死神船頭との春
雪解けの頃になると、この川は一回り太る。
冬の間に山の上で積もった雪が、少しずつ解けては沢を下り、沢と言う沢が寄り集まって、最後には全部この川へ流れ込んでくるのだから、当たり前と言えば当たり前の話である。
夏なら脛の辺りまでしかない岸辺の浅瀬も、この時期は腰まで沈んでしまい、水の流れも夏場とは比べものにならないほど速く、水の色も底の石まで透ける夏の緑とは違い、少し白みを帯びた青緑色をしている。
山から流れ込んでくる雪解け水が、川全体を何処かよそよそしい色に変えているようだった。
手を浸けてみれば、指の骨まで沁みてくる冷たさで、土手の上がどれだけ春めいていても、川の水だけは、まだ山の冬をそのまま運んでいるらしい。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
高校の古典の授業で暗記させられた一節で、その先は綺麗さっぱり忘れてしまったが、毎日同じ川を行ったり来たりしていると、時々ふっと口をついて出てくる事がある。
もっとも、雪解けのこの時期に限って言えば、もとの水にあらずどころの話ではない。
水の量からして、まるで別の川なのである。
俺がこの川の渡し守をやるようになって、もう何年になるだろうか。
外の世界から幻想郷に迷い込んだのが四、五年前の事で、気が付いた時にはこの川の岸辺の草の中に倒れていた。
それを拾ってくれたのが、当時の渡し守だった爺さんである。
行く当ても無いまま渡し小屋に置いてもらい、薪を割ったり、舟底に溜まった水を掻き出したりしているうちに、何時の間にか櫓の握り方を教わっていたのだ。
爺さんが膝を悪くして里の娘さんの家へ隠居してからは、俺がこの渡しを一人で受け持たせてもらっている。
渡し場は、人里から妖怪の山の方へ向かう道がこの川に突き当たる所にある。
里の側の土手の上には、俺の寝起きしている渡し小屋が一つ、その傍に古い桜が三本並んでいて、向こう岸の山の側の河原には、竹竿の先に白い布を括り付けた旗が杭に縛って立ててある。
向こう岸から渡りたい人は、その旗を振って、此方の小屋に居る俺を呼ぶと言う訳だ。
橋を架ければ早そうな物だが、架けても架けても春の出水で流されるので、里の人たちはとうの昔に諦めてしまったのだと、爺さんから聞いている。
仕事の中身は、外の世界で言えば、タクシーか、バスに近い。
呼ばれれば迎えに行き、一人か二人を乗せて、世間話を聞きながら向こう岸まで運び、銭を貰う。
違うのは、走る道が一本しか無い事と、その一本道が、毎日違う顔をして流れている事くらいだろう。
その日も、夜明けから舟を出していた。
朝のうちは、山の裾の畑へ通う人や、炭焼き小屋へ戻る人が何人か続いて、それが一段落した頃には、もう六度か七度は川を往復していたと思う。
春の水は重い。
櫓を一つ押す度に、押した分だけ川の方からも押し返してくるような手応えがあって、腕だけで漕ごうとすれば、あっと言う間に下手へ持っていかれてしまう。
岸の傍は竹の棹で川底を突いて進み、深くなったら櫓に持ち替えろ。
春の水の時は欲張らずに少し上手まで漕ぎ上がり、そこから流れに乗せて斜めに落としてゆけ。
そう言うのが、爺さんの口癖だった。
膝を悪くして舟に乗れなくなった今でも、里でたまに顔を合わせると、挨拶の代わりに同じ事を言われる。
昼前、客の途切れた合間に、渡し小屋の前の縁台に腰を下ろして、一息つく。
朝から櫓を握り通しだった掌が、じんじんと熱を持っていて、川風に晒していると、その熱が少しずつ冷めてゆくのが気持ち良い。
頭の上では三本の桜が揃って満開で、時々花びらが小屋の屋根を転がり落ちてきては、膝の上や、足元の草の上に、ぽつりぽつりと降りてくる。
土手の桜と言うのは、ちょっと得な物だと思う。
花見の席を取りに行く手間も無く、仕事の合間に、勝手に頭の上で咲いていてくれるのだから。
向こう岸から声がしたのは、その時だった。
「おーい! 渡し守さーん! 一人、乗せとくれー!」
女性の声である。
川幅一つを跨いでくると言うのに、少しも掠れたり千切れたりしていない、よく通る声で、まるで縁台の隣に座った人から話し掛けられたみたいに、はっきりと耳に届く。
向こう岸の河原に目をやると、旗は杭に縛られたまま、川風にぱたぱたと煽られているばかりで、誰も手を触れていない。
