人間というものは、死ぬときには走馬灯を見るという。
これまでの人生が一瞬のうちに脳裏を駆け巡り、自分の生涯を振り返るのだとか。もっとも、俺自身はそんなものを見た覚えがない。最後に何をしていたのか、どうして死んだのか。それどころか、本当に死んだのかさえ定かではなかった。
ただ、一つだけ確かなことがある。
どうやら俺は、人生で最も意味の分からない状況に放り込まれているらしい。
「う、うわあああああああああっ!?」
目を開けた瞬間、口から飛び出したのは情けない悲鳴だった。
無理もない。なにしろ、目の前に広がっていたのは地面でも天井でもなく、どこまでも続く青空だったのだから。
いや、正確には青空だけではない。頭上には巨大な青白い光の渦が広がっており、その中心には宇宙空間のような暗闇が覗いている。そこから次々と奇妙な飛行物体が飛び出し、地上へ向かって降下していた。
そして俺もまた、その飛行物体と同じように空から落下している真っ最中だった。
「ちょっと待て! なんだこれ!? どうなってんだよ!?」
叫んだところで状況が改善するはずもない。凄まじい風圧が全身を叩き、長い髪が顔にまとわりつく。
長い髪?
そこで初めて、自分の身体に違和感を覚えた。
視界の端で揺れているのは、見覚えのない銀色の髪だった。風に煽られている手足も、記憶にある自分のものとは明らかに違う。細く華奢な腕に、白い肌。身につけているのは、どこか近未来的な意匠を持つ衣服だった。
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れる。
だが、今は自分の身体を確認している場合ではない。
眼下には高層ビルが立ち並び、その間を奇妙な飛行艇が飛び交っている。道路には車が放置され、あちらこちらで爆発と黒煙が上がっていた。
しかも、よく見れば飛行艇に乗っているのは人間ではない。金属質の装甲をまとった異形の兵士たちが、手にした武器から青白い光弾を放っている。
そして、その光景には見覚えがあった。
「……チタウリ?」
思わず口にした名前。
宇宙人の軍勢。ニューヨークの摩天楼。そして、空に開いた巨大なワームホール。
それらの情報が一つにつながった瞬間、俺は思わず顔を引きつらせた。
「おいおい……嘘だろ?」
映画で何度も見た光景だ。忘れるはずがない。
マーベル・シネマティック・ユニバース。通称MCU。その記念すべきヒーロー集合作品である『アベンジャーズ』のクライマックス。
ロキが四次元キューブを利用してワームホールを開き、チタウリの軍勢を地球へ呼び寄せたニューヨーク決戦。
つまり、ここは――。
「アベンジャーズの世界じゃねえかああああっ!?」
驚愕の叫びは、風に呑まれて消えていった。
いや、待て。落ち着け。確かに映画の世界へ来てしまったのは大問題だが、それ以上に差し迫った問題がある。
地面が近い。
それも、かなりの勢いで。
「やばいやばいやばい! このままじゃ死ぬって!」
何かないのか。パラシュートでも、ジェットパックでも、何でもいい。とにかく落下を止める手段が必要だ。
そう考えた瞬間だった。
頭の中に、見覚えのない情報が浮かび上がった。
いや、違う。
知らないはずなのに、知っている。
身体の動かし方。装備の展開方法。兵装の名称と、その操作手順。まるで生まれたときから使い慣れていたかのように、それらの知識が自然と理解できた。
「……閃刀姫?」
その名前を口にした途端、さらに多くの情報が脳裏を駆け巡った。
閃刀姫。
かつて遊んでいたカードゲーム、『遊戯王OCG』に登場するテーマの一つ。
そして、閃刀姫レイ。
様々な戦闘用アーマーへ換装し、多彩な兵装を駆使して戦う少女。
銀色の髪。華奢な身体。見覚えのある衣装。
まさかと思いながら自分の手を見つめる。
「……俺、レイになってる?」
状況を整理する暇などなかった。
眼下のビルが、もうすぐそこまで迫っていたからだ。
「くそっ! 考えるのは後だ!」
今必要なのは、落下を止める手段。
頭の中に浮かんでいる兵装の一覧を確認する。使用可能な装備は決して多くない。だが、その中に今の状況を打開できそうなものが一つあった。
「閃刀機――ウィドウアンカー!」
右腕を突き出す。
