月の姫君との春
筍は、朝のうちに掘る物である。
掘ってから時が経てば経つほど、えぐみと苦みが出てくるからだ。
掘ったその日のうちなら、皮ごと焼いても、薄く切って生のまま齧っても、えぐみなどまるで無くて、ほんのりと甘い。
それが一晩置いただけで、米ぬかと一緒に長いこと茹でてあくを抜かなければ、とても食べられた物ではなくなってしまうのだ。
外の世界の言葉で言うなら、筍の賞味期限は掘ったその日のうち、と言う事になる。
筍は待ってくれないよ、と言うのが、里の煮売り屋の女将さんの、春の口癖であった。
俺は、人里の外れの、迷いの竹林の縁に近い一軒家で、竹細工をして暮らしている。
籠に笊に箸、それから、たまに子供にせがまれて竹とんぼ。
幻想入りしてから何年か、里の籠屋の爺さんに頭を下げて手ほどきを受け、どうにか売り物になる籠が編めるようになったのは、去年の事だ。
竹を割って、削って、編む仕事は、思っていたよりもずっと根気の要る物だったが、黙って手を動かしているうちに日が暮れていると言うのは、案外悪くなかった。
そして春になると、仕事の合間に竹林の縁で筍を掘って、里へ売りに行くのだ。
その日も、夜が明けるのと一緒に竹林へ入った。
背負い籠には、筍掘りの鍬と、鉈と、竹の皮で包んだ握り飯が二つ入れてある。
見上げると、竹の葉が、すっかり黄ばんでいた。
竹の秋、と言うのだそうだ。
他の木々が芽吹いて青くなってゆく春に、竹だけが秋の木のように葉を黄色くして、筍の出る頃になると、それをはらはらと落としてゆく。
足元は、その落ち葉に埋もれて、一面が枯れ草のような色をしていた。
落ち葉に埋もれていると、筍の目印になる地割れは殆ど見えない。
だから、足の裏で探す。
落ち葉の上をゆっくりと歩いて、草鞋の底に、ほんのわずかな土の盛り上がりが当たったら、そこにしゃがんで、落ち葉を手で払うのだ。
初めの春は、何度踏んでもさっぱり分からなかったが、三度目の春ともなると、目で探すより先に、足の方が見つけてくれるようになった。
上手く行けば、払った落ち葉の下の土の割れ目から、黄色い筍の頭の先が、ほんの少しだけ覗いている。
頭が土から出てしまうと、筍は急に伸びて、固く、えぐくなってゆく。
だから、まだ出る前か、出たばかりの物を掘るのが一番美味い。
朝のうちに、籠の半分ほどが埋まった。
ただ、物が小さい。
春の竹林の縁には、里の者が誰も彼も筍を掘りに来るので、太くて形の良い物から先に掘られてしまうのだ。
太い物ほど、煮売り屋では高く買ってもらえる。
女将さんは、太いのが入ったら真っ先に持っておいで、と春になる度に言ってくれるが、ここの所、その太いのを持っていけた例しが無かった。
足の裏に大きな盛り上がりが当たったのは、縁から少し奥へ入った所であった。
落ち葉を払うと、地面が掌を広げた程の幅で放射状にひび割れている。
これは、太い。
鍬を入れて、筍の周りの土を少しずつ退けてゆくと、案の定、根元が俺の腕よりもずっと太い、ずんぐりとした筍が姿を現した。
地下茎に繋がった根元に鍬の刃を当てて、一息に断ち切る。
持ち上げると、ずしりと腕に来た。
それで、欲が出た。
少し先の落ち葉にも、盛り上がりがあるように見えたのだ。
掘ってみると、それも良い筍だった。
地下茎は竹林の土の中を網の目のように走っているから、良い筍の近くには、良い筍が出ている事が多い。
その先に、また一つ。
もう一つ、もう一つと掘り進めて、籠の重みが肩に食い込むようになった頃に、俺はようやく顔を上げた。
竹しか無かった。
前を見ても後ろを見ても、似たような太さの竹が、似たような間合いで、何処までも立ち並んでいる。
奥へ入る時に、念の為にと、鉈で幹に刻みを付けておいた筈であった。
来た方へ引き返したつもりで暫く歩いたが、その刻みが、一つも見当たらない。
上を見ても、黄ばんだ竹の葉が空を覆っていて、お日様が何処にあるのかも、よく分からなかった。
迷いの竹林、と里では呼ばれている。
