察しが良すぎる八幡   作:tomozow

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修学旅行編です。


後編

静まり返った夕暮れの部室。

八幡はいつものパイプ椅子に腰掛け、温かいお茶を口に含みながらぽつりと呟いた。

「……まあ、色々あったが。これで海老名も、多少は戸部を意識するようになったんじゃないか?」

「……『多少』どころの話ではないと思うけれど?」

雪乃は呆れたように大きなため息をつき、手元の書類をトントンと整えた。だが、その白い頬はまだかすかに朱を帯びている。

「あんな衆人環視の中で……あなたたちのあの一連のパフォーマンスは、間違いなくやり過ぎよ。クラス中がパニックになっていたわ」

「うんうん……ゆきのんの言う通りだよ……」

隣で小さくなっていた結衣も、何度も大きく頷いた。両手で自分の頬を包み込んでいるが、その顔は耳まで真っ赤だ。

「あたしなんて……未だに胸がドキドキして、心臓が持ちそうにないんだからね……っ」

「そうか」

二人の反応を静かに見つめていた八幡は、短くそう答えると、ゆっくりと立ち上がった。

洗練された無駄のない足取りで、雪乃の座るデスクの前へと歩み寄る。

「ひ、比企谷くん……?」

突然近づいてきた八幡に、雪乃が思わず肩を跳ねさせる。

八幡は返事をする代わりに、雪乃の横の壁――いや、逃げ道を塞ぐようにデスクの端へ、トンと静かに手をついた。

「っ……!?」

息が詰まるような至近距離。いわゆる、壁ドンの体制。

逃げ場を失い、蒼い瞳を大きく見開いて固まる雪乃。

さらに八幡は、長くて綺麗な指先で、雪乃の華奢な顎をすっと優しく持ち上げた。

言葉通りの、顎クイ。

八幡のアンニュイで大人びた瞳が、雪乃の瞳を正面から射抜く。あまりの破壊力に、雪乃の思考回路は一瞬で全焼き切れを起こした。

「な……ななな、何を――っ///!?」

「あいつらへのフリはやり過ぎだったかもしれないが……俺たちの関係なら、これくらい普通だろ?」

八幡が意地悪く、けれど甘く低く耳元で囁く。

雪乃の顔は、一瞬にして茹でダコのように真っ赤に染まった。

「〜〜〜〜っ///!?」と声にならない悲鳴をあげ、胸元をぎゅっと掴んだまま、あまりの胸キュンに膝の力が抜けそうになり、がくがくと震えてしまう。

その光景を横で見ていた結衣の目が、一瞬でハートマークへと変わった。

「ず、ずるい!! ゆきのんだけズルいよヒッキー!! 私にも! 私にもやって!!」

「おう、もちろんだ」

八幡は雪乃から手を離すと、今度は期待で目をうるうるさせている結衣へと向き直った。

すっと手を引き寄せ、結衣を背後の壁へと追い詰めると、迷いなく力強く――壁ドン。

そして、赤くなった結衣の顔を覗き込み、優しく顎をすくい上げた。

「……由比ヶ浜。お前も、準備できてるか?」

「っぁ……///!!」

間近で見るイケメン化八幡の美貌と、男らしい香りと包容力。

直撃を受けた結衣は、「ふあぁ……っ///」と可憐な悲鳴を漏らし、その場に崩れ落ちそうになるのを必死で八幡の服の裾にしがみついて耐えた。

真っ赤な顔で、腰が砕けそうになりながらお互いによりかかり合う雪乃と結衣。

「……あなたね、本当に……自分がどれだけの威力を振りまいているのか、自覚しなさい……っ///」

「ほ、本当だよヒッキー……あたしたち、修学旅行の前に心臓が止まっちゃうよぉ……///」

二人のあまりにも純粋で可愛すぎる反応に、八幡も急に恥ずかしさがこみ上げてきたのか、照れくさそうに頭を掻きながら視線を逸らしたのだった。

「……まあ、修学旅行本番でも、お前らのことは俺がちゃんとエスコートしてやるから。……覚悟しとけよ」

さらに追い打ちをかける八幡のイケメン発言に、二人のヒロインは再び「〜〜〜〜っ///!」と悶絶するのだった。

 

