2022年11月6日
世界初のフルダイブ型VRMMORPG――《ソードアート・オンライン》の正式サービスが開始された。
無数のプレイヤーが仮想世界へと降り立ち、歓声を上げる。
空には青い光が広がり、石畳の街並みには中世風の建物が並ぶ。頭上を見上げれば、どこまでも広がる青空。そして、そのはるか上空には、百層からなる巨大な浮遊城《アインクラッド》がそびえ立っていた。
その街の片隅に、一人の少年が立っていた。
黒い髪。整った顔立ち。感情の読めない瞳。
少年の名は、黒瀬零(くろせ・れい)
15歳
プレイヤーネームはレイ
彼は周囲のプレイヤーたちがはしゃいでいる中、静かにメニュー画面を操作していた。
「……始まったか」
感慨深げな様子はない。
ただ、これから始まる世界を確かめるように、視線を巡らせていた。
レイはこのゲームにおいて、誰かと協力するつもりはなかった。
最初から、その必要がなかったからだ。
彼はログインしてすぐ、初期装備の剣を手に取ると、街の外へ向かった。
モンスターとの戦闘。
武器の扱い。
ソードスキルの発動タイミング。
そのすべてを、レイは短時間で把握していった。
「……なるほど」
草原を歩いていたモンスターが、レイを見つけて襲いかかる。
レイは一歩だけ横へずれた。
モンスターの爪が空を切る。
次の瞬間、剣が閃いた。
一撃
モンスターのHPバーが消失し、青いポリゴン片となって砕け散る。
レイは剣を軽く振り、付着した光の粒子を払うような仕草をした。
「悪くない」
それだけ言うと、再び歩き始めた。彼にとって、この世界での戦闘は恐怖でも挑戦でもなかった。
ただの作業に近かった。
そして、その日の夕方。
この世界は、誰も予想していなかった形で姿を変えることになる。
◇
午後五時三十分
始まりの街、中央広場。突如として、プレイヤー全員の視界に赤いシステムメッセージが表示された。
《WARNING》
《WARNING》
戸惑う声が広場を埋め尽くす。
直後、空が赤く染まった。
巨大なローブ姿の人影が、広場の上空に現れる。
ゲームマスターを名乗る存在――茅場晶彦。
彼は、この世界の真実を告げた。
ログアウト機能の削除。
現実世界からの強制切断の禁止。
そして、ゲーム内でHPがゼロになれば、現実の肉体も死を迎えるという事実。
「嘘だろ……?」
「ログアウトできないって、どういうことだよ!」
「ふざけるな! 早く元に戻せ!」
悲鳴と怒号が飛び交う。
誰かが泣き崩れ、誰かがメニュー画面を何度も操作し、誰かが茅場晶彦に向かって罵声を浴びせた。
しかし、零は違った。
彼はメニュー画面を一度確認すると、静かに閉じた。
「……そういうことか」動揺はなかった。
自分の命が懸かっているという事実を理解していないわけではない。
ただ、それを理解したところで、騒いでも状況は変わらないと判断しただけだった。
茅場晶彦の説明は続く。
この世界から脱出する方法は、ただ一つ。
浮遊城アインクラッドの最上階、第百層にいるボスを倒し、ゲームをクリアすること。
それ以外に道はない。
説明が終わると、赤い空は元の青空へ戻った。
しかし、広場に漂う空気は変わらなかった。
ここはもう、ただのゲームではない。
誰もがそれを思い知らされていた。
零は踵を返した。
「さて……」
向かう先は、街の出口。
立ち止まっている時間が惜しかった。
攻略を進める。
強くなる。
そして、クリアする。
レイにとって、目標はそれだけだった。
◇
翌日始まりの街の西門付近レイが街の外へ出ようとしたとき、一人の少女が目に入った。
栗色の長い髪。
整った顔立ち。
白を基調とした服装に、細身の剣。
年齢は自分と同じくらいだろう。
少女は街の出口で立ち止まり、周囲のプレイヤーたちを一瞥していた。
不安そうな表情はない。
むしろ、何かに苛立っているように見えた。
レイは特に気に留めず、少女の横を通り過ぎようとする。
「……ねえ」
不意に声をかけられた。
レイは足を止め、顔だけを向ける。
「何だ?」
「この先の狩り場。今、どのくらい混んでる?」
ぶっきらぼうな口調だった。
愛想もなければ、親しげな様子もない。
単純に必要な情報を求めているだけらしい。
「場所による。西側は人が多い。北東は比較的空いてる」
「……そう」
少女は短く答えた。
「北東のモンスターの強さは?」
「西側より少し上だ」
「分かった」
それで会話は終わりだった。
少女は礼を言うこともなく、メニューを操作して歩き始めた。
レイはその背中を一瞬だけ見送る。
(ソロか)
少女の装備と身のこなしから、そう判断した。もっとも、だからといって興味が湧くわけでもない。
レイもまた、街を出た。
そのときの二人は、まだ互いの名前さえ知らなかった。
少女の名がアスナであることを知るのは、もう少し先の話だ。
◇
デスゲーム開始から三日目
レイは振り返りもしない。
半歩だけ身体をずらし、後方へ剣を突き出す。
命中
三体目、四体目
一連の動作には、無駄がなかった。
ソードスキルの発動
連撃
回避
反撃
すべてが正確で、すべてが速い。
数分後
草原には、レイ以外の動くものはいなくなっていた。