奥へ入って出てこられなくなった者の話は、春になる度に誰かしらが口にする。
運良く出てこられた者は、決まって、目印が何の役にも立たなかったと言うのだ。
その話を、俺は、竹林の縁に住んでいながら、何処かで他人事のように聞いていた。
背中の籠の中で、筍がごろりと動いた。
一番初めの物は夜明けに掘ったのだから、もうかなりの時間が経っている。
日が暮れてしまえば、竹林の中は一寸先も見えなくなって、それこそ一歩も動けなくなるだろう。
そうなれば今夜のうちに茹でる事もできず、明日の朝には、この籠一杯の筍が、えぐくて何処にも売れない物になってしまうのだ。
筍は待ってくれないよ、と言う女将さんの声が、頭の中で、やけにはっきりと聞こえた。
***
腹の空き具合からすると、昼は近いようだった。
背負い籠を下ろし、倒れて横になっている竹に腰掛けて、握り飯を一つ食べた。
もう一つは、いつ竹林を出られるか分からないので、食べずに取っておく事にした。
食べながら、さて、どちらへ行こうかと考えてはみたが、どちらを向いても竹ばかりで、考えの取っ掛かりも無かった。
「お兄さん、こんな奥でお昼ご飯?」
声は、すぐ後ろからした。
振り返ると、竹の根元に小さな女の子がしゃがみ込んで、こちらを見上げていた。
頭の上に、兎の耳が二本、ぴんと立っている。
首からは、人参の形をした飾りを下げていた。
いつからそこにいたのか、まるで分からない。
落ち葉の積もった竹林で、足音一つ聞こえなかった筈である。
道に迷ったと言うと、女の子は、くふ、と喉の奥で笑った。
「知ってるよ。さっきから、同じ所をぐるぐる回ってたじゃん。三べんくらい」
見ていたのなら、一べん目で声を掛けてくれれば良さそうな物である。
女の子は、てゐと名乗った。
この竹林に住む兎なのだと言う。
てゐは、ひょいと立ち上がると、俺の足元の籠を覗き込んで、鼻をひくつかせた。
「いい筍。縁の辺りじゃ、こんなの、もう出ないでしょ。
……ねえ、お兄さん。お兄さんは運が良いね。私に会えたんだからさ。
大抵の人間は、もっとずうっと長いこと、ぐるぐるしてるよ」
運が良い、のだろうか。
確かに、迷ってから幾らも経たないうちに、この竹林に住んでいる者に出くわしたのは、運が良いと言えなくもない。
籠を背負い直しながら、竹林の外まで連れていってほしいと頼むと、てゐは、いいよ、とあっさり頷いた。
あっさりし過ぎていて、何だか少し不安になった。
てゐの後について、竹林の中を歩いた。
てゐは、落ち葉の上を、跳ねるように軽く歩いてゆく。
小さな背中が、竹と竹の間を、迷う素振りも無く右へ折れ、左へ折れしてゆくので、重い籠を背負った俺は、付いてゆくだけで精一杯であった。
時々、少し離れた竹の陰から、兎の耳がひょこりと覗いては引っ込むのが見えた。
一匹や二匹ではなかった。
それにしても、随分と歩く。
竹林の外へ近づいているのなら、竹の向こうが少しずつ明るくなってくる筈なのに、辺りは却って薄暗く、静かになってゆくような気がした。
その事を言うと、てゐは振り返りもしないで、近道だよ、と言った。
「帰り道を知ってる兎はね、みんな、この先のお屋敷に住んでるんだよ。
帰りたいなら、まずは、うちの姫様にご挨拶。今日はお師匠様も鈴仙もいないからね。
それに姫様、退屈してるしさ。お兄さんみたいなのが来たら、きっと喜ぶよ」
竹林の奥の屋敷と言えば、里で耳にするのは一つきりである。
永遠亭と言う屋敷で、人でも妖怪でも、どんな病も治してしまう医者がいるのだそうだ。
もっとも、案内が無ければ辿り着けない所なので、本当に行った者には会った事が無い。
薬なら、時々里へ来る笠の薬売りから買えば足りるので、俺には縁の無い噂だった。
お師匠様と言うのが、その医者の事なのかもしれない。
けれど噂に出てくるのは医者ばかりで、お姫様の話は聞いた事が無かった。
けれど、ここで置いていかれたら、それこそ二度と竹林から出られないに決まっているので、付いてゆく他に無い。