風が吹き抜ける、放課後の屋上。

フェンスに背をもたせかけながら、八幡、葉山、戸部の三人が並んで空を見上げていた。

「……で、どうだ。少しは可能性が上がったと思うが?」

缶コーヒーを一口啜り、八幡が隣の二人へ視線をやる。クラスを巻き込んだあの大狂乱劇の余波を思い出して言った八幡に、葉山が苦笑いを浮かべながら即座にツッコミを入れた。

「……『少し』じゃないな、比企谷。クラス中の女子の目の色が変わっていたよ。僕もまさか、君の脚に引っかかって戸部を引き寄せる羽目になるとは思わなかったけれど」

「へへ……でもさ、隼人くん」

戸部は自分の首元を触りながら、顔を少し赤くして照れくさそうに笑った。

「なんか……こう、男同士で距離近いのも、意外とドキドキするっていうかさ。海老名さんがいつも『尊い』とか言って興奮してる気持ち、今ならちょっと分からんでもないわー」

「お前、そっちの扉開きかけてんじゃねぇよ……」

八幡が思わず呆れた目を向けるが、戸部のBL許容度が劇的に上がったのは間違いない。海老名のストライクゾーンへ一歩どころか大ジャンプで踏み込んでいる。

「まあ、土台(腐女子フィルター)はこれで完璧だ。……あとは、お前自身が『ちょいオシャレ』とか『男らしいところ』を見せないとな。ギャップで落とすぞ」

そう言って、八幡は葉山の方を顎でしゃくった。

「葉山、オシャレ関連はお前が手伝えよ。モデル並みのノウハウあんだろ」

すると、いつも完璧な葉山が珍しく困ったように眉を下げ、頭を掻いた。

「いや……服のコーディネートやブランドなら分かるけれど、女の子受けする『男らしさの演出』とか、そういう細かい加減は……実は僕、そのへんは疎いんだ」

「マジかよ隼人くん!? 完璧超人なのに!?」

戸部が驚愕の声をあげる中、葉山は八幡の方をじっと見つめ、静かに、けれど深く頷いた。

「ああ。だからこそ、君が昨日言っていたような『見せ方』や『引き出し方』は、比企谷にアドバイスをもらった方がいい」

「俺に振るなよ……」

八幡は深々とため息をつき、空を見上げた。

「……まあ、ぶっちゃけ言うとさ。今もうクラスの雰囲気的にも、海老名の中の戸部の評価的にも、かなりいい感じなんだから修学旅行で無理に告白しなくてもいいと思うけどな。焦って玉砕するより、じっくり距離縮めりゃいいだろ」

八幡なりの、戸部を気遣った冷静なアドバイス。

だが、その言葉には「お前が覚悟を決めるなら、俺は最後まで付き合うけどな」という不器用な優しさが滲み出ていた。

「ヒキタニくん……っ!」

戸部は胸を熱くさせ、力強く拳を握りしめた。

「サンキュ、二人とも! 俺、修学旅行で絶対カッコいいトコ見せてやるからさ!」

夕陽に照らされた屋上で、不器用ながらも確実に友情を深める男三人。

最高の(そして少しカオスな)お膳立てが整い、一行はいよいよ決戦の地・京都へと向かうのだった。

 