直後、空間から呼び出されたように小型の兵装が展開し、腕に装着された。機械的な駆動音とともに照準が起動し、視界の中に半透明の情報表示が浮かび上がる。
操作方法は分かる。
ただし、実際に使うのは初めてだ。
「頼むぞ……!」
狙いを定めたのは、眼下を横切ろうとしていたチタウリの飛行艇だった。
建物の外壁へ撃ち込むことも考えたが、今の速度では建物に叩きつけられる可能性が高い。ならば、同じ方向へ移動している飛行艇を利用した方が、まだ生き残れる見込みがある。
照準が重なる。
「行けっ!」
引き金を引くと、ウィドウアンカーから青白い光を帯びたアンカーが射出された。
一直線に伸びたそれは、飛行艇の後部装甲へ命中する。
接続を示す表示が点灯した。
「よし、引っかかった!」
喜んだのも束の間、次の瞬間には凄まじい衝撃が全身を襲った。
「いっだああああっ!?」
腕が引き千切れるかと思った。
もっとも、実際には兵装側の衝撃吸収機構が働いているらしく、身体への負荷はどうにか耐えられる範囲に抑えられていた。
それでも痛いものは痛い。
急激に落下軌道が変化し、俺の身体は飛行艇の後方へ大きく振り回された。
眼下を猛スピードで流れていく道路。次々と迫るビルの外壁。飛行艇に引きずられながら、俺は必死に姿勢を制御する。
「ちょっ、待て待て! 速い! 速すぎるって!」
飛行艇の速度に合わせて徐々に落下の勢いが弱まっていく。
ひとまず、地面への激突だけは回避できそうだった。
しかし、問題はまだ残っている。
俺がアンカーを撃ち込んだ飛行艇には、当然ながら持ち主がいた。
『ギギッ!?』
異様な声が聞こえた。
顔を上げると、飛行艇に乗っていたチタウリの兵士がこちらを振り返っていた。
目が合う。
向こうは明らかに困惑していた。
そりゃそうだろう。異星人の軍勢に混ざって突然空から落ちてきた少女が、よりにもよって自分たちの飛行艇にぶら下がっているのだから。
だが、その困惑は長く続かなかった。
チタウリが手にした武器をこちらへ向ける。
「……あ」
青白い光が銃口に集まり始めた。
「やっべ!」
反射的にアンカーを解除する。
直後、先ほどまで俺がいた空間を光弾が通過した。
間一髪。
しかし、アンカーを解除した以上、俺の身体は再び重力に従って落下を始める。
「うわあああっ! また落ちるうううっ!」
我ながら情けない。
だが、今度は先ほどとは違う。
落下を止める手段があることを、俺は既に知っていた。
正確には、飛行するための装備があることを。
「だったら……!、エンゲージ!」
頭の中で、使用可能な装備を選択する。
閃刀姫-カガリ。
閃刀姫レイが使用する戦闘用アーマーの一つ。炎を思わせる意匠と高い攻撃能力を持つ、代表的な換装形態だ。
他の形態についても知識はある。しかし、現在使用可能なアーマーはカガリだけらしい。
理由は分からない。
だが、使えるものがあるなら十分だ。
「マルチロール、起動!」
その言葉に呼応するように、身体の周囲へ光が走った。
どこからともなく現れた装甲部品が、次々と身体へ装着されていく。腕、脚、胸部、そして背中。機械的な接続音が連続し、視界に表示される情報が切り替わった。
赤と黒を基調とした装甲が全身を覆い、背中には炎を思わせる翼状の機構が展開する。
そのすべてが、ほんの一瞬の出来事だった。
装着完了。
機体制御、正常。
推進機構、起動。
「おおっ!?」
背中の炎翼から眩い光が噴き出した。
落下していた身体が急激に減速し、次の瞬間には空中で静止する。
思わず周囲を見回した。
「……飛んでる」
地面は遥か下。
周囲にはニューヨークの高層ビルが立ち並び、遠くでは爆発と銃声が響いている。
そして俺は、その上空に浮かんでいた。
「すげえ……本当にカガリだ……!」
思わず笑みが浮かぶ。
鏡がないので自分の姿を確認することはできないが、身体を覆う装甲も、背中の炎翼も、記憶にある閃刀姫-カガリのものだった。
しかも、飛行制御は驚くほど自然だ。
身体を傾ければ、その方向へ移動する。加速したいと思えば推進力が増し、停止しようと思えば即座に減速する。
まるで自分の身体の延長のようだった。
「これなら……!」
そこまで考えたところで、背後から何かが迫ってくる気配を感じた。
振り返る。
先ほどのチタウリの飛行艇だった。