竹の間に、不意に、白い塀が見えた。
古い、大きな屋敷である。
門の前でてゐが立ち止まって、こちらを振り返った。
その頭の上、塀の向こうに、白い物が覗いていた。
桜であった。
若葉の赤と花の白とが入り混じって、枝を大きく張り出した、見事な山桜である。
里の山桜は、この所の風で、もう大分散ってしまっていた。
それなのに、塀の上に覗く枝は、今が盛りとばかりに、一輪の欠けも無く咲き揃っていた。
***
屋敷の中は、外から見たよりも、ずっと奥が深かった。
玄関で盥の水を借りて、朝から竹林を歩き回った足を濯いだ。
土の付いた籠を玄関に置いてゆこうとすると、てゐが、それも持っておいで、と言う。
仕方なく籠を胸に抱えて、てゐの後から、磨き込まれた長い廊下を幾つも折れてゆく。
草鞋を脱いだ足の裏に、板の冷たさが心地良かった。
通されたのは、庭に面した広い座敷であった。
開け放した障子の向こうに、さっき塀の上に見えた山桜が、庭の奥に一本だけ立っている。
その桜を眺めるようにして、座敷の真ん中に、一人の少女が座っていた。
最初に目に入ったのは、髪であった。
黒い髪が、彼女の背中を覆って腰を過ぎ、そのまま畳の上にまで溢れて、後ろへ長々と流れている。
庭からの光が当たると、その黒の上を、艶が一筋、ゆっくりと滑ってゆく。
気がつくと俺は、その黒髪を、彼女の肩から畳の上の一番先の一筋まで、目で辿っていた。
辿り終えてから、人の屋敷に上がり込んで、その主の髪の先をしげしげと眺めているのは、どう考えても不躾だと気づいて、慌てて目を伏せた。
伏せた先には暗い臙脂の裾が広がっていて、そこには黄色い糸で、竹と花の模様が入っていた。
「あら、てゐ。それ、なあに?」
おっとりとした、何処か退屈そうな声であった。
そっと顔を上げると、彼女は髪を眺められる事になど慣れきっているのか、気にした様子も無い。
優雅な面持ちでこちらを見た。
「竹林で拾いました。筍掘りの人間です、姫様」
「珍しい話ね。筍を掘ってるうちに、こんな所まで迷い込んだの? 随分と熱心なこと」
帰り道を教えてほしいと頼むと、彼女は、ゆっくりと首を傾げた。
畳の上の黒髪が、その分だけ、さらりと動いた。
濃い茶色の目が、俺の顔と、胸に抱えた籠とを、面白そうに見比べている。
「帰り道なら、てゐが知ってるわ。すぐ帰してあげてもいいのだけれど……でも、そうね。ただ帰すのは、つまらない」
彼女は、蓬莱山輝夜と名乗った。
この屋敷の主だそうである。
俺も名を名乗るが、輝夜は、ふうん、と言ったきり、その名前を口にしようとはしなかった。
「そうね。じゃあ、こうしましょう。
この屋敷に無い物を、何か一つ、私に見せてちょうだい。
見せられたら、てゐに送らせてあげる」
輝夜と言う名前に、無理難題である。
小学校の国語の時間に、意味もよく分からないまま読み上げさせられた、あの話を思い出さない訳にはいかなかった。
いまは昔、竹取の翁といふものありけり、と言う書き出しは、今でも何となく口をついて出る。
竹の中から見つかった姫が、言い寄る男たちに、この世に無いような宝物を持ってこいと難題を出す話である。
その姫の名前が、かぐや姫であった。
まさかとは思うが、ここは幻想郷である。
それに、竹林の縁に住んで、竹を割って籠を編み、春には筍を掘って暮らしている俺は、野山にまじりて竹を取りつつ、と言うあの一節そのものである。
翁と呼ばれるには、まだ若いつもりだが。
兎も角、何か見せなければ、帰してはもらえないらしい。
土の付いた籠を畳に置くのは気が引けたので、縁側に近い板の上に下ろして、まずは籠そのものを見てもらう事にした。
俺が編んだ籠である。
輝夜は身を乗り出して、籠の編み目を、白い指先でなぞった。
「いい籠ね。真竹でしょう。目が詰んでて、丈夫そう。
でも、竹の物なら、この屋敷には幾らでもあるわ。
……竹の事なら、私、貴方よりずっと詳しいのよ。竹の花を見た事は、ある?」