京都・清水寺の混雑する境内。

石畳の階段や入り組んだ参道は修学旅行生と観光客で溢れかえり、気を抜けばすぐに仲間とはぐれてしまいそうな人波ができていた。

「あっ、ちょっと……!」

人混みに押され、足元を取られそうになった海老名姫菜。

いつもなら「あはは、海老名ちゃん大丈夫ー!?」と空気の読めない大声で笑って終わりそうな場面――だが、今日の戸部は違っていた。

「っと……危ねえぞ、海老名」

すっと自然な動作で割り込み、海老名の腕を引くでもなく、背後にさっと回って人波から庇うように壁を作った戸部。

その手つきも立ち振る舞いも、昨日の八幡と葉山からのレクチャーがしっかりと身体に染み込んでいる証拠だった。

いつものチャラついた大声や大袈裟なジェスチャーは一切ない。

ただ静かに、けれど確実に海老名の歩幅に合わせて寄り添い、段差があれば「足元、気をつけてな」と落ち着いた低い声で短く声をかける。

「あ……うん、ありがとう、戸部くん……」

海老名は驚きに目を丸くし、少し顔を赤くしながら小さく頷いた。

眼鏡の奥の瞳が、いつもと違う戸部の背中や横顔をどこか落ち着かない様子で追いかけている。

◇

そんな二人の様子を、少し離れた場所から見守っていたグループの面々。

「……ハァ? なにあれ」

腕を組みながらその光景を見ていた三浦由美子が、呆れたような、でもどこか感心したようなため息をついた。

「戸部のくせに……なんか急に気遣いとかできちゃってんじゃないわよ。……まぁ、いつものうるさいだけよりは、だいぶマシだけどさ」

あの女王・由美子に「見直した」と言わしめた戸部の成長。

その隣で、八幡の両脇をしっかりとキープしていた結衣と雪乃も、顔を見合わせて嬉しそうに微笑み合っていた。

「ねえ、ゆきのん……! 戸部っち、すっごく頑張ってるよね! 海老名ちゃんもなんだか意識してる感じだし……」

「ええ。以前の彼なら考えられないほど落ち着いた立ち振る舞いだわ。……これで『可能性はゼロ』ではなくなったわね、由比ヶ浜さん」

「うん! ゼロどころか、すっごく良い雰囲気だよ〜!」

二人の楽しげな会話を聞きながら、八幡は文庫本をポケットに仕舞い、隣に立つ葉山と静かに視線を交わした。

「……あいつ、アドバイス通りにチャラさを抑えて『素の気遣い』に集中してやがるな。案外、本番に強いタイプかよ」

八幡がぽつりと呟くと、葉山もどこかすっきりとした爽やかな笑みを浮かべた。

「フッ……そうだね。戸部は根が真っ直ぐだからさ。覚悟を決めた時の彼は、僕から見ても少し格好いいよ」

「……ま、あとはあいつが自分の言葉で伝えるだけだな」

京都の紅葉が綺麗に色づく境内の中、戸部の誠実なアプローチと、それを温かく見守る仲間たちの絆。

はたして、この後に控える「夕暮れの告白本番」で、戸部の想いは海老名に届くのか――奉仕部と仲間たちの修学旅行は、いよいよクライマックスへと向かっていくのだった。

 

夕暮れ時の京都。高台から見下ろす街並みは、茜色から静かな群青色へと染まりはじめ、ぽつぽつと灯り始めた街の明かりが美しい夜景を作り出していた。

秋の冷たい風が頬を撫でる展望デッキの片隅。

戸部は隣に立つ海老名を見ようともせず、ただ遠くの街並みをじっと見つめながら、静かにぽつりと呟いた。

「……綺麗だな」

八幡と葉山から「落ち着け」「余計なことを喋るな」と叩き込まれた結果、出たのは本当にただの素直な独り言だった。景色の美しさに素直に感動しただけの言葉。

――だが。

「……っ///!?」

その言葉を聞いた瞬間、海老名の顔が一気に湯気が立ちそうなほど真っ赤に染まった。

すっかり戸部を『魅力的な一人の男性』として意識し始めていた海老名の脳内では、その言葉が完全に『君は綺麗だね』という不意打ちのストレートな褒め言葉として変換されてしまったのだ。

(え……っ!? 今、私のこと……!? うそ、戸部くんってそんなことサラッと言えちゃう人だったの……っ!?)