声で呼ぶ客も居ない訳ではないが、それは大抵、旗を振っても此方が気付かなかった時の二の手で、旗に指一本触れずに、いきなり声で呼ばれる事は滅多に無かった。
棹を取って、舟を出す。
少し上手まで漕ぎ上がり、流れに乗せて斜めに落としてゆく間に、向こうの土手の上から、誰かが下りてくるのが見えてきた。
最初に目に飛び込んできたのは、髪の色である。
朝から桜の淡い色ばかり見ていた目に、熟れた柿よりもまだ赤い、燃えるような緋色が、いきなり差し込んでくる。
その髪を左右の高い所で二つに結わえていて、結び目の辺りに付けた硝子玉のような飾りが、日を弾いて時々ちかりと光った。
そこまでは、いい。
問題は、その人が肩に担いでいる物の方であった。
鎌である。
それも、稲を刈るような手鎌ではない。
柄の長さが本人の背丈よりもずっと長い、大鎌なのだ。
柄は、山から伐ってきた木の枝をそのまま使ったみたいに、あちこちで瘤を作りながら曲がりくねっていて、その先に、三日月を引き伸ばしたような大きな刃が、ぶら下がるように付いている。
外の世界の絵や映画で、死神と言えば、決まってあんな物を担いでいる。
黒い頭巾を被った骸骨が、ああ言う鎌を手にして、寿命の尽きた人の所へ迎えにやって来るのである。
死神に迎えに来られるならまだしも、死神を迎えに漕いでゆく事になるとは思わなかった。
舟が向こうの渡し場に着く頃には、その人はもう河原の水際まで下りてきていた。
棹を突いて舳先を岸へ寄せると、その人は大鎌を片手で空へ高々と掲げたまま、うーん、と声に出して、大きく伸びをする。
狭い所に何日も押し込められていた人が、ようやく外の空気を吸った時のような、体の芯から絞り出すような伸びである。
両腕を空へ突き上げ、背中を反らせて爪先立ちになると、黒く塗った厚底の下駄が、河原の石の上で、かたん、と鳴った。
綺麗な人だと思うより先に、目の方が勝手に動いていた。
着ているのは、紺と白の、和服のようでいて何処か洋服めいた不思議な服で、青い上衣の胸元が、大きく開いている。
伸びをした拍子に、その開いた襟元が更に寛いで、鎖骨の下の白い肌が思いのほか広く、春の日の下に晒されているのだ。
腰にはフリルやリボンで飾り、紐を交差させて編み上げたエプロンのような前掛けを締めていて、その紐が細い腰の所できゅっと絞られているものだから、胸元と腰回りの起伏が余計にくっきりと浮き上がって見えてしまう。
見てはいけない所を、見ている。
そう気付いた途端、首から上にかっと血が上ってきて、俺は慌てて、手元の棹の、水に浸かった先の方へ目を落とした。
初対面の、それも死神かもしれない人の胸元に見惚れている場合ではないのである。
「いやぁ、悪いねぇ」
伸びを終えたその人が、からりと笑った。
重たげに額へ掛かった前髪の下から、髪と同じ緋色の目が、楽しそうに此方を見ている。
「旗があるのは見えてたんだけどさ、これ振るより、呼んだ方が早いだろ? あたい、声だけは大きいんだ」
それだけ言うと、その人はもう、舟の方へ足を踏み出していた。
乗り込む前に、緋色の目が、俺の顔より先に、棹を握った腕の方へ向いたのに気が付く。
肩の辺りから、棹を握り締めた拳の方まで、まるで品定めでもするように、遠慮の欠片も無く眺めているのだ。
何処を値踏みされているのやら見当も付かず、俺は棹を握り直した。
厚底の下駄が、舟縁を跨いで、舟底の板を踏む。
岸から客が乗り込む時と言うのは、どれだけ気を付けてもらっても、舟は一度、ぐらりと大きく傾ぐ物なのだ。
それが、殆ど揺れなかった。
あれだけ大きな鎌を担いで、あんなに高い下駄を履いて、岸から舟へ乗り移ったと言うのに、舟は花びらが一枚水面に落ちたくらいにしか揺れなかったのである。
俺は思わず、首を傾げていた。
やはり死神、質量などないのかもしれない。
その人は肩の大鎌を下ろして、舟底に横たえる。
曲がりくねった柄が、胴の間をすっぽりと塞いでしまい、それだけで、客一人分の場所が埋まる。
船頭のほかに客が三人も乗れば一杯になる小さな舟なので、これは中々の痛手だった。
それから、その人は舳先の板に、くるりと此方を向いて腰を下ろした。
普通の客は、行く先の岸の方を向いて座るので、舳先に後ろ向きに座られると、艫で櫓を押す俺と、真正面から向かい合う格好になってしまう。
向かいの緋色の目が、面白い物でも見つけたように細められている。