無い、と答えた。
竹の花が咲くと、その竹林は丸ごと枯れてしまうのだと、籠屋の爺さんに聞いた事がある。
百年に一度咲くか咲かないかの物で、爺さんも、見た事は無いと言っていた。
「私は、あるわ。何度か」
冗談だと思った。
けれど輝夜は、昨日の天気の話でもするような顔をしていた。
次に、取っておいた握り飯を出した。
竹の皮を開いて見せると、輝夜は、てゐと顔を見合わせて、くすくすと笑った。
「お米なら、台所にあるわ。ねえ、てゐ」
「ありますねえ。お兄さんのより、ずっと白いのが」
輝夜は笑いながら、座敷の奥の棚を指差した。
棚の上には、古びた鉢だの、色の深い玉だの、見た事も無い木の盆栽だのが、無造作に並べてある。
「あそこには、龍の頸の玉だってあるのよ。その程度のものなら、この屋敷に無い物を探す方がよっぽど難しいと思うけど」
龍の頸の玉と言うのが、物語に出てくる宝物の一つだった事は、何となく覚えている。
宝物は確か五つあって、他にはっきり覚えているのは、燃えない筈が火にくべたら燃えてしまった、偽物の火鼠の皮衣である。
それから、皇子の言い付けで玉の枝をこしらえたのに、手間賃を払ってもらえなかった職人たちの事も覚えている。
職人の端くれとしては、他人事とは思えない話だ。
棚の上のどれがそれなのかも、それが本物なのかも、俺には分からない。
ただ、輝夜がそれを、まるで縁日で買ってきた玩具でも指すように、何の気負いも無く指差した事だけが、妙に頭に引っかかった。
輝夜と言う名前に、竹林に、難題に、龍の頸の玉である。
ここまで揃っては、まさかとばかりも言っていられない。
人が空を飛び、妖怪も神様もいる幻想郷である。
外の常識は通じない。
けれど、物語の終わりで、かぐや姫は十五夜に、月からの迎えと一緒に帰っていった筈である。
帰らなかったのだろうか。
それとも、まだ帰っていないだけなのか。
しかし、帰る手段を握っている初対面の相手に、貴方は月へ帰る筈のかぐや姫ですか、などと訳の分からない質問を投げる胆力は無かった。
その時、庭の方から、強い風が吹き込んできた。
竹林の上を渡ってきた風が、黄ばんだ竹の葉を塀の向こうから巻き上げて、ばらばらと庭に降らせ、縁側を転がして、座敷の中にまで何枚も運んでくる。
その一枚が、輝夜の黒髪の上に、ふわりと落ちた。
俺は、庭の奥の山桜を見ていた。
盛りを過ぎかけた山桜なら、これくらいの風で、花びらを吹雪のように散らす筈である。
この桜は、花がすっかり開ききって、若葉も伸びきっていて、とうに散り始めていなければおかしい咲き方をしていた。
それなのに、枝が大きく揺れても、花びらが一枚も落ちてこないのだ。
風が止むと、桜は何事も無かったように、元の満開の姿のまま、そこに咲いていた。
輝夜の髪に載っているのは、黄ばんだ竹の葉が一枚きりで、桜の花びらは、とうとう一枚も降ってこなかった。
綺麗な桜だった。
綺麗なのに、何処か、息を止めているような桜でもあった。
板の上の籠に目を落とすと、一番上の筍の切り口が、掘った時の白さを失って、薄く茶色に乾き始めていた。
掘ってから、もう半日近くが経っている。
こうしている今も、この筍は、少しずつえぐい物になってゆくのだ。
あの桜とは、まるで逆である。
俺は、籠の中から一番太い筍を取り出して、輝夜の前に置いた。
「……筍? 筍なんて、この竹林に幾らでも生えるじゃない」
その通りである。
けれど、これは今朝掘った筍で、今日のうちなら皮ごと焼くだけで甘いが、明日にはえぐくて食べられなくなると、俺は言った。
この屋敷の桜は風が吹いても散らないが、この筍は待ってくれない。
今日の筍は今日しか無いから、この屋敷には無い物の筈だ、と。
輝夜は、竹の葉を一枚載せたままの黒髪を揺らして、可笑しそうに目を細めた。
「今朝掘った筍なら、うちの兎たちも毎朝掘ってきて、台所へ運んでくるわ。
だから、それもこの屋敷にある物ね」
言われてみれば、その通りであった。
