる服の裾を踏んで転んだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
シスイがアタシの方に駆け寄ってきた。自分より大きな体格が、血相を変えて迫ってくる。不意に孤児院時代の無力な時を思い出した。
「ご、ごご、ごめん、なさい……! 服、踏んで、汚して……!」
「そんな事どうでも良いですわ。怪我、はないみたいですわね。……ガオさんにとってはあった方が良かったのかもしれませんが」
苦笑するシスイを見て動悸が収まってくる。裾を持ち上げて踏まないように木箱の前に移動する。シスイの服を脱いで代わりの服に着替えた後、彼女の服をそっと抱いて返しに戻る。
そして彼女に服を手渡そうとして、不意に呼吸が浅くなる。
この服を渡したら、皆との最後の繋がりが切れてしまう気がして。
「ガオ様?」
渡さなければいけない。けど、私は反対に服を強く抱きしめていた。
いつもこうだ。私というのは感情的で、人に迷惑をかける。
シスイの呼びかけに答えられなくて。何か言わなきゃ、でも思いつかなくて。
強く目をつぶると瞳に溜まっていた涙が頬を伝って落ちる。
「……服は差し上げます。しばらく時間を置いた方がよろしいかと。時間が解決することは多いですから」
シスイは私の頭を優しく撫でてから後ずさりする。歩いて行くが、何度かこっちを振り返りながら。ついには外に出て行ってしまった。
後を追いかける勇気はなかった。自分への無力感が妄想を呼ぶ。
3人が外で私の悪口を言っているのでは?
感情的で物事を悪い方向に持っていく考えなし。
自分勝手な我儘でパーティの仲間を半裸で帰らせる自己中。
そのくせパーティの中で一番強いわけでもない。
……何もない。
長椅子に寝転ぶ。角のせいで首のすわりが悪い。シスイの服を強く抱きしめて、必死に耐える。
この服はまるで遺品だ。シスイは死んでいない。けど、彼女の中でアタシはきっと死んでいる。もう会ってくれない。フワワも、アカシも。
どのくらいそうしていただろうか。不意に声をかけられた。
「大丈夫かい?」
声のする方を向く。定期的にこのオンボロ教会へ来ては祈りを捧げるおばあちゃん。名前は知らない。
「何かあったのかい? 泣いているじゃないかい」
「……大切な人と、もう会えなくなった」
「そうなのかい。その服はどうしたんだい?」
「その人の、服」
「そうなのかい」
おばあちゃんは私の隣に座って教壇の方に向かって祈る。
「……全部忘れたい。何もかも忘れたい」
「そうなのかい。じゃあ、お酒を飲んでみたらどうだい? おばあちゃんはねぇ、嫌なことがあるといっつもお酒を飲んでは現実逃避していたものだよ」
「……お酒」
おばあちゃんはしばらく祈った後、長椅子から立ち上がる。
「いつも綺麗にしてくれてありがとうねぇ。おばあちゃん、足が悪いからあんまり遠くまでいけなくてねぇ」
お礼を言われたが、胸が苦しい。私はそんなんじゃない。そんな出来た人ではない。
おばあちゃんが帰った後、私はお金をもってフラフラと外に出た。
♢
酒を初めて飲んだ。辛くて喉がかーっとなる。酷く不味い。
けど不味いのが良い。不能な私にふさわしい罰だ。
「……あぇ?」
ジョッキに向けていた目線を顔ごと上げる。その瞬間視界がぐらりと揺れた。ごつり、テーブルに角がぶつかる。
体の自由が思うように効かない。一方で精神的な変化を感じていた。さっきまでこんこんと湧いていた負の感情が抜けていく。
心のバケツに穴が開いたようだった。けど、抜けたそばから負の感情は湧いて。一定以上溜まらないのだけが救いだった。
横向きにテーブルへ伏せていると、ジワリと涙があふれてきた。
もっと飲まなきゃ。もっと飲んで忘れなきゃ。
皆のことも、師匠のことも、昔のことも。全部忘れれば、きっと1からやり直せる。