「さ、出しとくれ」
変わった客を一人乗せて、舟は岸を離れたのである。
***
棹で岸を突き放して、まだ三突きもしないうちに、その人は喋り始めた。
いい川だねぇ、から始まって、水が冷たそうだの、土手の桜が見事だの、あの小屋はあんたの家かいだの、此方が一つ答えるより先に、もう次の話が始まっている。
櫓に持ち替えて上手へ漕ぎ上がる頃には、話は三つも四つも先へ進んでいて、俺はもう、どの問いに答えればいいのか分からなくなっていた。
舟の上でよく喋る客と言うのは、珍しくない。
と言うより、気持ち良く喋ってもらい、楽しい時間にしてほしいと思って仕事をしているから、大体の客は良く喋るようになる。
それでも、これ程息継ぎをしない人には、あまり覚えが無い。
「ああ、そうだ、まだ名乗ってなかったね。
あたいは小野塚小町。死神さ」
やっぱり、と櫓を握る手に力が籠もった。
そんな俺の顔を見て、小町と名乗ったその人はからっとした笑みを見せる。
「そんな顔しなさんなって。命を取りに来た訳じゃないよ。
死神にも色々あってね、あたいはただの船頭なのさ。
三途の河で、死んだ人を向こう岸まで運んでる」
三途の河の、渡し舟の、船頭。
死後すべての人間がお世話になる高尚なお勤めだ。
それでいて、渡し守と言う観点でだけ見れば俺の同業者と言う事になる。
その同業者が、わざわざこんな場所の渡し舟に客として乗りに来たのだと思うと、急に可笑しくなってきて、俺は櫓を押しながら、くくく、と笑ってしまった。
笑うと腕から力が抜けて、櫓の先が水を掻き損ね、舟が、ゆらりと横に揺れる。
「おっと」
小町は舳先の板に片手を突いただけで、揺れる舟の上でも、少しも体を傾けずに座っていた。
それから俺の顔を覗き込むように首を傾げて、にやりと笑う。
「あんた、よく笑うねぇ」
言われてみれば、そうかもしれない。
舟の上の客は大抵よく喋るので、俺はいつも聞き役で、聞いていれば可笑しい話の一つや二つはどうしたって出てくるから、気が付くと、いつも何かしら笑っているのだ。
もっとも、よく笑うと言うなら、小町の方が余程である。
喋っている間じゅう、緋色の目を細めて、見ている此方まで釣られてしまいそうな顔で笑っているのだから。
そっちこそ良い顔で笑う、と思ったままを口にしてしまってから、初対面の人に言う事でもなかったかと、少し慌てた。
「おや、嬉しい事を言ってくれるじゃないか」
小町は一度目を丸くして、それから、今言われたばかりの顔で笑ってみせる。
「で、そう言うあんたは、何て名前なんだい? あたいだけ名乗ったんじゃ、割に合わないだろ?」
名前を名乗ると、小町は、○○ね、と口の中で一度転がしてから、うん、と一つ頷いた。
それで覚えた、と言う事らしい。
何をしに来たのかと聞いてみると、小町は少しも悪びれずに答える。
「サボりさ。久しぶりのね」
それだけ言って、小町は気持ち良さそうに目を細め、川風に重たい前髪を煽られるに任せている。
仕事を怠けているのを、こんなに晴れ晴れと口にする人を、俺は初めて見たかもしれない。
心地の良い人だ、と思った。
話は、それからも途切れなかった。
三途の河と言うのは、こんな可愛い川ではなく、向こう岸なんか霞んで見えやしない事や、その河を、地獄から支給されたボロ舟で毎日毎日漕いでいる事を、小町は櫓の軋む音にも負けない声で、次から次へと並べてゆく。
雪解けで一回り太ったこの川を可愛いと言われて、少しむっとしないでもなかったが、聞けば聞く程、向こうの河は桁が違うらしい。
上役の閻魔様のお説教は三途の河より長い、と言う所で、俺はまた吹き出してしまい、舟がまた揺れた。
里の側の渡し場に舳先を着けると、渡し小屋の前の縁台で、客が待っていた。
背負子に反物の包みを括り付けた行商の男と、五つか六つくらいの女の子の手を引いた、おかみさんである。
二人とも、舟の中を覗き込んだ途端に、目が揃って、舟底に横たわった大鎌の所で止まった。
行商の男は、背負子の肩紐を握ったまま一歩下がり、おかみさんは、女の子を自分の袖の陰へ引き寄せる。
此処で小町に降りてもらえれば、三人とも乗せられる。
そう思って振り返ると、小町は舳先に座ったまま、腰を上げる気配すら無かった。
「あたいかい? 降りないよ。
里に用なんか無いしさ。
第一、こんなのを担いで里の中を歩いてごらんよ。大騒ぎになっちまう」
