上位存在のイケニエとして差し出された穀潰しの少年、なぜかめちゃくちゃ溺愛される 作:茨木野
ルシエラ・ド・シュブ=ニグラス。太古、この星の外から来たという、祖にして外なる魔神の一柱。
彼女が行う挙動のひとつひとつが、大魔法となる。手を少し振っただけで山がえぐれ、彼女が少し声を出すだけで、聞いた者は発狂する。
いにしえの勇者ユージーンによって倒され、深い眠りに封印されなかったら、今頃世界はとっくに滅んでいただろう。
ルシエラは本来、永遠に目覚めぬはずだった。しかし邪悪なる教団が、強大な魔神ルシエラに目を付けたのだ。
魔神を復活させ、己の力としてコントロールできれば、無敵であると。
教団はルシエラの封印を解いたはいいが、しかし一つだけ必要なものがあった。それは、生き血。
彼女が完全に顕現するためには、人の生きた血が必要だったのだ。
教団員は生き血をもとめて、よそから騙して連れてきた人間たちを、魔神の住まう塔の最上階へと送り込んだ。
通常の人間は、魔神の存在を見ただけで魂が砕け散って死んでしまう。あの膨大な量の魔力を見た者で、正気を保てる人間はいないのだ。
ただ、彼らにとって誤算だったのが。
『わたしはもう復活したくない、外に出たくないの……。もう誰も、殺したくないの……っ! だからほっといてよっ!』
魔神が、心優しく臆病な小娘だったこと。
彼女は、自分の規格外の力を完全にコントロールできない。
彼女の前に人がやって来れば、問答無用で発狂死させてしまう。そんなのは彼女が望んだことではなかったのだ。
そもそも、顕現なんてもうしたくなかった。彼女が現世に降り立ったとき、多くの人間を無自覚に殺してしまった。
それは別に暴れたとか、悪意があったとか、そういうのではない。単に、そこに生きていた。それだけだった。誰も望んでいない悲しい殺戮だったのだ。
しかし、教団員はそんな彼女の事情などお構いなしだった。
欲しいのは魔神が持つ、圧倒的な殺戮の力。彼女の意思なんてどうでもいい。
魔神を復活させ、顕現させるために必要なエネルギーは、よそから仕入れてくる。
あとは、魔神の自我を完全に洗脳して、終了のはずだった。
洗脳の儀式には長い長い時間が必要だった。あと、少しだった。あと二十五日で、儀式は完成する。
魔神は教団の言いなりとなり、世界を滅ぼす殺戮兵器になる、はずだったのだ。
「ちく、しょおぉっ」
アントニオを連れてきた教団員が、口から血を吐きながら、悠然と立つ魔神と彼を見上げる。
(もう少し。もう少しだったんだっ。なんで、あんなガキが、魔神を従えているっ!? 洗脳でも行ったのかっ!?)
否。彼がやったのは、教団員とは真逆のことだ。
彼女が望む安らぎを、彼は与えた。
彼女を魔神や化け物としてではなく、ただの一人の人間として接した。
たったそれだけのことが、孤独な魔神の心を強く動かし、魂の契約に至ったのである。
「さ、いきましょう。アントニオ」
「そうだな。悪いなおっさん。バイト代はいらないから」
ルシエラがアントニオの背中に回り、細い腕でぎゅっと抱きかかえる。
「ちょ、なに?」
「飛ぶわよ」
「飛ぶって。うわあああああああああああああああっ」
魔力で強化した足で、ルシエラは力強く飛び上がる。大砲でぶち抜かれた天井の穴から、外へ。そして、何もない空をふわりと蹴って、そのまま風に乗ってどこかへと飛び去っていった。
「ありえ、ねえ」
魔神の魔力をあんな間近で浴びせられたら、人間は正気を保てないはずだ。だが少年は生きていた。
それに、不可解だ。
魔神が魔力を解放したというのに、あの程度の跳躍、あの程度の奇跡しか行えていない。
本気で魔力強化して跳躍すれば、星の外まで飛んでいくことすら可能な存在なのだ。
「あいつだ」
アントニオ。あの少年が、何かおかしな力を持っているのだ。
魔神をそそのかし、強大すぎる魔神の力をコントロールする、何らかの未知の術を。
「絶対。絶対に見つけ出してやるぞっ。ルシエラっ。アントニオぉっ」