第1話「新学期といつもの日常」
午前7時40分ーー山梨県身延町・本栖高校
春の柔らかな日差しが差し込む朝。
常葉地区の丘に建つ本栖高校では新年度が始まったばかりということもあり、生徒たちの賑やかな声が響いていた。
そんな学校の駐輪場に、一台のバイクが入ってくる。
トトトトトト……
2000年式ヤマハ・YB-1 Four。
乗っているのはもちろんサトルだ。
「よっと……」
いつもの場所にバイクを停めエンジンを切る。
ヘルメットを脱いだサトルは軽く髪を整えた。
「ふぅ……今日はちょっと寒いな」
4月とはいえ山梨の朝はまだ冷え込む。
サトルはブレザーの襟元を直しながらふと隣の駐車スペースへ目を向けた。
「……あれ?」
いつもなら停まっているはずのビーノがない。
「珍しいな。リン、まだ来てないのか」
普段はサトルより少し早く登校している幼馴染。
今日はどうやら自分の方が先に到着したらしい。
「まあ、そんな日もあるか」
そう呟いて歩き出そうとしたその時ーー
ブロロロロ……
背後から聞き慣れた軽快なエンジン音が響いてきた。
「あっ」
振り返るとそこには見慣れた一台のスクーター。
ヤマハ・ビーノが駐輪場へ入ってきた。
そして、サトルのYBの隣へ停車する。
「おはよう、リン」
「ん。おはよ、サトル」
ヘルメットを脱いだリンが小さく挨拶を返す。
「今日は珍しく遅かったね」
「……ちょっと寝坊した」
「へぇ、リンが寝坊とは珍しい」
「昨日本読んでたら遅くなった」
「ははっ、なるほどね」
サトルは笑いながら頷いた。
「それ、俺もよくやるわ」
「……知ってる」
「え?」
「中学の時寝不足で授業中に寝てたことあったでしょ?」
「あ〜……あったなぁそんなこと」
「先生に当てられて、答えられなかった」
「ちょっと待って。それ何年前の話?」
「さあ?」
澄ました顔で答えるリン。
サトルは苦笑いを浮かべた。
「リンって、そういうことは本当によく覚えてるよなぁ」
「……サトルが忘れすぎなだけ」
「手厳しいねぇ」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
幼い頃から一緒に過ごしてきた二人。
特別な用事がなくても自然と会話が続く。
そんな関係がもう十年以上も続いている。
「さて、教室行こうか。」
「ん。」
「おはよう2人とも〜。」
二人が校舎へ向かおうとした所ですっきりとしたショートヘアの少女…"斎藤恵那"が声をかけてきた。
彼女は2人の様子を見ていたのかニコニコとした表情だ。
「おはよう恵那。」
「おはよ。」
「相変わらず朝から仲良いね〜。」
「…何が?」
リンが怪訝そうな顔をする。
「ん〜? 別に〜?」
「絶対何か考えてるでしょ。」
「えへへ〜」
「まったく…」
呆れたようにため息をつくリン。
その様子を見たサトルは、思わず笑ってしまった。
「あはははっ!リンも相変わらず恵那からの揶揄いには弱いね。」
「だね〜。」
「サトル…」
サトルに頬を少し膨らませたリンのジトッとした視線が向けられる。
「怒るなよごめんって〜。」
「別に怒ってない。」プイッ
「リン〜。」
『この2人って側から見たら完全にカップルなんだよなぁ〜。』
2人の様子を見ていた恵那はくすくすと笑った。
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午前7時50分ーー校内2年フロア
昇降口で上履きに履き替えた3人は教室へ向かって歩いていた。
ちなみにサトルとリンは同クラスで、恵那は別クラスである。
スタスタ…
「2人は1限目何の教科?」
「1限目から数学だよ…月曜日の朝から眠い教科だ…」
恵那から尋ねられるとサトルは苦笑いを浮かべながらそう答えた。
「サトルは数学苦手なんだからちゃんと受けてよ?」
「苦手というわけではないんだけどなぁ…」汗
「じゃあ不得意。」
「それ苦手と変わらないじゃん…」汗
「この前授業中に寝かけて私に起こされたの誰だっけ?」
「俺です…」
「あはははっ。サトルくんそこは認めるんだ。」
「流石に寝かけたのは事実だからね…」
するとそこへ1人の男子生徒が寄って来たーー
「おはよう郡上!」
「おっ!おはよう松本!昨日と比べて元気そうだね?」
「郡上が相談に乗ってくれたおかげだ。おかげで親友とも仲直りできたぜ。」
「そっか〜なら良かったよ。」
さらに1人の病弱な男子生徒ーー
「おはよう郡上くん。」
「おはよう下宮!今日の体調はどう?」
「昨日よりは大丈夫だよ。」
「良かった〜…また体調悪くなったら先生に相談するんだよ?昨日みたいに倒れそうになったら大変だからね?」
「うん…昨日は助けてくれてありがとう。郡上くんが居なかったら大変だったよ。」
「別に気にしないで。昨日も話したけどまだ4月だからさ?焦らなくても大丈夫だよ。体調と向き合って自分のペースで行けば良い。」
「…ありがとう。」
さらに二人組の女子生徒ーー
「あっ!郡上くんじゃん!