こんなの、と言いながら、小町は足元の大鎌の柄を、下駄の先でこつんと蹴った。
確かにその通りで、渡し場の客たちは、あの大鎌一本に足止めされたまま、縁台の前から動けずにいるのだ。
「その代わり、ほら。今の分と、戻りの分」
舳先からひょいと放ってよこされた銭が二枚、慌てて差し出した俺の掌に、ちゃりんと落ちてきた。
見た事の無い、古い銭である。
真ん中に四角い穴の開いた丸い銭で、縁が擦り減って丸くなり、表に刻まれている筈の文字も、指でなぞらないと分からない程に薄れている。
三途の川の渡し賃と言えば、外の世界では六文銭で、払うのは死んだ方だと相場が決まっていたが、どうやら此方では死神の方が払ってくれるらしい。
銭を受け取ってしまった以上、渡し守としては、客を運ばない訳にはいかない。
縁台の客たちに、すぐに戻ってくると頭を下げて、俺は小町と大鎌だけを乗せて、もう一度舟を出した。
山の側の渡し場に着いても、小町は降りなかった。
「あっちはさ、あたいの仕事場の方なんだよ」
小町は向こう岸の土手のずっと先、山の裾を回り込んでゆく細い道の方を、顎でしゃくってみせる。
あの道をずっと行くと、山の裏の方に、死者が営む屋台の並ぶ賑やかな道があるのだと、客の噂で聞いた事がある。
中有の道、だったか。
「うっかり上役に見つかってごらん。お説教が日暮れまで続いちまう。いや、日暮れで済めば御の字なくらいさ」
そう言って小町がまた一枚、ちゃりんと放ってよこしたのは、里の側へ戻る分であった。
里の側でも降りず、山の側でも降りないとなると、彼女は一体、何処で降りるつもりなのだろう。
縁台で待たせている客の手前、俺は掌の温みの残った銭を握ったまま、また棹を取るしか無かった。
こうして、降りない客が一人、俺の舟に居着いてしまったのである。
***
日が高くなるにつれて、川面の照り返しが、だんだんと目に痛くなってきた。
雪解けの白く濁った水でも、真上から日が当たれば、ちゃんと細かく砕けて光る物で、櫓を押しながら下を見ていると、目の奥がちかちかしてくる。
昼の渡し場には、朝ほどではないにしても、客が一人、また一人とやって来る。
来る客来る客、舟の中を覗き込んでは、舟底に寝そべった大鎌と、その向こうで手を振る緋色の髪の女とを見比べて、揃って一歩下がるのだ。
無理も無いと思う。
俺だって、昼前にあれを担いで土手を下りてくる所を見た時には、身構えたのだから。
ところが小町は、そこで大人しく待っているような人ではなかった。
舟の上から、渡し場で尻込みしている客に、さっさと話し掛けてしまうのである。
いい荷物だねぇ、何処まで売りに行くんだい、だとか、その子の着物、可愛い柄じゃないか、だとか、相手が返事をしようがしまいがお構い無しに、まるで十年来の顔馴染みにでも出くわしたような調子で、ぽんぽんと言葉を投げてくる。
最初の一言では一歩下がった客も、二言目、三言目と投げられているうちに、何時の間にか苦笑いしながら、何かしら返事をしてしまっている。
昼前から待っていた行商の男が、とうとう大鎌を跨いで舟に乗り込んできたのは、二度目に戻ってきた時の事である。
狭い舟の中で、胴の間に腰を下ろすと、舳先の小町と膝を突き合わせる格好になる。
行商の男は、初めのうちこそ背負子を抱えて小さくなっていたものの、川の半ばを過ぎる頃には背負子の包みを解いていて、山の裾の家々へ売りに行くと言う反物を、一枚一枚広げては小町に柄を見せていた。
向こう岸で降りる時には、姐さん、次に乗り合わせたら安くしとくよ、と笑いながら手を振っていくものだから、俺もつられて笑ってしまう。
おかみさんと女の子の方は、もう少し掛かった。
女の子が、おかみさんの袖の陰から、大鎌の曲がりくねった柄を、怖そうな、それでいて見たくて堪らないような目で、じっと見ているのである。
それに気付いた小町が、舳先から身を乗り出して、柄の先の大きな刃を、自分の指で、ぴん、と弾いてみせた。
「怖かないよ。こいつはね、斬れやしないんだ。作り物さ」
作り物だったのか、と、棹を握っていた俺の方が、女の子より先に声を上げそうになってしまう。
「死んだ人ってのはさ、三途の河まで来て、そこに大鎌を担いだ死神が居ると、喜ぶんだよ。
ああ、本当に居たんだねぇ、ってさ。
舟を漕いでるのが普通の姐さんじゃ、がっかりさせちまうだろ?