パニックになり、顔を覆いそうになる海老名。

そんな海老名の混乱など知る由もない戸部は、かじかむ手をポケットから出すと、自販機で買ってきた温かい缶コーヒーを「ほい」と優しく差し出した。

「寒いだろ。これ、飲みなよ」

「あ……う、うん……! ありがとう、戸部くん……っ」

震える手で缶コーヒーを受け取る海老名。照れくさそうに耳を赤くして遠くを見つめる戸部と、顔を真っ赤にして缶コーヒーを両手で包み込む海老名。

そこには、まるで映画の一シーンのような、甘く甘く甘酸っぱい空間が完成していた。

◇

そんな二人を、かなり離れた木陰からそっと見守っていた四人。

「……はからずも、良い雰囲気になったな。……つーか、もう告白したみたいなもんじゃないか、あれ」

八幡が呆れたように、けれどどこかすっきりした顔で呟いた。

まさか「景色の綺麗さ」と「温かい缶コーヒー」というシンプルな要素だけで、あの海老名をあそこまで陥落させるとは思ってもみなかったのだ。

「フッ……あいつ、豪運だな」

隣で腕を組んでいた葉山が、心底感心したように爽やかな苦笑いを漏らした。

「計算してやったなら大したものだけれど、絶対狙ってないよ、戸部は。でも、だからこそ海老名さんに届いたんだろうね」

「うんうん……! 作為的じゃなくて、すっごく自然で良かったよね!」

結衣も目を輝かせながら、八幡の袖をぎゅっと掴んで嬉しそうに頷いた。

「戸部っちの素の優しさが出てるよ〜! ゆきのん、これもう大成功だよね!?」

「ええ。変に飾った台詞よりも、ずっと誠実さが伝わっているわ」

雪乃も安息の吐息をつきながら、隣に立つ八幡にそっと寄り添った。

「比企谷くんと葉山くんのアドバイスも的確だったけれど……一番は、彼の海老名さんを想う気持ちね。……素晴らしいものを見せてもらったわ」

「ま、あとはあのバカが調子に乗って台無しにしないことを祈るだけだな」

八幡が肩をすくめると、葉山、結衣、雪乃の三人は顔を見合わせ、温かい笑い声をあげるのだった。

夕闇が深まる京都の街で、不器用な男の恋は、最高の形で実を結ぼうとしていた。

 

 

茜色の夕闇が京都の街を静かに包み込んでいく中、温かい缶コーヒーを握りしめた二人の間に、密やかな静寂が訪れていた。

戸部は深呼吸を一つすると、意を決したように海老名の方へと向き直った。

「……海老名さん」

低く落ち着いた声で名前を呼ばれ、海老名は心臓がドクンと跳ね上がるのを感じた。缶コーヒーを持つ手にぎゅっと力が入り、顔が一気に熱くなる。

「っ……な、なに……? 戸部くん……」

八幡と葉山から叩き込まれた「焦るな」「追い詰めるな」という教えを胸に、戸部は真っ直ぐに海老名の瞳を見つめた。

「俺……海老名さんのことが、好きだ」

飾らない、けれど誤魔化しようのないストレートな言葉。

海老名は息を呑み、言葉を失った。現状の関係を守りたい自分と、目の前の誠実で魅力的な戸部の姿。相反する感情が胸の中で渦巻き、どう答えればいいのか分からず立ち尽くしてしまう。

そんな海老名の惑いと迷いを察した戸部は、ふっと柔らかく微笑むと、言葉を重ねた。

「……今、返事はしなくていい」

「え……?」

「今はただ、俺の気持ちを伝えたかっただけなんだ。だから……もし卒業までに、俺のことを少しでも想ってくれたら、その時に答えてくれ」

相手の居場所を奪わず、変化への恐怖に配慮した「追い込まない告白」。

海老名は眼鏡の奥の瞳を大きく見開き、胸が締め付けられるような温かさに包まれた。追いつめられることもなく、壊されることもなく、ただ優しく気持ちを受け止められたのだ。

海老名は溢れそうになる感情を抑えながら、静かに、けれどしっかりと頷いた。

「……うん。……ありがとう、戸部くん」

◇

少し離れた木陰でその一部始終を見届けた一同。

八幡はポケットに手を突っ込んだまま、静かに息を吐き出した。

「……まあ、成功じゃね?」

「……ああ。大成功だよ」

葉山も心底安心したように深く頷き、隣で笑みを浮かべた。誰も傷つかず、誰も追い詰められず、けれど確実に未来へ繋がる最高の結末だった。

「ふふ……本当に、良いものを見せてもらったわね」

雪乃が優しく目を細めながら八幡の腕にそっと自分の手を回すと、反対側にいた結衣も嬉しそうに八幡の肩に頭を預けた。

「うんっ……! 戸部っちも姫菜も、すごく格好よかったよ……!」

そして、たまたま少し離れた場所からその光景を目撃してしまっていた三浦由美子も――真っ赤になった自分の顔を手で覆いながら、胸の激しい高鳴りを誤魔化すように呟くのだった。

「……なによあいつら……生意気なくせに……ちょっと胸キュンしちゃったじゃない……///」

京都の静かな夕暮れの中、彼らの修学旅行はこれ以上ないほど温かく爽やかな余韻を残して、夜へと移ろっていくのだった。

 