「おはよー!」
「早川さんと水瀬さんもおはよう!相変わらず仲良いね。」
「何言ってんの〜?1年の頃に郡上くんが私らを会わせてくれたんじゃん。」
「そうそう!まだ1年生で交流が浅かった時に同じ趣味の人がいるよって教えてくれたから私達もこんなに仲良くなったからね!」
「別に仲介したつもりはないんだけどね…まぁ仲が良いならそれで良いよ。」
そう言って彼は声をかけて来た全員に笑いかける。
彼は昔から笑顔を絶やさず誰にでも対等に接し、困っている者がいれば優しく手を差し伸べる。
そんな彼を皆は"仏の郡上"と密かに呼んでいる。
「…仏の郡上サトルくんは相変わらずみんなから人気だね〜。」
「………」
「あれあれ?誰かさんはサトルくんを取られてご不満で?」
「っ!?べ、別に不満じゃないし…!///」
「ふ〜ん?」
リンが頬を赤く染め上げたのを見た恵那はニコニコとした表情を浮かべる。
「……何…?///」
「いや〜?リンってほんとに分かりやすいよね〜。」
「…うるさい…///」
「ふふふっ。」
「お待たせ〜。」
そこへ全員との会話を終えたサトルが戻って来た。
「…あれ?リン顔赤いけど大丈夫か?」
「…気にしないで…///」
「リンはサトルくんが皆と話してるから寂しかったんだって〜。」
「え?そうだったの?」
「斎藤…!!///」怒
「きゃ〜!逃げろ〜!」笑
そう言って恵那は笑いながら自身の教室へ向かった。
「あははは…平常運転だね〜…」汗
『斎藤〜…!後で覚えてろよ〜…!///』
「…ほらリン?機嫌直して?」
「……サトルが頭撫でてくれたら直す…」ボソ
「…ふふっ。リンってほんとに可愛いよな。」
「っ!?そういう事さらっと言うな…!///」
「はいはい怒らない怒らない。」
ナデナデ…
サトルは微笑みながらリンの頭を優しく撫で始めた。
彼女は次第に不機嫌な表情から気持ち良さそうな表情に変わって行った。
『…サトルの手…やっぱり落ち着くなぁ…』
「…どう?機嫌治った?」
「…うん。」
「なら良かったよ。」
「でも斎藤は許さない。」
「やっぱりそうなるか…」汗
「当たり前でしょ。」
2人は笑い合うと教室へ向かった。
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午前10時ーー3限目 歴史の授業
「それでは教科書の42ページを開いてください。」
教壇に立つのは歴史担当の鳥羽美波先生。
普段から穏やかな口調で生徒に接する、面倒見の良い教師である。
「今日は前回の復習から始めていきましょう。」
教室に教科書を開く音が響く。
サトルもノートを取り出し、授業内容を書き始めた。
カリカリカリ……
「……っ」
サトルは右肩にほんの少し違和感を覚えた。
書く手を一度止めると軽く肩を回した。
(……ちょっと凝ってるな)
高校1年生の夏。
野球部に所属していたサトルは、夏季大会で遊撃手として試合に出場していた。
その試合中…三遊間の深い位置で打球を捕球。
一塁へ送球しようとした瞬間、右肩に激痛が走った。
診断は"右肩腱板損傷"。
その怪我が原因でサトルは野球の道を諦めることとなった。
今では日常生活に大きな支障はない。
しかし、長時間同じ姿勢でいたり、肩に負担を掛けたりすると時々違和感を覚えることがある。
『……まあ、大丈夫か。』
サトルは再びノートへ視線を落とした。
ところがーー
「……サトル」
隣の席から小さな声が聞こえてきた。
「ん?」
「肩大丈夫?」
「……ああ、うん。ちょっと凝ってるだけ」
「そっか」
