上位存在のイケニエとして差し出された穀潰しの少年、なぜかめちゃくちゃ溺愛される 作:茨木野
両親が流行り病で亡くなり、叔父の冷たい土間の家に引き取られたのは、俺――アントニオが五歳の時のことだ。
それから十年。十五歳になった俺は、相変わらず村で肩身の狭い思いをしていた。
この世界では、何よりも『魔力』の大きさが重宝される。
土を耕すにも、飲み水を確保するにも、荷車を動かすにも、魔法が必要不可欠なこの世界で、俺は魔力がまったくのゼロだった。
どれだけ木杖を強く握りしめても、光の粒一つ出ない。
体に魔力を込めることもできず、農具を振るえばすぐに息を切らして怪我をした。
「本当に、誰の血を引いたんだか。うちの家系に魔力ゼロなんて穀潰しはいないはずなんだがな」
叔父の口癖はそれだった。
魔力がない俺は、農作業の手伝いすらまともにできず、同世代の子供たちからも「魔力なしの穀潰しのアントニオ」と陰口を叩かれて生きてきた。
穀潰しだという自覚はあった。
だから、村に怪しげな男がやって来て、叔父が俺を呼び出した時も、不思議と怒りや悲しみは湧いてこなかった。
☆
「おいアントニオ、ちょっと来い」
ある日の夕暮れ。薄暗い納屋の隅で本を読んでいると、叔父に呼ばれた。
母屋に向かうと、そこには見慣れない男が立っていた。
全身を黒色のローブで包み、顔の下半分を布で隠した胡散臭い男だ。土埃の匂いが、男の分厚い外套から漂ってくる。
「なんだ、このガキは。魔力をまったく感じないが」
「アントニオ。うちの穀潰しです。ですが、言われた条件には合致しているはずでさぁ。ほら、アントニオ。お前にもついに立派な仕事が見つかったぞ」
叔父が揉み手をして男に媚びを売る。
ローブの男によれば、仕事内容は『とある塔にいる女の子の、一ヶ月間の話し相手』らしい。
報酬として、叔父にはかなりの大金が支払われるようだった。
(なるほど。要するに、体のいい厄介払いだ)
魔力のない俺をこれ以上養うのは限界だったのだろうし、金になるなら売ってしまおうということだろう。実質的な追放だ。
今まで迷惑をかけてきたのは事実だし、まあ、仕方ないか。
「住み込みの仕事ってことでしょうか?」
「そういうことだ。最低限の衣食住は、こちらで用意する」
話し相手になるだけで寝床と食い物がもらえるなら、むしろ好待遇な気すらする。
俺は殺されたり、生贄にされたりするなんて、この時は微塵も思っていなかった。
「わかりました」
「ふん。物分かりのいいガキで助かる。すぐに出発するぞ」
ローブの男はそう言い捨て、俺を外に停めてあった馬車へと押し込んだ。
叔父はホクホク顔で金貨の入った袋を鳴らしている。俺は馬車の窓から、見慣れた村の景色が遠ざかっていくのを、ただぼんやりと眺めていた。
☆
馬車に揺られること数日。
連れてこられたのは、木々が枯れ果て、鳥の鳴き声ひとつ聞こえない荒野にぽつんとそびえ立つ、巨大な黒い塔だった。
「この最上階に『女の子』がいる。一ヶ月間、話し相手になれ。途中で逃げ出そうとすれば、塔の防衛魔法が作動して命はないと思え」
男は冷たく言い放つと、重厚な石造りの扉を開け、俺の背中を蹴り飛ばすようにして中へ押し込んだ。
直後、地響きのような重い音を立てて扉が閉ざされ、外から厳重に鍵をかけられた。
「痛っ。もうちょっと優しくしてくれてもいいのにな」
床に手をつき、打った背中をさする。
埃っぽい淀んだ空気が漂う一階で、俺は支給された硬い黒パンの入った麻袋を肩に担ぎ直した。
壁には、爪で引っ掻いたような生々しい痕や、赤黒い染みがいくつも残っている。随分と物騒な場所だ。
「まあ、だからといって、帰る家もないしな」
俺は冷たい石の螺旋階段を上り始めた。
一段上るごとに、空気がねっとりと重くなっていくような気がした。
冷や汗が背中を伝うが、これは単に数日間の馬車旅による疲労と、運動不足のせいだろう。
やがて、最上階の広間にたどり着いた。
そこは、塔の外観からは想像もつかないほど豪奢な空間だった。
ふかふかの赤い絨毯が敷かれ、壁には一面の巨大な本棚。
そして、部屋の中央にある天蓋付きの大きなベッドに、ひとりの少女が腰掛けていた。
長く艶やかな銀色の髪。透き通るような白い肌。そして、血のように紅い瞳。
見た目は俺と同年代、十五歳くらいの少女にしか見えない。
だが、その存在感は明らかに人間とは異質だった。
「また、新しい生贄が来たのね」
少女の紅い瞳が、すっと俺を見据える。
その瞬間、彼女の背後で空間が歪むような錯覚を覚えた。まるで重力が何倍にも跳ね上がったかのような、圧倒的な威圧感。
普通の人間なら、この視線を浴びただけで魂が砕け散り、発狂するか泡を吹いて倒れるのだろう。
だが。
もさっ、もさっ。
「……は?」
少女は、目を丸くして俺を見た。