『ギギギッ!』
「うおっ!?」
飛行艇から光弾が放たれる。
慌てて身体をひねると、青白い光が肩口をかすめて通過した。
装甲の表面に火花が散る。
痛みはない。
だが、衝撃は確かに伝わってきた。
「……おいおい、冗談だろ」
改めて実感する。
ここは映画の中ではない。
目の前の敵は本物で、放たれる攻撃も本物だ。
当たりどころが悪ければ、間違いなく死ぬ。
そして、相手は俺を見逃してくれるつもりなどないらしい。
飛行艇が旋回し、再びこちらへ向かってくる。
「……やるしかないか」
右手を握る。
それに応じて、カガリの主武装である炎剣が展開された。
刃に赤い光が灯る。
使い方は分かる。
振り方も、構え方も、頭の中には知識として存在している。
だが、実際に誰かを斬った経験などない。
ましてや、相手は宇宙人だ。
「……まあ、向こうは殺す気満々みたいだしな」
深く息を吸う。
そして、迫り来る飛行艇へ向かって身体を傾けた。
「行くぞっ!」
炎翼が輝き、身体が一気に加速する。
視界の中で飛行艇が急速に大きくなっていく。
チタウリが武器を構えた。
しかし、発砲されるより早く、俺は飛行艇の側面へ回り込んでいた。
「はあああっ!」
炎剣を振り抜く。
赤い軌跡が空中に描かれ、飛行艇の推進機構を切り裂いた。
金属が溶断されるような音。
次の瞬間、飛行艇の後部から爆発が起こった。
『ギギャアアッ!』
制御を失った機体が回転し、搭乗していたチタウリもろとも近くのビルへ向かって落下していく。
「……あ」
思わず目を見開いた。
やってしまった。
いや、敵を倒したこと自体は仕方がない。こちらを殺そうとしてきたのだから、反撃するのは当然だ。
問題は、その先だった。
飛行艇の落下先には、窓ガラスの割れたオフィスビルがあった。
「まずいっ!」
慌てて飛行艇を追いかける。
だが、間に合わない。
そう判断した瞬間、頭の中に別の兵装の情報が浮かび上がった。
閃刀術式-アフターバーナー。
高出力の攻撃兵装。
現在使用可能な数少ない装備の一つだ。
「アフターバーナー!」
兵装が展開する。
照準を合わせたのは、落下する飛行艇の残骸だった。
ただし、ここで爆破すれば破片が周囲に飛び散る危険がある。
だから狙うのは、機体が建物へ衝突する直前ではない。
少しでも高い位置で破壊する。
「頼む……!」
照準が重なった。
「切り裂け!!」
推進炎により極限に達したスピードと閃刀の切れ味が飛行艇に直撃。
飛行艇は空中で、複数の破片となって四散、高出力の炎が瓦礫を燃やし尽くした。
「……ふう」
思わず息を吐く。
危なかった。
敵を倒すだけなら簡単かもしれない。
だが、ここは戦場であると同時に、人間が暮らす街でもある。
何も考えずに敵を撃破すれば、その残骸が誰かを傷つけるかもしれない。
映画を見ていたときには、そこまで考えたことがなかった。
「……気をつけないとな」
そう呟いた直後だった。
『――そこの赤いアーマー。聞こえるか?』
「うおっ!?」
突然、耳元で男の声が響いた。
驚いて周囲を見回す。
すると、右手側のビルの陰から、赤と金の装甲をまとった人影が飛び出してきた。
背中と足裏から光を噴射しながら、こちらへ接近してくる。
その姿を見間違えるはずがない。
「アイアンマン……!」
思わず名前を口にした。
映画で何度も見た、あの赤と金のパワードスーツ。
トニー・スタークが開発した鋼鉄のヒーロー。
その本人が、今まさに目の前にいた。
『おっと、僕のことを知ってるのか。そいつは光栄だね』
軽い調子の声が返ってくる。
どうやらこちらの声も届いているらしい。
アイアンマンは俺の周囲をゆっくりと旋回すると、興味深そうに装甲を眺め始めた。
『見たことのないスーツだな。スターク製じゃないのは確かだ。ハマーの趣味でもない。で、君はどこの誰だ?』
「え、あ、その……」
どう答えたものか。
まさか異世界から転生してきたなどと言っても、信じてもらえるとは思えない。
そもそも、自分自身がまだ状況を理解できていないのだ。
返答に困っていると、アイアンマンが続けた。
『ついでに聞いておこう。君はあの穴から出てきたように見えたんだが、あいつらの仲間じゃないよな?』
その言葉に、思わず頭上を見上げる。
巨大なワームホール。