「心配してくれてありがとう」
サトルが小さく微笑む。
しかし、リンは少しだけ眉を寄せていた。
「……無理しないでよ?」
「分かってるよ」
「ほんとに?」
「ほんとほんと。」
「…………」
リンはじっとサトルを見つめた。
「……ならいいけど。」
そう言って再び教科書へ視線を戻す。
サトルはそんな彼女の横顔を見ながら小さく笑った。
『……相変わらず心配性だなぁ』
ただその心配が嬉しくないわけではない。
むしろありがたかった。
野球を諦めた時もリンはずっと自分の側にいてくれたのだから。
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午前12時30分ーー空き教室
それからしばらく経ち、午前中の授業を終えて昼休みに入っていた。
リンとサトルは空き教室で一緒に弁当を食べるのが日課になっており、今日は既に弁当を食べ終えて一緒に週末の予定について話していた。
「リンは今週の土曜日ってバイト?」
「今週はないよ。特に予定も入ってない。」
「じゃあまた一緒にキャンプ行かない?」
「…いいね。久々に本栖湖とか良さそう。」
「本栖湖かぁ〜。確かに怪我してから一回も行ってないから久々に行きたいなぁ。」
「でしょ?まだ桜も散ってないから走ってる時に良い景色が見えそうだし。」
「あ〜確かに良いね〜。じゃあリンと2人でお花見だ。」
『…2人でお花見かぁ…』
彼女は心の中でそう呟くと頬を少し赤くさせながら口元を緩めた。
「リン?どうかした?」
「…サトルと走りながらお花見できるのが楽しみって思っただけ。」
「…そっか。俺も楽しみだよ。」
リンがサトルに笑いかけると彼も優しく微笑んだ。
廊下から3人の少女に見つめられている事を知らずに…
ーー空き教室の廊下ーー
「おいおいおい…!あのリンが自然に笑ってるぞ…!」
そう言って声を上げるのは『野外活動サークル』(通称:野クル)の部長である"大垣千明"。
両サイドには野クルのメンバーである"犬山あおい"と"各務原なでしこ"もいる。
「あき…今に始まった話ちゃうやろ?」
「でもサトルくんと話してるリンちゃんって幸せそうだよね〜!」
「くぅ〜!青春してるな〜!羨ましいぞコノヤロ〜!」
「2人とも声大きいで…?リンとサトルくんにバレてまうよ…?」
するとーー
ガラガラガラ…
「「「……あっ…」」」
「…何してるの?」
教室の扉が開き、そこには眉間に皺を寄せたリンが立っていた。
「リ、リンちゃん…!これはその…!別に盗み聞きしてたわけじゃなくて…!」
「偶々通りかかって2人が居たからちょっと覗いただけで…!」
「覗くな。」
「でも会話自体は聞いとらんよ…?ほな行こか〜…!」
「お、おぅ!」
「じゃあリンちゃんごゆっくり〜!」
そう言って3人は足早にその場を去った。
「…はぁー…」
「あの3人も相変わらずだね。」
「まったくだよ…悪い奴らじゃないから良いんだけどね…」
そう言って2人は苦笑いを浮かべた。
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午後15時30分ーー図書室
一日の授業を終えた後、リンは図書委員の当番の為に図書室へ来ていた。
カウンターの椅子に座りいつものオカルト・都市伝説系統の本を読んでいる。
「………」チラッ
リンがふと顔を上げる。
本来なら正面の椅子にサトルが座って本を読んでいるが、今日は急にバイトが入ったので先に学校を出て行ったのである。
「…はぁー…『サトルが居ないと退屈だな…』」