だから、それらしく見えるように担いでるだけなんだよ。ほら、触ってごらん」
女の子は、おかみさんの顔を見上げて、おかみさんが困ったように笑いながら頷くと、恐る恐る手を伸ばし、曲がった柄の瘤になった所を、小さな指で撫でた。
それからぱっと顔を輝かせて、ほんとに斬れないの、と小町に聞く。
「ほんとさ。あたいが保証する」
女の子に笑い掛ける小町の横顔を、俺は棹を握ったまま何となく眺めていた。
死神と言うより、近所の面倒見の良いお姉さんと言った方が、余程しっくりくる顔である。
そうしておかみさんは、女の子を膝に抱いたまま大鎌を跨いで、舟に乗った。
向こう岸に着くまでの間、女の子は、小町の髪の結び目で硝子玉の飾りが日に光るのを、ずっと目で追いかけている。
そんな調子で、昼の渡しは、いつもより随分と回りが遅くなった。
小町と大鎌で二人分の場所が埋まっているので、一度に一人か、子連れの一組しか乗せられず、乗れなかった客は、渡し小屋の縁台で次の舟を待つ事になる。
客を待たせるのは、渡し守として、あまり褒められた事ではない。
それでも、縁台で待っている客が、近付いてくる舟の舳先の小町と、まだ川の上のうちから大声で何か言い合っては笑っているのを見ると、案外、悪い客ではないのかもしれないと思えて仕方なかった。
川の真ん中の、流れの一番強い辺りに差し掛かった時の事である。
「この辺り、底の方で水が捩れてるねぇ」
小町は舳先から、舟縁越しに水面を、ちらりと見下ろしただけだった。
「表は大人しい顔してるけどさ、櫓が取られるだろ?
もう少し上で入れた方が、楽だよ」
驚いた。
そこは確かに、春の水の時だけ、底の方で流れが渦を巻いていて、櫓を入れる度に、先の方を水の中から掴まれて、下手へ引っ張られるような所なのである。
四、五年、毎日この川を行き来して、ようやく櫓を握る手で覚えた癖を、小町は舟縁越しに一目見ただけで言い当ててしまった。
流石は、三途の河の船頭である。
ただ、この川の事なら、俺にも少しだけ言える事がある。
向こう岸の手前の、柳の根が水の中まで張り出している辺りは、毎年春の出水の後に砂が溜まって、急に浅くなる。
しかも、その溜まる場所が、年によって少しずつずれるのだ。
俺は小町が何か言い出す前に櫓を返して、その浅瀬を大きく回り込むように舳先を振った。
舟底が砂を擦る事も無く、渡し場の杭の前まで、すうっと滑り込んでゆく。
「へぇ」
小町は通り過ぎた柳の根元の、水の色が僅かに明るくなっている所を振り返って、目を丸くした。
「よく見てるねぇ、あんた」
本場の船頭に褒められると、悪い気はしない。
だが、俺以上に観察眼が鋭いのは多分彼女の方である。
川の癖を一目で見抜いたあの瞳は、川ばかりを見ている訳ではなかったのだ。
小町は、俺のこともしっかり見ていたのである。
客と話している時も、川の流れを見下ろしている時も、ふと気付くと、緋色の目が、櫓を押す俺の腕や、肩や、櫓に合わせて前へ後ろへと移る腰の辺りに、真っ直ぐ向けられている。
盗み見ると言うのではなく、土手の桜でも眺めるような、悪びれる所の少しも無い目つきなのだ。
目が合っても、小町は逸らしもせずに、にっと笑う。
「いい腕してるねぇ。櫓の押し方が素直だ」
船頭の目で漕ぎ方を褒められたのだと、頭では分かっていても、顔が熱くなるのはどうにもならなかった。
俺は返事の代わりに、櫓を一つ、余計に強く押した。
余計に押した分だけ、舟は早く岸に着いてしまう。
岸に舳先を着けると、小町はまた律儀に銭を払う。
片道ごとに一枚ずつ、あの擦り減った古い銭が、舳先からひょいと放られては、ちゃりん、ちゃりんと俺の掌に落ちてきて、昼を過ぎる頃には、懐の中で、じゃらじゃらと音を立てる程になっている。
金を払っている客に、降りてくれとは言い出しにくい物である。
タクシーなら、乗ったまま降りない客は上客と言う事になるのだろう。
座席がもういくつかあれば、こちらも困らないのだが。
気が付けば、日は山の方へ大きく傾き始めている。
向こう岸の山の影が、川面の方へ長く長く伸びてきていた。
日が暮れれば、舟は出せない。
それまでに、この降りない客を、何処かの岸で降ろさなければならないのだ。
***
死神の仕事と言うのは、八割方、舟を漕ぐ事である。
残りの二割は、喋る事だ。
少なくとも、小野塚小町の仕事は、昔からそうだった。
冬の間は、その八割の方ばかりであった。