俺は、男から渡された黒パンをかじりながら、部屋の入り口に立っていた。
階段を上って腹が減ったのだ。パサパサとした麦の味が口の中に広がる。
「よぉ」
「よぉ……じゃないわよ。あなた、狂ったの?」
「いや、腹が減って。食べる?」
「食べるわけないでしょうっ。そういうことじゃなくてっ」
少女は苛立ったように立ち上がり、俺の目の前まで歩いてきた。
美しい顔が間近に迫る。ほんのりと、甘い花の香りがした。
だが、俺は黒パンを飲み込みながら、淡々と答える。
「俺の名前はアントニオ。ただのアントニオだ。話し相手のバイトで来た。一ヶ月、よろしく」
「……バイト? あなた、自分が人身御供の生贄として送られてきたって分かってないの?」
「ひとみごくう? イケニエって、誰の?」
少女が、不思議そうに首を傾げる。銀糸の髪がさらりと揺れた。そして、俺のことを食い入るように見つめてくる。
「あなた、もしかして【反魔力】の使い手?」
「はんまりょく? なんだそりゃ」
「魔力が無いって言われたことない?」
「あるある。そのせいで、めっちゃ周りから馬鹿にされる」
「そう。だからか」
なんだか、勝手に納得している女の子。反魔力ってマジで何なのだろうか。
「反魔力っていうのは、魔法の源、魔力の対となる存在。魔力を打ち消す力」
「へー。魔力が無いんじゃねーの?」
「そうよ。あんたにも魔力はある。ただ、その反魔力は、魔法や魔力を打ち消す。だから魔法は使えないし、魔力で動く魔道具も使えない。実質魔力ゼロと変わらないってわけ」
なるほど。
「今までの連中は、わたしの魔力にあてられて自害するか、恐怖で逃げようとして塔の罠で死んだわ」
「んな大げさな」
俺は笑い飛ばす。
「あんたの反魔力によって、わたしのあふれ出る魔力を打ち消してる。だから、わからないのよ。あたしが、どんだけ化け物かってことを」
「ふぅん。俺の目にゃ、俺と同世代の、可愛い女の子にしか見えないぜ?」
俺が心底不思議そうな顔で言うと、少女は口を半開きにして完全に固まった。
しばらく俺ののんきな顔と、手に持っている食べかけの黒パンを交互に見つめ、やがて何かを探るように目を細めた。
「あなた、何かおかしいわね」
「魔力ゼロの穀潰しなんでね」
「そういう意味じゃなくて。ほんと変な人」
少女は興味深そうに、俺の胸元を指でつついた。
ツン、と触れた細い指先から、ほんのりとした温かさが伝わってくる。
「はは。触れるわ。人のぬくもり。忘れてた、感覚」
ふいに、女の子がその場にしゃがみ込んでしくしくと泣き出してしまった。
うーん、俺なにかしちゃっただろうか。泣かせるようなこと。
でも、まあ話しぶりからすると、人と会うのが久しぶりのようだ。
まあこんな所に閉じ込められているんだ、多分何かしらの事情があってのことだろう。事情。例えばとんでもなく病弱だとか。
だから外で暮らせないし、あんまり人が来ないみたいな。
「苦労してんのね、おまえ」
「あんた絶対わかってない」
「うん。わかるわけないじゃん。俺はあんたじゃないんだし」
女の子は俺を見て、涙ぐんだ瞳のまま、ぷっ、と吹き出した。
「それもそーね。じゃあ、そうね。おしゃべりしましょうよ」
「そーだな、そのために来たわけだしよ。ってことで、俺、アントニオ。おまえ、名前は?」
少女は立ち上がり、ドレスの裾を払って再びベッドへと戻ってドサリと腰を下ろした。
「わたしはルシエラ」
「ルシエラね」
「このルシエラを前にして平然とパンを食う人間なんて、数百年ぶりよ」
「はは、おもろい冗談だ。数百年? どう見ても君は俺と同じくらいの、可愛い女の子じゃないか」
ルシエラは顔を真っ赤にして絶句し、バンッと両手で顔を覆った。
指の隙間から、ルビーのような瞳が激しく動揺してこちらを見ている。
「な、なんなのよあんたっ。いきなり不敬よっ。わたしに向かって可愛いだなんてっ」
「本音を言っただけだよ。俺はアントニオ。一ヶ月、よろしく頼むよ」
「も、もう、勝手にしなさいっ」
照れ隠しのようにそっぽを向くルシエラを見ながら、俺は残りのパンを口に放り込んだ。
咀嚼しながら部屋を見渡すと、窓際に古びた長椅子が置かれているのが見えた。
「俺の寝床、あそこのソファーでいいかな」
「好きにすればいいわっ。あたしに話しかけないでよねっ」
ぷいっと背中を向けてしまったルシエラの銀髪が、ランプの光を受けてキラキラと輝いている。
なんだかんだ言って、追い出そうとはしないらしい。話し相手のバイトとしては、初日の掴みは悪くないはずだ。
魔力が無いと虐げられてきた穀潰しの少年が、上位存在である【魔神】のイケニエとして捧げられた結果。
自分が殺される予定だったことすら分かっていないぼんやりな俺と、話し相手に飢えていたちょろい魔神の、奇妙で平穏な同居生活の一日目が、こうして幕を開けたのだった。