「……みんな、マジでありがとう」

戻ってきた戸部は、頭を深く下げて頭を下げた。

どこか気まずそうに、けれど少し誇らしそうに自分の頭を掻きながら呟く。

「返事は保留だから……まあ、失敗はしてないよな? ……まあ、成功もしてないんだけどさ」

まだどこか自信なさげに笑う戸部に対し、八幡が最初に呆れたような、でも温かい声で言い放った。

「バカ言え。……成功だよ」

「え……?」

「あの海老名が逃げずに、お前の気持ちを正面から受け止めたんだぞ。大成功以外の何物でもねえよ」

「そうだよ、戸部」

葉山も爽やかな笑みを浮かべ、戸部の肩をポンと強く叩いた。

「君は自分の気持ちから逃げず、海老名さんのことも一番に気遣えた。誇っていいと思うよ」

「ええ。相手の立場を尊重した、とても立派な告白だったわ」

雪乃が優しく頷くと、結衣もパッと笑顔を輝かせて両手を叩いた。

「うんうん! 戸部っち、すっごくカッコよかったよ! 大成功だよー!」

奉仕部と葉山からの言葉に、少し離れた場所で腕を組んでいた由美子も、フンと鼻を鳴らしながら小さく頷いた。

「……まあ、今日の戸部はちょっとだけ見直してあげてもいいかな」

「みんな……っ!」

仲間たちからの温かい言葉と祝福に、戸部の目がじんわりと潤んでいく。

八幡のアドバイスを受け、チャラさを捨てて正面から向き合った経験は、戸部を以前よりも一回りも二回りも大きな男へと成長させていた。

「俺……マジで奉仕部に相談して良かったよ! ヒキタニくん、雪ノ下さん、結衣。本当にありがとうっ……!」

感極まって何度も頭を下げる戸部と、それを頼もしく、そしてどこか誇らしげに見守る一同。

京都の夜空の下、誰も傷つくことなく、全員が前を向いて歩み出した最高の瞬間だった。

 

告白の熱気が心地よく冷めていく京都の街角で、八幡はふっとお腹をさすりながら呟いた。

「よし……俺はこれから、天下一品の総本店に行ってくる」

「「「てんかいっぴん……?」」」

思わぬ行き先に、きょとんとする一同。八幡はどこか誇らしげに語り始めた。

「京都は天下一品の発祥の地だからな。その頂点に君臨する総本店が近くにあるんだよ。修学旅行に来てあのこってりスープを味わわずに帰るなんて、京都に来て八ツ橋食わないようなもんだ」