「ため息なんかしちゃってどうしたの?」
「っ!?」
カウンターの隣にはいつの間にかニコニコとした表情の恵那が立っていた。
「さ、斎藤…」
「あれ?もしかして今日はサトルくんが居ないから寂しい?」
「……ちょっと…」
「!!」
恵那は少し驚いた…
普段のリンならうるさいと言って顔を外方へ向けるはずだ…
でも今日は寂しいという気持ちを正直に呟いた…
「…そっか〜。急にバイト入ったって言ってたもんね〜。」
「うん…今日も帰りまで一緒にいるつもりだったから…」
「リンってほんとにサトルくん好きだよね〜。昔からそうなの?」
「…うん…昔から好き…」
「…おやおや?今日はやけに素直だね〜?」
「…誰にも言うなよ…?」
「あはははっ。言わない言わない。」
すると恵那は少し真面目な顔になった。
「…ねぇリン?」
「何?」
「サトルくんの事で何か相談したかったらいつでも聞くからね?」
「…ありがと斎藤。」
「ふふっ、じゃあ私もバイトだから先帰るね〜。」
「うん。気をつけて。」
恵那はニコニコとしながら図書室を後にした。
「…はぁ…そんなに分かりやすいのかな…」
誰もいない図書室でリンはそう呟いた。
リンはスマホを取り出すと写真フォルダを開く。
そこにはサトルの怪我が完治してから初めて一緒に行ったキャンプ場で撮った彼の姿。
何も意味もなくその写真を見つめる…そしてぽつりと呟いた。
「……好きだよサトル…」
誰にも聞こえない小さな声。
それは、幼い頃からずっと胸の奥にしまっていた気持ちだった。
いつかこの言葉を本人へ伝える日が来るのだろうか。
それは、まだ分からない。
けれどーーその日が来るまで、もう少しだけ。
幼馴染として彼の隣にいよう。
リンはそう思いながら外の夕日を眺めた。
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16時30分ーー富士川町にある古本屋
一方、サトルはバイト先の大きな古本屋で仕事に励んでいた。
丁度レジで会計を済ませた客を見送る所だった。
「ありがとうございました〜!」
「…いや〜サトルくん!来てくれて助かったよ!」
「いえいえ!気にしないでください!俺この職場好きですから!」
「そうかそうか!ありがとうね!」
そう言って上司は自身の仕事へ戻った。
サトルは終始笑顔だったが、内心では少しもやっとした気分だった。
『…リンと図書室に行く予定だったんだけどなぁ…今頃拗ねてるかな…?』
彼はバイトが入った事を伝えた時に少しムスッとした表情になったリンを思い浮かべた…
そして誰にもバレない程度にくすっと笑った。
『ふふっ…まぁそんなリンも可愛いんだけどね…』
すると整理していた本の中からとある書籍が出てきた。
『…あっ、リンが気になってるって言ってた本だ…在庫に残ってたんだな…』
彼はその本を手に取ると、上司の元へ向かった。
「岩隈さん。この本帰りに買っても良いですか?」
「あ〜その本?珍しいね〜サトルくんが都市伝説の本を買うなんて。」
「いえ、幼馴染が気になってるって言っていた本だったので。」
「なるほどね〜。それなら買って帰っても良いよ。」
「ありがとうございます!」
サトルは再び本の表紙を眺めると笑顔になった。
『リン喜ぶかなぁ?』
そう心の中で呟くともう一度大切な幼馴染の嬉しそうにぱぁぁっとなった表情を思い浮かべる。
『…やっぱりリンは笑ってる方が好きだな………いつかこの気持ちも伝えたい…』
彼は少し頬を赤く染めながら仕事へ戻っていった。
――第1話・完――