籠も、握り飯も、筍も、この屋敷には、もうある。
籠の中にも懐にも、他に見せられる物は残っていなかった。
言い負かしておきながら、輝夜は、目の前の筍から目を離さなかった。
両手で持ち上げて、焦げ茶色の皮の産毛を指で撫で、根元に付いた土を指で払って、あちこちから眺め回している。
「……でも、皮ごと焼いただけの筍なんて、食べた事が無いわね。
本当に、それだけで甘いの?」
今日のうちなら、と俺は頷いた。
輝夜は、ぱっと顔を上げた。
「焼くわ。今すぐ。私が焼く」
てゐが横で小さく、あちゃあ、と呟いて、額を押さえた。
***
蓬莱山輝夜には、時を惜しいと思った事が無い。
惜しむと言うのは、いずれ無くなる物を持っている者のする事である。
輝夜の時間は、無くならない。
今日が終われば明日が来て、明日が終わればまた明日が来て、そうして千年が過ぎても、輝夜の体は、髪の一筋も変わらないのだ。
気に入った物があれば、取っておけばいい。
庭の奥の山桜も、そうして取っておいた物の一つである。
いつの春だったか、余りに見事に咲いたので、散らないようにしてやった。
それから、あの桜は一度も散っていない。
いつの春だったのかは、もう覚えていなかった。
過ぎた事は、振り返らない事にしている。
だから輝夜には、惜しい物も無ければ、待ち遠しい物も無い。
難題を出したのも、ほんの気紛れである。
昔は、言い寄ってくる男たちを追い払う為に、よく出した物だった。
男たちは皆、同じ目をしてこの髪を眺め、顔を見て、宝を持ってきさえすれば手に入ると思っていた。
恋だの求婚だのには、遠い昔に飽き飽きしている。
何がそんなに面倒だったのかも、もう覚えていない。
今日の人間も、座敷に入ってくるなり、同じ目をして髪を眺めていた。
だから、退屈凌ぎに難題を出してやったのだ。
困った顔で、籠を出し、握り飯を出し、筍を出すのは、少し可笑しかった。
答えは、焼けるまでに考えておくように言ってある。
輝夜が、庭の真ん中で、焚き火の前にしゃがみ込んでいた。
兎たちに言い付けて、庭の隅に吹き溜まった竹の落ち葉と、枯れた竹を集めさせた。
乾いた竹の葉は、火を付けると、ぱちぱちと音を立てて、見る間に燃え上がった。
輝夜が早速、筍をその炎の中へ放り込もうとすると、横から人間に止められた。
人間が言うには、炎の中へ入れたら皮の外ばかりが焦げて、中まで火が通らない。
火が落ち着いて、赤い熾火になるまで待った方がいい、と言う。
「待つの?」
輝夜は、不満を隠さなかった。
欲しい物は、欲しいと言えば出てくるのが、この屋敷である。
人間は、少し困ったように笑って頷いた。
それから、兎たちが集めてきた枯れ竹を一本取って、籠から出した鉈で縦に割り始めた。
節を割らずにくべれば竹が弾ける事くらいは、輝夜も知っていた。
その傍から、怠惰な兎の一匹が割らずに放り込んだ竹が、火の中で、ぱぁん、と大きな音を立てて弾けた。
兎たちが、一斉に跳び上がった。
輝夜も、少しだけ跳び上がった。
火が熾火になると、人間は、筍を皮ごと灰の中に埋めた。
輝夜が皮を剥こうとすると、それも止められた。
皮の中で蒸されるから甘くなるそうで、どうやら現代風の焼き方と言うのは、何から何まで、輝夜の思うのと逆にできているらしかった。
灰を被せながら、人間は、掘らずにおけば、これも十日もすれば固い竹になっていた、と言った。
その事なら、輝夜も昔から知っている。
筍と言う字が竹に旬と書くのも、一旬、つまり十日で竹になるからだと言われている。
けれど、それを気に留めた事は無かった。
十日など、輝夜にとっては、瞬き一つ程の間である。
その瞬きの間に、筍は竹になってしまうのだ。
随分と、急いで生きる物である。
筍の見つけ方なら、輝夜も知っている。
地面の小さなひび割れを探すのだ。
そう言うと人間は、落ち葉の積もる今時分は足の裏で探すのだ、と付け足した。