冬は、人がよく死ぬ。
寒さに負けた年寄りや、雪の峠で足を滑らせた者や、囲炉裏の傍で酒を過ごして、そのまま起きてこなかった者が、毎日毎日、三途の河の河原に列を作って順番を待っていて、漕いでも漕いでも、その列が一向に短くならないのである。
サボろうにもサボる暇が無いのだから、こればかりはどうしようも無い。
あたいが一日怠けたら、あの列が河原から溢れちまう、と思えば、流石の小町も、櫓を放り出して昼寝を決め込む気にはなれなかった。
それが、ようやく落ち着いた。
河原の列が途切れ途切れになり、三途の河にも、ぼんやりとした春の日が差すようになって、小町は冬じゅう握り通しだった櫓を、久しぶりに舟縁へ立て掛けたのだ。
問題は、何処でサボるかである。
三途の河の土手の、いつもの昼寝の場所は、とっくに上役に知られている。
知り合いの家に転がり込むのも、二度三度と続けば、そのうち上役の方が先回りして、茶を啜りながら待っているようになる。
新しい隠れ場所が要った。
それも、上役が思いつきもしないような所が。
そう考えて、中有の道をぶらぶらと下り、屋台の呼び込みを冷やかしながら、山の裾をぐるりと回り込んでみた先に、この川が流れていたのだ。
生きた人の川であった。
土手には桜が咲いていて、空の高い所では、雲雀が一羽、やかましく囀りながら昇ってゆく。
水際にしゃがんで指先を浸けてみると、雪解けの水が、爪の先からきんと痺れる程に冷たい。
***
今乗っているのは、山の裾の炭焼き小屋へ帰ると言う、髭の濃い中年の男である。
乗り込むなり舟底の大鎌を見て、ひっ、と喉を鳴らした癖に、川の半ばまで来た頃には、去年の冬に炭窯の火を消し損ねて、女房に三日も口を利いてもらえなかった話を、身振り手振りを交えて小町に聞かせていた。
小町が、そいつは女房の方が正しいねぇ、と言えば、男は、姐さんまでそう言うのかい、と大袈裟に頭を抱える。
喋れば、喋っただけ返ってくる。
それだけの事が、どうにも可笑しくて堪らない。
そして艫には、あの渡し守が居る。
小町は男の話に相槌を打ちながら、さっきから船頭の目で、その渡し守の漕ぎ方を眺めていた。
櫓の押し方に、癖が無い。
腕で押すのではなく、腰を落として、体ごと櫓に預けるようにして押し、引く時には、櫓の重みに逆らわずに、すっと体を戻してくる。
誰に習ったのかは知らないが、教えた方も教わった方も、余程筋が良かったのに違いない。
櫓が、ぎい、と軋む。
その軋みに合わせて、渡し守の息が、ふっ、と短く吐き出される。
ぎい、ふっ、ぎい、ふっ、と、櫓と息とが同じ調子で繰り返されて、その調子が舟板を伝い、舳先に座った小町の尻の下まで、とん、とん、と届いてくるのだ。
櫓を押す度に、袖を捲った二の腕が、硬く盛り上がる。
額に浮いた汗が、こめかみの方へ一筋流れては、川風に当たって、見る間に乾いてゆく。
昼から日に晒されっぱなしの頬は、もう少し赤くなりかけていた。
小町はそれを、遠慮無く見ていた。
見ていて、飽きない身体である。
それに、よく笑う。
炭焼きの男の女房の話に、小町より先に吹き出したのは、渡し守の方だった。
笑うと、肩が揺れて、櫓を握った腕が揺れて、それで舟まで、ゆらりと揺れる。
最初は櫓の扱いが危なっかしいのかと思ったが、そうではないらしい。
腹の底から笑う男なのである。
体の真ん中から出てくる笑い声が、肩を通って、腕を通って、櫓の先まで伝わってしまうので、舟が、渡し守と一緒になって笑うのだ。
小町は舳先の板の上でその揺れに揺られているのが、嫌いではなかった。
心地の良い奴だ、と思った。
本当なら、舟になど乗らなくてもいいのである。
小町は、距離を操る。
此処から向こう岸までの間を、ちょいと縮めてしまえば一跨ぎで渡れるし、その気になれば、中有の道の屋台にも、三途の河の河原にも、瞬き一つの間に帰れるのだ。
それでも、こう言うのを求めて、遠回りをしてしまう。
自分では櫓に触りもせずに、舳先に座って、春の日を浴びて、川風に前髪を遊ばせながら、誰かの漕ぐ櫓の調子に揺られていればいい。
長い事、櫓を握る側ばかりやってきたので、こうして自分が客になって舟に乗るのが何時以来なのか、思い出せもしないが、嵌ってしまいそうだった。
三途の河の客は、皆、向こう岸の方を向いて座る。
艫で櫓を押す小町から見えるのは、いつも、客の白い背中と、その向こうの霞ばかりだ。