レイはメニューを開き、獲得した経験値を確認する。
「……こんなものか」
レベルは順調に上がっている。
だが、彼にとってレベルは単なる数字にすぎなかった。
システムに定められた成長速度など、戦闘技術の前では大した意味を持たない。
そのときだった。
「……今の、あなたが全部やったの?」
少し離れた場所から声がした。
振り返ると、昨日の少女が立っていた。
頭上にはプレイヤーネーム、アスナ。
彼女は倒されたモンスターが消えた場所とレイを交互に見ていた。
驚きはある。
しかし、素直に感心しているというより、警戒している様子だった。
「見ていたのか」
「たまたま通りかかっただけ。……それより、どうして一人であんな数を相手にできるの?」
「一人だからだろう」
「……は?」
アスナの眉がぴくりと動いた。
「質問に答える気がないなら、最初からそう言って」
「答えたつもりだが」
「……もういい」
アスナは露骨に不機嫌な顔をした。
レイは特に気にしなかった。
「お前もソロか」
「だったら何?」
「いや」
レイは剣をしまった。
「死ぬなよ」
「……余計なお世話」
アスナは冷たく言い返した。
そして、レイの横を通り過ぎる。
その足取りには迷いがなかった。
レイは彼女を追いかけることも、呼び止めることもしなかった。
ただ、内心で一つだけ思った。
(あの状況で、恐怖より先に警戒が出るか)
少なくとも、簡単に折れる人間ではなさそうだった。
それ以上の興味はない。
レイは再び狩り場へ向かった。
一方、歩き去ったアスナは、少しだけ苛立っていた。
(何なの、あの人……)
あの戦闘技術は尋常ではない。自分も剣には自信がある。
だが、先ほどの戦いには、単なるレベル差だけでは説明できない何かがあった。
それでも、アスナは素直に認める気にはなれなかった。
「……別に、関係ないし」
そう呟き、彼女もまた狩り場へ向かった。
このときのアスナにとって、レイはただの妙に腕の立つ、無愛想なプレイヤーにすぎなかった。
◇
デスゲーム開始から一週間
攻略組のプレイヤーたちは、少しずつ街の外へ活動範囲を広げていた。
しかし、十分な装備も経験もないプレイヤーが無理をすれば、命を落とす。
その事実は、すでに何人もの死によって証明されていた。
そんな中、レイは相変わらず一人で狩りを続けていた。
パーティーへの勧誘は何度もあった。
「一緒に攻略しないか?」
「その腕なら、俺たちのパーティーでも歓迎するぜ」
「ソロは危険だ。今は協力したほうがいい」
レイの返事は、いつも同じだった。
「必要ない」
それだけで終わりだった。
そして、その日の夕方。
レイが狩りを終えて街へ戻る途中、岩場の向こうから剣戟の音が聞こえた。
視線を向ける。
そこにいたのはアスナだった。
彼女は一体のモンスターと戦っていたが、相手の攻撃を避けた直後、足場の悪さに体勢を崩した。
モンスターが追撃に移る。
アスナはすぐに剣を構え直そうとした。
しかし、間に合わない。
次の瞬間
一閃
モンスターの身体が青い光に包まれ、消滅した。
アスナは目を見開いた。
数メートル先に、レイが立っていた。
「……また、あなた?」
「偶然だ」
「助けてなんて頼んでない」
「頼まれていないな」
「だったら、余計なことしないで」
レイはアスナを一瞥した。
「次は死ぬかもしれないぞ」
「……っ」
アスナの表情が険しくなる。
「そんなこと、分かってる!」
彼女の声が、夕暮れの草原に響いた。
「分かってるから、一人でやってるの。誰かに頼って、その人が死んだらどうするのよ」
レイは黙っていた。
アスナは息を整えながら、視線を逸らした。
「……助けてもらったことは、一応、感謝する。でも、次からは放っておいて」
「分かった」
レイはあっさり答えた。
その反応に、アスナは拍子抜けしたような顔をした。
普通なら言い返すか、恩着せがましいことを言うはずだ。
だが、あの人にはそれがない。
助けたことを誇るでもなく、見返りを求めるでもない。
まるで、目の前で起きた出来事など、どうでもいいと言わんばかりだった。
「……あなた、名前は?」
気づけば、アスナはそう尋ねていた。
レイは少しだけ視線を向ける。
「レイ」
「……私はアスナ」
「そうか」
それだけだった。
「……それだけ?」
「何がだ?」
「普通、名前を聞いたら、よろしくとか、そういうのがあるでしょ」
「名乗っただろう」
「そういう意味じゃなくて……!」
アスナは言葉を詰まらせ、深くため息をついた。
「……もういい。話すだけ無駄ね」
「そうか」
レイは歩き出した。
アスナはその背中を睨みつける。
「本当に感じ悪い……!」
その声は、レイに届いていた。
だが、彼は振り返らなかった。
アスナもまた、彼を追いかけることはなかった。
二人は別々の道を歩き始める。
このとき、アスナはまだ知らない。
自分が何度も顔を合わせることになるこの少年が、いずれ攻略組の常識を覆すアイテムを使用することを。
そしてレイもまた、知らなかった。
そのアイテムがレイに奇跡を起こすことを。
それは、まだ遠い未来の話だった。
予定では全50話の攻略よりの恋愛でしたが
何故か考えが変わり恋愛よりの攻略に