竹の落ち葉の下の、ほんの少しの土の盛り上がりが、慣れれば目で見つけるより先に、踏んで分かるようになるらしい。
足で探すとは、知らなかった。
人間は時々、竹串で筍の根元を突いては、焼け具合を確かめた。
輝夜は、その度に、まだなのかと聞いた。
何度目かに、竹串が根元にすっと通った。
人間が、灰の方へ恐る恐る手を伸ばしかけたので、輝夜は言った。
「熱いなら、火鼠の皮衣を持ってこさせましょうか。燃えないわよ」
人間は、何か言いかけて口を開け、それから閉じて、首を横に振った。
そして、手ぬぐいを手に巻いて灰の中から筍を掘り出すと、真っ黒に焦げた竹皮を、熱そうに指先で一枚ずつ剥いていった。
何枚も剥いた。
焦げた皮の下から、白い湯気と一緒に、薄い黄色の、瑞々しい中身が現れた。
兎が水を汲んできたので、人間はそれで手を洗い、台所から届いた包丁で筍を切り分けた。
兎に持ってこさせた塩を付けて、一切れ齧った。
甘かった。
えぐみなど、何処にも無い。
歯を当てると、さくりと崩れて、中から熱い汁が溢れてくる。
筍なら、毎年、永琳が煮物にも筍の御飯にもして、膳に載せてくる。
けれど、皮のまま灰に埋めて焼いただけの物を、焚き火の前にしゃがんで、熱いうちに齧った事は無かった。
姫の膳に、そんな物が載る筈も無い。
熱いのも構わずに、二口目を頬張った。
「……美味しい」
はふはふと湯気を吐きながら言うと、人間は、ほっとしたように笑った。
残りの筍を、てゐや兎たちの分に切り分けている人間の手を、輝夜は見ていた。
節の太い、日に焼けた手であった。
その人差し指の付け根の辺りに、細い傷が一本、斜めに走っている。
血はもう止まって、傷の筋に沿って、赤黒いかさぶたが細く固まっていた。
傷の縁だけが、張ったばかりの薄い皮で、淡い桃色をしている。
「それ、どうしたの」
人間は、自分の手を見て、ああ、と言う顔をした。
三日前に竹を割っていて、割り口の縁で切ったと言う。
三日。
輝夜は、人間の手首を掴んで引き寄せると、傷を間近に覗き込んだ。
人間がびくりと身を固くしたのが、掴んだ手首から伝わってきた。
温かい手首だった。
その内側で、何かが、とくとくと、せわしなく打っている。
輝夜の手首にも同じ物がある筈だが、こんな風に打っている事など、気にした事も無かった。
三日で、傷はここまで塞がるのだ。
あと何日かすれば、かさぶたも取れて、きっと何処に傷があったのかも分からなくなる。
輝夜の体なら、どれ程の傷を負っても、すぐに跡形も無く元に戻る。
傷を負う前の体に、そっくりそのまま戻るだけである。
けれどこの手は、三日かけて、傷の上に新しい皮を張ってきたのだ。
この人間の体は、毎日少しずつ、昨日とは違う物になってゆく。
筍のように。
その傷が塞がってゆくところを、見ていたいと思った。
けれど、何日か後のこの手は、輝夜の知らない所にある。
掴んだままでいると、人間が、困ったように輝夜の顔を見た。
耳まで赤くなっていた。
輝夜は、手を離した。
気がつくと、山桜の影が、庭の土の上に長く伸びていた。
人間が、空を見上げた。
日が暮れる前に竹林を出て、残りの筍を、今日のうちに茹でておかなければならない、と言う。
明日、里の煮売り屋が、それを待っているらしい。
今日の夕暮れが終わっても明日の夕暮れが来るのだから、日が傾く事など、今まで一度も気にした事が無かった。
それなのに、桜の影が一寸伸びる度に、何かを取り上げられてゆくような気がした。
ここで茹でてゆけばいい、と言いかけて、やめた。
代わりに口から出たのは、別の事だった。
「まだ、答えを聞いてないわ。見せられなかったら、帰してあげないわよ」
答えられなければいい、と思った。
思ってから、輝夜は、自分で少し驚いた。
人間は、暫く黙って、庭の奥の桜を見ていた。
それから、傍らに置いてあった籠を背負うと、門まで一緒に来てほしい、と言った。
***
庭から表へ回る間、輝夜は、何も聞かずに付いてきた。
時々振り返ると、長い黒髪の先が、敷石の上を擦りそうで擦らない所で揺れている。