「マジで!? ヒキタニくん、それめちゃくちゃ行きたいんだけど!」

「僕も付き合うよ、比企谷。今日の御礼に、僕に奢らせてくれないか?」

戸部が食いつき、葉山も財布を取り出しながら爽やかに微笑んだ。

「ちょっと待ちなさい、男たちだけでズルいわ! あたしも行くー!」

「由比ヶ浜さん、夜間に勝手な単独行動は……と言いたいところだけれど、比企谷くんが行くのなら私も同行するわ」

「ハァ? なによあたしを置いていく気? 由比ヶ浜が行くならあたしも行くし」

結衣、雪乃、そして由美子まで参加を表明し、なぜか奉仕部+葉山グループの総勢6名でラーメン屋を目指す流れになってしまった。

◇

「――こら、お前たち。夜間にコソコソとどこへ行く気だ?」

宿の玄関を出ようとしたその時、背後から低く重厚な声が響いた。

ジャージ姿に白衣を羽織り、ポケットに手を突っ込んだ指導担当・平塚静が立っていた。

「ひ、平塚先生……っ!?」

気まずそうに固まる一同。八幡が代表して前へ出た。

「……先生。別に悪い遊びに行くわけじゃありません。ただ、天下一品の総本店に……」

「ダメだ」

平塚先生は腕を組み、厳しく言い放った。

「修学旅行中の夜間外出は厳禁だ。高校生が勝手に歩き回ってトラブルに巻き込まれたらどうする」

一同が「やっぱりダメか……」と肩を落とした、その瞬間。

平塚先生はニヤリと悪戯っぽく口角を上げた。

「――だが、『教師同伴の校外学習』なら話は別だ。京都に来て総本店のこってりを食わずに帰るなど、男の……いや、高校生活の恥だからな。いくぞ、私の車に乗れ!」

「「「先生ーーーーっっっ!!!(神)」」」

◇

こうして平塚先生の引率のもと、全員で訪れた「天下一品 総本店」。

運ばれてきたドロリと濃厚なスープのラーメンを前に、最初は半信半疑だった女子たちも――一口啜った瞬間に瞳を輝かせた。

「なにこれ……! めっちゃ濃厚だけど、すごく美味しい……っ!」

「ええ……最初は驚いたけれど、この癖になる味わいは……悪くないわね」

雪乃と結衣が嬉しそうにラーメンを頬張り、その隣で八幡がドヤ顔でスープを飲む。由美子も「……べ、別にフツーだし」と言いながらスープを飲み干し、戸部と葉山は平塚先生と並んで豪快に麺をすすっていた。

「なぁ比企谷、やっぱりお前は良い店を知っているな!」

「ふっ、先生……屋台時代からの歴史を感じる一杯ですね」

「だろ? こってりは正義なんだよ」

男同士、そして教え子と教師。

こってりスープの温もりと、今日一日で深まった確かな絆。

「うむ! やっぱり天一は最高だな! お前たち、おかわりはどうだ!?」

豪快に笑う平塚先生を中心に、奉仕部も、葉山たちも、全員が笑顔でどんぶりを囲む。

修学旅行の夜、京都の街で――『天下一品』の新たなファンが爆発的に増えた、忘れられない最高の一夜となったのだった。

 

京都での激動の数日間を終え、東京へと向かって走る帰りの新幹線。

車内には修学旅行の終わりを惜しむ独特の静けさと、旅をやり遂げた心地よい疲労感が漂っていた。

ボックス席に腰を下ろしている八幡たちの元へ、ドタドタと足音を響かせて現れたのは、ご存知・材木座義輝であった。

「……なぜ誘わないのだ八幡っ! 京都の地に降り立ちながら、余を置いて天下一品総本店へ向かうとは何事かーっ! 余もこってりスープの深淵に挑みたかったぞぬーっ!」

腕を組み、マント代わりの上着を翻しながら大袈裟に嘆く材木座。そんな彼に対し、八幡は文庫本から目を離さずに淡々と答えた。

「いや……まあ、奉仕部とうちのクラスの問題だったからな。お前を呼ぶ流れじゃなかったんだよ」

「そうだね、材木座くん。今回はクラスの班行動の延長みたいなものだったし……それに、君が急に来てもあの場のノリについていけなかったと思うよ?」

隣に座る葉山が、爽やかすぎる笑顔でとどめの正論を放つ。

「ぐっ……!? 帰す言葉がない……っ! 相変わらず容赦のない光影の二重奏(ペア)め……!」

ぐぬぬと悶絶しながら自分の席へと退散していく材木座の背中を見送りながら、八幡はふっと息を吐き出し、窓の外を流れる景色に目をやった。

「……まあ、なんだかんだで、なかなか面白い修学旅行だったな」

八幡がぽつりと呟いたその言葉に、誰も否定する者は meいなかった。

隣で八幡の腕にそっと自分の手を添えている雪乃も、反対側で八幡の肩に小さく頭を預けている結衣も、穏やかな笑みを浮かべて頷いている。

あんなに不器用で、傷つくことを恐れていた自分たちが、今やこうして自然に寄り添い合い、お互いの気持ちを確かめ合えている。

ふと斜め前の席に目をやると、そこには戸部と海老名の姿があった。

「ねえ海老名さん、京都の限定ストラップ買えた?」

「うん! 戸部くんが人混み掻き分けてくれたおかげだよ、ありがとうね」

「へへっ、そんなの全然余裕だって!」

以前のような無意味なチャラさは消え、照れくささを含んだ誠実な気遣いを見せる戸部と、そんな彼をどこか愛おしそうに、そして一人の男性として意識しながら微笑む海老名。

(……友達以上、恋人未満ってところだな)

八幡と葉山は静かに視線を交わし、互いに小さく口角を上げた。

劇的な奇跡ではないかもしれない。けれど、誰も傷つくことなく、誰も嘘をつくことなく、ゆっくりと前へ進んでいく関係。

「……良い修学旅行になったね、比企谷」

「……まあな」

ガタゴトと揺れる新幹線の中、夕暮れの光が差し込む車内に、温かく優しい時間がどこまでも続いていた。

 

 

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