せっかく人に漕いでもらうのだから、今日は、漕いでいる方の顔を見ていたかった。
それで舳先に後ろ向きに座ってみたのだが、これが、思っていたよりずっと良い席だったのである。
小町は舳先の板に座り直し、舟縁に片肘を掛けて、着崩した胸元を春の日の方へ向けた。
冬の間、三途の河の湿った冷たい風にばかり晒されてきた肌に、日差しがじんわりと沁み込んでくるのが、何とも心地良い。
河原で伸びをした時、渡し守がこの胸元に目を留めて、それから慌てて棹の先へ目を落としたのにも、ちゃんと気付いていた。
耳まで赤くして、悪さを見つかった子供みたいな顔をしていたのを思い出すと、また可笑しくなってくる。
見られて減る物でもないし、別に怒ったりもしないのだから、もっと堂々と見ればいいものを、と思う。
今だって、日に向けた胸元の方へ、渡し守の目がふっと寄ってきては、櫓の先の水の方へ逃げてゆくのが、此処からはよく見えるのだ。
日が、山の端に掛かり始めていた。
渡し守が、ちらり、ちらりと、傾いた日と小町の顔とを見比べているのには、とうに気付いている。
気付いてはいるが、小町はまだ降りる気など、これっぽっちも無かった。
***
炭焼きの男を山の側で降ろすと、入れ違いに、河原へ下りてくる人影があった。
朝のうちに山の裾の畑へ渡していった婆さんが、鍬を担いで、里へ帰ってきたのである。
婆さんは、舟底の大鎌を見ても、あらまぁ、と言っただけで、何でもない顔をしてそれを跨いで乗り込み、川を渡る間じゅう、今年は桜の散るのが遅いだの、畑の豆の芽が鳥に穿られただのと、小町と話し込んでいた。
里の側で婆さんを降ろすと、それが、その日の最後の渡しになった。
日はもう半分ほど山の向こうへ沈みかけていて、川面には、散った花びらと一緒に、赤い光が細かく砕けて流れてゆく。
日が落ちたら、舟は出さない。
暗い川は昼の川とは別物で、流れの癖も見えなければ、浅瀬も見えず、夜の川辺には、人でない物までうろつき始めるからだ。
爺さんから、一番初めに叩き込まれた決まりである。
俺は舟を渡し場の杭に寄せて、舫い綱を手に取った。
小町は舳先に座ったまま、それを眺めている。
「おや、もう仕舞いかい?」
仕舞いだと答えて、此処で降りてほしいと頼むと、小町は、ふうん、と鼻を鳴らして、舟縁に背中を預け、厚底の下駄を履いた足を、大鎌の柄の上へ投げ出した。
「なら、あたいは今夜、此処で寝るとするよ。
繋いだ舟の上なら、上役だって探しに来やしないさ。
まさか死神が、こんな所の渡し舟で寝てるなんて、誰も思わないだろ?
ね、良い隠れ場所じゃないか」
隠れ場所としては良いのかもしれないが、此方としては、それでは困るのである。
日が落ちれば、春でも川の上は冷え込み、雪解けの水から、夜通し冷たい気が立ち上ってくる。
相手が死神だろうと、一日乗せて回った客を暗い舟の上に置いて、自分だけ小屋の布団に潜り込む気にはなれない。
客が岸に上がるのを見届けて、ようやく一回の渡しが終わる。
これも、爺さんの決まりである。
それで、客を乗せたまま寝る訳にはいかない、どうしても帰りたくないなら、一晩だけ小屋で寝ていけばいい、俺は土間で寝るから、と言った。
小町はきょとんと目を瞬かせた。
それから腹を抱えて笑い出す。
舳先の板を掌でばんばんと叩き、仰け反って笑うのに、舟の方は、昼間俺が少し笑っただけで揺れていたのが嘘のように、殆ど揺れもしない。
「あっはは! 参った、参ったよ。
船頭が船頭に、渡しの決まりを説かれるとはねぇ。
おまけに死神を家に泊めようってんだから、とんだお人好しだ」
笑い過ぎて目尻に滲んだ涙を指の先で拭いながら、小町は暮れてゆく川の方へ目をやった。
この川よりもずっと遠くの、霞んで見えない向こう岸でも見るような目で、少しの間だけ、赤く光る川面を眺めている。
「……そうだねぇ。客が降りなきゃ、渡しは終わらない。
あたいの舟だって、そうさ。
その上、船頭の寝床まで取り上げちゃ、罰が当たるってもんだ」
それから小町はひょいと立ち上がって、舟底の大鎌を拾い上げ、肩に担いだ。
舳先から岸へ、高い下駄のまま、軽く跳ぶ。
かたん、と着地の音が一つして、それで終わりだった。
舟は、揺れなかった。
夕日が、真横から差している。
岸に降り立った小町の、二つに結んだ緋色の髪が、その夕日に透けて、毛先の方から赤々と光っていた。
跳んだ時の、猫が塀から下りる時のような無駄の無い身のこなしがまだ目の奥に残っていて、俺は舫い綱を握ったまま、ぼうっとそれを見ているばかりである。