てゐはその後ろを、何か面白い事が起きるのを待つような顔で歩いていた。
歩きながら、座敷で考えていた事の続きを考えた。
この屋敷へ持ち込んだ物は、持ち込んだ途端に、それこそこの屋敷の物になる。
風が吹いても、花びら一枚落とさないあの桜のように、輝夜のものとしてこの地に刻まれてしまうのだ。
だから、この屋敷にあるものは、この屋敷の外に出られない。
しかし俺は、日が暮れる前に、ここを出ていかなければならない。
門の前で、俺は立ち止まった。
それから、敷居を跨いで、一歩だけ外へ出た。
振り返ると、輝夜は門の内側に立って、怪訝そうに俺を見ていた。
あの屋敷に無い物を、今、見せている、と俺は言った。
あの屋敷の中に、今、俺はいないのだから、と。
言ってしまってから、我ながらまた随分な屁理屈を捏ねた物だと思った。
輝夜は、暫く黙っていた。
それから、肩を揺らして笑い出した。
「……小狡い人ね」
口元に笑いを残したまま、輝夜は、敷居の向こうの俺を眺めた。
「でも、そうね。無いわ。確かに、この屋敷には、貴方が居ない」
手を伸ばせば届く所である。
けれど輝夜は、敷居から一歩も出てこなかった。
「てゐ。送ってあげて」
てゐに袖を引かれて歩き出し、竹の間から一度だけ振り返った。
輝夜は、まだ門の内側に立っていた。
その頭の上で、塀の向こうの山桜が、来た時と少しも変わらずに咲いていた。
帰り道は、拍子抜けする程に短かった。
てゐの後について、半刻も歩いたかどうかと言ううちに、竹の向こうが明るくなって、見覚えのある竹林の縁に出たのだ。
行きは、わざと遠回りをさせられたらしい。
里の方の空が、もう赤く染まり始めていた。
歩いている間、てゐは何度か、一人で思い出し笑いをしていた。
何が可笑しいのかと聞くと、だって姫様が、と言いかけては、また笑う。
「姫様が自分で火の前にしゃがむなんて、ねえ。
……お兄さん、あの筍で命拾いしたよ。
あれで姫様が気に入らなかったら、今頃まだ、竹林でぐるぐるしてただろうね」
竹林の縁の、古い切り株の所で、てゐは足を止めた。
礼を言ってから、もう一度あの屋敷へ行くにはどうすればいいのかと聞くと、てゐは、きょとんとした顔をした。
「行きたいの? あそこに?
やめときなよ。姫様はね、飽きっぽいんだ。
明日になったら、お兄さんの顔なんて、もう覚えてないって」
そう言って、てゐは、くふ、と笑った。
本当の事を言っているのか、からかっているのか、その顔からは、まるで読めなかった。
切り株の方へ目をやって、もう一度振り返った時には、てゐの姿は、もう竹の間の何処にも無かった。
家に帰り着いたのは、日がすっかり沈む頃だった。
竈に火を入れて、一番大きな鍋で湯を沸かす。
筍の外側の皮を何枚か剥いて、穂先を斜めに切り落とし、皮に縦に切れ目を入れてゆく。
米ぬかを一掴み入れた湯に、筍を沈める。
大きな鍋でも一度には入りきらないので、二度に分けて茹でる事にした。
沸いてからも、根元に箸がすっと通るまで、長いこと火の番をしていなければならない。
明日の朝には煮売り屋へ持っていく物なので、今夜のうちに、これを済ませておくしかない。
湯気の立つ鍋の前で膝を抱えて、竈の火を見ていると、あの屋敷の事ばかりが思い出された。
畳の上に流れていた、長い黒髪。
龍の頸の玉を、縁日の玩具でも指すように指差した、白い指。
焼けた筍を一口齧って、目を丸くした顔。
それから、熱いのも構わずに二口目を頬張って、はふはふと、白い湯気を吐いていた顔。
姫と言うから、もっと澄まして物を食べる人かと思っていたが、あんなに美味しそうに物を食べる人を、俺は見た事が無かった。
それから、散らない桜の事を思った。
風に枝を揺らしても、花びらを一枚も落とさなかった、あの山桜。
綺麗だったが、散らないと言う事が、何故だか少しだけ寂しかった。
あの人は、いつからあの桜の前で、ああして座っているのだろう。