そこからは今もチタウリの軍勢が次々と現れていた。
なるほど。
確かに、あそこから落ちてきた人間など怪しすぎる。
「ち、違います! 俺……いや、私はあいつらの仲間じゃありません!」
『そうか。それは朗報だ』
軽い口調だったが、アイアンマンの右腕はこちらへ向けられていた。
リパルサーの発射口が淡く光っている。
つまり、完全には信用されていないということだ。
当然だろう。
突然ワームホールから現れた正体不明の少女が、見たこともない兵装でチタウリを撃破しているのだから。
『じゃあ、もう一つ質問だ。名前は?』
「名前……」
そこで、言葉に詰まった。
前世の名前は覚えている。
だが、今の自分は明らかに別人の身体になっている。
銀色の髪。華奢な身体。そして、閃刀姫の兵装。
この姿で名乗るべき名前は、一つしか思いつかなかった。
「……レイ」
『レイ?』
「レイ・ライト・ウォーカーです」
口にした瞬間、不思議な感覚が胸の奥に広がった。
自分のものではないはずの名前。
それなのに、どこか自然に感じられる。
『変わった名前だな。まあいい。俺はトニー・スターク。アイアンマンだ。知ってるみたいだけどね』
「はい。知ってます」
『よし。それじゃレイ、君が本当にあいつらの仲間じゃないなら、一つ頼みがある』
アイアンマンが視線を地上へ向けた。
つられて見下ろすと、道路を逃げ惑う人々の姿が見えた。
その後方には、チタウリの兵士たちが迫っている。
『あそこに逃げ遅れた連中がいる。上の連中を片づけるから、君は地上の援護を頼めるか?』
「……私が、ですか?」
『ほかに誰がいる? そのスーツ、飾りじゃないんだろ?』
思わず自分の身体を見下ろした。
赤と黒の装甲。
背中に広がる炎翼。
手には、先ほどチタウリの飛行艇を切り裂いた炎剣が握られている。
確かに、戦う力はある。
だが、俺はついさっきまで普通の人間だった。
戦争の経験などない。
誰かを守るために命を懸けたことだってない。
そんな自分が、映画で見たヒーローたちと肩を並べて戦えるのだろうか。
答えは分からなかった。
それでも。
眼下で逃げ惑う人々の姿を見てしまった以上、知らないふりをすることはできなかった。
「……分かりました」
炎剣を握り直す。
「やってみます」
『いい返事だ。じゃあ頼んだぞ、お姫様』
「お、お姫様って……!」
抗議する間もなく、アイアンマンは足裏のスラスターを噴射して飛び去っていった。
その背中を見送りながら、思わずため息を吐く。
「……マジかよ」
まさか転生早々、アイアンマン本人から仕事を頼まれることになるとは。
しかも、よりにもよってニューヨーク決戦の真っ最中だ。
だが、いつまでも呆けているわけにはいかない。
地上では今も人々が襲われている。
「……よし」
気合いを入れるように両頬を軽く叩こうとして、装甲に覆われた手を見て思いとどまった。
危ない。今の状態でそんなことをしたら、自分の顔を痛めつけるだけだ。
我ながら、まだまだこの身体には慣れていないらしい。
「とりあえず……できることからやるか」
炎翼を展開する。
眼下にはチタウリの兵士たち。
手元には炎剣。そして、ウィドウアンカーとアフターバーナー。
使える兵装は限られている。
それでも、何もできないわけではない。
俺は一度だけ深呼吸すると、地上へ向かって急降下を開始した。
こうして、閃刀姫レイとしての俺の戦いが始まった。
後になって振り返れば、この日がすべての始まりだったのだと思う。
異世界からやってきた正体不明の少女。
その存在が、やがて地球最強のヒーローたちの運命に少なからぬ影響を与えることになるなど、このときの俺は知る由もなかった。
もっとも、今の俺にそんなことを考える余裕はない。
何しろ、目の前には大量の宇宙人がいるのだから。
「……ああ、もう!」
炎剣を構え、迫り来る敵へ向かって叫ぶ。
「転生初日からハードモードすぎるだろおおおっ!」
赤い閃光が、ニューヨークの空を駆け抜けた。
最後まで読んでくれてありがとうございました。今回は閃刀姫レイでの話を試してみましたが、そのうち、marvel世界で、遊戯王カードのキャラクターのみでチームアップまでを亀更新でゆっくりやっていきたいと思っているのでよろしくお願いします。