「ありがとさん。おかげで、久しぶりにたっぷりサボれたよ」
小町はそう言って、最後に一枚、銭を放ってよこした。
婆さんを乗せて渡った、最後の一回の分である。
慌てて受け止めた掌の上で、擦り減った古い銭が、夕日を受けて鈍く光る。
小町は大鎌を担ぎ直すと、夕日の土手を、川下の方へ歩き出した。
一歩、二歩と、のんびりした足取りで、厚底の下駄が土手の草を踏んでゆく。
三歩目で、その背中が、急に小さくなった。
目を擦ってもう一度見ると、緋色の髪は土手のずっと先の、俺の足なら走っても暫く掛かりそうな所を、相変わらずのんびりと歩いている。
次に瞬きをした時には、どう言う訳か川の向こう岸の、山の裾へ回り込んでゆく道の上に居た。
大鎌の刃が、夕日を一度だけ、ちかりと弾く。
それきり、何処にも見えなくなった。
向こう岸へ渡るのに、舟など要らない客だったらしい。
今日一日分の渡し賃は、一体何に払ったのだろうか。
妙な客だったが、良い経験だった。
今日一日、舟の上で何度笑ったのか、自分でももう数えられない。
死神が、そう何度も生きた人の渡しに用がある筈も無いだろう。
また来るとは、思わなかった。
小屋の戸を閉める前に、もう一度だけ、暮れてゆく川を振り返る。
空になった舟が、杭に繋がれたまま、夕闇の中で小さく揺れていた。
***
三途の河には、風が吹かない。
帆を張った所で膨らむ当てが無いので、死神の舟には帆柱も無く、船頭が櫓を一本、手で押してゆくしか無いのである。
水面には漣一つ立たず、土手に桜も無ければ、雪解けの濁りも無く、向こう岸は今日も霞の奥にぼんやりと沈んだまま、何処まで漕げば着くのかも見せてくれない。
明くる日、小町はちゃんと仕事をしていた。
朝一番に上役に呼び付けられて、昨日は一日何処をほっつき歩いていたのかと、小言を一つ頂戴したのである。
何処に居たのかは、とうとう白状しなかった。
白状しない分だけ小言は長くなり、長くなった分だけ、少しは働いておかないと、昼からまた続きが始まりそうな雲行きになってしまう。
もっとも、その長い小言の最中に、上役のお説教は三途の河より長い、と昨日あの渡し守に言ってやった事を思い出してしまい、危うく口端が吊り上がりそうになったのは、小町だけの秘密である。
今日の最初の客は、何処かの村の、年寄りの霊だった。
白くおぼろな霊で、それでも、背を丸めて座る形に、何となく生きていた頃の名残が見える。
払っていった銭は、ずしりと重たい。
余程、皆に惜しまれて死んだのだろう。
銭が重ければ、河は短くて済む。
今日の河は、霞の向こうの岸が、もう薄っすらと透けて見えていた。
小町はいつものように櫓を押しながら、いつも通りに喋った。
「お客さん、運が良いよ。今日の河は短いんだ。
ああ、身を乗り出すのは止しときな。落っこちたら、でっかい魚に食い殺されちまうよ。
……まぁ、死人が二度死ぬ事も無いだろうけどさ」
客は、笑わない。
三途の河の客は、喋れないのだ。
笑いもしなければ相槌も打たず、ただ舟の真ん中に座って、行く先の岸の方を、じっと向いているだけである。
それで、別に構わなかった。
舟の上の話は、昔から、小町が一人で喋る物と決まっている。
それをいい事に、小町は上役にはとうとう白状しなかった昨日の隠れ場所の話まで、この客には聞かせてやった。
向こう岸で降りてしまえば、誰にも喋りはしないのだから、これ程口の堅い相手も居ない。
やがて舳先が、向こう岸の河原に着いた。
客はふわりと舟縁を越えて降りると、一度も振り返らずに、河原の奥の方へ漂ってゆく。
その背中が霞に溶けて見えなくなった所で、一回の渡しが終わった。
客が降りて、初めて渡しが終わる。
昨日の渡し守の言った通りで、その上、此処で降ろした客とは、永遠にそれきりである。
向こう岸で降ろした者は、裁きを受けてそれぞれの行く先へ行き、二度と小町の舟には乗らない。
そうやって、もう数え切れない程の客を、この河原で見送ってきた。
いつもの事であった。
空の舟を漕いで戻りながら、ぎい、と櫓の軋む音を聞いていると、その後に、ふっ、と短い息が続くような気がしてきて、面白い。
さて、次は何処でサボろうか。
上役の知らない所なら、一つ、心当たりが無い訳でもない。
小町は鼻歌混じりに、櫓を一つ、大きく押した。
風の無い河の上を、空の舟が、すうっと軽く滑ってゆく。