門の敷居の内側から、とうとう一歩も出てこなかった姿を思い出した。
もう一度、あの人が何かを食べる顔を見たいと思った。
今度は、何を持っていったら、あの人はまたあんな顔をするだろうか。
そこまで考えてから、一人ではあの屋敷に辿り着けもしない事を思い出した。
てゐは、明日には忘れている、と言っていた。
それなりに楽しい時間を過ごせたと思っているだけ、もしそれが本当なら、嫌だな、なんて思った。
鍋の中で、筍が、ことことと揺れていた。
***
その夜、輝夜は、なかなか寝付けなかった。
床の中で目を閉じると、焦げた皮の下から現れた、薄黄色の筍が浮かんでくる。
それから、日に焼けた手と、その手首の内側で、せわしなく打っていた物。
門の敷居の向こうに立って、この屋敷に無い物だと言った、あの顔。
この屋敷には、何でもある。
あの人間だけがいない。
今頃あの人間は、残りの筍を、鍋で茹でているのだろうか。
あの傷は、今日の分だけ、また少し塞がっただろうか。
気になるのは、あの筍の味と、あの傷がどうなったかである。
あの人間そのものが気になる訳ではない。
なにせ恋だの何だのには、とうに飽き飽きしているのだ。
床を抜け出して、沓脱ぎの下駄をつっかけ、縁側から庭へ下りた。
半分ほど欠けた月が、竹林の上に掛かっていた。
庭の奥の山桜は、昼間と少しも変わらない姿で、月の光の中に白く咲いている。
昼間あれだけ兎たちが走り回り、風が吹き、竹の葉が降り込んだと言うのに、その根元には、花びらが一枚も落ちていない。
落ちているのは、黄ばんだ竹の葉ばかりである。
足の裏で探すのだと、あの人間は言っていた。
輝夜は下駄を脱いで、素足のまま、竹の落ち葉の上をそろそろと歩いてみた。
乾いた葉が、足の裏で、かさかさと崩れる。
その下の土は、夜気を吸って、ひんやりと冷たかった。
桜の枝が竹藪の方へ張り出した、その下まで来た時、足の裏に、ほんのわずかに固い物が当たった。
しゃがみ込んで、落ち葉を払う。
月明かりの下で、黒い土が、指一本程の幅で細く割れていた。
その割れ目の奥から、黄色く尖った物の先が、わずかに覗いている。
筍であった。
庭に筍が出ている事など、今まで気にした事も無かった。
毎年、こうして出ていたのかもしれない。
輝夜が、見た事が無かっただけで。
十日もすれば竹になる。
今は指の先程しか見えないこれが、十日経てば、もう食べられない固い竹になるのだ。
明日の朝には、どうなっているのだろう。
今夜のうちにも、少しは伸びるのかもしれない。
割れ目の上で、指先が止まった。
気に入った物は、取っておけばいい。
いつものように、このままにしておけば、この筍は、明日も明後日も千年先も、この小さな尖った頭のままで、ここにある。
けれど、それでは筍ではなくなってしまう。
輝夜は、指を引っ込めた。
「てゐ」
呼ぶと、竹藪の暗がりで落ち葉ががさりと鳴って、てゐが顔を出した。
こんな夜更けでも、この兎は、呼べば大抵、何処かから出てくるのだ。
「十日経ったら、あの人間を、またここへ連れていらっしゃい。
それから、この筍。兎たちに掘らせちゃ駄目よ」
本当は、明日、と言いかけたのだ。
けれど、明日などと言ったら、この兎に何を言いふらされるか、分かった物ではなかった。
てゐは、くふ、と笑った。
「十日でいいんですか、姫様」
「十日よ」
「あの人間、名前、何て言いましたっけねえ」
輝夜は、答えなかった。
名前なら、覚えている。
過ぎた事を振り返らない輝夜が、昼間に一度聞いただけの名前を、どう言う訳か、ちゃんと覚えていた。
けれどそれを、この兎の前で口にしてやる気は、少しも無かった。
てゐが竹藪の暗がりへ消えてしまっても、輝夜は、筍の傍にしゃがみ込んだまま動かなかった。
夜明けまでは、まだ随分とある。
その随分が、久しく、長いと思った。
月の下で、桜は一枚も散らずに咲いていた。
その枝の下の、黒い土の割れ目だけが、さっきよりもほんの少し、広がったように見えた。